goo blog サービス終了のお知らせ 

曲がり角で 迷いながら

自分も家族も人生の曲がり角に。戸惑いの中の日々を迷いうろついています。

眼科転院→後発白内障手術→1週間後の治療

2025年02月07日 | 医療

10年以上通った眼科を思い切って転院した話の続きです。

担当医が週2日の診察日に行かなくてはならず、今週は早朝から午後3時までの仕事の日でしたが、3時40分に診察券を出して、検査、診察、そして薬をもらうまで、2時間弱で終了しました。わ~~い!

今までの眼科だと、朝9時半に行って、診察が早くて2時半、遅いと4時過ぎ。検査の予約が午後しか取れない時には、7時過ぎまで掛かり、それから薬局に行くことは出来ず、バスも少なくなってしまうので、家に帰るのが8時頃になり、薬は次の日に近くの薬局で貰うと言うことになります。

それでもって、時々先生の機嫌が悪いと気分は悪いし、何も聞けないし、待ち時間は長すぎだし、最近じゃあ近くの商店街はシャッター街になってしまって、時間をつぶすのに、スタバとかになり、おひとり様のできないよし子には非常に困る状態なんですよね( ̄▽ ̄;)

それが、仕事終わりによっても余裕!

しかも説明も丁寧だし、薬局も眼科専属の薬局なので、目薬の使い方もひとつずつきちんと説明書きがついているし、説明を受けたら、目薬の指し方が間違っているものがありました。今までの薬局では5分開ければ別にどれからさしてもよいと聞いていましたが、これは一番最後にさして、最低でも別の目薬は10分以上はあけてくださいと言われました。

更にアレルギーの目薬は前の先生は「ジェネリックは駄目!」と言ってかなりの高額の目薬でしたが、今度の先生は「この目薬は止めてジェネリックの目薬に切り替えましょう。価格も安くなりますしね。これはもう使わないようにね。」と言ってジェネリックに切り替えました。

緑内障の方は簡易な検査の結果で、ちゃんと円の中を6分割した中の右目は1つ分、左目は6分の3に赤くなっているところが異常があると事なので、やはり緑内障は確かにあるが、眼圧も現在両目とも11なので、これ以上下げる必要はないとは思います。詳しい検査を4月に行い、その結果目薬をどうするか考えましょう。それまでは緑内障の目薬は今までのものを使ってください。

との事で、ほんと、ストレスフリーとなりました。仕事ではちょっと、いや結構嫌な事があったのですが、診察を受けて心が軽くなったよし子がお送りしました。


掛かりつけ医 変更するかどうか?

2025年01月26日 | 医療

眼科の掛かりつけ医の体調不良による休診を受けて、今後どうするか迷いに迷っています。

10年以上の正常眼圧緑内障での通院があり、先日は隅角閉鎖による光彩凝固術なる、レーザー手術も昨年8月に受けています。

眼圧は当初20で正常眼圧なのですが、緑内障の進行を留めるために眼圧を8にしたいと年々眼圧の目薬は増えるばかり。朝3本(薬液は4種)夜4本(薬液5種)の眼圧を下げるための目薬をさし、日中(一日数回)そこにアレルギーとドライアイの目薬も加わり、目薬をさすだけでなかなかのもんですよ。

オットも40歳ぐらいから緑内障の治療をしていますが、そんなにたくさんの目薬はさしてないです。(別の眼科です)

実は先日目の検査をしたときに右目が曇っているのがはっきりとわかり、見えにくいのが老眼が進んできたのかなと思っていたのですが、その後何度片目ずつ見ても右目は曇り、左目ははっきり見えるので、本当は早く診察を受けたいと思っているのですが、HPを確認したところ、診察は来週から開始するのですが、当面、開始時間は遅くなるか午後のみとなるようです。

今まで、朝9時半に順番を取りに行って、診察が午後2~4時。ちょっと順番を取りに行くのが遅くなると7時ごろの診察で、薬局は終了しているので、別日に薬局に行くはめになり、そして今の薬剤不足で一度ですべての薬が出してもらえることはまずない。何かが不足するので、どうかするとすぐ欲しい薬がもらえないこともあります。ですので、あまりぎりぎりに行くのはリスクが高い。

むむむむ!

やはり医院を変えるか?

こんなに目薬が必要かについては、ずっと疑問に思っていたので、一度変えてみようか?それにだんだん高齢になると、通院が大変になって来るので、少しでも通いやすいところの方がいいよねえ。

変えよう!とやっと決心をしたよし子がお送りしました。


掛かりつけ医 突然の休診

2025年01月21日 | 医療

緑内障でずっとかかっている眼科。いつも朝行って夕方あるいは夜にやっと帰宅できるぐらい、混み合う医院なんですが、今日予約日で用意万端整えて(夕飯の支度もして)順番を取りに行ったら、なんと

「本日院長の体調不良により休診となります。なお検査は予定通り行います。」

とありまして、マイナンバーカードの認証の器械って言うんですかね、マイナンバーカードの入れ口をふさぐ形で書いてありました。

受け付けは電話の対応に追われており、受付が、受け付けられない状態。しばし待って、事情を聴くと、一応1週間の加療が必要で、もしかしたらもう少し長引くかもとの事。もう目薬が無くなりそうなので(10日ほど前に目薬が無くなった1種類のみ1本出してもらった状態。)とりあえず薬だけもらえないかと聞いたが今日は出せないとの事。

医師の復帰が長引いた時は、そこまでのぎりぎりの量の目薬しか出せないとの事。これを機によそに代わるかなんて思ったら、なんとしても検査だけは受けて行くように。今日の医療費は掛らない(次回診察時に請求との事)いつも検査後1週間以内に来院するようにと言われているが、もしも長引いたら事情が事情なので、間が開いてもいいので、兎に角検査を受けるようにと言われ、検査の最初の予定時間より早めにやってくれました。

この先生、時々ヒステリーならぬオステリーを起し、結構叱られたりするのと、今LINEで予約を受けたりのシステムがあるじゃないですか?順番とってその時間に間に合わないと先生お怒りで、「出来るだけいてください、」だし、街中とは言え、最近私ごひいきの店舗が次々閉店してしまい、時間をつぶすところもないし、ぶらぶらしても足がくたびれるだけだし、じゃあ家にかえって出直すってなると、バスが値上がりし往復500円、2往復すればこれて1000円ですよ。医療費も目薬2,3ヶ月分で1万円超えだし、もちろん診察料も安くて2000円、検査によっては5000円ぐらいかかるし、外食すればそれだけかかるしねえ。ひとりでカフェなんて言っても、落ち着かなくってねえ、長居は出来ないし。

だんだん通いにくくなったし、これからどんどん体の方も大変になって来るので、近い眼科に変わろうかな~~と思っています。

本当は紹介状があったほうが良いんでしょうけど、仕方ないかなあ~~。

しょうがないかなあ~~と思い悩むよしこがお送りしました。✩石川慶子✩


マイナンバーカード問題 及び ペイペイ

2023年04月20日 | 医療

マイナンバーカードを作るかどうかさんざん悩んだ末、健康保険証がなくなる、そして4月1日からは医療機関では本格的にマイナンバーカードを使用するとあったので、3月末までに手続きが終わるように、頑張ったのですが、カードを受け取り、それでは終わらず、健康保険証としてつかえるようにする手続きが必要と言われ、戸惑うわたし。

いや、手続きは良いですよ。

で、そこで、ペイペイか、カード登録をしなくてはならないと言う問題が起き、そりゃ、そういうのに慣れている人はいいですが、カードの使用も極力避けていて、更にペイペイなんかやらないぞなんて思っている、かた~~い頭の私には到底理解できない、つうか、いくら手伝ってもらっても、手伝ってもらいたいのは入力画面でありまして、そこのところは市役所ではやってはくれません。あくまで自分で入力です。

いやあ、もうね、パスワードとはなんとか、ほんとイヤ!

画面が・・・・ってなっているから、正しく打ち込んだのかわからないんですよ。

だいだい、画面が小さすぎるし(^_^;)

眼は見えないし~~。指さきは曲がっているので、正しく打ち込むにはポチするところが大幅に小さすぎるんですよ。

あれ、皆出来ているのがすごいとは思いますが、正直言って、もうね、せっかく契約したばかりのスマホですが、捨てたくなりましたよ。本気で契約解除しようかと思ったですよ。

もう、BABAはBABA用の呼び出しだけの見守り携帯にしようかと、思いましたよ。

今でこれですから、この先は絶望的です。

でもまあ、なんとか携帯ショップのアドバイザーが誘導してくれて、マイナーポイントもペイペイに入れてもらって、やっとやっと、ペイペイデビューです。

でも、ショップの方もペイペイのやり方がわからず、他の店員を呼びに走る事も度々ありますわ( ̄▽ ̄;)

健康保険証のマイナンバーカードを使用できない医院も結構ありまして、本格導入は遠い話ですなあ~~。

つうか皆持ち歩かない模様です。

ま、私も最初しまい込む予定でしたが、一応医療機関での診察や薬剤情報は共有できるので、(マイナンバーカード読み取り機でいちいち底入力しますけどね)お薬手帳を持ち歩かなくてもよくなるハズです。あくまでハズですですが。

やっとやっと、マイナンバーカードとペイペイが使えるようになってきたよしこがお送りしました。


5年来なくていいと言われて撃沈!

2023年04月14日 | 医療

70才男子 わたくしめのオットでございます。

先日オット母が亡くなり、名実ともに世帯主ではございますが、昔は世帯主といえば、「エッヘン<(`^´)>」と言う立場であったでありましょうが、単なる高齢者でありますよ。

めでたく前期高齢者の冠を頂きましたが、まあ、なんだかんだ言いながらも頼りにしていたであろう母親を亡くし、心理的にもぽっきんしたんでしょうね。

胃が~~とか喉があ~~とか、食後の違和感?(よくわからないが)喉の詰まり感?で、胃カメラその他検査を受け一度撃沈しております。

が、本人納得できず更に「ピロリ菌」の検査を受けてまいりました。

結果 ピロリ菌は巣くってはおらず、先日も言いましたが、胃の粘膜、全く問題なし。

であるので、今後

5年間は検査の必要なし!

その代わり、食べないほうが良いもの、控えたほうが良い食べ物のパンフレットを持たされて、長生きしたければ気をつけてね~~~(@^^)/~~~

と言われて、しょんぼりしているオットであります。

ので、今の所、油、脂を控え等心臓の方でも言われた食生活の改善に向けて(はっきり言って私は守っているからね。勝手に色々買ってくるのはオットでございますよ(笑))心している模様。

まあ、これがいつまで続きますかね~~と冷たくヨコメで見ているよしこがお送りしました。(@^^)/~~~


Bこさん、早朝の転倒からの騒ぎ その11(無事転院)

2022年11月15日 | 医療

Bこさん、早朝の転倒からの騒ぎ その10 の続きです。

オット母95才、もう、この年齢だと高齢よりグレードアップし「超高齢」となるようです。

健康保険だと、前期高齢者後期高齢者で言うと後期高齢者ですが、今に健康保険でも超高齢者なんて区分が出るかもしれないですね。

転倒した後の様子がおかしいと、軽く?診察だけしてもらってと思ったら、要するに拒否とまでは行かないかもしれないですが、うちでは診れない、総合病院へ。それも救急車を呼ぶようにとの指示で、(まだその時は診察だけですぐ帰られてしまうだろうと思っていた)思いがけず入院。

すぐ退院だろうと思ったら、もう治ることのない所謂「超高齢」の為の様々な機能不全?、ほんとに?ってなっているんですよ。原因不明、しいて言うなら「超高齢」まあ、老衰と言う事なんですねえ。

で、施設では無理、医療的ケアがある療養型病院へ入院。となったのですが、オットもBこさんも実はそこへは行きたくない、行かせたくないと思っている。ヨメの私は、その辺往生してくれと思う訳ですが、たぶん2人ともいろんな思いがあっての転院だったかと想像しています。

転院にはオット曰く、ひとりしか付き添えないと言うので(あとでこれはオットのついた嘘だったとわかります。)私は家で待機してました。まあまず呼び出されることはないだろうと思っていたので、自身の体調不良もあり、横になっていました。

思った以上に時間が掛かり心配しましたが、転院先でも何にものスタッフから説明を受けながら、またまた様々な書類にサインをしてきた模様です。Bこさんは相変わらず人使い荒く、ああしろこうしろと口うるさく言っていたとの事ではありましたが、家に帰りたいとか言ってごねる事は無かったようです。

療養型とはいえ、外泊もあるのではないか(例えばお正月など)と思っていたのですが、全く外に出ることは出来ない状態だとの事です。

オットが持ち帰ってきたのは大量の洗濯物と、持って行った服(寝間着類)も箸、コップなども全て返されてきました。着るものも衛生用品も全て向こうにあるものを使用し、備品は病院で買って使用。当然それは料金が掛かりますが、紙おむつやパットも必要なく(転院前は全て買って届けなくてはならなかった)身一つでの入院生活。

もしもTVを見たいときは病室に自分用のTVを持ち込んで接続してもらうことが出来るとの事で、その説明を受けたオットは早速一番小さなTVを買って持ち込みました。と言っても届けただけで接続も向こうでやってくれたそうです。 

契約の一つに「コロナにり患した時」と言うのがあり、コロナに掛かってしまったら感染病棟に移動。面会は勿論、死亡した場合対面も出来ないと言う事を承諾するようにとの契約書がありました。

面会が出来ないのは、コロナにり患していなくてもなんですが。

面会が許可されるのが危篤になった時と言うのは何とも辛いものがありますよね。Bこさんの場合発熱解熱を繰り返していることからコロナだけでなく感染症が一番命取りになる。また誤嚥性肺炎のリスクが高いため、食事がとれなくなった時に経管栄養は出来ない。手術なども出来ないので、胃ろうも出来ないので、食事がとれなくなったら、それから数日で死に至ると書かれていました。また、辻褄の合わないことを言うなど認知症も進行している為意思の疎通が取れない。体を起こすことが出来ず、入浴も出来ないため褥瘡がひどくなっているのでその手当もしていくとありました。

オットが一番堪えたのは「認知症の進行」と言う事だったようです。

オットから様子を聞いたり、書類を見ると、「もうBこさんはここへ帰ってくることは出来ないんだ。」と言う事がひしひしと感じられ、さすがにオットも私も数日落ち込んで過ごしました。

オットの心臓の検査は1週遅らせて実施。

結果は「定期的に検査を継続し経過観察」となり、ちょっと一段落。

私もどうしてもの仕事だけにして、ほかは皆仕事はお断りしていたので、しばらく自由になって時間が出来たはずなのに、ほおけたようになってしばらく過ごしていました。

でもそれも長くは続かなかったのです。この顛末はまた次回に。

しつこくよし子がお送りしました(@^^)/~~~

 


Bこさん、早朝の転倒からの騒ぎ その10(転院)

2022年11月08日 | 医療

オット母Bこさんが、早朝に転倒してからの騒ぎシリーズのその9の続きです。

思いがけない入院から療養型病院への転院を言い渡されてから2週間。

その日は突然やってきました。

オット(Bこさんの長男)はいわゆる心労ってやつでしょうか、以前から調子の悪かった心臓の方が怪しげになり、オット母Bこさんの入院先と同じ病院で心臓の検査の予約をしていました。検査の前日の朝、「明日の朝8時半に転院できるか?」との電話がかかってきました。

実はオット母にオット弟は、面会できておりません。

もしも面会するなら転院の日の移動の時に会うチャンスがあるのではないかと思っていたのすが、明日の朝と言うのはあまりに急ですし、オットは検査が10時の予約。もしかしたら、検査後そのままカテーテルを入れるかもしてないと言う状況で、朝8時半!

さてどうしようか?

とりあえず、Bこさんの転院を午後に出来ないか交渉。

午後なら義弟も間に合うかもだし、オットも検査に合格すればまあ、すっきりとは行かないですけど、転院に間に合うかもです。

交渉の結果、一応午後1時の転院は可能。但し、12時半には入院病棟で手続きが必要。東京にいる弟(Bこさんの次男)に面会は可能かと確認すると、「県外は面会できません。当日も付き添いはひとりだけです。」との事で、少なくとも義弟の付き添いは出来ない。そして、この機を逃すと、今度いつ転院できるかわからないと言われ、やはり、明日の転院はやむなしとなりました。

さて、今後の事を考えると、やはり実子であるオットが付き添うのがいいだろうと、オットの検査の方の日延べをお願いすることにしました。(まあこちらもなかなか大変だった。担当医が不在だったりして確認がなかなか取れなかった。)オットの命だってももしかしたらBこさんより短い事も考えられる状況でして、究極の選択となりました。

この間何回電話を掛けなくてはならなかったか…。

それにいざ転院となると、オットの気持ちすなわち心臓の方にも悪いわけで、文字通り顔色が悪くなってしまいました。

無事オットの検査日は1週間後に予約を取り直し、Bこさんの転院はやはり朝ではなく午後一番でお願いしました。

さて困ったのが書類の保証人の所でした。オット以外に保証人が2人。1人は私達のムスコ(Bこさんから見ると孫)1人はオット弟に頼むつもりでいましたが、義弟は明日は来れないとの事で、これは内緒の話になりますが、私が代筆して提出することに。

他にも色々書類がありまして、転院後の荷物はそれほどないものの、それなりに準備を慌ただしく行いました。

転院の連絡があってからまあその、当然の事ではありますが、オットの動揺は激しくて、心臓の検査を日延べして大丈夫だったんだろうかと心配になりましたよ。

Bこさんの、現在の様子というか姿を全く見てないので、どんな状況なのか想像がつきません。一番は精神的にどうなのかです。もしかしたら、家に帰りたいと困らせるかも知れないしと、オットも眠れない夜だったと思いますが、私も不安な夜を過ごしました。

午後1番の転院に備えて、午前中から病院に出かけて行ったオットが無事帰って来たのはもう夕方になってからでした。

転院の顛末は次回お知らせします。この後はますます激動?になっていきます。長々になって申し訳ありません。最後までお付き合いいただけるとうれしいよし子がお送りしました~~。(@^^)/~~~


Bこさん、早朝の転倒からの騒ぎ その9(転院できるまで)

2022年10月30日 | 医療

Bこさん、早朝の転倒からの騒ぎ その8の続きです。

Bこさんは95歳と高齢の為、当然介護も必要(入院中での筋力低下が著しい)。要介護2を申請しなおすと2年前からこちらは訴えていますが、本人が介護の方での利用は好まずなので、要介護2の状態でも利用が少ないため利用の範囲内との事と、コロナ禍であるため申請を渋られておりました。

入院直前にはかなりの歩行困難となっていましたので、さすがにケアマネも介護度の見直しが必要と判断し、動き出すところ(毎年11月が見直しの時期)でした。その時にはまあ、介護度はあがっても本人は利用をしないので、あまり意味のないものと思っていましたが、今回療養型病院へ転院となると、介護度が低いうえに、胃ろうも選択していないこともあり、逆に受け入れ先が限られてしまい、なんとか転院することは確認できましたが、自分たちで転院先で、(もちろん、現在の総合病院からの資料はいっているものの)具体的な面談と説明を受けなければなりません。そのうえで、空きが出たら(つまりどなたかがお亡くなりになれば)と言うことになるので、転院がいつできるかは不明との事でした。

兎に角、転院させてくれるS病院にオットが電話。日程を調整しますが、一番早くて10日後、それがだめなら2週間以上後になるとの事で、10日後のその日は私は生憎と仕事でどうしても出なくてはいけない日。(他に行く人がいないため出勤となったし、何度も仕事を変わってもらっているので、これだけは譲れない日)オットはひとりでは無理と言っていましたが、まあ、あれなら義弟に来てもらえばいい事で、逆に血のつながりのない私には出る幕はないんでありますよ。直接命に係わる判断を、ヨメの私がするわけにはいきません。

もう、はっきり言って家に帰ることは出来ず、そこが終の棲家になるわけで、やはり、その判断はヨメがしゃしゃり出る所ではない。

と言う訳で、結局義弟が来ることはなく、オットが一人で説明を受けに行くことになりました。

何人もの担当者(医師看護師ケースワーカーなど)と対面し、かなり丁寧に説明を受けてきたようです。

説明を受けた後、色々書類にもサインをして一旦帰り、更に転院時には出さなければならない書類もたくさんあり、ただでさえ書類の読めないオトコのオットは撃沈。

あんた(私の事)書いてよ~~

なんぞ言っております。

いやあ、私がオットの母親の生命の判断をしちゃいけませんがな!

身元保証人がオット以外に2人必要で、そいつも私にと言いますが、それだけは義弟にやってもらいます。

全く今まで介護なんてやってないんですから、実の息子としての義務ですからね。

もしかしたら転院に向けて一番大変だったのはその辺だったかもしれませんね。

まあ、オットも義弟もある意味めげてます。いやさ、もう95歳の母親だよ、父親はもう10年前に亡くなり、保護者は実子である2人であることの自覚はしておくれ。

で、その自覚を促すべく、画策するヨメのよし子がお送りしましたあ。

まだまだ続きます。(@^^)/~~~


Bこさん、早朝の転倒からの騒ぎ その8(療養型病院転院まで)

2022年10月18日 | 医療

Bこさん、早朝の転倒からの騒ぎもその8まで来ました。

思いがけず救急外来に入院。すぐにも退院させられると覚悟し、自宅介護もいよいよ大変な局面になったと、それなりに準備。オットはオットで有料老人ホームを探しており、義弟もそれに同意。けれども、おいそれと空きが見つかるとも思えず、また見つかったとしても、本人の同意が得られるとは到底思えませんでした。

けれども、Bこさんは入院後急激に体力がなくなってしまったようで(面会できないので実際の様子は想像でしかなく(;^ω^))それまで散々拒否し続けていた紙おむつも否応なくセットされて、大の方だけ、便器で抱えられながら用をする状態だそうで、数ミリの小さな褥瘡のところは、しっかり褥瘡が育っている模様。

食事は何とか自力でこれまた拒否のあった食事用えぷろんを付けて食べている模様。

ソーシャルワーカーとケアマネが相談して、「療養型病院」しかないだろうと言う結論になり、コロナ禍もあり、なかなか受け入れ先がなかったところ、1件だけ受け入れ先が見つかったのですが、そこは、オットもBこさんも「あそこは嫌だ(理由は不明)あんなところに入ったらおしまいだ。」とか言っているところでした。私にはその病院の詳しい事はわからないし、そこしかないなら往生するしかないと思い(じゃあ、イヤだと言って、どうするってんですよ。嫌も応もないわけで)、方法は1つ。S町S病院に転院するしかない。とまずはオットを説得。

オット、しぶしぶ承知。

さて、問題はBこさんですよ。とにかく本人がイヤと言えば転院は無理なんですから。

ソーシャルワーカーに、「実はBこさんもS病院は嫌だと以前から言っていまして、S病院と言うと行かないと言う可能性が高いです。」と伝えました。

そのうち、Bこさんの病棟から、おむつと尿取りパッドを出来れば沢山買ってきてほしいとの連絡が入り、とりあえず、S病院への転院を承知することにしました。

オットは大変不機嫌でしたが、今回病棟前の待合室に直接おむつを持ってきて、そこに出入りしている看護師に声をかけるように言われて、むくれながらオットは必要なものを買いに行き、2人で病棟前待合室で出入りの看護師を捕まえるべくしていました。

なかなか看護師は出てこなくて、何人か出入りしている看護師らしき人に声をかけるも、「ここの病棟担当ではないので」とか「看護師ではありません」とか言われて、ますます、不機嫌になるオット。

と、そこにソーシャルワーカー登場。

「ちょっとBこさんの様子を見てきます。」

しばし待っていると、病棟から戻ってきて

「今日はBこさんは目を覚ましていて、お話が出来ました。Bこさんの方から、なんで私、熱が出たんですかね?と尋ねられたので、尿の通る管が炎症を起こしたようですよ。なかなか熱が下がらないので、どうでしょう、ちょっと病院を変わって、養生しませんか?と言うと、お願いしますとの事でした。

ですので、じゃあ、転院の手続きを取りましょうね。と言うと、どこの病院ですかと聞かれたので、S町の病院ですよ。と言うと、そうですか、お願いしますとの事でした。」

グッジョブです。S病院ではなく、S町の病院と伝えて、納得させてくれたんですね。ありがとうございます。と思わず頭を下げたよし子がお送りしました。

また、S病院の手続きが大変だったんだな。その辺は次回お伝えします~~(@^^)/~~~


Bこさん、早朝の転倒からの騒ぎ その7(ソーシャルワーカ―)との話合い

2022年10月15日 | 医療

やっと「Bこさん、早朝からの…」の話もその7まで来ました。

かかりつけ医が夏休みでなければ入院もなかったかもしれないBこさんですが、夏休みだったばかりに、救急外来に入院になってしまいました。

現在のコロナ禍ですから、当然入院したら面会は禁止。姿のチラも見れないままついに2週間を超えました。

担当医からは、今後の事はソーシャルワーカーと相談してと言われましたが要するにもう自宅に帰ることは出来ない。この後は医療体制のある施設での療養だが、リハビリは無理だろうとの事でした。

その説明のあったのが木曜日。またしばらく待たされるだろうと思っていたら、案外早く、ソーシャルワーカーとの相談日が設けられました。

病棟とは別の、相談室ばかり並ぶエリア前に、専用の待合室があり、何組かの家族が相談を待っていました。

まあ、我が家は完全同居でしかも夫婦で介護にあたっていますし、最近は全てオットが様々な手続きなどをするようになっています。ですので、用意するようにと言われたものも順調に用意できたのですが、遠隔地にいる家族が救急搬送された一人暮らしの母親の入院手続きに来ていると言う方もいました。

急を知らされ駆けつけた家族もたぶん面会も出来ない状態のようで、どこに何があるかわからないので、一応家に行ってみますが、探せないかもと、容態の方も心配でしょうし、文字通り右往左往しており、本当にお気の毒でした。

オットも別に何か用事があるわけじゃなし、待たされたっていいじゃないかと私は思っているんですが、じっと座って待つことが出来ず、オットもうろうろ、「座ってまっってて!」と袖を引っ張り座らせますが、直ぐに立ち上がってしまうオット。

どうどうとなだめながらいると、順番が来て、相談室に通されました。感じの良い方で、私はほっとしましたが、オットにはまどろっこしいようで、説明の間、イライラした様子が隠せません。

入院中の急激な体力低下、筋力低下、紙おむつ使用、皮膚が弱いため、また感染予防のため寝たままの状態での入浴、発熱解熱を繰り返しているが回復の見込みがない、褥瘡手当、認知症発症など、オットには受け入れがたい状態を告げられてしまいました。

ようするに、病院としてはこれ以上治療はないが、施設に移っても発熱する可能性が高く、普通の施設では受け入れてもらえない。逆に、胃ろうなどの処置はしておらず、介護度も2である為、現在受け入れてくれるのはS町のS病院しかないと言われてしまいました。

私は、もうそこしかないならそこにお願いするしかないと思うのですが、なかなかオットは納得しませんでした。

さて、転院は出来たのでしょうか。またまた続きますよ~~。