チェロ弾きの哲学ノート

徒然に日々想い浮かんだ断片を書きます。

ブックハンター「商家の家訓」

2015-06-12 07:23:26 | 独学

 77. 商家の家訓   (吉田實男著  2010年10月)

 家訓というと古めかしいと感じるかもしれませんが、ここで取り上げる商家の家訓は、企業の経営指針であり、家庭や個人の生活の方針でもあります。ピーター・ドラッカーの経営理論にも決してひけをとるものではありません。

 ここで取り上げるのは、角倉素庵、岩崎彌太郎、安田善次郎、島津源蔵の4人です。岩崎彌太郎は、三菱商事、三菱重工、三菱地所の創業者であり、安田善次郎は、富士銀行、安田生命、東京海上火災の創業者であり、島津源蔵は、島津製作所の創業者である。

 角倉素庵は、秀吉、家康から朱印状を許され、トンキン(ベトナムのハノイ)、カンボジア、ルソン(フィリピンのマニラ)、シャム(タイ)などの東南アジアと貿易し、日本からは武器や硫黄などを輸出し、外国からは薬種、書籍などを輸入していた。

 素庵の父の了以は、高瀬舟を見て、この船で、丹波の豊富な物資を京都に運べないかと考えた。了以は、慶長10年(1605)に素庵を江戸に行かせて、幕府に保津川の浚渫を建議し、山城、丹波の両国の民の利益になるとして、翌年許可が下りた。

了以は私財を投じて、丹波から船運を完成させ、保津川の下流の桂川を経て、淀川に繫がることになった。この運河は、明治に入って鉄道が開通するまで、交通の大動脈になっていた。京都と大阪の物流の発展に寄与した。

 

 『 江戸時代の初期に、南方との貿易の先頭に立った角倉素庵が著した「船中規約」である。この船中規約は、角倉家の商売上の論理綱領であるが、世界最古の国際的行動規範であるともいわれており、今日においても、国際間の経済取引をしている者や海外で活動する企業の社員の必読書となる内容が盛り込まれている。

 第1条  「貿易の本義」  

 そもそも貿易という事業は、お互いに融通し合うことによって、他人にも自分にも利益をもたらすものである。他人に損失を与えて、自分の利益を図るためのものではない。共に利益を受けるならば、たとえその利は僅かであっても、得るものはかえって大きい。利益を共にしなければ、たとえ利が大きくとも、得るものはかえって小さい。

 ここでいう利益とは道義と一体のものである。それ故に「貪欲な商人は五を求め、清廉な商人三を求める」という。このことをよく考えるべきである。

 第2条  「異邦の人も皆同胞」

 異国と我が国とは、風俗や言葉の違いはあるけれども、天より授かった人間としての本性には何ら違いはない。それを忘れて異なるところを不思議がったり、欺(あざむ)いたり嘲(あざけ)ったりすることは、たとえ僅かでもしてはならない。たとえ相手がこの道理を知らなくとも、我々は知らずにいてよいものであろうか。

 人の信義はイルカにも通じ、企(たくら)みはカモメも察知する。天は人の嘘偽りを許さないであろう。心ない振る舞いによって、我が国の恥をさらすようなことをしてはならない。もし、他国で仁徳に優れた人物に出会ったなら、その人を父か師のように敬って、その国のしきたりを学び、その地の習慣に従うようにせよ。

 第3条  「苦労を共にする」

 上は天、下は地の間にあって、人間はすべて兄弟であり、等しく愛情を注ぐべき存在である。ましてや同国人同士においてはなをさらである。危険に遭い、病にかかり、寒さや飢えに苦しむ時、直ちに助け合わねばならない。かりそめにも一人だけ、そこから逃れるようなことは決して行ってはならない。

 第4条  「欲望に勝つ」

 荒れ狂う大波は恐ろしいとはいえ、果てしない欲望が人を溺れさせるのに比べれば、まだましである。人の物欲は限りないとはいえ、酒や色情が人を溺れさせることの恐ろしさに比べれば、大したことはない。 

 同じ船に乗り合わせた者は、このことをよく戒めあって、誤りを正していかねばならない。古人も教えているように、「真の危険な場所とは、寝室や飲食の席にある」という、誠にその通りであって、大いに慎まなければならないのである。

 第5条  「座右の鑑とせよ」

 これを日夜身辺に置いて反省の鑑とせよ。

 ところで、この船中規約を読んで、慶応3年(1867)6月に、坂本龍馬が長崎から上洛する途中の船中で、新しい政治方針としてまとめたとされる「船中八策」が思い出される。その中にも。外国と新たに平等な条約を結びなおすこと、金銀の比率や物の値段を外国と同じように努めることなど、日本人の目線を外国に向けさせる文章がある。坂本龍馬も、今から250年も前に書かれた、この「船中規約」を読んだのであろうか。聞いてみたいものである。 』

 

 『 波乱万丈の生涯を精力的に生きた三菱の創業者の岩崎彌太郎が制定した岩崎家の家訓。

 第1条  「大事を為す」

 小事にあくせくする者は大事を成せない。ぜひとも大事業を行うという方針を取れ。

 第2条  「事業は成功させる」

 一度着手した事業は必ず成功させよ。

 第3条  「投機事業の禁止」

 決して投機的な事業を企ててはならない。

 第4条  「国家的観念」

 国家的な視野に立って、すべての事業に当たれ。

 第5条  「公に尽くす」

 誠をもって公に尽くさんとする真心は、瞬時も忘れてはならない。

 第6条  「勤倹と慈愛」

 勤倹を心掛け、慈愛の心をもって人と接せよ。

 第7条  「人材の配置」

 適正と技能を十分に見定めて、適材適所に人を用いよ。

 第8条  「部下への配慮」

 社員を大切にし、事業で得た利益は、できるだけ彼らに分け与えるように。

 第9条  「創業は大胆に」

 創業時には大胆な戦略をとれ。だが、成功して守りに入ったら、むしろ臆病であるほうがよい。

 当初、三菱の経営する各種の企業は三菱合資会社1社によって経営されてきたが、弟の長男である小彌太は、それを造船、製鉄、鉱山、銀行、商事、地所などの各々の事業に分離し、それぞれ独立した株式会社に改組した。極めて先見性を持った経営者である。その彼が、

 「 我々の職業は之を社会的に観ますれば、生産者と消費者との中間に立ちて、最も便利に且つ廉価に物品の配分を司るにある。また之を国家的に観ますれば、国内の生産品を、我が生産者の為に、最も有利に且つ最も広く海外に輸出する。

 或は外国の生産品を我が国内に生産者または消費者の為に、最も低廉に且つ最も便利に輸入するにある。則ち社会に対し国家に対して、この重要なる任務を遂行することが、我々の職業の第一義であり、又其の目的とする所であると信ずるのであります。

 而して此の任務を盡すに当りまして、需要供給の関係と、時と場所との差異を善用して、正当なる利益を得るに務めることが、我々の職業の第二義であると信ずるのであります。

 この両義はともに等しく我々の活動の重要なる目的であることは勿論であるが、第二義は何処までも第二であって、第二義のために第一義を犠牲にすることは断じて許されないのであります。私が正義を厳守す可し手段方法を慎む可しというのは、則ちこの義に基ずくものであります。」 』

 

 『 安田家の家訓  独立心旺盛な安田善次郎は、安政5年(1858)20歳の時に根負けした両親の了解を得て、やっと江戸に行けることになる。両親と別れ、生まれ故郷を離れる時、悲壮な決意をしている。

 それは、「 ① 他力を頼まず、獨力で商人として身を立てること。 ② 虚言をいわぬこと。 ③ 収入の8割を以て生活し、他は貯蓄すること 」である。

 この思いを心に秘めて、わずか2分と800文を懐に入れ、江戸へ向かったのである。その時の思いが善次郎の生涯の信念となり、後々の安田家の家訓にもなっている。

 江戸に到着した善次郎は、小間物や玩具の行商を経て、日本橋小舟町の海苔・鰹節小売兼銭両替商の広林に手代奉公をする。そこで、両替業や金融業についての経験を積み、通算6年間の奉公の後、文久3年(1863)に、それまで地道に蓄えた5両を元手に、日本橋小舟町で両替商を開業した。

 開業といっても、店舗もなく、地面に敷いた戸板の上で小銭を並べ、雨が降ると直ぐに畳まなければならないような露店商人であった。前代未聞の両替商である。しかし、彼は弁舌さわやかで愛想もよかったので、結構繁盛した。

 この頃の江戸は幕府の威令も届かず、暴徒がいつ両替商を襲ってくるかもわからない戦々恐々とした状況であり、また、いつ薩長軍が攻めてきて火の海になるかも知れない維新動乱の時代であったが、善次郎は、両替を必要とする人のために江戸を離れずに頑張り通したのである。 

 尋常でない肝の据わり方である。江戸末期になると幣制の混乱が激しくなったため、貨幣の真贋の判別、貴金属の品質鑑定なども重要な仕事であった。

 そして、彼は元治元年(1864)に、これまでに貯めたお金と身の回りの物を売ったお金とを合わせた25両の資金で、人形町に間口二間半、奥行五間半の店を借り受け、両替商兼乾物屋である「安田屋」を開業した、善次郎27歳のときである。

 動乱期でもあったために近隣の両替商が休業や閉店するなかで、善次郎に海外への金の流出を防ぐために「古金銀回収取扱方」を要請した。明治2年(1869)の決算棚卸では、5,263両もの資産を計上することになった。

 安田家の家訓

 ー前文ー  

 勤倹貯蓄といえば、ただ倹約して貯金をすることと解釈する者がいるけれども、決してそうではない。勤倹とは勤勉にして節約することであり、換言すれば「業務を勤勉し、冗費を節する」ことである。すなわち「勤」は積極的な語で進取を意味し、「倹」は消極的な語で保守を意味する。 

 ゆえに両者が揃って、初めてその教えは効果があるということを皆に教えたい。勤なるとともに倹なれ、倹なるとともに勤なれと。易きを好み、難きを避けるは人の常である。勤倹は美徳であるが、その実行はすこぶる至難の業である。

 意志の強さ、すなわち克己心の養成を最も肝要とする。私が日頃目撃するところから、意志薄弱の輩が常に失敗の悲況に陥る例をあげて、克己心の必要な証を示してみよう。

 第1条  「欲望の奴隷となる人」

 意志の弱い人は、何事にも気が移りやすく、衣服や調度なども時の流行を追って、外見を飾ることをもって良しとする。このような虚栄心という欲望の奴隷になる人は、予算外の支出もかさみ、ついには祖先伝来の財産を減らすようになる。ましてや貯蓄などはいうまでもない。

 第2条  「自己の利害を省みない人」

 意志の弱い人は、友人や知人のために保証人などになって、思わぬ禍に巻き込まれることがある。このような一時の人柄にかられて、自己の利害を省みない人は、勤倹貯蓄を実行することはできない。

 第3条  「ひけをとる人」

 意志の弱い人は、取引に際して、引っ込み思案で、いわゆる相手に「ひけ」を取るものである。このような人は情実にこだわって、常に損害を招く。

 第4条  「すぐに挫折する人」

 意志の弱い人は、困難なことや面倒くさい事件に遭遇すると、すぐに挫けてしまったり、嫌がったりし、ついに何事も成しと遂げることができない。このような人は、結局、敢然たる気力を発揮して事に当たる勇気がないので、終生向上することはできない。まして克己心などあろうはずがない。

 第5条  「行為が不規則な人」

 意志の弱い人は、その行動が常に一貫性がなく、考え方も前向きでない。したがって、自己の欲望を抑えて、勤倹貯蓄をするという勇気もない。要するに、勤倹貯蓄は人生の必要事項であり、成功への手段である。それには、欲望を抑えて自分に打ち克つことである。 』

 

 『 島津家の家訓  は、「事業の邪魔になる人」 「家庭を滅ぼす人」 の2つでそれぞれ15条にまとめられている。

 ◎ 事業の邪魔になる人

 第1条  「職務に忠実でない人」

 自分の仕事を天職であると心得て、仕事に精進することが、自分に対しても、国家、社会、会社に対しても、それが忠義となる。このことを知らない人は、成長もない。

 第2条  「協調性のない人」

 皆で協力して、仕事をやろうとする心根のない人。そのような人は、チームワークを乱すことになる。

 第3条  「我がまま勝手な人」

 上司、先輩の教えや周囲の人の忠告を意に介しない我がまま勝手な人。

 第4条  「感謝の念のない人」

 恩を受けても感謝しない人。恩を漢字で書くと、「因」と「心」であるが、自らが存在する「因」(もと)となる、親、師、社会の恩を理解しない人は、他人の思いやりも理解できず、その行為も感謝できない人である。

 第5条  「利己主義の人」

 自分のことのみ考え、周囲の人のことを考えない自分勝手な人。

 第6条  「損得で物事を考える人」

 何事も金銭で評価し、自分にメリットがなければ、何もしない人。

 第7条  「諦めの早い人」

 少しのことでも辛抱我慢ができず、仕事をさせても最後までせずに、途中で放棄して、すぐに諦める人。

 第8条  「反省しない人」

 自分がした仕事を振り返って考えたり、 改めようとしない、やりっぱなしの人。

 第9条  「注意散漫な人」

 注意が散漫で、自分がした仕事の検証をせず、また、より良い結果を出すために本を読んだりして、自らの知識の向上を考えない人。

 第10条  「威張る人」

 自分の仕事に熱心でなく、勉強して実力を向上させようとする思いもなく、ただ、口先だけで自分の力を誇示しようとする人。

 第11条  「夫婦仲の悪い人」

 夫婦仲良くできない人。

 第12条  「緩急の区別ができない人」

 物事の重要性の判断だけでなく、その仕事は早くすべきか、後に回しても良いものかどうかの緩急の判断ができない人。

 第13条  「工夫しない人」

 仕事をしても、これで良いのかと反省し、改良するにはどうすれば良いのかなどの、工夫をしない人。

 第14条   「国家社会への犠牲心のない人」

 人は、自分だけで生きていけない。自分が存在するのは、国家社会のお陰であると考えて、国家社会のために何か役立つことをしようとする心掛けのない人。

 第15条  「明日に伸ばす人」

 今日できることをせずに、明日に延期する人。

 ◎ 家庭を滅ぼす人

 第1条  「お陰を考えない人」

 人は、自分だけで生きていけない。自分や家族が存在するのは、国家社会のお陰であると考えることのできない人。

 第2条  「敬うことを知らない人」

 長幼の序を知らず、両親や兄姉を敬うということができず、夫婦仲良くできない人。

 第3条  「立場をわきまえない人」

 身分に応じた生活が出来ず、自分の立場をわきまえない人。

 第4条  「不平不満を言う人」

 反省も感謝の念もなく、自分の能力を知ろうとせず、自己顕示欲が強く、いつも自分が一番偉いと思って、不平不満を言う人。

 第5条  「相互扶助精神のない人」

 助け合いの精神のない人

 第6条  「嘘を言う人」

 失敗すると、言い繕ったりする自分勝手な人。

 第7条  「無駄を知らない人」

 不急不要なものを衝動買いしたり、しなくてもよいことに無駄な時間を費やす人。

 第8条  「実力養成をしない人」

 夜更かしや朝寝坊をしたりして、自分を向上させようとする心のない人。

 第9条  「勇気のない人」

 失敗は誰にもあるのに、失敗したからといって落ち込み、立ち直ることのできない人。

 第10条  「非礼な人」

 人の道に反することをわきまえず、失礼なことを平気でする人。

 第11条  「研鑽できない人」

 一日一日を大事にして、研鑽に励むことが、出世の糧になることを知らない人。

 第12条  「親切心のない人」

 自分があるのは、上司先輩のお陰であるのに、先輩を軽視し、先輩にしてもらったことを後輩にしない人。

 第13条  「他人の悪口を言う人」

 自分のことを棚に上げて、他人の悪口を言い、他人との争いを好む人。

 第14条  「秩序を守れない人」

 社会のルールや職場のルールを守ることのできない人。

 第15条  「感謝の念のない人」

 今日一日、自分が無事であったことの感謝ができない人。 』

 

 商家の家訓は、経営者としての志であり、日本人の武士道的生き方を教えてくれる。武士だけに武士道があるわけではなく、商人にも、農民にも武士道精神は生きていたのではと考えます。

 海外での船の事故に於いて、船長が乗客をほっておいて、自分だけが一番先に助かる、ということは日本人の武士道精神に於いては、ありえないのではなかろうか。

 余談ですが、YMOの細野晴臣のお祖父さんが、モスクワからの留学の帰途において、すすめられて、タイタニック号に乗った唯一の日本人で、運よく助かって帰国したが、その時、他人を押しのけ、助かったのはほとんどが、中国人と日本人であったという記事が、公表され彼の名誉は傷つけられた。

 その後、生存者のことを調べているアメリカ人が、救命ボートは、800人分しかなく、細野正文もボートが降ろされるのをぼんやり見ていた。すると降ろされたボートからあと二人乗れると叫んできた。その時、隣にいたアルメニア人の男が海に飛び込んだ、さらにもう一人と言われ、我に返って、細野正文が飛び込み、漁船に助けれれたとアルメニア人が証言したため、名誉は回復した。(第76回)