137. 希望への扉 リロダ (渡辺有里子作 小渕もも絵 2012年11月)
本書は児童書ですが、著者は2000年から3年間、シャンティ国際ボランティア会(SVA)という日本の教育NGOのスタッフとして、タイにあるミヤンマー難民キャンプの図書館支援に携わった経験を基にして書かれたものです。
私が本書を取り上げた理由は、以下のように考えたからです。
① 世界の各地に現在でも多くの難民キャンプが存在し、難民キャンプがどのように運営されているかが少しわかる。
② 世界には学びたくても、教育を受けられない多くの子供たちがいることを知る。
③ 日本は難民とどのように向き合うべきかを考えるヒントを与えれくれる。
④ 世界の民族紛争の芽は、植民地支配の時代に形成されていたのかと考えさせられた。
⑤ 日本で生活している私たちは、日本語だけで最新の科学技術から世界経済や政治の情報を得ることができますが、本書のカレン族であれば、それらの知識を得るためには、カレン語、ビルマ語、英語をマスターしなくてはならない。
⑥ 世界の人々は、2つに分類されます。一つは、図書館をほとんど利用しない人、もう一つは、図書館をよく利用する人です。
⑦ 本書の中に、一冊のノートが、一冊の本が、一つのちっぽけな図書館が希望への扉を開くことを知りました。
⑧ 日本人のボランティアが頑張っていることに、私は希望と誇りを感じました。
私がこの本を知りましたのは、5月16日の朝日新聞の北海道版に音更町図書館司書・加藤正之さんの記事を読んだからです。最初にその「おすすめの本箱」から紹介いたします。
『 タイトルにある「リロダ」とは、ミヤンマーのカレン族の言葉で「図書館」のことをいいます。リロダで働く図書館員は「リロダサラムー」です。ミヤンマーは135の民族が暮らす多民族国家です。
人口の7割はビルマ族で、あとはカレン族、カチン族、シャン族などの少数民族です。ビルマ族率いる政府軍は、政治の権力を握ると、少数民族の権利を認めなくなりました。
少数民族はビルマ族を同等の権利を求めましたが、その答えは村を攻撃するという形で返ってきました。カレン族の少女・マナポは、村にいつ危険が迫るかわからない状況の中、家族で隣国・タイの難民キャンプに入ることができました。
マナポは難民キャンプでの高校生活が残り少なくなったある日、難民キャンプの中にリロダができることを知り、リロダサラムーに応募します。
母親はマナポに先生になることを望んでいましたが、難民キャンプの中で学校に行けない子どもたちがいることを知っていたマナポは、そんな子どもたちのためにリロダで働きたいと考えたのです。
マナポは研修を受け、リロダサラムーになりました。リロダは子どもたちで大にぎわいです。リロダに通ううちに字が読めるようになる子もでてきました。
難民キャンプの人たちは、「リロダは宝物を見つけられる場所だ。私たちに未来に光をともしてくれる」と話します。ここには図書館を原点があります。 』
これから、この物語の最初の部分を紹介していきます。
『 マナポたちは、ミヤンマー南東部カレン州の、小さな村にくらしていた。五十人ほどの村人は、昼は畑をたがやし、床下の広い空間では、鶏や豚を育てていた。
マナポの家族は、祖父母、両親、妹の六人家族。おじいちゃんは、長年の畑仕事で腰を痛めてからは、日中でも家ですごすことが多かった。しかし、村では長老として信頼が厚く、マナポの家にはたえず村人たちがおとずれた。
顔じゅうに深いしわがきざまれ、眼光するどいおじいちゃんは、幼いマナポたちには、どこか近よりがたい存在だった。
一方おばあちゃんは、いつもおだやかなほほえみをたたえて、だれからもしたわれ、両親が畑仕事をしている間、家事いっさいをまかされていた。
「マナポ、今日はタルポを作ろうかね」 おばあちゃんといっしょに、夕飯を作るのは、マナポの日課だった。 「じゃあ、私はお米を粉にするわ!」 マナポの頭の中には、すでに香ばしく煮えたタルポがうかんでいた。
手ぎわよく材料をそろえると、マナポは茶色く炒られてお米を石臼でつきながら、「おばあちゃん、私、学校へいきたいな」 とつぶやいた。 「どうしたんだい、急に」
「お母さんが少しずつ、カレンの文字を教えてくれたけど、もっといろんなことを知りたいの」 「マナポ、その気持ちは大切だよ。一つずつ、いろんなことを知っていくことで、どんどん大人になっていくんだからね」
「だけど、お父さんもお母さんもいそがしくて、なかなか私たちの勉強を見てくれないわ。もし学校へいくことができたら、毎日いろんなことを勉強できるんでしょう?」
マナポの澄んだ大きな瞳に見つめられたおばあちゃんは、人一倍好奇心が強いマナポの思いに、どう答えてよいかとまどい、複雑な気持ちになった。
”もし私が文字を読んだり、書いたりできたら、この子にもっといろいろなことを教えてやれたのに……” マナポたちの村には学校がなかった。いくとすれば、となりの村の小学校まで、山を一つ越えなければならない。
おじいちゃんは村人たちから、「なんとかこの村に、小学校をつくれないものでしょうか」 と相談をうけていた。となりの村まで通うには、子どもの足では遠すぎる。しかし親たちが心配していたのは、もっとべつのことだった。
「学校へいく途中、もし子どもたちが政府軍の攻撃にあったらどうしますか?」 「べつの村では、男の子たちが山の中でさらわれて、今じゃ軍で働かされていると聞きました」
村人にとって、何よりもこうした不安が、いつでも大きな壁となって立ちふさがっていた。 』
『 マナポが生まれたミヤンマーは、百三十五もの民族がくらす多民族国家だ。人口の約七割がビルマ族、あとはマナポたちカレン族をはじめ、カチン族、シャン族、モン族、カレニ―族など、さまざまな少数民族が共にくらしている。
しかし、ビルマ族が率いるミヤンマーの政府軍は、政治権力をにぎったとたん、国内の少数民族には、ビルマ族と同じ権利を認めてくれなかった。
「私たちにも平等な権利をください!」 「自分たちの文化や言葉を認めてほしい!」 いくつかの少数民族は、そう、政府にうったえた。しかし、その答えは、人々や村を攻撃するというかたちで返ってきた。
いつ、自分たちの村にも、危険が迫るかわからない。そんな恐怖にさらされたくらしが、ずっと続いていた。
”この村で、子どもたちに教育を受けさせたいのはやまやまだ。しかし、学校をつくっても、いったい先生はどうする? この村で小学校を出ている大人は、ほとんどいない。それにもし、政府から禁じられた民族の言葉、カレン語で子どもたちが勉強していると知られたら、この村は……”
と、マナポのおじいちゃんは、子どもたちの未来を思う気持ちと、命を守る責任とのはざまで、途方にくれていた。
「いいにおいだな、今日はタルポを作ったんだね」 聞きなれた、低くひびく声にマナポがふり向くと、畑からお父さんとお母さんがもどってきたところだった。
お父さんの背丈はそれほど高くなかったが、長年の畑仕事で、両腕の筋肉はたくましくもりあがり、褐色に日焼けした肌は、健康な輝きをたたえていた。
お父さんは大きな手で妹のレポの頬をなでると、「今日はお土産があるぞ」 といって、お母さんにニヤリと目くばせをした。 「お父さんが畑のそばで大きなカエルをつかまえたのよ。新鮮なうちに料理するわね」
お母さんは、カエルの肉を細かく切ってやき、炒めた玉ねぎに唐辛子とまぜあわせた。「そうそう、畑でインゲンがたくさん取れたから、タヘポも作るわ」
お母さんはマナポに取りたてのインゲンを洗ってこさせと、ナッツ、オクラ、キュウリといっしょにゆで、ニャウティ(魚醤)をたらりとかけた。
するとたちまち香ばしいにおいがあたりにたちこめ、マナポは、「今日はごちそうね! 早く食べたいわ」 と思わずお腹を手でおさえた。
家族みんながそろう夕飯時は、一日をしめくくるたいせつなひとときだ。できたての料理を前に、みんなは円くなってすわり、目をつぶって祈りをささげた。
食事中には、お父さんとお母さんが、その日の畑のようすを聞かせてくれた。もうじきサトウキビが収穫できそうだという。なごやかな食卓に、マナポはお腹も心も満ち足りた。
食事が終わると、おばあちゃんがマナポとレポに、「さあ、二人ともお皿を洗う手伝いをしておくれ。それが終わったら、お話をしてやろう」 と声をかけた。二人は顔を見合わせ、われ先にとお皿を片づけはじめた。
「今日はおばあちゃん、どんな話をしてくれるのかしら」 と、マナポがタライの水の中でお皿を洗いながらいうと、 「この前のおばけの話はこわかった。今日は楽しい話がいいな」 と、レポも期待に胸をふくらませた。
二人にとって、何よりの楽しみは、寝る前におばあちゃんが語ってくれるお話を聞くことだった。マナポは、「おばあちゃんの頭のなかには、いったいどれくらいのお話が入っているの?」 とたずねたことがある。
するとおばあちゃんは、大きな口を開けてわらいながら、どこか茶目っ気のある瞳で、「私が子どもだったころ、いろんな人たちがたくさんのお話を聞かせてくれたからね。頭の中にどんどんお話が入ってきたんだよ。楽しいお話、悲しいお話、こわいお話も、みんなね」
そういって、たくさんのお話が飛び出さないよう、頭をおさえるしぐさをした。マナポはおばあちゃんのそのすがたがおかしくて、口をおさえてわらった。 』
『 その晩、いつものようにおばあちゃんは、ならんですわる二人の前に、ろうそくを置くと、まずお話をはじめる前に、小さな声で歌を歌ってくれた。
♪ お母さん 暗くなってきたよ わたしのそばでねんねんして ぐっすり眠れるように抱きしめて
お母さん 暗くなってきたよ 楽しいお話 聞かせて 幸せな気持ちになれるように お話してくれなくちゃ
おこって泣いちゃうよ フンフンフン ♪
マナポとレポは、最後のところで思わずクスクスとわらった。なんだか体をくすぐられるような感じがしたからだ。さあ、いよいよお話がはじまる。二人は期待のこもった眼差しで、おばあちゃんの顔を見つめた。
おばあちゃんが口を開きかけたそのときだった。お父さんが、マナポたちの前をサッと手でさえぎると、けわしい顔で口の前に指を立てた。
”合図だわ!” お父さんがこういうしぐさをしたときには、ぜったいに声を出してはいけない。そのことをマナポもレポも、幼いころからの経験ですでによくわかっていた。
暗闇の中、ろうそくの炎だけが静かにゆらゆらとゆれている。マナポたちは息を殺し、どんな音も聞きもらすまいと、身動きもせず意識を外に集中させた。
トッケー、トッケー、のんびりとしたヤモリの鳴き声に混じって、遠くから、ポコポコポコ、ポコポコポコ、という何かをたたく音が聞こえてきた。
その音はマナポたちを急き立てるように、どんどん、どんどん早くなっていく。お父さんはすっくと立ち上がると、「軍がくる! 急がなくては!」 とするどくいい放った。
その言葉を聞いたお母さんは、口元をきゅっと一文字にし、夕食のときとは別人のようなかたい表情で、部屋のすみにならべてあった籠を次々とお父さんとおじいちゃんに手渡した。
その中には、いつでも持ち出せるように、お米や豆といった数日分の食べものや食器、衣類が入っている。「ぜったいに声を出しちゃだめだ」 お父さんは小声でみんなにいうと、部屋のまん中に灯るろうそくの炎を、素早く吹き消した。
マナポたちは月明りだけをたよりに、暗い山の奥へと急ぎ足ですすんだ。夜中にこの道を歩くのは、もう何度目だろう。マナポたちが目ざした山の中の洞窟は、入り口は、大人が腰をかがめて、ようやく入ることができるほどの大きさしかなかった。
しかし奥にすすむにつれて天井が高くなり、少し広い空間になっている。お母さんは妹のレポの手をしっかりとにぎり、穴の一番奥へとつれていった。その後をマナポとおばあちゃんが続いた。
おばあちゃんは家から急ぎ足で歩いたせいで、まだ息が荒かった。マナポは、そんなおばあちゃんの片手をぎゅっとにぎっていた。お父さんとおじいちゃんは洞窟の入口にかがみこんで息をころし、外の気配を全身で感じとろうとしている。
しばらくすると、マナポたちの村のある方角から、ダダダダッ、ダダダダッと、はげしい銃声が聞こえてきた。お母さんとおばあちゃんは、マナポとレポの手をにぎり、祈るように固く目を閉じてうむいている。
マナポの顔と背中には、汗がいく筋も流れた。どれくらいそうしていたのだろう。ようやく銃声が聞こえなくなると、お父さんが洞窟からそろそろと顔を出し、外のようすをうかがった。
そしてもどってくると、「村の方角から火の手があがっている……」 と、ぼう然としたようすでつぶやいた。その言葉におじいちゃんは、「なんということだ!」 と、こぶしで地面をたたいた。
おばあちゃんとお母さんはただだまり、うつろな表情で宙を見つめている。マナポの耳には、さきほどの銃声がまだ残っていた。 ”でも、いつものようにきっと、家に帰れるはずだわ”
しかしマナポの淡い期待は、すぐにお父さんの言葉で打ち消された。 「もう村には帰れない。しばらくこの洞窟でくらすことになるだろう」 ”しばらくって、どのくらい?”
マナポはそう、声に出してたずねたかった。しかし、お父さんのいかりと悲しみに満ちた表情をみると、その言葉を口にすることはできなかった。 ”このまま村にはもどれないのなら、あの人形を持ってくればよかった……”
その人形は、十字に組んだ木に、お母さんが小さな服を作って着せてくれた、大切な宝物だった。しかし、マナポが失うことになるのは、宝物にしていた人形だけではなかった。
家も畑も、生まれ育った村も。そして何より、この日をきっかけに、大好きな家族といっしょにすごす日々も失うことになろうとは、マナポは想像すらしていなかった。 』
これから、おじいちゃんとおばあちゃんを残して、お父さんとお母さんとマナポとレポの4人が、ミヤンマーとタイとの国境を越える逃避行のすえに、タイの難民キャンプに到着します。そこで、マナポは小さな図書館と出会います。
私が紹介できるのはここまでです。(第136回)