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《沼津・バラバラ遺体遺棄》容疑者は既婚者で出会い系マッチングアプリに「いいね」亡くなった女性との“意外な接点”

2024年02月28日 03時03分50秒 | 事件と事故


《沼津・バラバラ遺体遺棄》容疑者は既婚者で出会い系マッチングアプリに「いいね」亡くなった女性との“意外な接点”




2/24(金) 20:30配信

土屋容疑者と遺体で見つかった女性

 静岡県沼津市の会社員・土屋勇貴容疑者(31)が、女性の遺体を自宅に遺棄した疑いで緊急逮捕された。遺体はバラバラの状態で、一部はベランダから発見されている。2月22日に静岡県磐田市の会社員・伊藤亜佑美さん(33)の家族が「21日から行方がわからない」と警察に行方不明届を出していた。

 【写真】ビジネス特化型のSNSのプロフィール写真と紹介文

土屋容疑者は妻と2人の子ども、そして自分の父親と3階建ての一軒家で一緒に暮らしており、その自宅で伊藤さんの遺体が複数に切断された状態で発見されました。関係者への聞き込みの中で、土屋容疑者が関与している可能性が浮上し、逮捕に繋がったそうです。また、伊藤さんの車が容疑者宅から数百メートルほど離れたコインパーキングで見つかっていることから、警察は2人の関係性についても慎重に捜査を進めています」(全国紙記者) 

 土屋容疑者の自宅がある沼津市と、伊藤さんが暮らす磐田市は、同じ静岡県内といえど100キロ以上離れている。一体どんな接点があったのか。伊藤さんの知人が語る。 

「伊藤さんには2人のお子さんがいて、保険会社で営業の仕事をしていました。地元の青年会議所にも所属しており、街を活性化させるための委員会の委員長を務めるほどでした。明るく活発な方で、“たくましい女性”という印象でした。また彼女はシングルマザーで、昨年あたりに『交際相手ができた』とも語っていました」

  一方の土屋容疑者も地元の青年会議所に所属していた。同容疑者の人物像について知人が明かす。

「土屋さんが現在の家に引っ越してきたのは4年ほど前のことですが、沼津市出身で地元の高校を出ています。大学卒業後は地元のホテルで働き、一時期は副支配人まで務めました。そこから保険業界に転職しましたが、職場はずっと静岡です。直近では総合保険代理店に勤務していました。 

 アウトドアやスポーツが好きで、特に野球は自分でもプレイするほど大好き。地元愛が強く、青年会議所に所属して地域活動を行っていました。会社でもイベントを企画したりしていて社交的だったし、顔が広いほうだったと思います」(土屋容疑者の知人)  

土屋容疑者が登録しているビジネス特化型のSNSを見ると〈多くの人とお会いし、人脈を広げていきたいと考えています。もちろんお仕事以外にも様々な観点でお話できればと考えていますので、ぜひ一度お話ししましょう!〉とも綴っており、そのフォロワー数は600人を超えている。生命保険の営業活動を行う上で、多くのコミュニティに顔を出すようにしていたのだろうか。前出・知人が続ける。 

仲間内でも違和感があったのは彼がFacebookのプロフィールで『既婚』としていながらも、出会い系マッチングアプリに『いいね』をしていたことです。奥さんとの関係はどうなっていたのだろうかという話も……」  

住まいが離れていても、青年会議所を通じて2人が定期的に顔を合わせていた可能性がある。


「青年会議所同士は市町村単位、県単位などの集まりが定期的にあり、離れたエリアのメンバーでも月1回以上で会っていたりします。伊藤さんは委員会の委員長として、そういった集まりに参加する立場にありました。青年会議所で一緒になった土屋容疑者とは、同業者という点で相談しやすい関係にはあったのかもしれません」(前出・伊藤さんの知人) 

 土屋容疑者が所属していた青年会議所も、伊藤さんが所属していた青年会議所も、どちらも2月24日までに公式サイトがメンテナンスに入り、閲覧できない状態になっている。警察は、伊藤さんが死亡した経緯を土屋容疑者が知っているとみて、殺人の疑いも視野に捜査を続ける。



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ルフィ事件の黒幕「マニラ在住の日本人R」とは何者か?《捜査当局が最注目する50代の飲食店経営者》

2024年02月28日 00時03分10秒 | 事件と事故



【独自】ルフィ事件の黒幕「マニラ在住の日本人R」とは何者か?《捜査当局が最注目する50代の飲食店経営者》(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース 




【独自】ルフィ事件の黒幕「マニラ在住の日本人R」とは何者か?《捜査当局が最注目する50代の飲食店経営者》

2/22(水) 6:03配信
53コメント53件

4人は本丸ではない

GettyImages
 日本全国を震撼させた連続強盗事件の指示役「ルフィ」とみられる渡辺優樹(38歳)、小島智信(45歳)、今村磨人(38歳)、藤田聖也(38歳)の4人の容疑者がフィリピンから強制送還されてから2週間が経とうとしている。

 【写真】岸田文雄と写真におさまり、山口組五代目とも盟友だった「同和のドン」

  捜査の現場は日本に移った。この4人に対しては、特殊詐欺の窃盗容疑で警視庁の取調べが続いている。実をいうと、捜査関係者は、この4人は「本丸」ではないとして、こう証言した。  

事前に示し合わせたかのように、4人は黙秘している。ただしまったく何もしゃべらないというわけではなく、こちらが事実関係を突き付けると『そうではない、こうだ』などと反論する容疑者もいる。

  窃盗などで再逮捕をくり返し、最後は狛江市の強盗殺人容疑での立件となるだろう。4人とも暴力団員でもないし、そこまで結束は固いものではないから、誰か1人がしゃべりだせば他も崩れていく。やがて『黒幕』の存在も明らかになるはずだ」  

連続強盗事件で、4人の容疑者のさらに上に、指示を出していた「黒幕」がいるという見立てをしているのだ。 


 その黒幕とは誰か。現在、捜査線上に浮上しているのは、指定暴力団の六代目山口組関係者である。「現代ビジネス」は、その実名を具体的に掴んだ。

  現在「黒幕」として浮上しているのは、RとYという2人の日本人だ。とりわけフィリピンで名が通っているのは、Rだ。


2002年の日本人殺害事件で浮上

GettyImages

 Rは、フィリピン・マニラの繫華街でラーメン店などを経営している。時に別名を名乗ることもあり、本名は判然としない。 

 現在50歳代前半、フィリピン人の女性と結婚しているようで、すでに当地に20年近く在住しているが、「日本人絡みの事件があれば、真っ先に名前が出るのがR」と地元で言われるほどの「悪党」だという。 

 実際、警察庁の関係者によれば、これまでもフィリピンで凶悪事件が起きると、たびたびRの名前が浮上している。

  2002年12月6日、現地でカラオケ店などを経営している日本人男性Aさんが殺害された。当時のフィリピンでの報道によれば、事件は以下のようなものだった。深夜に飲食店から出てきたAさん(当時43歳)に何者かが45口径のけん銃を発射し、Aさんと店の警備員に銃弾が命中した。Aさんは病院に運ばれたが死亡した。発砲した犯人は、もう一人の共犯者が運転するバイクで逃走したという。  

Aさんの一族は、日本では、コンピュータなどの機械部品工場を長く経営しており、フィリピンでも工場や飲食店など、広く事業を展開していた。Aさんをよく知るマニラの日本料理店オーナーがこう証言する。 

 「Aさんは、日本にあるフィリピン人パブ向けに女性を派遣する仕事もしていました。その過程でトラブルがあったのか、ある時、マニラの日本人街でAさんを中傷する日本語の文書がばらまかれました。殺害されたのはその数ヶ月後のことですが、今も犯人は逮捕されていないのです」 

 当時、この事件に関与した人物として噂されていたのが、件のRだったという。


1億円の現金がマニラ空港で見つかった
GettyImages

 「Aさんは当時、フィリピン人の若い女性と交際しており、女性は子供を妊娠していたはずですが、AさんとRが女性絡みの商売でなにかもめごとが起こった。そこでRがAさんを中傷する怪文書をばらまいたという噂でした。  Rはフィリピンに来るまえは、日本の山口組関係者だったそうで、実際Rがマニラで経営していた飲食店には、そのスジの人物がよく訪れていた。マニラでヤクザの店といえば、Rの飲食店のことだった」(前出・日本料理店のオーナー)  その後も、マニラの日本料理店の乗っ取りに関与したり、日本へ金を密輸して消費税の還元を受ける、出会い系サイトに日本語の上手なフィリピン人女性を「サクラ」にして男性をおびき出し恐喝するなどそんな「商売」をしているという。  マニラでRの名前が再びクローズアップされたのは、昨年2月1日のことだった。2人の日本人が、成田発のフィリピン航空便でマニラ空港に到着した際、1億円を超す現金が発見され、摘発された。この2人の日本人は現金の「運び屋」とみられた。  「2人に現金を運ばせたのが、Rだと聞きました。Rはインターネットカジノならぬ『インターネット闘鶏』を運営して、『日本のかけ金と儲けを回収するためにカネを運ばせた』と周囲に関与を明かしていた。しかし、闘鶏でそんな儲かるわけがない」(前出・日本料理店のオーナー)  ではこの現金の出所はなにか? そう、今回の「ルフィ」集団の強盗の儲けではないかと捜査当局は見ているのだ。  4人の容疑者はもともと、フィリピンの事情に詳しいわけではない。フィリピンと日本を結んで、振り込め詐欺や連続強盗事件の犯行に及ぶにも、コネクションが必要だ。そこで頼ったのが、Rだとみられている。
日本の暴力団に流れた資金
GettyImages

 2011年5月、今回の「ルフィ」グループの渡辺容疑者と小島容疑者はフィリピン当局に身柄拘束されているが、その時、一緒にいたのが、Kという人物だ。とりわけ、このKはRと深い関係を築いていたという。 


 今回の事件では、渡辺容疑者らがいるビクタン収容所から、強盗殺人事件への指示が出ていたとされる。だが、おカネは誰が運んだのか、誰が具体的な指示をしたのか。先に触れた2人の日本人がフィリピンに1億円あまりを運んだのも、その手引きにRが関係していたのではないかとされる所以だ。

  警察庁では、ルフィの強盗団の被害総額は60億円と発表したが、実際にはその倍近い100億円程度ではないかともみられる。そのカネは、結局どこへ流れ込んだのか? 捜査関係者が明かす。 

 「すでに警視庁はフィリピンでも捜査しているが、4人の容疑者は、そこまで大きなカネを手にしている形跡がない。

  Rの親族は、六代目山口組の山健組傘下の組長で、R自身も過去に日本で何度か逮捕されている。Rらを通じて日本の暴力団に流れた可能性もある」  

繰り返すまでもなく、渡辺容疑者の振り込め詐欺については、2019年11月にフィリピン・マニラの廃ホテルでかけ子など36人の日本人が拘束され、日本に強制送還され、全員が有罪判決を受けている。 

 2020年2月、警視庁は渡辺容疑者らの犯行グループからカネを受け取ったとして、六代目山口組傘下の福島連合(本部・北海道)の組員を組織犯罪処罰法で逮捕し、事務所に家宅捜索に入っている。 

 「渡辺容疑者は、札幌のすすきのの繫華街で客引きをしていた時に暴力団とつながりができた。いわば『周辺者』のような位置づけだ。小島容疑者は準構成員で、犯行グループと暴力団、なかでも六代目山口組は深い関係にあるとみている。また全国各地で渡辺容疑者が関与した強盗事件で逮捕した容疑者の携帯電話の解析から、指定暴力団稲川会の関係者の痕跡が疑われており、強制捜査も視野に入れている」(捜査関係者)  


元山口組顧問弁護士で、現在はYouTubeで「山之内幸夫チャンネル」を手掛ける、山之内幸夫氏がこう語る。 


 「捜査線にRらの名前が出ていることは間違いなさそうだ。Rは徳島県出身で、父親が暴力団の元組長とも聞く。渡辺容疑者ら4人の背後に黒幕として暴力団がいたのかどうか。暴力団側がみかじめ料のようにカネをとっていたことは十分にありうる。 

 しかし、振り込め詐欺や強盗となれば、いまや使用者責任で組長の責任が問われる時代で、暴力団が直接犯行に加わっているとは考えにくい。

  黒幕まで広げて捜査するのかどうかは、警察の意向によって大きく変わってくるだろうが、その手柄を自慢したいと思えば、黒幕に切れ込んでくることもありうる」  黒幕の摘発はあるのか。



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脳へ転移」した「がん」を治療する方法とは、金沢大の研究

2024年02月27日 23時03分11秒 | 医学と生物学の研究のこと

「脳へ転移」した「がん」を治療する方法とは、金沢大の研究(石田雅彦) - エキスパート - Yahoo!ニュース 




「脳へ転移」した「がん」を治療する方法とは、金沢大の研究


石田雅彦サイエンスライター、編集者
2/27(火) 13:04
(提供:イメージマート)
 がんは転移することがあるが、特に肺がんは脳へ転移することが多い。金沢大学の研究グループが、肺がんが脳へ転移するメカニズムを解明し、治療法などの開発につながる成果を発表した。


脳へ転移することが多い肺がん
 肺がんは診断時に脳への転移が見つかることが多く、脳へ転移したケースの約半数が肺がんと考えられている(※1)。また、肺がん以外では、前立腺がん、乳がん、腎臓がん、黒色腫(メラノーマ)などが脳へ転移することが多く、がんの治療法が進化発達し、生存率が長くなるにつれて脳転移の発生率が増加している。


 がんが脳へ転移すると、認知、生活の質(QOL)などに悪影響をおよぼし、生存率の急激な低下を引き起こす。化学療法に使われる抗がん剤は血液脳関門を通過しずらいため、脳へ転移したがんに対しては外科的な手術や放射線治療が行われることが多いが、これらの治療には手術の難しさや副作用などの危険性があり、患者に大きな負担を強いる(※2)。


 だが、なぜ肺がんが脳へ転移しやすいのか、そのメカニズムについてはまだよくわかっていなかった。そうした状況で、金沢大学がん進展制御研究所の石橋公二朗助教、平田英周准教授、金沢大学医薬保健研究域医学系/金沢大学附属病院脳神経外科の中田光俊教授、金沢大学医薬保健研究域医学系/金沢大学附属病院呼吸器内科の矢野聖二教授らを中心とする共同研究グループは、肺がんが脳に転移するために必要なタンパク質を同定し、脳転移のメカニズムを解明することに成功し、その成果を学術誌で発表した(※3)。


 なぜ、脳転移のメカニズムを知ることが難しかったのかというと、研究に使用するグリア細胞(脳を構成する細胞、※4)の特に免疫細胞であるミクログリアを安定的に培養する技術に限界があり、がん細胞とグリア細胞の間でどのようなやり取りが行われ、どのような物質が転移に関与するのかを調べにくかったからだという。


肺がん細胞はどうやって増殖するのか
 脳には白血球が入らないため、グリア細胞の一種であるミクログリアが脳内での免疫機能の役割を担っている(※5)。同研究グループは、MGS(Mixed-glial culture on/in soft-substrate)法というグリア細胞の培養法を開発、がん細胞とグリア細胞との相互作用を長期間(数ヶ月以上)、安定して解析することができるようにした。MGS法とは、極めて柔らかい培地でグリア細胞を培養する方法だという。


 この手法を用いることで、がん細胞を死滅させ、腫瘍細胞に対する強い食作用(貪食能)を持つミクログリアが脳内にあること、脳転移したがんに対し、このミクログリアの制御が重要だということがわかった。


 また、脳転移したがん細胞は、このミクログリアによるがん細胞の細胞死(ネクローシス)誘導を回避するシステム(チェックポイント)を持ち、この攻撃回避はグリア細胞の一種であるアストロサイト(突起を伸ばして網目状に脳を支えている細胞)を利用していることもわかったという。


 そして同研究グループは、肺がんのがん細胞が脳へ転移する際に重要な役割をになうタンパク質(mGluR1)を同定した。このタンパク質(mGluR1)は、シナプス伝達に関係していることがわかっていたが、本来、肺がん細胞がこのタンパク質を作り出すことはない。


 だが、脳へ転移した肺がん細胞は、アストロサイトと相互作用することでこのタンパク質(mGluR1)を作り出せるようになる。アストロサイトから分泌される物質(Wnt-5a)によって、肺がん細胞がこのタンパク質(mGluR1)を作り出すのだという。


 そして、肺がん細胞は、このタンパク質(mGluR1)を利用し、このタンパク質(mGluR1)が細胞の増殖に重要な役割を果たす受容体(EGFR、上皮成長因子受容体)と脳内の神経伝達物質(グルタミン酸)を介して結合、活性化させることで肺がん細胞は脳の中で増えていくことができるようになることがわかった。


肺がん細胞が増殖するメカニズム。肺がん細胞はアストロサイトを利用し、細胞増殖できるようなメカニズム(mGluR1の発現、EGFRとの結合、細胞増殖の機能)を獲得する。金沢大学のリリースより。

 さらに、オシメルチニブという分子標的薬は、この受容体(EGFR)を阻害し、肺がん細胞の増殖を抑制できる有効な治療薬だが、治療中に耐性ができてしまい、治療ができなくなることがある。同研究グループは、このタンパク質(mGluR1)を阻害することで、肺がん細胞が脳へ転移して増殖することを抑制することも明らかにしたという。


 また、このタンパク質(mGluR1)を阻害すると脳の神経伝達などに悪影響をおよぼす危険性が考えられるが、同研究グループは肺がん細胞の生存や増殖にはこのタンパク質(mGluR1)と受容体EGFRの関係だけが影響し、脳への悪影響はなかったとしている。


 肺がん以外の乳がん、黒色腫(メラノーマ)、腎臓がんなどにも脳への転移に同じようなメカニズムがあり、同研究グループは今後、脳へ転移したがん全般の治療に役立つことのできる治療法の開発につなげていきたいとしている。


※1:Daniel N. Cagney, et al., "Incidence and prognosis of patients with brain metastases at diagnosis of systemic malignancy: a population-based study" Neuro-Oncology, Vol.19, Issue11, 1511-1521, 30, May, 2017
※2-1:Peter E. Fecci, et al., "The Evolving Modern Management of Brain Metastasis" CLINICAL CANCER RESEARCH, Vol.25, Issue22, 15, November, 2019
※2-2:John H. Suh, et al., "Current approaches to the management of brain metastases" nature reviews clinical oncology, 17, 279-299, 20, February, 2020
※3:Kojiro Ishibashi, et al., "Astrocyte-induced mGluR1 activates human lung cancer brain metastasis via glutamate-dependent stabilization of EGFR" Development Cell, doi.org/10.1016/j.devcel.2024.01.010, 2, February, 2024
※4:グリア細胞:神経細胞(ニューロン)の活動を支える細胞。脳への栄養供給や廃棄物の処理、神経細胞の保護や修復などを行っている。
※5:Wolfgang J. Streit, Carol A. Kincaid-Colton, "The Brain's Immune System" Scientific American, Vol.273, No.5, November, 1995





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ルフィ強盗団」のルーツ「ススキノ闇社会」 カタギがヤクザの領域に飛び込んでくる善と悪のグレー・ゾーン

2024年02月27日 22時03分34秒 | 事件と事故


ルフィ強盗団」のルーツ「ススキノ闇社会」 カタギがヤクザの領域に飛び込んでくる善と悪のグレー・ゾーン


2/20(月) 7:15配信

ススキノ界隈の「闇」の全容にせまる(時事通信フォト)
 フィリピンから容疑者4人が強制送還され、捜査が進む「ルフィ強盗団」事件。その核心に迫るためには、彼らを生んだルーツとなる場所を深掘りしなければならない。フリーライター・鈴木智彦がレポートする。 


【写真5枚】Tシャツの両袖から和彫りが出る藤田聖也容疑者。他、今村磨人容疑者ら、4人の容疑者


 * * * 

「盗品のロレックスを買わないか、という話が回ってきたんだ。あの強盗でぶんどった品だ。買わないでよかった」 

 北海道の暴力団関係者に売買を持ちかけたのはナマコの密漁団だったという。話の出元を辿ると密漁事犯で逮捕歴のある暴力団員だったそうだ。

  暴力団は悪の恒星である。その周囲を覚醒剤密売団、車両窃盗団、オレオレ詐欺グループ、密漁団、ぼったくりバー業者、悪質キャッチ集団等々、暴力団の引力に引き寄せられた悪人たちが周回している。ワルどもは暴力団を媒介にネットワークを形成している。

 「保証書なんかがないんで、10分の1の値段だったな。警視庁の刑事もこの件について事情を聞きに来た。帰り際、やんわりと『道警さんには言わないでください』と言うので、『話が抜けるもんな』と鎌かけたら顔をしかめていた。蚊帳の外に置かれた道警は、必死になって関係者を逮捕しているが、ピリつくのはこれからだ。

(特定危険指定暴力団の)工藤會壊滅作戦を実行した時のように、3月の人事異動で全国のうるさ型が配置されるらしい。警察の北海道シフトというわけだ」 

 ならば札幌の歓楽街であるススキノの猥雑も、ようやく浄化に向かうのかもしれない。 


 ススキノはいまだゾーニング(区分け)のないネオン街だ。ひとつのビルで欲望のすべてを消化できるという特色がある。たらふくうまい飯を食って、しこたま酔っ払い、ソープランドでめいっぱい放出する。 

 ゾーニングされていないので、ススキノは街全体が善と悪との汽水域、グレー・ゾーンになっている。令和の現在でも、通常の都市ならありえない手軽さで、カタギがヤクザの領域に飛び込んでくる。実際、ススキノなら堕ちる意識を持たずに裏街道に入り込めるはずだ。この汽水域は、フィリピンの刑務所から連続強盗事件を指揮した極悪犯罪者を生み出すバックボーンになったろう。


  裏街道は、案外、居心地がいい。暴力団も困窮者に寄り添い、時に救いの手を差し伸べたりする。口が裂けても暴力団を義侠などとは言いたくないが、土壇場に追い詰められた際は助けてくれる人がいい人だ。救いの手が暴力団や犯罪者のものか思い悩む余裕などない。


2/20(月) 7:15配信

 私もその手を掴んだことがある。 

 大学の入学金と授業料を貯めるため、私は高校3年間、新聞配達などのアルバイトをしていた。しかし、どうしても20万円弱足りない。求人雑誌を買うと巻末にススキノの求人が特集されており、南米を想起させる店名のキャバレーを見つけた。すべてをあけすけに話すと即日採用された。 

 手渡された分厚いドカジャンを着て、その夜からススキノの路上で客引きをした。酔っ払いが暴れると、ヤクザっぽい男たちがなだれ込んできて、トラブルは一瞬で片付けられた。一度、ヤクザたちのあとに続いて、キャバレーに飛び込んだことがあった。真っ赤なドレスを着たホステスの二の腕が、返り血で真っ赤に染まっていた。 

 私は無事20万円を稼ぎ、最後の夜、兄貴分らしいヤクザに挨拶をした。 「東京でそのジャンパーじゃ暑いだろ」 

 兄貴分は私に3万円をくれた。私はカタギの一線を越境していた。幸いセピア色のほろ苦い思い出となったが、ひょんな拍子に犯罪者の一味となっていた可能性はある。


ヤメ暴力団の「破門会」


 グレー・ゾーンであるススキノには「半グレ」という言葉が生まれる前からヤクザでもカタギでもない集団が存在した。かつて暴力団を破門・絶縁になった人間たちがグループを作り、アウトロー系雑誌に登場したり、ビデオ化された映像がレンタルビデオ店に並んでいたこともあった。この破門者集団は、当時、山口組内で大問題となり、結局は札幌の暴力団によって解散させられ、詫び状を書かされた。

「『破門会』といったかな。あいつらはヤクザの建前にも縛られないので、金になればシノギはなんでもありだった。ちょうどルフィたちと同年代」(札幌の広域暴力団幹部) 

 連続強盗事件でフィリピンから強制送還され逮捕された今村磨人容疑者、渡辺優樹容疑者、小島智信容疑者らが暴力団関係者だったというが、藤田聖也容疑者もまた函館の六代目山口組三次団体幹部の舎弟だったとされる。ただし彼はその後、半グレグループのメンバーになったらしい。 

「函館の暴力団幹部が組織したギャング団に所属してた。この幹部は第三者に指摘されるまで、配下に藤田がいたと気づかなかったらしい。暴走族を含め100人以上いたので分からなかったようだ。まさか函館からこんなヤバいヤツが出るなんて……と驚いていたと聞く」(札幌の暴力団幹部) 

 警察は暴力団寄りのアウトロー系半グレ集団のみならず、カタギ寄りの半グレグループとして、ソープランド経営者やキャバクラなどを経営する企業グループ周辺を洗っているという。 

 ススキノのみかじめ料はソープランド1軒当たり1か月10万円が相場だが、1年分を一括納入するシステムだ。1軒で120万円の収入は無税ですべてが暴力団の収入になる。10店経営していると1200万円を暴力団に納めなければならないわけで、暴力団を肥え太らす彼らは、もはや純粋な一般人とは言いにくい。 

「ヤクザは女を使った商売を見逃さないからな。札幌では有名な兄弟がやってるグループがあんだよ。警察が調べると上層部が頻繁にフィリピンに渡航していると分かった。それだけでルフィたちと関係があるとはいえないが、他にも叩けば埃が出るかもしれない」(同前)


暴力団によると、この企業グループは政治家とも関係が深く、選挙協力などもしているようだ。  

また飲食店グループと暴力団は、キャッチと呼ばれる悪質な呼び込みを通じて繋がっている。彼らは同時に風俗嬢のスカウトも行なっており、渡辺容疑者はこれを表面上のシノギにしていた。 

 暴力団の真骨頂は、警察に逮捕されても自白しないという一点にある。そこがアマとプロの決定的な違いだ。ルフィたち4人は死刑になるのを恐れて、供述拒否らしいが、逮捕された共犯者たちはぺらぺらうたって(自白して)いるという。海賊気取りのアマチュア犯罪集団はもはや沈没寸前である。一刻も早い全貌解明を期待する。

 【プロフィール】 鈴木智彦(すずき・ともひこ)/1966年、北海道生まれ。日本大学芸術学部写真学科除籍。フリーライター。ヤクザ専門誌『実話時代』編集部に入社。『実話時代BULL』編集長を務めた後、フリーに。主な著書に『サカナとヤクザ』『ヤクザときどきピアノ』など ※週刊ポスト2023年3月3日号



「ルフィ強盗団」のルーツ「ススキノ闇社会」 カタギがヤクザの領域に飛び込んでくる善と悪のグレー・ゾーン(NEWSポストセブン) - Yahoo!ニュース 


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「暴れん坊将軍」が悪人を成敗することは不可能だった…ドラマでは描かれない歴代将軍の不自由すぎる生活

2024年02月27日 20時03分44秒 | 歴史的なできごと





「暴れん坊将軍」が悪人を成敗することは不可能だった…ドラマでは描かれない歴代将軍の不自由すぎる生活
2/25(日) 9:17配信




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プレジデントオンライン
名古屋グランパス対アルビレックス新潟。試合前に「マツケンサンバII」を歌う俳優の松平健さん=2023年8月5日、東京・国立競技場 - 写真=時事通信フォト


徳川将軍家の居城であり江戸幕府の政治的拠点だった江戸城は、どんな城だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「常に厳重な警戒態勢下にあり、出入りするには幾重にも設置された門を通る必要があった。ドラマのように、将軍が市中で悪人を成敗することは不可能だった」という――。


【画像】外郭だけでもこれだけあった江戸城の門


■痛快を絵に描いたような番組「暴れん坊将軍」


 昭和53年(1978)から平成14年(2002)までレギュラー放送されていたテレビドラマ『暴れん坊将軍』(テレビ朝日系)は、国民的時代劇と呼ぶに相応しい人気シリーズだ。現在もテレビ朝日やBS朝日、CSの時代劇チャンネルなどで再放送され、多くの視聴者に支持されている。


 『暴れん坊将軍』の主役は、八代将軍・徳川吉宗。将軍は貧乏旗本の三男坊、徳田新之助を名乗って町に繰り出し、悪人たちの前で身分を明かして平伏させる。だが、彼らはたいてい開き直って歯向かうので、吉宗はみずから刀をとって大立ち回りを演じ、悪人たちを成敗する。


 同じ国民的時代劇の『水戸黄門』では、悪人たちは印籠を観た時点でぐうの音も出なくなるのがパターンだが、『暴れん坊将軍』の場合、悪人たちは相手が将軍だと知っても抵抗する。しかし、吉宗には彼らを打ちのめす剣の腕がある。


 一点の曇りもない勧善懲悪なのである。しかも、吉宗は絶対に負けないので、安心して見ていられる。痛快を絵に描いたような番組だといえよう。


■将軍が街に出るルートを検証する


 では、将軍吉宗はドラマに描かれたように、忍びの姿で市井に繰り出したことがあったのだろうか。これについては大方の視聴者も、そんな史実はなかったと感じているのではないだろうか。


 なにしろ、将軍が刀を振り回したりして万が一のことがあったら、幕府はたちまち危機を迎えかねない。番組では絶対にケガをせず、だから観ていて痛快なのだが、現実には大立ち回りを演じれば、ケガをするリスクは非常に高い。


 さすがに刀は振り回さなくても、将軍が忍びの格好で市井に繰り出すことぐらい、たまにはあったのではないか――。そのように想像する向きもあると思うが、現実には、それは絶対に不可能だった。では、どう不可能であったのか、将軍が暮らしていた江戸城内の道のりをたどって確認してみよう。


 まず、いま残っている江戸城を歩くことで、将軍が市井に出ることがどれだけ困難だったか、実感したい。



■「大手門→本丸御殿」の厳重すぎる警備


 将軍は江戸城の本丸に建てられた本丸御殿に住んでいた。本丸御殿は、いまでいえば総理官邸と公邸、国会議事堂と中央官庁の一部、それに迎賓館なども兼ねた、徳川幕府のまさに中枢というべき建物だった。


 それは約130棟から構成され、床面積は約1万坪。手前から幕府の中央政庁である「表」、将軍が起居して日常の政務に当たった「中奥」、将軍の正室や側室、子女のほか、奥女中らが暮らす「大奥」に分かれていた。


 現在、江戸城の本丸、二の丸、三の丸の跡地は、皇居東御苑として一般に公開されているので、そこを本丸御殿をめざして進んでいこう。


 東御苑に入る一番オーソドックスな入り口が、江戸城の正門だった大手門だ。将軍や勅使のほか、大藩の諸大名はここから城に出入りした。いまも警官が警備しているが、江戸時代には10万石以上の譜代大名が守衛に当たり、厳重に警備されていた。


 また、江戸城の多くの門は、ひとつの門が一の門と二の門の二つで構成され、大手門も同様であった。枡形といって、酒や米を軽量する枡のように四角い空間が設けられ、四角の2辺に門が設けられ、たいていは敵がまっすぐ侵入できないように、進路は鍵手に曲げられていた。


 大手門の前は堀で、現在は土橋を渡るが、江戸時代には木橋が架かっていた。そして橋の手前両側には「下馬」と書かれた札が立っており、大名一行も門の手前の下馬所で馬からおりて橋を渡らなければならなかった。大名の供連れも、ここからは11~13人しか許されなかった。余談だが、下馬所で供の者が主人を待ちながら噂話をしたことから、「下馬評」という言葉が生まれている。


■「かごの中の鳥」だった将軍


 大手門を通り抜けて本丸方面に進むと、大手三の門の跡がある。この門の前にも、いまは埋め立てられているが堀があった。そして堀を渡る橋は、ここから先は徳川御三家と勅使を除き、諸大名も籠から降りなければならなかったので、下乗橋と呼ばれた。大名はここからは、従者をさらに少なくして、徒歩で登城しなければならなかった。


 この門もやはり二つの門で構成され、そのあいだには、大名を監視するための検問所である同心番所があった(現在も建物が残っている)。


 さて、大手三の門を抜けると二の丸だ。そこから東に進めば二の丸御殿があり、それを経由しても本丸に行けたが、すると行程も複雑なうえに、いくつもの門をくぐり抜けなければならない。それよりは最短距離をたどってみたい。


 とはいえ、最短距離であるほど防御に抜かりはない。大手三の門を通り抜けたところには百人番所(現存する)があり、昼夜を問わず与力20人と同心100人が配置され、警備に当たっていた。


 百人番所の前には、本丸の正門と位置づけられる中の門があった。この巨大な門を抜けると、本丸御殿に着く前の最後の検問所である大番所(これも現存する)がある。そして、その先には本丸御殿の正門にあたる中雀門(書院門)が、また二つの門で構成され、厳重に警備されていた。それを通り抜けて、ようやく本丸御殿に着くことができる。


 だが、そこからは私邸のように自由が利くと思ったら大間違いだ。御殿の玄関を入った遠侍の間では、大番の番士が警戒にあたり、その先の虎の間でも、書院番の番士が見張っていた。そして老中や奉行らの詰所の脇には、将軍を直接警護する小姓番が控えていた。このように将軍は、文字通りに雁字搦めだったのである。

■現在の皇居の4倍の広さ


 そもそも江戸城の広さを知れば、それを抜けるのが簡単でないと実感できるだろう。江戸城イコール皇居だと思っている人は多い。そして、皇居だけでも十分に広いが、宮内庁が管理する皇居の敷地面積は約115万平方メートルなのに対し、江戸城内郭全体は424万平方メートルにおよぶ。皇居の4倍近い広さだったのである。


 ちなみに、『暴れん坊将軍』には姫路城の映像が江戸城として使われていた。姫路城もかなり規模が大きな城で、門もたくさんあるため、仮にそこを抜け出すとしてもかなりの困難がともなったはずだが、それでも内郭は23ヘクタールと、江戸城の十数分の1にすぎなかった。


 このように江戸城は桁外れの規模だったので、門がなく警備が手薄だったとしても、広大な内郭を抜け出すのは容易ではなかった。しかも、その周囲には外堀で囲まれた外郭があり、外郭をふくめた江戸城の面積は、なんと2000ヘクタールを超えた。そして、外郭の外堀には少なくとも26の門が設けられ、それぞれが一の門と二の門からなる枡形門で、厳重に警備されていた。


■自由がない縛られた生活


 『暴れん坊将軍』で徳田新之助が居候していた町火消し「め組」の在所は日本橋界隈と思われる。「新さん」こと吉宗は、そこを拠点にして江戸の町民と交流するが、江戸城本丸御殿から町人の居住区までは、絶対的な距離も離れているうえに、ここまで述べてきたように無数の関門がある。


 本丸から外に出る道は、いま述べた以外にもあるが、数々の関門を超えなければ城外に出られない点では同じである。将軍が忍びの姿でそれらを突破できるようであれば、江戸城の安全性が保たれず、ひいては幕府の警護体制に不備があることになってしまう。


 徳川光圀も諸国を漫遊したどころか、遠距離を移動した経験がほとんどなかった。水戸徳川家の当主は江戸に在留するのが基本で、光圀の場合、水戸のほかには日光、房総、金沢八景、鎌倉を除くと、若いころに熱海に行ったことがあるくらいだった。


 江戸幕府の将軍は、あまり自由がない縛られた生活をしており、そこから逃れる余地もなかったのである。






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香原 斗志(かはら・とし)
歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。



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