今にして思えば、Bこさんの傷の治りが悪いと言うのはあまりいいことではなかった。
自分の父親も、Dr,にはもうしばらく大丈夫だろうと朝言われたが、夕方にあっさり逝ってしまった。亡くなったその日はそれまでの絶え間なく来る激しい末期がんの痛みから解放されてずっと眼も冷まさず静かに寝ていた。けれども私は足の踵が急に紫色になり、あちこち褥瘡が出来はじめ、看護師さんも必死で体位を変えてくれるが、踵など黒くなってきてしまった。そしてその日の夕方、静かに息を引き取ってしまった。
生命力が無くなるとやはりそういう状態になってしまうのだろうと思う。
傷の方はえぐれたままではあるが、乾いた状態で徐々に塞がっては来たが、もともと遅い歩行がさらにさらに遅くなった。今のうちに車いすを手配したほうがいいと思ってケアマネさんに相談すると、ケアマネさんがデイを覗いた時にはいつも通りだとの事で、ちょっと驚いているようだったが、とにかく移動に時間が掛るのでと、一番軽いという車いすを借りることにした。
さて、通院の為(その医院の前には長い少し急なスロープがあり、靴を脱いで上がり消毒したスリッパに履き替えることになっている)初めての車椅子デビューとなったが、なかなかハードなデビュー戦であったよ。( 一一)
車いすを甘く見ていた。
そしてBこさんの能力の大幅な低下は思った以上の加速で車いすデビューを苦いものにしてくれたのだ。
なまじ、車いすがあるから大丈夫なんて思ったのが大きな間違いだった。
奥の院から出てきてトイレと洗面、そして諸々の準備…、やっと玄関にたどり着いての、2段階の階段を下ろすまでにすでに40分。とにかく前かがみがひどすぎて、手すりの中に頭が入り込んでしまい、更にもう面倒になって補聴器もつけていないから、必死で「頭が危ないから!」と叫びながら防御してもその手を払いのけながら進もうとし、手すり自身に手すりの支えにごちごちなりながらの「本人必死の爆走」でやっとやっと、階段下にたどり着きいざ!車いすへ。
と思ったが、椅子の座面に座らせるのも四苦八苦、更にステップに足を乗せようとしても、膝を伸ばしたままこわばったしまっていて、ステップに足を乗せるのも至難の業。
何とか詰め込み!いざ!車に乗せようと思ったら!
ら!
ら!
車いすから降りるのもひと悶着。そして車へ…乗れない!オットと二人で介助していたので、Bこさんの担ぎ上げはオットに任せ、いざ!車いすをトランクに!乗らない!乗せられない!
慌ててオットと交代。
この騒動まだまだ続くよ~~のよし子がお送りしました~~。