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立憲の若手議員の底力を見た「政治改革案」 維新から「改革政党」の座を奪い取れ! 古賀茂明

2024年02月26日 22時03分54秒 | 政治のこと

 正直言って驚いた。


 立憲民主党が発表した「本気の政治改革実現に向けて 政治とカネの問題に対する立憲民主党の考え方」と題した政治改革案を見たときの私の率直な感想だ。


「ここまでよく踏み込んだな。こんな思い切りの良さが立憲のどこにあったのか」と思った。
 私は、立憲になんの義理もないし、これまでも同党については是々非々で、必要ならば批判もしてきた。そんな私から見ても、今回の改革案は絶賛せざるを得ない内容だ
。(その内容の重要な部分については後に触れる)


 ただし、政治家の公式発表をそのまま信じるのは危険なので、立憲の複数の議員に取材をしてみた。


 そこでわかったのは、実は執行部は当初ここまで徹底した改革案にするつもりはなかったようだということだ。とりわけ、政治資金パーティーの完全禁止には懐疑的だった。なぜなら、立憲の幹部たちも自ら政治資金パーティーを開き、そこで得た収入が政治活動を支える重要な柱の一つになっていたからだ。


 ところが、立憲の改革案には、「政治資金パーティーは全面禁止」とはっきり書いてある。


 政治資金パーティーについては何らかの規制強化が必要だ。だが、全面禁止は困る。そこで、妥協案として何とか国民世論から受け入れられる案を作る必要がある。そう執行部は考えていたようだ。


 ところが、同党の政治改革実行本部総会を開いてみると、若手を中心に全面禁止論が沸騰した。全面禁止は無理だという反対論も出たそうだが、結局若手の勢いが優った。「(裏金問題は)自民党の話ではあるが、これだけ政治資金パーティーへの国民の不信感が高まっているのに無理して残す必要があるのか。国民目線で考えれば、全面禁止が当たり前だ」という若手の正論に反対派は押し切られたのだ。


 ここで、改めて、自民と立憲、さらに日本維新の会の政治改革案のうち、

企業・団体献金、

政治資金パーティー、

政策活動費の3点に絞って見ていきたい。

この他にも多数の論点があるが、今挙げた3点について完全な改革案を実施しなければ、他の点でどんなに厳しくしても必ず抜け穴ができて、元の木阿弥に終わる可能性が高いからだ。逆にこれらの3点について完全な改革を行えば、金による政治という最も本質的な問題がかなり解消することが期待できる。


 そこで、この3点に関する3党の改革案について、順に見ていこう。


 第1に、企業・団体献金について。


 岸田文雄首相は国会でどんなに追及されても、企業にも政治活動の自由があるなどと意味不明なこと(岸田首相は最高裁判決などを付け焼き刃的に持ち出しているが、これは、本質を全く理解しないまま誤った判例解釈をしているに過ぎない)を言いつつ、何があっても企業・団体献金の禁止には反対という立場だ。自民は、企業・団体から金と票をもらって権力と利権を維持し、その見返りにそれらを提供した企業・団体に補助金、公共事業、減税、彼らのための規制環境を与える。このいわば壮大な贈収賄構造が自民政治の本質だから、この姿勢はある意味当たり前かもしれない。


 逆に言えば、ここを突破されると彼らはほとんど生きていけないことになる。



 一方、立憲、維新はともに企業・団体献金禁止を掲げている。これは両党とも以前からの立場だ。しかし、維新については、パーティー券収入が献金とはされないことを利用して、パーティー券を企業に大量に売りつけているのではという批判がある。


 実は、維新は、元々大阪の自民党から分派した勢力だ。支持層には地元の企業が多く、自民と同じ政治資金の構造を引き継いでいる


 第2の政治資金パーティーについては、自民は、派閥によるものは禁止するが党や個人によるものは禁止しないとしている。


 一方、立憲は全面的に禁止すると踏み込んだ。これは大変な意味を持つ。「全面的に」ということの意味は、個人だけを対象とするパーティーも禁止ということだ。


 これに対して、維新は、政治資金パーティーの禁止は盛り込まず、企業・団体がパーティー券を購入することだけを禁止するとしている。


 個人がパーティー券を買っても大きな金額ではないから、両者の違いはそれほど大きくないと言う人もいるが、これは間違いだ。なぜなら、個人に売ったとして表向きは個人向けの領収書を出しても、その領収書を使って企業が交際費などの経費として落とすことが(これが税法上正しいやり方ではないとされて否認されるリスクはあるが)実際には広く行われていると議員たちは証言している。


 パーティー券はイベントの参加料なので、普通の飲食費ではないという扱いで1人あたり5千円(2024年度から1万円に引き上げられる)という上限がない。出席しないと寄付とみなされるが、出席すれば良いので、社員を参加させて写真を撮っておき、経費として落とすという手法も使われている。


 要するに個人向けと言っても大きな抜け穴があるのだ。


 第3に、政策活動費について。


 そもそも政策活動費の定義が明確でないが、最近問題になっているのは、政党などから党幹部に「渡し切り」で「巨額の資金」が移転され、その後「領収書なし」で政治活動に使われたとされる資金である。


 自民党の二階俊博元幹事長が5年間で約50億円も党から政策活動費をもらっていたことや、甘利明前幹事長が在任35日間で3億8千万円もの政策活動費を受け取っていたことで、選挙の買収に使われたのではないかなどと疑惑の目が向けられているが、岸田首相は「適正に処理されている」とまともに答弁しない。もちろん、政策活動費そのものの廃止には絶対に反対である。


 これに対して、立憲は、「使途不明な」「政策活動費」など政党「幹部への多額の渡し切り」を禁止とした。つまり、各党が慣習的に行っている党幹部に対する巨額の渡し切りの資金供与をやめるというのだ。


 一方、維新の対応は中途半端だ。「領収書に紐づかない」「政策活動費」の廃止と「透明化」と書いてある。22年分の政治資金収支報告書によれば、藤田文武幹事長に毎月81万〜1234万円の政策活動費を支出していたことや、19年分以降は毎年、馬場伸幸代表ら幹部数人に計4497万〜5966万円を配っていた(22年分は馬場氏への支出はなかった)という後ろめたい事実があるからだろう。


 両党の対応をよく見ると、領収書なしの使用は認めないということでは一致しているが、立憲の提案では、領収書があっても、幹部への多額の渡し切りはできなくなる。つまり、自民や維新が行っている党幹部への巨額の政策活動費の供与ができなくなるわけだ。


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 ちなみに、維新は「透明化」とは言っているが、領収書は必要としつつも公開には後ろ向きだ。「政治資金収支報告書にはすべて記載するものの、氏名や住所などについては一部あるいは全部の非公開も選択できることとする」とまで書いた。全く腰砕けである。


 政治家は、人に言えない政治工作を行う必要があるというのが永田町の常識だ。しかし、国民や有権者あるいは献金者は、人に言えない政治工作などやらないで欲しいと考える。当たり前のことだ。


 自民も維新も国民目線とはかけ離れている。政策活動費がこれだけ問題にされているのにまだその温存を企むのは、よほど人に言えない汚い金の使い方をしたいのだと疑われても仕方ない。


 では、立憲はなぜ簡単に幹部への巨額の渡し切りをやめると言えたのか。これまでに聞いた話や私の推論でもわからない。そこで、私は、立憲の政治改革実行本部事務局の落合貴之事務局長(衆議院議員、当選3回)に思い切って電話で聞いてみた。


 すると、驚くような答えが返ってきた。


 立憲では岡田克也幹事長が2年前に、幹部への政策活動費の渡し切りをやめたというのだ。だから議論する必要もなかった。


 では2年前にそれをできた理由は何かと聞いたら、よくわからないが、岡田氏が、なくても困らないはずだと言うので、半信半疑でやめてみたら、本当に大きな問題がなかったということだった。


 実は、政策活動費のかなりの部分は、最終的には地方議員の買収や贅沢な飲食費に充てられているという話がある。それは、有権者には内緒にしておきたいということなのだろう。だが、岡田氏は、買収などもってのほか、本当に必要な会議のための飲食でも贅沢は不要だし割り勘でも良いという考え方らしい。


 政治部の記者が「政治には金がかかる」とわけ知り顔で解説するが、金をかけないように努力すればできるのだ。


 久々に聞く痛快な話だった。


 ここまでの話をまとめると、3党の間での政治改革の議論では、完全に立憲の一人勝ちだということになる。国民は誰もが立憲案を支持するだろう。


 そして、もう一つ、重要なことがある。それは、立憲の改革案が若手主導でまとめられたことだ。幹部の中には渋るものもいたが個人のパーティー券購入まで禁止とできたのは、彼らの力なのだ。自民党の若手がほとんど声を上げられないのに比べて、なんと頼もしいことか。



 実は、立憲では、民主党政権が終わってから国政に入った議員が6割に達している。もはや彼らには「悪夢の3年」と安倍晋三元首相に揶揄されたトラウマはない。だから、思い切った意見を言えるらしい。


 今回の提案合戦で、維新の「唯一の改革政党」というキャッチフレーズは地に落ちた。


 代わって立憲が「我こそ真の改革政党」という旗印を掲げるときだ。


 この先、野党間で足並みを揃えるためには、立憲が大幅に譲歩することが求められるかもしれない。それを許せば、またしても政治資金改革は中途半端なものに終わり、自民党の利権政治は温存されることになるのは必至。何としても初心を貫いて欲しい。


 ただ、少し心配なことがある。


 それは、立憲がこれほどまでに尖った提案をしているのに、それをマスコミが大きく取り上げないことだ。その原因の一つとして、立憲の幹部がこれを強くアピールしていないことがある。改革で後ろ向きな姿勢を見せる維新と戦う姿勢を見せればいいのにと思うのだが、どうしても歯切れが悪い。


 選挙協力を得るためという口実で、裏で談合し、結局、個人向けパーティー券販売を許したり、幹部への渡し切り資金を認めたり、公開に制限をつけたりするなどの落とし所に辿り着くことを立憲の一部の古参幹部が狙っている。そんなことをつい心配してしまう。


 そこで提案だ。


 国民が、立憲の改革案を大々的に評価し、それをサポートするという意思表示を行ってはどうか。「最後まで頑張れ!」と応援しつつ、「一歩でも後退したら選挙で投票しないぞ!」と声を上げるのだ。



 中途半端な妥協をするくらいなら、今国会での政治資金規正法改正案がまとまらなくても良い。


 むしろ、次の解散総選挙において、この点を争点にし、政権交代ないし伯仲国会を目指す。その先で、妥協のない改革を実施すれば、はるかに日本の民主主義のためになるだろう。


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友だちがいないのは悪」という学校教育の弊害 

2024年02月26日 21時03分43秒 | 教育のこと
「友だちがいないのは悪」という学校教育の弊害 「ぼっち」にネガティブな先入観を持つ理由(東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース 



「友だちがいないのは悪」という学校教育の弊害 「ぼっち」にネガティブな先入観を持つ理由
2023/12/31(日) 16:02配信


東洋経済オンライン
「ソロ活」「おひとり様活動」などが定着しつつある昨今、「ぼっち」というネガティブイメージも根強く残っているその理由とは(写真:Fast&Slow/ PIXTA)


ここ数年で、「ソロキャンプ」「ひとり焼肉」などの「おひとりさま活動」が定着しましたが、一方でいわゆる「ぼっち」の状態に対して、強いさみしさや恐怖を感じたり、心身に不調が生じたりする人も多く、孤独は社会問題にもなっています。本稿では、脳科学者・中野信子氏の著書『人は、なぜさみしさに苦しむのか?』より、「ソロ活」と「ぼっち」の違いはどのように生まれるのか、「ぼっち」にネガティブなイメージを持ってしまうのはなぜかを一部引用、再編集してお届けします。


■なぜ「ソロ活」は流行し、「ぼっち」は忌み嫌われるのか


 いま孤独が社会的な問題になる一方で、「ひとり焼肉」「ソロキャンプ」といったソロ活動がとても人気です。


 コロナ禍によって友だちを誘いにくくなり、集団での活動が制限されたこともソロ活動が活発になった要因であると推測できます。しかし、ひとりで自分の時間を自由気ままに楽しむことの魅力にあらためて気づいたという人も、おそらくとても多いのだと思います。


 「ソロ活動の楽しみ方」といった特集を組むメディアが増え、旅行パンフレットを見ても、「おひとり様ツアー」「おひとり様ゴルフ」など、ひとりで余暇を楽しみたいというニーズを取り込もうとする企画をよく目にするようになりました。


 わたし自身ひとりで過ごすことが好きな性格なので、数日間の休暇が取れたら、ひとりでスキューバダイビングに行ってしまうようなタイプです。どちらかといえば、〝ソロ活動派〟なのでしょう。


 ひとむかし前は、ひとりで焼肉を食べに行ったり、ひとりでキャンプをしたりすることはあまり一般的でなかったように思います。ところがいまではすっかり市民権を得て、ポジティブなイメージさえ持たれています。


 一方で、「ぼっち」という言葉には、ややネガティブなイメージがつきまといます。


 それは、なぜでしょうか? 


 そこには、ひとりである状態を、「自分自身で選択したのかどうか」という点が大きく影響していると考えられます。


 ソロ活の場合は、積極的にひとりになることを選んでいる意味合いが強いのですが、ぼっちは、「気づいたらそういう状況になってしまった」「本来はひとりで過ごすことを想定しておらず、むしろひとりでいたくないにもかかわらず、不本意ながらひとりでいることを強いられている」という、望ましくない状態をイメージさせるのではないかと思います。

また、自分自身に対して、ぼっちという言葉を使って卑下してしまう場合もあります。


 例えば、さっきまでたくさんの友だちと騒いでいたのに、みんな帰ってしまいひとり自宅に取り残されてしまったとき。


 あるいは、ふと「誰かと話したい」「誰かに会いたい」と思ったときにまわりに誰もいなかったり、連絡をしても誰も応答してくれなかったりしたときに、「ぼっちでさみしい」という感情になることもあるでしょう。


■「共同体を失うかもしれない」というアラート


 でも、人間は本来、24時間、四六時中誰かと過ごすことのほうが少ないはずで、誰しもひとりになる時間は必ずあります。そうであるにもかかわらず、「自分だけがひとりになってしまった」と感じて、ぼっちだと認識してしまう。


 ひとりになってから、友だちと過ごしたり会話をしたりした楽しい時間を思い出したとき、その時間が失われただけでなく、つながりまでも失ったかのように感じてしまう。


 そんな強いさみしさを感じる場合は、脳が「集団から排除されるかもしれない」「共同体を失うかもしれない」というアラートを作動させ、自身にストレスを与えているのかもしれません。脳がこうしたストレスを与えるのも、人の進化の過程では、集団や共同体から排除されないことがとても重要だったからです。


 つまり、その状態は社会脳(脳の前頭葉にある、空気を読んだり相手の気持ちを推し量ったりする、他人とのコミュニケーションを司る機能)が正常に働いているともいえます。


 ですが、さみしさを紛らわせるために、友だちやパートナーなどにしつこく連絡をしてしまうと、逆に疎ましく思われてしまうこともあるので気をつけたいものです。 


 「さっきまで過ごした楽しい時間」が終わりを迎えても、友だちや共同体を失くしたわけではありません。しばらく会えなかったとしても、大事なつながりが消えてしまったわけではありません。



以下はリンクで、





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この道を行きます!

2024年02月26日 19時03分03秒 | 日々の出来事
やはり、この道のほかにありません⭐



2/25/2024
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まだ、冬の夕焼けに

2024年02月26日 17時03分42秒 | 日々の出来事
冬の日没です⭐



2/25/2024
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「開成に合格!」中学受験する我が子の成績を発信、特定されるケースも 親の「承認欲求」に弁護士が警鐘

2024年02月26日 15時03分25秒 | 受験のこと


「開成に合格!」中学受験する我が子の成績を発信、特定されるケースも 親の「承認欲求」に弁護士が警鐘
2/26(月) 11:30配信



弁護士ドットコムニュース
都内の試験会場(2022年1月10日、弁護士ドットコムニュース撮影)。Xの投稿風の画像は架空の投稿イメージです(編集部作成


「2月1日AM 熱望校(桜マーク)。持ち偏差値よりプラス5」「2月1日PM お守り校(枯れた花マーク)でした。持ち偏差値よりマイナス10」――。この数年、Xでは我が子の成績や試験結果、日ごろの学習態度などを詳細に記録する親のアカウントが増加している。


【画像】「お父さんがお姉さんを犯して、私が生まれた」過酷な生い立ち


冒頭の投稿の意味は、「(首都圏の中学受験がスタートした初日)2月1日の午前受験で、平均偏差値より5高い第一志望の学校に合格しました」「1日の午後、平均偏差値より10も下の滑り止め校は不合格でした」である。オンラインの合格発表が広がり、合格・不合格のスクショをアップする投稿も珍しくはない。


今年2月、中学受験したばかりの保護者は「生々しい情報に勝るものはないし、自分と同じように他の家庭も悩んでいることを知ることができるので、Xの中受沼にはまっていましたね」と話す。


しかし中には、中には「開成、合格しました」と学校名を出したり、学校名こそ出さないものの前後の投稿から容易に推測できるものもあった。子どもの成績に関するSNSや情報発信に、プライバシー侵害など法的な問題はないのだろうか。実際にXを利用している複数の保護者、教育問題に詳しい弁護士に話を聞いた。


●個人情報全開のアカウントはなぜか父親に多い
「2024S(2024年2月に受験するSAPIX生)」「2026N(2026年2月に受験する日能研生)など、アカウントに子どもの受験年や塾の頭文字をつけた中学受験生の保護者アカウントがXには多数ある。X以外にもブログ、YouTubeで発信する親たちもいる。


公開される情報は、何も合格発表だけではない。高校受験や大学受験に比べて、親の関与が多いとされる中学受験だけに、子どもの偏差値、日々のテスト結果などの詳細な記録が並ぶ。思うように勉強しない我が子に「中受撤退」など厳しい言葉を向けたことも赤裸々に吐露する。


「受験期は受験塾や学校説明会だけでなく、Xでの情報収集も活用していた。匿名ならではの交流のしやすさもあって、精神的にも助けられていた」という先の保護者だが、気になる傾向もあった。


「開成や筑駒が第一志望など高偏差値帯の保護者ほど、志望校や進学先、偏差値を出すことが多いんです。成績がふるわずクラス落ちしたこと、過去問の出来、すべての受験結果を明らかにしていて、野次馬としては面白いんですが、いくら子どもの同意があるのだとしてもまだ11、12歳の小学生です。本当に同意と言えるんでしょうかと心配になります。親の承認欲求が全開だなあと。そうしたアカウントは、母親より父親のほうがなぜか多いように思います」


●実際に親子が特定されたケースも
親子で挑むのが中学受験の特徴の一つと言われる(ダイ / PIXTA)


匿名だったとしても、学校名や成績を書いていけば、特定されるリスクも高まる。都内の有名私立中学に子どもが通う保護者は、受験期から人気を博していた受験ブログの親子を簡単に特定できたと話す。


「その子は御三家志望で、きっと合格するんだろうなと思っていました。ところが御三家はご縁がなかったようで、結局うちの子と同じ学校に入学することになったんです。どんな偏差値で、塾のクラスがどこだったのか。第一志望や併願校も詳細に記録されていたので、実名で掲載される塾の合格体験記と照らし合わせ、親子をすぐ特定できました」


学校で親しくなったママ友にそのブログのことを話すと「ほとんど皆、知っていた」という。今のところ、その保護者と同じクラスになったことはないものの「小学生の時から、その親子のことはブログを通して知っていました。実際に話したことはないのに、成績や親御さんのことをこちらは知っている。不思議な感覚です」。


この保護者によれば、中学受験後も情報発信は継続している。現在のところ、進学先の学校や保護者、同級生について好意的に書いてはいるものの、「いつ何どきディスられるかわからない」と、ハラハラしながらチェックしてしまうそうだ。


しかし、有名人でなくても特定されてしまうケースもある。別の有名私立中に子どもが通う保護者はこう証言する。


「うちの学校に通っている親はXにも複数いるようで、投稿内容から部活やクラスの特定が容易に出来てしまうことも。保護者会でお会いし、ひょっとしたら? と思うこともありました。小学校時代の成績や現在の通塾事情、それに対する親の思いなど赤裸々な投稿を思春期の子どもが見たら怒るでしょうし、他の保護者に自分のことが知られていること自体、子どもは嫌がるのではないでしょうか。そのあたり、親はどう説明しているんですかね」


特定した経験のある保護者たちは「子どもには、特定したアカウントのことは話していない」と口をそろえた。親を介して子どもたちの間で噂になれば、アカウント主の子どもにとって不利益になると考えるからだ。

●「子どもの成績や受験経過は、本来子ども本人の個人情報」
アカウントの中には、妻や子はアカウントの発信内容に同意している、と宣言するものもある。しかし親が子どもに関して情報発信をする際に注意点はないのだろうか。


教育現場と子どもの権利に詳しい高島惇弁護士は、中学受験に限らず「(親が書いた)ブログが契機となって学校内でのいじめに発展したというケースも報告を受けたことがあります。そこまで至らずとも、『自分の私生活が周囲に知れ渡っている』という事実が、社会へ参加することに対する恐怖心という形で子の成育に大きな悪影響を及ぼす可能性もあります」と指摘する。






高島弁護士によれば、親による子に関する情報発信は、「保護者の子に関する情報コントロール権」と「子の自己情報コントロール権」とで権利の衝突が生じる可能性があるという。


「子どもの成績や受験経過については本来子ども本人の個人情報であり、子どもの成績の詳細、受験結果、子の日頃の様子など内容次第では不特定多数の第三者に知られたくないものと考えられます。子の個人情報がむやみに公開される場合には、たとえ親権に服する未成年者であっても、プライバシー権侵害の問題が生じる可能性があります」


不本意な投稿であった場合、未成年の子どもが親に対して削除請求はできるのだろうか。


「インターネット上の権利侵害という観点から検討すると、子本人が法定代理人である親権者から離れて単独で削除請求できるかという問題があります。現在の法律だと特別代理人の選任を要するなど迅速な削除請求を行うことはできませんが、今後社会的な関心がより強まってきた場合には、法整備を検討することも考えられるでしょう」


なお、子どもがSNSやブログでの情報発信をやめて欲しいと明示的に意思を表明したにもかかわらず、その意思に反して親がSNSなどで公表している場合、これは教育虐待とはならないのだろうか。


「その内容や頻度、子の拒絶状況次第では『その他の児童に著しい心理的外傷を与える言動』として心理的虐待と評価できる可能性は、限定的ながら存在するかもしれません。


ちなみに、児童虐待の防止等に関する法律上においては『教育虐待』という定義は存在しません。現行法にて定められている児童虐待の類型では評価しきれない側面もあるため、今後、児童虐待の一類型として、別途法律上明記する必要性があるのではないと考えています」


●「子との境界線があいまい」な発信も
高島惇弁護士(弁護士ドットコムニュース撮影)


高島弁護士は、「子どもに関する情報発信をするアカウントの全てが問題なのではない」とした上で、次のように警鐘を鳴らす。


「情報発信するアカウントには親の承認欲求がみられることも多いです。承認欲求以外にも、たとえば子への過干渉や家庭的な事情による共依存というケースもあるでしょう。しかし、子との境界線があいまいになってしまい、まるで子のエピソードを自分のエピソードのように受け止めて発信しているというケースも見受けられます。


たとえ未成年であっても『自己の個人情報を親に知られたくない』『自己のプライバシーを勝手に公表されたくない』という意思は保護されるべきとの認識のもと、議論を深めていくべきではないでしょうか」


冒頭の保護者が言うように、貴重な情報源でもあるし、子どもには言えない親の本音を吐露する場も必要だろう。全ての情報発信がNGというわけでは決してない。


ただ、詳細な投稿をする場合、子どもの同意を得ているのか。また、子どもがどこまで理解した上での「同意」と言えるのか。投稿する際には、子どもに不利益が及ばないように情報を制限することや、子どもの求めに応じて速やかに削除するなどの姿勢も必要だ。








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