忍者は手裏剣を投げなかった
写真:現代ビジネス
「忍者は手裏剣を使っていなかった」「黒装束も着ていない」……このように言われたら、多くの人が驚くのではないだろうか。一般的な忍者のイメージは、その実像と大きくかけ離れている。「黒装束姿で闇夜に暗躍し、手裏剣を投げて敵を倒す」という典型的なイメージは、後世になってからのものだ。 【動画】伊賀の山奥で忍術の実践授業…日本の大学唯一の「忍者コース」の教育とは
忍者の実像がわかってきたのは、多方面からの研究の成果だ。三重大学は伊賀の地域振興と国際的な研究拠点整備のため、2017年に「国際忍者研究センター」を設立した。
これまで誰も「忍者の研究」なんて手を付けておらず先行き不安だったものの、伊賀流忍者博物館の非公開忍術史料を読み解くことで、冒頭のような意外な事実を発見できた。同時に国際忍者学会を立ち上げて、世界のNINJA研究をリードしている。
また解読した忍術書の内容をもとに理系分野の研究者とのコラボレーションも行っていて、一例として忍者の呼吸と脳波に関する研究がある。忍者には「息長」(おきなが)という独特の呼吸法がある。極めてゆっくりとした呼吸で、隠密任務のため気配を消すために役立つだけでなく、ストレスや不安を和らげて精神を落ち着かせる効果があったという。
そこで実際に忍術の習得者の方をお招きして、「息長」を実演していただく間の脳波を測定してみた。すると驚くべきことに、見た目は眠っていると思われるものの、脳内で「リラックスと集中」をつかさどるα2波は増えていたのだ。つまり眠っているように見えて、その実は精神が研ぎ澄まされている「瞑想」状態だということを科学的に証明できた。
他にもスポーツ科学を利用した忍者の身のこなしの分析、化学の知識を活かした煙玉の再現など、歴史史料に基づいた研究だけでなく現代科学を用いて忍者にアプローチしている。
こうした研究が進展するにつれ、その裾野を広げて研究者を育てていくために、2018年三重大学大学院人文社会科学研究科の専門科目「忍者・忍術学」を設けた。研究者育成のため大学院に専門のコースを作ったのである。
忍者に関する入試問題を解き、忍者の授業を受講して単位を取得し、忍者の論文を書いて修士課程を修了するというものである。忍者の講義は、私を含めて3人の教員が担当し、忍術書の読解や論文指導などを行っている。
忍者の携帯食を作る調理実習
忍者の携帯食を作る実習の様子(著者提供)
また、座学とあわせて伊賀での実践演習も開始した。昨年は、食品科学が専門の久松眞名誉教授に、忍者の携帯食とされる兵糧丸・飢渇丸・水渇丸を作る実習をお願いした。 兵糧丸の成分については、忍術書に記載があるものの、具体的なレシピは残されていない。そこで久松先生が試行錯誤してその手順を検討し、それに基づき院生も実際に作ってみた。まず粉末にした人参と桂心(シナモン)の粉末を煎じて、生薬の山薬やヨクイニンを加える。 それから砂糖液を合わせて煮詰めると、甘い香りがする兵糧丸のタネができる。それを丸薬の形に成形すれば完成なのだが、液体状のタネを丸めて固めることが難しかったり、日持ちさせるためには40℃以上に熱した容器で1週間以上乾燥させる必要があるとわかった。やはり実際に作ってみなければわからない点が多い。 食べる目的も、かつては腹持ちをよくするためと考えられていたが、材料である生薬の成分を分析すると、ストレス緩和に有効であることがわかってきた。兵糧丸は、過酷な忍びの仕事の合間に食べる「栄養食品」だったのではないだろうか。 ちなみに研究の成果として、兵糧丸の成分が入ったお菓子「かたやきこ焼き」を県内のメーカーと共同開発し、発売した。
伊賀の山奥で実戦! 忍術の実習授業
伊賀山中での実習の様子(著者提供)
また甲賀流伴党21代目宗家で伊賀流忍者博物館名誉館長の川上仁一先生には、伊賀の山城において忍者の体術を指導していただいた。6歳のころから甲賀流伴党の師のもと、忍術や武術の鍛練を積み重ね、すべての術を相伝された川上先生の実践演習は、驚きの連続だ。
まずは地面で受け身を練習するのだが、畳の上とは訳が違う。下に石や草木があるなかで行うので、柔道と異なり体を丸めて横に回転さる。私も少しは演習に参加しようと思ったのだが、すでにこの段階で挫折した。このとき重要なのは、「これをやったら痛いだろうな」などと考えてはいけないことだという。
歩き方や走り方も日常生活とはまったく違う。敵に見つからないように歩きながら体をスッと反転させたり、走るスピードを変化させて方向転換する。さらには、縄のかけ方や斜面の登り下り、敵方への潜入方法など、道場や教室で行う授業とは大きく異なり難しい。
私はこれまで川上先生にさまざまな術を見せていただいたが、野外での「実践的」な動きを見たのはその時が初めてで、「こんな技まで習得しているのか」と驚いた。
しかしこれらの動きは、日頃忍術の鍛練などしていない院生に向けた初心者コースの内容だ。熟達してくるとどのような術が飛び出すのか恐ろしく思う。世間では「忍術」と称していても実態は「武術」という場合がほとんどで、正確には「忍術」とは呼べない。
「忍術」の中には敵と闘うための「武術」も含まれるが、決してイコールではないのである。身を隠したり、潜伏したり、侵入したり…。こういった基本的な体術こそが忍術の中心的要素なのだ。
忍びの道は、実践が大事
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起伏に富み、草木が生えている中で体を自由に動かすのは、体力が必要だし、痛みもともなう。院生たちは、頭では理解していても、身をもって体験しなければわからない部分が多々あると気づいたのではないだろうか。忍術書には「口伝」とだけ記されていて、具体的な中身が載っていないことがよくあるが、それは体を通じてしか伝授できないからなのだろう。
これからもこうした実践演習は続けていく予定だ。そのうちの一つが、仲間同士で合図を送り合うための狼煙の実験。単純に草木を燃やすだけでなく、燃やす場所の見晴らしや加える材料によって上がってくる煙も異なる。他にも敵に秘密を隠したまま通信するあぶり出しの復現や、山にある木や草を使った忍者道具製作など実践的な授業を行っていきたい。
このような授業はメディアからも注目され、これまで何度も国際ニュースで取り上げられている。その影響で、「三重大学の大学院に入学すれば忍者になれるのか」といった問い合わせが海外から寄せられることも少なくない。
しかし、われわれは忍者を養成しているわけでもないし、人気を集めるために忍者研究・教育にとり組んでいるわけでもない。忍者の「忍」は忍耐の「忍」、堪忍の「忍」であり、そうした忍ぶ心持ちが日本及び日本文化を築き上げてきたのではないかと、私は考えている。つまり「日本人とは何か」という命題を考えていく上で、忍者研究は大変重要なテーマであるのである。
大正時代以来、これまでにも何度か忍者ブームはあったが、今回のブームの特徴は、クールジャパン・地方創生といった国家の政策とも関連し、産・官・学・民一体となって忍者に関わる研究・出版・イベントなどに取り組んでいることにある。日本各地の忍者に関わりのある自治体や団体がそれぞれ個性を出しながらPRを行っていて、それらを束ねる日本忍者協議会という団体も設立された。
忍者に関する国内外からの理解も深まり、それに伴って本物志向が強まっている。持続可能な社会を構築していく上でも、忍者に学ぶところは少なくない。今後もさまざまな方々と協力して、忍者研究を深化させていくことができたらと思う。