曲がり角で 迷いながら

自分も家族も人生の曲がり角に。戸惑いの中の日々を迷いうろついています。

旨く行くコツは「何も言わない事」→私には出来ないが…

2019年10月03日 | 心に響く言葉

ヘルパーさんが95才で息子夫婦と同居、頭もしっかりしていてむしろ年々進化している。お嫁さん(長男の妻と言ってもらいたいが)ともとてもいい関係でいつもにこにこしている利用者さんに、いつまでも元気で家族ともうまくやって行くコツは?と聞いたところ、にこにこしながら穏やかに

「何も言わない事かな?」と答えられたそうです。

深い!

そして、よくわかります。

私にも結婚した娘、息子がいますけど、子ども達にもその連れ合いにも、言いたいことは色々あるのですが、何も言わないようにしています。

自分の経験上、実母に言われてもなんとも思わないことが、なぜか夫の親から言われると言葉が突き刺さって来るのです。もちろん、実母に言われてもむっとしたり、腹が立つことはありますけど、ぐさっとはならないです。

ほんとに些細な事でも、義理の仲っていうのは心穏やかにいられないです。

結婚して30年過ぎれば、やり過ごすことは出来る…いや、出来ませんねえ。

今は結婚した子どもたちが実家に帰ってきやすいように盾になる為に、オット母Bこさんに「立ち向かわなくてはならない」事が多々あります。

未だにこうと思ったことは突き通そうとするBこさん。

私の服装も子ども(Bこさんから見たら孫)の着ているものや髪型、いちいち指示していました。あれを着させろとか、そんなものはみっともないとか。

それは過去の事ではなく、いまだに、孫の連れ合いだのひ孫の事も色々口を出すのですよ。

食事を食べさせていても「あれをやれ、あれを食べさせろ、食べさせなくていいのか?」

あんなことをしたらどうのこうのetc.

息子の嫁子ちゃんがびくびくしているのがわかるし、子どもがこぼしたりするとものすごく気を使っているのがわかります。私は「いいのよ、皆汚して大きくなっているのよ。息子も娘も散々この辺汚してるから気にしないで。」と言っている後ろから、「あそこん、汚れた、そこをあの子んべ~たべたした手で触るもんで云々」とブチブチ言うBこさん。何度も謝る嫁子ちゃんがかわいそうですわ。

まあ、そのおかげで、私は「おかあちゃんがうるさいこと一切言わないから、嫁子が喜んでいる。」と、息子もいい、ヨメちゃんとはうまくいっているんですけどね。

たぶんBこさん、デイなどでも文句垂れべえでいる模様。

上記の方は、デイの利用者さんの間でも尊敬され慕われる存在だそうですが、はっきりいって、Bこさん、疎まれる存在です。(間違ったことを言い張るわけではないんですが、やってもらっているんだから、少しぐらい我慢しろと言いたくなるし、あまり関わりたくはないですよね~)

私も何も言わずに穏やかにしていたいとは思いますけど、今はなんとかそうできていますけど、でもね、毎度そうとはいかず、Bこさんの言うことにムムムのム~~ってなることも多いわけで、これから年を重ねて行って、ずっと穏やかでいるって自身は全くありません。

「何も言わない事」

心に刻んでおきたいと思います。


「僕は力強く生きて行きます」

2018年11月30日 | 心に響く言葉

「僕は力強く生きて行きます」

彼は父親のお別れの会の時に、父親と、参列者に誓いました。

彼は27才。言葉は話せますが、重度の身体障碍者です。電動車いすでの移動はできますが、すべての筋肉が弛緩しているため、背筋も伸ばせないため、真っすぐ座ることも出来ません。手を持ちあげることも握ることも出来ないので、アームバンドで手を車いすのひじ掛けに固定してボタンを押します。

ですから、すべてに介助が必要ですが、昨年から「いずれは両親の力を借りずに生きて行かなくてはならないから」とヘルパーさんの力を借りながら、ひとり暮らしを始めました。

その矢先、父親が癌での余命宣告。

でも、父親も闘病を頑張り、生き抜きました。

誰もが、悲しみに暮れているだろう、打ちのめされているのではないか。これからどうやって生きて行くのだろうと、彼とその母親の顔を見るのがつらいお別れ会でした。

けれども、二人には涙はありませんでした。

3人で力を合わせて、精一杯生きてきたから。

3人で大事な時間を過ごしたから。

3人での旅行の様子がスクリーンに映されました。いつもお父さんかお母さんと2人、そして誰かに写してもらった3人の写真。どれもとびっきりの笑顔でした。

 

最後のあいさつで彼が言った言葉。

参列者に向かっていた彼は、「先にお父さんにいいですか?」と父親の遺影の方に向きを変え、大きな声で

「お父さん、本当に今までありがとうございました。お父さんが出かけるとき、いつも僕をどこへでも連れて行ってくれました。僕の身体介護もよくやってくれました。本当にお世話になりました。あなたには感謝の言葉しかありません。お父さんの息子で本当に幸せでした。

これからは、お母さんと力を合わせて、力強く生きて行きますから、天国から見守ってください。」

そして向きを変えて私たちに

「母と二人、力強く生き抜きますから、皆さんご支援のほどよろしくお願いします。」と最後まで大きな声で涙なく話したのです。まるで甲子園の選手宣誓のように、高らかに。

27才の立派な青年でした。

ついつい、彼の事を○○ちゃんと呼んでしまう私ですが、五体満足で何の不自由もないのに、なんだかんだ不平不満を言ってしまう自分が恥ずかしいと思いました。

そんな風に育てたご両親も立派です。

もうね、この言葉と聞いた、葬儀場の方々が、(たぶん、何もできない、よくわかっていないとか思われていたと思うんですが。だって、首もぐらぐらしてしじゅう動いてしまうような車いすの彼ですからね)絶句してしまって、進行が止まってしまったんですよ。

葬儀で感動したなんて言うとおかしいかもしれないですけど、もしかしたら今までで一番感動した言葉ではなかったかと思います。

私も、力強く生き抜きたいと思います。

 


優しさを作るホルモンがある

2014年06月30日 | 心に響く言葉

先日何気なく(他に見るTV番組が無くて)見た番組で飛び込んできたのが、

「優しさを作るホルモンがある。」

という言葉でした。

途中から見たので、前半はわからなかったのですが、

なんでも、脳から優しさを作るホルモンが思春期になると沢山作られて、それは、赤ちゃんの時から触れ合いがある育てられ方をすると沢山でる。そして、特に女性は出産後にそのホルモンがたくさん出て、赤ちゃんをかわいがる。

子どもの時にかわいがられなかった子どもはそのホルモンの量が少ないが、触れ合い(ハグや握手、笑顔)の後には、そのホルモンが沢山出るのだと言うような内容だった。

実際に人間関係がうまく築けない自閉症の人にはこのホルモンが少なく(これは愛情とは関係ない)このホルモンを使って、治療をする方法が検討されているそうだ。

ちょっと、びっくりは、アフリカのどこかの村には思春期に男女が入れ替わってしまうという、不思議な現象が沢山見られるそうで、それもこのホルモンが関係しているのではないかと言われているそうで、途中から見たし、なんて言う番組だったかわからず、しばらくしてから、

「優しさを作るホルモンがある」で検索。

ちゃんと、この番組がヒットしました。

その中で、具体的にわかるのが→ こちら と こちら(NHKスペシャル) すべて載っているのが→ こちら

スキンシップが優しさを作るっていうのは、今の自分の状態にちょっとヒットするところでして。

それは、Bこさんの変化。

オット母Bこさんは、とても良家のお嬢さん。ばあやとねえやに「育てられた」Bこさんは、実母との触れ合いがないまま育ったようだ。ばあやとねえやでは、いわゆる親子の愛情ではなく、雇い主と家来の関係だから、小さいのに上から目線。私はあなたとは違うのよとか、あの人は私とは気軽に話しが出来る身分じゃないってのが、結婚した当初30年前のBこさんの口癖だった。

自分の子育ても人任せだったようで、結婚した時、また子どもが出来た時(Bこさんから見れば孫)もどうも、この人は普通に「かわいい」という感情がないのではないかと、思ったものだ。

そして、私の娘が子どもを産み(彼女から見ればひ孫)その時初めて、「子どもを抱いた」り、お風呂に入れるのを見たがったり、かかわりを持とうというか、かわいがろうと言う気持ちが芽生えたようだ。

それから、5年経ち、今は自分が私に手をひかれて歩く。手をつなぐと「うふふ」と笑う、かわいらしいおばあちゃんに大変身。

あれは、やっぱり、触れ合ったからではないかと思うな。

こっちも、それまで、正直Bこさんと手をつなぐなんぞ、思いもしなかったし、嫌悪感の方が多かった、Bこさんに対する気持ちが変わったのは、「手をつないだ時」その時、劇的に変化する自分の気持ちに自分で驚いた。

オキシトシン

それが、その不思議な優しさを作るホルモンの名前です。

実はそれは、出産を促すために出るホルモン。一方は子宮に、一方は脳に向かってオキシトシン細胞は伸び、これが子供をかわいいと思う源になるのだそうです。

例えば、結婚まじかの男女がキスをして10分後にこのホルモンを測定すると、男性は男性は26%、女性はなんと213%オキシトシンが増えたそうです。やはり、女性の方がこのホルモンは沢山出るという証明でもありますね。

今思えば、まるでかわいくない皺だらけの油まみれのその赤ちゃんがたまらなくかわいいと思えたのは、そして、ひとり目よりも2人目の方がその気持ちは強かったのは、このホルモンのお陰。そして、子育てを通して更にホルモンは沢山出て、かわいいという気持ちが大きくなるのでしょう。

キスでなくても、見つめ合うだけでも、ちょっと手を触れるだけでもいい。

もちろんハグや、ダンスは笑顔にもなり、たくさん、オキシトシンが出るそうです。

触れ合う事。

これは、本当に大切なことなんですね。

先日、Bこさん、オットに頼み、何やら通販で買い物をしておりました。

と、それはTシャツが色違いで2枚。しかもLサイズ(BこさんはSサイズ)。そのうちの気に入った色のをきてくれと言ってきました。以前ならそんなことは思いもよらず、Bこさんもそんなことはしないし、私も着ようとは思わなかったですが、たぶん私のサイズに合わせて買ってくれただろうそのTシャツ。素直にありがたく頂きましたよ。

まだ、開けてないけどさ(^_^;)本当はもうちょっと明るい色だよ。袋に入ったまま写したら色が薄くなったけど。ちなみにBこさんはグリーンです。しかし、Lで大丈夫かえ?

ま、まさか、Bこさんとおそろいで服を来る日が来るとは思いもしなかったよ…


葛藤(かっとう)とは

2014年05月10日 | 心に響く言葉

葛藤

かっとう

絡みつく「蔦(かづら)」と「藤」

 

人間って、ずっと、葛藤しながら生きているのかもしれないなあ。

 

実家のお寺さんでいただいた暦に、毎月仏教から出た言葉として、5月の暦に書かれていたのが、この、「葛藤」

蔦も藤も絡みあったり、まとわりついたりする様子から、抗争や悶着と言う意味にもつかわれるそうですが、

仏教では→

  つるがまつわりついて、木を枯らしてしまうように、

  「人が欲望に溺れて自滅すること」

  「煩悩のたとえ」として使われる。

 

禅では→

  自己はいつでも自己の事実と絡み合って離れることはない。

  自分から逃避しない。己をあきらかにすることが、禅の修行で求めれらる。

そうです。

 

自分から逃れられないから、葛藤してしまうんですよねえ。

でも、絡まっていたこの「葛藤」がぱらりと、溶けると、心は軽くなりますね。

ここ、何年かちょっと叔父さんの事で、複雑な思いがあり、また、(ヨメに出た立場と、実家の長男である弟が、連絡を取っていたため)、直接連絡するのをためらっていた従兄弟に思い切って電話をしました。

そして、(従兄弟から叔母さんに直接連絡しないでくれと言われたと、実家母と弟から聞いていた)、しばらく声を聞いていなかった叔母さんにも、今日電話をして、久しぶりに声を聞きました。

実家の母の言うのには叔母さんは(も)介護を受けながら田舎で一人暮らしをしていると、聞いていましたが、叔母さん曰く、なんでも一人でして、畑も忙しいし、草も生えるし、行きたいところもあるし、趣味の事もあるから、あちこち、車で出かけているとの事で、(86歳)お耳の方も達者で、Yこさんも、Bこさんも、耳が遠いので、かなり大きな声で話さないと聞こえませんが、普通に話して全然困りません。

久しぶりによしこちゃんの声を聞いてうれしかった、また、いつでも電話してな。

と言われて、私も、こだわりのなかった時には、叔父さんはお父さん代わり、叔母さんはお母さん代わり、従兄弟は本当のお兄ちゃんのように思っていた、その時に戻って、体から、蔦がばらりと落ちたような気がして、この記事を思い出したのです。

実家母も体が弱くて、私と弟はよく、叔父さん夫婦にお世話になりました。入院も何度もしていたので、そのたびに世話になりながらも、葛藤があったようです。義理の兄夫婦に多大な世話になり、子どもも本当の両親のように慕い、それに対して複雑な思いがあるのです。

弟は弟で、従兄弟と反目があり、叔父さんの病気の時や、お葬式などの時の諸々の葛藤があり、また、今、自分の母親と妻との間の葛藤があり…。もちろん、介護状態の母親とも色々もめ…。

私も、いろいろ思うところはあっても、言いたくても言えないという葛藤…。

たまたまかもしれないですが、1本の電話で、絡まったものがほどけて行った…。

ものすごく絡み合っているように見えたものも、案外、するりとほどけるものなのかもしれないなと思いました。

久しぶりに、すっきり!です。

 

 


「すべてに」いい人は、やめよう

2014年04月30日 | 心に響く言葉

「いい人」な人へ

いい人をやめよう。

という、記事を読みました。

すべてにいい人になってしまうと、自分の本音を隠したり無理をして、疲れてしまうから。

すべての人から好かれようと思わない。

いい人をやめよう。

なるほど。

本当は言いたい事もあるのに、我慢したり、本当は行きたくないのに、お付き合いしたり、買いたくないものを進められても断れなかったり…。

なかなか、自分の思うようにはできないのが、「いい人」

思い通りの事をしたり、言ったりしたら、悪いかしら?気分を害してしまうんじゃないかなんて、そんなことばかりかんがえてしまって、結局自分を押し殺してしまうものねえ。

でも、むずかしいですよねえ。

特別いい人になろうと思っている訳じゃないけれど、ついつい、お付き合いしてしまったり、断れなかったり。

そんな時には、「少し考えさせてね。」とワンクッション置いてから返事をして、たまには断っても、案外相手はなんとも思わないものだそうで。

そうかあ、ワンクッションね。

 

すべての人に好まれようと思わずに、まず、自分の親しい人や身近な人を大事にする。

例えば家族にはついつい、甘えやテレから冷たくしたり、つっけんどんになってしまう。

家族にこそ、やさしく接したり、ありがとうを言う。

すると、今までになかった穏やかな気持ちが生まれてくる

自分の身近な人にこそ、顔色を見ながらではなく、気を許せる信頼関係を築く。

そうだね。なかなか難しいけど、本当は一番近い人にやさしくしないといけないねえ。

難しいけどね。

 

そして、すべての人の前で「いい人」はやめて、たまには自分の正直な気持ちを言ってみる。すべての人に好かれようとは思わずに。

いい人を少しだけ止めると、自分らしく生きられる。

 

なるほどねえ。

ま!最近、いい人止めてるけど。

けど、それは逆に近い人にだなあ。外には「いい人」で近い人にはなかなか、やさしく出来ないなあ。

反省反省!

また、反省。

でも、確かに「いい人」を止めると、心が軽くなるな~