曲がり角で 迷いながら

自分も家族も人生の曲がり角に。戸惑いの中の日々を迷いうろついています。

Bこさんは、要支援でOK(*^^)v Bこさん見捨てるヨメ=私

2019年04月27日 | 介護

 要支援1→要介護1→要支援2と、介護と支援の間で行ったり来たりのオット母92才Bこさんですが、背の曲がり(右前に大きく捻じれている)ですが、それ以外は眼もよく見えるし、頭は変にクリア(これがまた厄介のもとではありますが)ではありますが、歩行器でどこでも行ける訳ではありません。例えばタクシーへの乗り降りも一人では出来ないし、タクシーを降りても段差はクリアできないので(結構段差のある建物は多い)付き添いが必要。歩行器を自分で段差をあげると言うことは出来ないし、荷物は持てないし。結局送迎と目的の場所(ドアの中まで)まで送って行く必要があります。

 なので、「自立」とはならないですけど、歩行器を使えば歩けるし、介助があれば段差も越えられるし、認知も問題ないとなれば、ましてや息子夫婦との完全同居、二人とも退職して家にいる。そしてその子どもも近くに住んでいるなんてなれば、介護の認定は下りない事は重々承知なので、ヨメの私は全く介護の認定をとりたいなんて思っていません。もう、そのむなしい努力はしないことにしたので、先日ケアマネから「認定審査をやり直すか?」と聞かれた時にははっきり、「介護をとることはあきらめています。手間がかかるだけで認定がひっくり返ることがないのに申請はしません。」と伝えました。(キーパーソンであるはずのオット、この時家に居るのに同席しなかった!あんたがやることでしょうが!)

Bこさんは、「え~?私、介護が取れないと…」とか言ってもごもご言ってましたけど、去年Bこさん自身が言った言葉を言ってやりましたよ。

「お義母さんはなんでも自分で出来るので、私は着替えや洗面、入浴(これも見守りだけで自立=自分で出来る)食事も全部介助なしですから。頭もしっかりしていて、暗算も私よりも出来ますよ。(実際そうですからね。病院に行った時私が立て替えて支払い後で清算するのですが診察と薬局での支払いをBこさん暗算でいくらいくらと正確にしますよ\(◎o◎)/!)よく覚えているし。先日泊りに行った時も準備も何も手伝わなくてもちゃんと出来たし、ベットからの移動もひとりで出来ましたから。家でもタッチアップなしでやってるんじゃないですかね。夜なんかトイレに行く時も歩行器は使いますけど全部ひとりで出来ますからね。」

「それに、昼夜ひとりで家に居るなんてことは無いし、病院に行くにも夫婦で付き添ったりしてますしね、ヘルパーさんにも笑われましたけど、すぐ近くの美容院や医院だって、歩かずに来るまで送迎しているし、いない時は孫娘が近くにいるので来てもらっていますから、そんな恵まれていて介護は付かないですよね?」

ケアマネさん、戸惑いながら「じゃあ、今のままで…。」

「はい、介護になれてもBこさんの利用の仕方では支援でも全く困りませんから。週3回入浴。週2日リハビリ。はっきり言ってこれ以上予定が入ったらこっちが逆に大変です。週3回誰かが来てとなると、こちらも出掛けられないですし。入浴もいざとなれば自分で入りますからデイの利用も今のままでいいんじゃないですかね。週2日のリハビリで歩行もかなりよくなっているとデイでも言われていますし。関節炎があるわけではないし、痛みもないし、血液検査も何の問題もありません。のに、なんだかんだ言って薬は出してもらってますが。病院も内科、外科、耳鼻科、眼科、歯科と月1回連れて行けば、週に1回はどこかに連れて行っていますし。洗髪は美容院でないとと言うので、美容院にも週1回連れて行っています。」

ケアマネさん(新規に変わったこともあり)「そうなんですね。それじゃあ、これ以上は介護保険の利用は必要ないですね。(たぶん介護認定になれば利用料が上がるし、ケアマネの立場だと支援のままだとうまみがないからだと思う。)」と残念そうに言う。

本来は介護認定が上がる?下がる?方がいいはずなんですが(介護保険の利用が少なくなればいいはず)実際はデイなど経営が厳しくなっている(利用者が減ってきているらしい。介護施設も近くにいくつも出来てきたし。)

今まで、申請を希望してもとても無理だからと言われていたのに、風向きが変わってきた?

と言うより、私の気持ちが変わったのかな?

ある意味あきらめ。ある意味冷静。傍観。冷たいとも言う。

そして、このヨメ。この連休、自分の故郷に実家母と行ってきます!

5年ぶりかな?ずっと我慢してたけど、もう我慢しない。実家母が病弱だったため母代わりになってくれていた叔母さんにも会いたい。

もう許可はとらない。

行ってきます!と宣言で終わり!ブフフ!そう仕向けたのは、オット母Bこさんとオットだあ~~。

え?もちろん、Bこさん不遜ですけど、そんなんで遠慮してたら、叔母さんにも会えなくなっちゃうからね~~。

 

 

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白内障の手術後にわかったこと

2019年04月22日 | 医療

  白内障の手術をして丁度1ヶ月を過ぎると、違和感もだいぶ無くなってきました。とはいえ、花粉アレルギーとドライアイの私にとっては、辛い季節。手術後の違和感なのか、アレルギーやドライアイからのゴロゴロ感や充血なのかよくわからないのです。ちょうど花粉症がひどい時期からまだヒノキ、ハンノキの花粉症が盛りの時なので。

  けれども、見え方は普段は裸眼でよくなり、ひどい近眼でずっと眼鏡をしていたので、(近眼のメガネは物が小さく見える)物が今までよりも大きく見えるため、もっと近くにあると思うと遠かったりして、例えば紙に氏名を記入するときなども位置がずれてしまい一文字書いては次の字が位置がずれると言う状態で、距離感に慣れるのに(そりゃ、55年も超近眼メガネで過ごしていればね)しばらくかかりましたね。最近やっとスカを食うことが無くなってきましたが。

  パソコンの文字もよく見えるようになったので、手術後に白内障の事を書いてある記事を読んだのですが、先に読めていればよかったかなと言うものがいくつかありましたので、ご紹介します。

  白内障の手術を受けるときに医師に伝えておくこと→YouTube ですので、見えずらくても音声でわかります。

  白内障の手術後のトラブルについて→こちら 手術が終わったらOKではなく、その後も大事です。案外「簡単な手術」であること(実際手術時間は10分程度)すぐに見えるようになることから術後の処置がおろそかになりがちです。

 そして、最近、眼の運動などが推奨されていてそれに励まれている方もいるかと思いますが、こんな記事もありました。

 →目を激しく動かす「眼トレ」は、やってはいけない  激しく目を動かす行為は、目の中の硝子体線維を激しく揺さぶる行為であり、目の健康増進や目の老化防止などにはまったく役に立たないばかりか、網膜剥離の原因にすらなるそうなので、ぜひお読みください。

更に、こんな記事も

日本の眼科治療は世界から20年遅れている――『やってはいけない目の治療』 眼トレの記事と同じ深見先生の記事です。

色んな情報があって迷ってしまいますが、紹介したものは信頼できるものではないかと思います。

  少なくとも、白内障の手術が誰もが行う「簡単な」手術ではありますが、眼の中にメスを入れ、レンズを入れるという手術であり、水晶体だけ透明になるだけで、その周りの膜やいわゆる白目が濁ってしまっていれば、思ったような結果にはならないし、手術をして終わり。ではない。眼科の先生方が一番怖いのは白内障後の感染症だそうです。それは、自分で行うものであり(目の周りの消毒や目薬の点眼時の清潔)かなり気を使わないといけないものであることをお忘れなく。

  そして、眼内レンズの焦点は1つだけなので、今までいわゆる目の良かった人(視力があった人)にとっては、合わせた焦点によって、遠くが見えない、近くが見えないとなって、「眼鏡が必要になる」人もいますので、明るくはなったけれど…ということもありますので、ご注意くださいね。

  私にとっては、とても良かったのですが、実際何年か前に白内障の手術をした何人かは「やっても視力がでない」とか「近くに合わせてしまったので、日常生活に不便が出た」と言う人がいますので、特にレンズをどこに合わせるかについてはよく考えて選ばれたほうがいいと思います。相談の出来る眼科医が…といっても先生、とっても忙しくてなかなか相談が出来ないかもしれませんが、よくわからないまま手術をすることがないように、白内障の手術を受けるときに医師に伝えておくこと→YouTube ここだけはよく見てくださいね~。

 

 白内障関連の私の記事は→ その1 その2 その3 その4 その5 そして白内障手術後の様子 です。参考になれば幸いです。

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高齢者の交通事情

2019年04月20日 | 高齢者

大変哀しい事故(池袋で80代男性が運転する自動車が暴走し、次々と10人もの歩行者をはねる事故)に関連してちょっと思うことを。

事故の関連の記事 こちら  と  こちらもご覧ください。

亡くなってしまったお母さんとお嬢さん…そしてそのご家族の方には本当にお気の毒で掛ける言葉もないのですが、この事故を起こしてしまった87歳の高齢者本人とそのご家族の事を思っても胸が詰まります。

オット父Gオさんも88才で亡くなるまで自分で車を運転しており、大動脈解離→破裂で亡くなる数日前にはなんと自分で運転してゴルフに行っていたのです。もちろん、私は80才でやめてほしいとずっと言っていましたが、なかなか運転をやめれず、趣味の教室だの、オット母Bこさんの病院の送迎など、毎日車を運転していました。亡くなる1年ほど前に肺の方の病気で入院した後は、少しの間は運転を自粛していたのですが、私には内緒で(オットやBこさんは黙認。)ゴルフに自らの運転で早朝に出かけると言う暴挙ですわ。

よく、無事だったと思います。

Gオさんは88才といいながら、60代に見えるようなしっかりとした人で、認知機能もなんの問題もないような人だったので、能力的には運転は問題なかったかもしれません。けれども、大動脈破裂が運転中、あるいはゴルフ中に起きた可能性も大いにあったわけで、そういう意味でもよく無事だったなあと思う訳です。

けれども、高齢者が運転しなくてはならないという事情も、自分が高齢者に足を突っ込んでくると多少わかってきました。

今日隣町まで所用で出かけたのですが、自家用車なら20分から30分で着くところ、バス電車の乗り継ぎで1時間強かかりました。荷物も多かったので、正直乗り継ぎ時も大変でしたし、普段利用したことのない駅で切符を買い、そして乗り込むと言うのは(すべて自動であることもあり)高齢者になればかなり大変な事です。例えば切符を買うのにお札の入れ口がカードの入れ口と似ていて、表記はあるもののたぶん高齢者にはわかりにくく、お札もうまく入れられないと思います。駅名が書いてあるわけではなく、金額の書いてあるボタンを押す。と言うことはそこまでの切符がいくらかかるのかがわからないと買えないわけで、上の方の駅名と金額の書いてあるところ、まず行きたい駅がどの辺にあるのかがわからないと、金額もわからないわけです。

私は往復で切符を買ったのですが、出てきた切符は一枚?に見えたら、ぴったりくっついて2枚同じもの(矢印が両方向になっている)出てきて戸惑いました。

そして、改札口。

切符(小さい)もカードの入れ口も同じところだったので、小さい切符に対して入れ口が大きいので、ここに通していいのか戸惑いました。出るときも一緒。

そして、駅から目的の建物までも国道を横切る為、地下道をくぐるか、少し歩いて横断歩道のあるところまで行くか。どちらにしても大きな荷物を持っていると大変。

帰りは来た時よりも疲れているわけで、駅の階段(どうしても階段や段差は駅の構造上しかたないですが)がきつい。そして改札口は幅的にもスピード的にも通りにくい。混んでいるときは余計に早くしなくてはと思って焦るので余計にもたもたしてしまう。

電車はすぐ来たけれど、家に帰るバスの本数が昼間は1時間に1本なので、次に近いバス(これも30分に1本、もっと本数のあるバスに乗るには信号を2つ渡っていくか地下道で行くかなので、待つ方を選んだ)に乗り、家まで15分ほど歩いた。

我が家は大きな病院に行くバスがあるのだけれど、土日は休診の為本数ががくっと減ってしまうのだ。

つまり、例えば家族が入院していると、その病院に行くのはバスで行くのは大変になる。Gオさんのお姉さんになる人が身寄りがなく、Gオさんが身元引受人になっていたため、田舎の方の総合病院に緊急入院した時、JRとバスで行こうと思ったが、普段からバスは1時間に1本。土日は1日に2本しかなくて、Gオさんに運転させる訳には行かないと、私が送迎したことがあった...( = =) トオイメ目。今はとてもそんな元気はない。

入院の見舞いだけではなく、Gオさんのお姉さんのように田舎の方の病院だと、通院も車を運転できなくなるととても大変になるわけですよね。

病院だけでなく、買い物も。

今現実にBこさんの通院だの、美容院(洗髪の為週1回)…ほぼほぼ毎日Bこさん関連ですわ。お昼だって、私が出かけるときはオットがスーパーなどに買いに行き(車で)ますので、車が使えなくなると、ほんと大変になります。オットは前期高齢者ですので、そろそろ運転をいつまでするかを(出来るかどうかではなく)真剣に考えなくてはなりませんが、Bこさんがご存命中は難しいですね…。病院もすぐ近くでも車で行かなくてはならないので、というか、Bこさんを車に乗り降りさせるのに大変でして…。

でもでも、オット、最近、非常に怪しい…色んな意味で。認知の面でも、運転技術の面でも、健康面でも。

ただ、早く車から脱却しないと、ますます体の方は大変になって来るので、この事故を起こした高齢者のように「足が不自由になって」しまうと益々車をやめるのは難しくなってしまいますよね。かといって、タクシーを使っていたんでは(もっとも車も維持費が掛かりますが)家計が持たないですし。いや今の時点で医療費、かなり家計に負担が掛かっていますから。要介護の認定を受けた人は、通院には介護タクシーが使えますがそうでない人は介護タクシーは高くて使えませんし、介護認定を受けても介護タクシーの使えるのは前月からの予約と予約もケアマネを通してOKが出た時だけ。

必要な医療を受けない人や介護を受けない(受けれない)人が多くなってしまうでしょうね。介護認定も(私はもうBこさんに関してはあきらめましたけど)なかなか厳しく、自立や要支援の判定を受ける人が多くなるだろうし、実際、Bこさんの場合要支援なので、「介護予防のための支援(自分でその会場まで歩いて行き支援員はいるものの、原則自分でやる)」を受けられるのですが、自分で行くことが出来ないので、利用できません。結局デイサービスの利用ですが、入浴も一応自立との事で、優先順位が低く入浴できるようになるまで何年か掛かりました。

と言う訳で、なかなか、高齢者が車の運転をやめるのは現実的には非常に難しいという現実があるなあというのが実感です。

いやあ、ほんと難しい問題です…。

 

 

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白内障の手術前後 その5

2019年04月16日 | 医療

両目の白内障の手術(4泊5日)の様子です。

  その1 その2 その3 その4の続きです。

4人部屋では、それなりに楽しく過ごしていましたが、ひとり、ちょっとねと言う人がいました。歳は70才丁度と言っていましたが、とにかくじっとしていられない。夜早く寝るので、朝3時か4時に目が覚めてしまい、5時には起きていろいろやっているそうなんですが、この病院では

9時就寝、朝6時起床。起床すぐに4つの血圧計を4人にはめ、おでこで瞬時に計測する体温計で4人を順繰りに測り、そして今度は血圧計を確認して記録していきます。就寝時は4人がベットに寝ているかを確認して、看護師さんが消灯。起床も同じく看護師さんが部屋の電気をつけ、4人がベットに横になっている状態で、流れ作業で測定していくわけです。つまり「4人同時に」やって、時間を節約しているわけです。

ところが、この困ったさんが、朝6時の起床時に居なかった。談話室だのトイレを見たがいなかったとの事で、何度か看護師さんが探しに来ました。6時半ごろ、さすがに心配になって、探しに行くと、呑気にトイレの洗面所をお掃除中。

「看護師さんが探していましたよ。」と至急ナースステーションに行くように促すと、慌ててナースステーションに行ってましたが、丁度厳しい看護師さんの担当の日だったこともあり、結構しかられたようです。

5時ごろに起きだして、まだ電気のついていない食堂の中に入っていたそうな。食堂は食事の時以外は普通入らないところです。

そしてあるはずの眼帯がない!

先に手術した時もその晩に外れてしまって、夜中に看護師さんにとめてもらったのですが、今回も外れてしまい、今回はもういいよと言われたらしいのですが、なぜ、その人だけ外れてしまうのでしょうか?不思議です。

また、7時半に食事で8時に診察に行くこともあり、とにかく、6時まではベットに居ましょう。検温も血圧測定も寝たままやるので、看護師さんが来るまでは寝て待ちましょう。診察時間には(いつも最後に来る)一緒に行きましょう。と念を押し、無事?食事、診察が終わりました。

眼帯をとってもらうと、本当に世の中が文字通り明るくなっていて、皆であれも見える、此れも見えると喜んだのですが、喜んでいる人ばかりではなく、手術前と変わらないと言っている人もいました。

よく、見えるのですが、とにかくまぶしくて、部屋に帰ると、部屋の電気もですが、窓の外のコンクリートが太陽の光の照り返しで目が開けられないほどまぶしかったのです。そこで、部屋の電気を消し、カーテンを閉めて、困ったさん以外の3人はカーテンを閉めてベットイン。目に明かりが当たると鈍痛があるのです。

と、そこへ困ったさんがやってきて、明るくしようとするので、皆まぶしいので閉めたし、カーテンを閉めていたい時もあるから開けないでほしい。困ったさんも疲れていませんか?私たちはちょっと静かにしていたいので、横になっていますから。困ったさんも安静にしていたほうがいいんじゃないですか?

困ったさん曰く、私が開けないと開けれないと思って、なんて言っているので、皆ひとりでなんでもできるので、大丈夫です。電気も看護師さんが確認しながら消灯していくので、勝手に消さないでくださいね。他、はっきりと言いましたよ。

困ったさんは相変わらず、あちこち出歩き部屋にはろくにいないのですが、私がトイレに入ったら、個室で大きな声で電話をしていました。そして、1時間ぐらい経って、別の人がトイレに行ったら、まだ困ったさんは電話を個室に入ったまましていた!トイレは個室が3つ。そのうちひとつを1時間以上占拠。

困ったさんが帰ってきたところで、「トイレの個室で話していたのが丸聞こえだったよ。」と言うと、「え~(ダメなの?というニュアンス)!だって妹とはいつも最低でも1時間は話をするから。」

いや、ここは病棟ですから(-_-)/~~~ピシー!ピシー!

「だって、中で話をしてても、(他に個室があるから)大丈夫だと思って。」

だそうです。

まあ、この人とも明日の朝にはお別れですから。もう一晩だけです。

ところで、ここの食事はHPで見た時にはなかなかよさそうと思ったのですが(入院した人の評判は悪くないらしい)味はいいのですが、肉気が少ない。タンパク質のものがかなり少ないです。卵すら1個分出てきたことがないし、鶏肉のソテーが一度出ましたが、豚はもちろん、牛などは欠片もなく、マーボー豆腐、春巻き(揚げてない、中にジャガイモが入って焼いて半分に切ったもの)、おでん(卵は半分、骨付き手羽元が1本)が夕飯のメニュー。揚げ物は一度もなし。男性軍はかなり不満じゃないですかね。

一応、言うことを言い、平和になった4人部屋の最後の夜は、静かに過ぎました。→最終編に続く~~。

 

 

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白内障手術前後その4

2019年04月07日 | 医療

約1ヶ月弱前に受けた白内障の手術の様子 

  その1その2その3 の続きです。

白内障の手術を受ける気になったのは、もちろん、見にくいはありましたが、丁度時期的に(年度替わりの時には行政の委託の仕事が2月から4月初めまでほぼほぼなくなる)たまに受ける仕事が暇になると言うことが一番の理由でした。

行政の委託と言うのは、予算と関係があるので、年度末は報告をあげないといけないので、私の所属しているNPO法人では1月には〆を始めたい、そして2月末には報告をして、次の予算が下りるかどうかを見て、5月に会員に委託事業の依頼文を発送すると言うことになっています。

最悪予算が下りなければ、仕事はないので、仕事の依頼文が出せない。更に今年は改元があるので、いろいろ面倒な事があり、4月末に依頼文を出すと言うことになりました。

仕事は不定期で受けたら必ず誰かが行かなくてはならないので、急な出勤もある為、5月以降は予定が立てにくいと言う事がありました。

つまり、必要に迫られてと言うよりも、どうせやらなくてはならないなら、今しかないという選択肢で受けた手術でした。

片目だけクリアになっただけで、ものすごく見える(あとで考えたら左目が利き目であったことと、圧倒的に左目が矯正視力が低かった=矯正できなかった)手術後の眼帯が取れ、朝の診察後は次の日の右目の手術までの丸一日半(手術は午後)暇で暇でとなりました。

そこで、例の丁度70才の彼女のうろうろと、おしゃべりがちとうるさい問題となりました。

とにかく、締め切っているのがイヤ、そして、朝も毎朝4時か5時には起きると言う彼女は、人の領域も勝手に開ける、電気をつける、と言うことをし、明け放したまま、そして、携帯電話を置いたまま!どこかへ行ってしまうのです。

せめて携帯電話を持って行けばいいじゃないですか。

ところが、マナーモードにもせず、しょっちゅう、ベットの真ん中に鎮座している携帯が高らかに鳴る。そして、誰も出んわ→また鳴る→出ない→また鳴るを繰り返しているのです。

友達も多くいるらしく、家族だけでなく近くに住んでいるとかいう友達からも何度も電話が入っていたようです。

そして、直ぐ充電しなくてはとなって、他の人のところのコンセント(自分のベット脇にもあるんですけどね、さし難いとか言って)で充電したまま(自分は睡眠導入剤でとっとと就寝=この時も勝手に電気を消してしまう)寝てしまったりして、迷惑なんですよね~~。

食事の時もとにかくしゃべっていてなかなか食べられず、3日目の朝には、食事中に看護師さんがわざわざ「7時半に食事で8時に診察ですからゆっくり食べたり、話をしている暇はありませんよ。早く食事を済ませて8時には診察室の前に行ってください。」と注意に来たほど。

3日目は反対側の目の手術ですので、一応安静日。みんなも静かにしていたいのに、かまわず大声でしゃべる、話しかける。そして、話をしながらなぜか顔そり器でぶ~~ン?び~~ン?顔の産毛だか、髭だかを剃っているらしいのですが、持ってくる?そんなもの。洗面所に持って行ってやれや!

午前中は私も何も言わなかったんですが、午後の手術前は(また、私が1番先なので昼食後には安静に入っていた)安静にしたいのに、カーテンを開けてしまうので、はっきり「安静にしたいので閉めておいて!部屋を開けると丸見えになるから、落ち着かないし、着替えもあるから開けないでおいて」と言いました。

実際、手術前は着替えなくてはならないし、心電図も図るので、胸元も見えてしまいますし、まだ、寒い時期でしたしね。

一応、私と彼女の間のカーテンは閉めたのですが、おしゃべりは止まりませんでした。

2時過ぎ私は手術の準備、左目と同じような行程で手術室に。流れ作業も前回と同じ。無言の先生も同じく。

ただですね、一言「あ、切れちゃった!」と先生。「何が切れたんだ?まさかチン氏帯?」なんて不安になってしまって、そのあとは我ながらこんなにドキドキするかなと思うぐらい、どきどきしちゃいました。そのあとまた、先生無言。必死でぼんやり見える明かりを見つめ続ける私。

「終わりました。」と同時に左右前後から、様々外し、眼帯素早く止め、「はい、車いすに乗って!」乗るか乗らないかでもう動き始める(足がまだ足置きに置いてないのにね~!)車いす。ぶい~~んと外に移動させられ、そこで、次の人とタッチ交代。

ベットに戻され、安静の時間。

さすがに疲れて、うとうとしていたら、やってきたよ!間の悪いオットが!

来てくれるとしたら、今日しかないなあとは思ったんですけど、寝ていたかったので、ちょっとばかり私は不服。それに、出来れば面会室で面会したかったんですけどね、それが出来ないじゃないですか。今来たらさ!隣にメンドクサイ御仁がいるもので、その人に聞かれたくないし。

オットの報告によれば、オット母Bこさんは取ったお弁当もオットが用意したものも、残さず食べているそうな。お弁当も美味しいらしい。まあ、美味しくなければ、何も言わずに食べることはないので、まあ、文句言わず食べていればいいでしょ。私もオット母Bこさんの事を気に掛けないわけではないですけど、気にしても仕方ないし、やりたいようにする人なので、オットに任せてなんの憂いもなくおりますです。

その日は、私の後に同室の人2人も終わったのですが、そのあと入った手術の人で、時間が予定よりも掛かった人がいて、(予定が1時間の所3時間)最後の人が手術室に入ったのは7時過ぎでした。例のうるさい人ではなかったんですけどね。その人は、ラジオやCDを聞きながら静かにしているのに、例の方がいろいろ余計なことをしゃべっているので、自身も含めて、今日は静かにしていたほうがいいんじゃないですか?と言ったりましたよ。

と、静かにしていられないんでしょうね、またまた、携帯電話を置いてどこかに行ってしまいました。の~で~、その間に他の人と相談。聞いてみると、皆うるさいと思っていたし、カーテンを開けられるのは嫌だと言っていました。朝も勝手に電気をつけたり夜も勝手に消してしまうのも困ると。なので、ちょっと様子を見て、その人に話してみることにしました。

まずは、夜寝る時です。看護師さんが来て、部屋の中を確認して消灯してくれるし、着替えもあるので、カーテンは閉めておきますよ。朝も看護師さんが血圧などを測りに来て電気をつけてくれるので、それまでは横になっていたほうがいいですよと。

そうして、洗面所では熱いお湯が出るので、頭髪もタオルでふきふきして、結構さっぱり。部屋でカーテンを閉めて、体の方も蒸しタオルで。お湯がつかえれば、何とかなりますね。総合病院では朝蒸しタオルが出て、自分で出来ない人は看護師さんがやってくれるんですけど、こちらでは、そういうことがないので、自分で考えてやらないと清潔が保てないのです。これ、結構大事な事だと思うんですけど、そこら辺が眼科だけだと、行き届かないですかね。

後で調べると、頭髪を洗わなければ、シャワーはOKと言う病院も多いようです。

なんと、駅ビルの中の眼科、土日も白内障の手術が出来ますってところがありましたよ。お勤めの忙しい方に最適!って、それはそれでどうなの?って思いますよ。

 

一応、その夜はまあまあ、無事に過ぎました。

片目は塞がっているし、やはり多少の痛みはあるので、熟睡とはいきませんけど。

次の日の朝、ちょっとした騒動があったのです。それはその5に続きます。

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白内障手術前後 その3

2019年04月01日 | 医療

新年号発表前のなんだか落ち着かない中の、白内障のお話です( ̄▽ ̄;)

手術前後その1 その2の続きです。白内障の手術についてはその前の説明の記事をご覧ください。

左目の手術は25人いる同日の手術の人の中で私は1番先にやってもらいました。その理由は、ゴムの接触アレルギーがある為であったことが、手術後の安静がとけるときの看護師さんの話からわかりました。

ゴムの接触アレルギーはラテックスアレルギーと言うそうです。2年前と3年前の上顎洞の嚢胞をとる手術の時には、術者のゴム手袋をラテックスアレルギー用のものにかえると言うぐらいでしたが、今回は目の中と言うことで、他の人を先に手術すると、その時に残っていたゴムのかけらが目の中に入る恐れがあるので、一番先に行って、そういう危険性を排除したそうです。

私が一番先にやってもらい、その後数人の日帰り手術の人を行い、そのあと、入院の人を順番に行ったようです。なんと、一番最後の人(緑内障の方だったようです)は終わったのが7時過ぎだったそうで、朝から待っていた人たちにはちょっと申し訳ないような気分です。

そして、1夜明け、(手術直後は次の日の朝看護師さんが顔をふく)7時半に朝食、8時に診察室の方に向かい(入院している20人まとまって)、何人ずつかまとまってまず顔を看護師さんが拭いていく。そして、眼帯をべっべっとはがして行く。そして、目の周りの洗浄。

手術の時もそうでしたけど、このべり!は、ほんと容赦ありません。まあ、勢いよくやったほうが痛みはないかとは思いますけどねえ。

夜の間、眼の中から汁状のものが出てきていたのは感じてはいましたが、眼帯の中、そして目の周り、「私は」結構な出血がありました。他の人はそんなことはなかったようですので、やはり、少し大きく切開したのではないかと思いました。(目頭のまわりのこびりついたのはごしごしできないとの事で、そのまま何回かのそのあとの点眼後の洗浄で取れてきました。)

はがした瞬間、ほんと、一言で言うとまぶしい!と思いました。そして、え~~?と思うほど、クリア(まだ片目だけなのに)に見えました。その後、角膜の上の細胞の状態の検査等が行われ、8時半すぎに診察。(この時、待合室には診察待ちの人が多数います。日帰りの手術の人も今日診察に来ているはずですが、その人たちは診察待ちの間に入っての診察で、後日受けた時には8時半に来て、診察は午後2時過ぎでした)中の待合に大きな画面があって、そこにTVだの、いろんな情報を流しているのですが、え~~と思うほど、きれいでした。はあ~~、世の中、こんなに明るかったのね~~。

診察では、異常なし、でしたが、部屋に帰って鏡を見ると、白目が赤目になっているし、白目がぶよぶよになっていて、そして、黒目は光彩の色がほぼ白に近いぐらいのグレー(以前は明るい茶色だった)で、今までどちらかというと出目(特に左目はコンタクトレンズもカーブを強くして作ってもらった)だったのに、引っ込んで見える(白目がむくんでいるからか?)。よく見えるようになっただけに、逆に気持ち悪く感じるのよ。

目薬が3種類出て、其の点眼の仕方や注意が詳しく行われ、目の周りの洗浄の仕方もレクチャーされました。

私は、その前にドライアイ、アレルギー、そして緑内障の目薬をさしていたので、(まだこの時は手術前の右目は今まで通りの目薬をさす)それほど、大変ではなかったですが、まだ、手術前の方は、手術日3日前から刺している防菌剤の点眼薬を刺すという、複雑さ。

年齢の多い人ばかりなので(70代80代)なかなか理解が出来ないようでした。といっても、例のうろちょろする人以外は、出来るようになりましたけどね。例の方、理解力がないのか、思い込みで動いてしまうのか、この後もなかなか困ったちゃんぶりを発揮致します。

目の痛みの方は、たぶん切開した部分がちくちくする感じと、灯りが目に入るとどお~んとした鈍い痛みを感じます。あと、コンタクトレンズを入れっぱなしにしてしまった時のようなゴロゴロ感があります。

朝は忙しかったのですが、この日は他には何もないので、することもなく、暇な一日が過ぎて行くのです。

その4に続く~~

※間もなく新年号が発表されます。

 

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