チェロ弾きの哲学ノート

徒然に日々想い浮かんだ断片を書きます。

ブックハンター「キッチンと食の相反関係」

2018-07-04 18:39:04 | 独学

 169. キッチンと食の相反関係   (マイケル・ブース著 朝日新聞Globe2018年7月)

 The Man Who Eats the World [マイケル・ブースの世界を食べる28]

 『 私が最近考えた仮説の一つを、みなさんに話させてください。それは「キッチンにお金をつぎ込む国ほど、料理の質がいまひとつになる」ということだ。その心は次のようなものだ。

 世界を旅しながら見てきた、レストランなどのプロ向けのキッチンというより、ごく一般的な家庭のキッチンの中で、一番印象が薄かったのは、インドやベトナム、フランスといった国々のものだった。日本も含まれるだろう。

 狭かったり(少なくとも日本の都市では)、時には私の衛生基準を満たさなかったり(失礼、インド)、調理機器がそろわなかったり(ベトナム)、他の部屋と比べると付け足したような感じがしたり(フランスのほとんどの一般家庭のように)していた。

 でも、それがなんだ。こうした国々が生み出す食こそ、おいしさ、美しさ、魅力、いずれも間違いなく世界随一なのだから。こうした国々の料理を、広々としてピカピカの、調理機器が完備されたキッチンを誇る国々と比べてみるといい。

 例えば米国やカナダ。北米のキッチンはとにかく巨大、そこに並ぶ機器は初期の宇宙開発よりも高い計算能力を誇る。最近ではしばしば英国や北欧でもキッチンは手が込んでいて、手作りの戸棚やソファより大きい調理器具、キャデラックほどの大きさの冷蔵庫に何万ドルとかかけている。

 しかし、こうした国々の食べ物ときたらどうだろう。失礼のないように言うなら「料理の評価は最高というわけではないですね」、正直に言えば「米国ほどひどい食事の国があるだろうか」となる。

 キッチンについて考え出したのは、最近引っ越したばかりで、新居のキッチンがあまり気に入っていないから。我が家のキッチンで何を優先すべきかを見定め、どうデザインし直すか考えているところなのだ。

 一家の調理を任され、食についての物書きをしている身として、ことキッチンとなると、かなりのこだわりと偏愛ぶりを自負している。例えば、調理台にはあれこれ何も置かない。トースターやフードプロセッサーがホコリをかぶり、邪魔になるのは耐えられない。

 すべては食器棚にしまわれるべきだし、そうすることで不必要な器具の断捨離もできる。電動缶切りしかり、炊飯器しかり。大きなキッチンより小さなキッチンが好きだ。大小それぞれのキッチンで生活してきたが、食材や器具を集めてずっと歩き回るよりも、すべて手の届く範囲内にあるほうがよっぽどいい。

 以前、とても広いキッチンのアパートに住んでいたとき、夕食づくりではかなりくたびれたものだった。見晴らしはいいにこしたことはないが、ダイニングやリビングと隔てる壁がない「オープンキッチン」という概念は嫌いになりつつある。

 来客ととるに足らない会話を交わす必要がなく、一人で料理するほうが、私は断然好きだ。家中に臭いを充満させずに自由に魚を揚げられるし、誰かに見られることなく赤ワインを一杯余計に飲んだり、カキの殻をむくついでに、2,3個すすったりできる。

 それって、そんなに悪いことじゃないですよね? キッチンがどう見えるかを気にして時間と労力をかけすぎ、華美な冷蔵庫やオーブンにお金を使いすぎてしまったら、料理によくない影響がでないだろうか。

 いっそのことフランス人を見習って、キッチンが設置され、料理器機が備え付けられた当時のままにしておくべきか。見た目から、それは1978年といったところだが……。 』(訳・華原みなと)


 私の考えでは、インド、ベトナム、フランス、日本の共通点は、市場が成熟していて、新鮮な材料が庶民の手にとどくことだと思います。二番目には、庶民が得意とする調味料と調理器具、調理方法を持っていることも大きいと考えます。(第168回)