ここのところ、NPOの活動を中心になって行っていた何人かが、様々な理由から活動を中止しています。その為、普段は受けないような遠方の活動もあり、また、親戚や友人のお葬式が立て続きに入り、普段出かけない所へ出かけておりました。(Bこさんの介護いや支援が始まってからは、自分の冠婚葬祭、同窓会などすべて欠席でした)普段出かけない所の中には、これもあったなあ。(*^-^*)
前半は急に受けた仕事(活動)も、講演まではいきませんが、多くの人の前で話をするというもので、以前にはやっていましたが、久しぶりと言うことで、緊張しました。けれどもそれが6回続けばさすがに慣れて来まして(とはいうものの、あれを言えばよかった、こう言えばよかったなどはあるものの)アンケートでもかなりの高評価が得られて、私もまだまだ行けるかも~~と、気持ちはしゃいでおりました。
今まで行ったことのない市町にも行って、久しぶりに山道を走りたどり着くなんてこともあって(なんせ、へき地山間地保健活動ってすごい名前でしょ?今時へき地っていう?と思うでしょうが、まだまだ無医村、無医地域てのは沢山あるんですよ)、もう、そこへ行くだけでも褒めてほしいわあ、と、一応自分で自分を褒めておりました。
実際、オット母Bこさんをオットに放り投げての活動ですからね、今までならその説得がメンドクサイしってのがあって受けなかった活動ですが、いいのよ、Bこさんはほおっておくと開き直っておりますので、もうね、早朝から「行ってきま~す。」ですよ。しょうがないじゃないですか。他には出来る人が今はいないのですから。つうか、そんなことでもなきゃ、ほぼほぼ引退のわたしにそんな話は回ってこないんでありますよ。
やっぱり、やってみると、お金ではなくやりがいのある仕事でして、熱心に話を聞いてもらえるとうれしいし、テンションが上がって、気持ちが明るくなるんですなあ。
自分でも表情が変わったと思いますが、人からも「なんだか若くかわいらしくなったね。髪型のせいかしら。」と言われるようになりましたが、自分では髪型もまあ変わるには変わった(美容院に行かずに髪が伸びただけなんですけどね、ヘナで染めてますけどね)んですが、やっぱりそりゃ、Bこさんの顔色を窺いつつ、ほんのわずかな出来る事だけやっていたのと、すっかりBこさんの事は忘れて自由に活動しているのとでは、全然気持ちが違いますからね。
それに気をよくしての、先日、活動の反省会(委員のみ)で、ぐわ~~んの事がありまして。
うまく行ったほうの活動ではなくて、別の活動なんですが、こっちは毎年何かがあるですがね。
いやあ、自分では全く正しいことを言っているし、当然共感されるべきことなのに、速攻突っ込まれまして(^_^;)(^_^;)
その事業は障碍者(成人)への保健支援活動なんですが、障碍者に対してと言うところと、指導ではなく生活「支援」を行う活動です。
普段自分たちが行うのは、いわゆる「指導」なので、先にこれはこういう目的で、こういう風にやりますと、「指導」=上の立場から行うものですが、各人の障碍を見極める所がまず第一になるので、第1段階は「観察」になります。その人の障碍を見極めて、またその人の実際の「生活」の中で、どのように例えば手洗いや洗顔、うがい、歯みがきなどをしているを見極めると事から始めるのですが、一緒に活動した何人かがいきなり(普通の保健指導ならそれでいいのですが)こうやってくださいと「指導」を始めてしまった人がいたのです。
そして、私が、その人たちに「先にこうやってと言わないで、まず、その人の動作や理解度を確認してから支援をしてね(生活支援)。いきなり指導しちゃわないでね。この活動はあくまで本人の出来ることを伸ばして行くように補助するだけだから。」と言ったんですが、よくわからなかったようで、と、今年度の活動の反省の中で発言したら一斉に
「何が悪いの?」と、総突っ込み!かなりの剣幕で。半数は黙していましたが、同じ職種の中でもエリートの3人が、「じゃあ、私がこうこうこういうときこう言ったんですけど、それはだめって言うことですか?」
黙っていた人たちは、実際に活動を研修からやっている人達で、研修ではそれを何度も指導されました。例えば、同じ「はい」とはっきり答えたとしても、本当に理解して「はい」と言っている場合もあるし、わかっていなくて、ただ、「はい」と言う場合もありますし、「はい」と言っても、そのことを別の事と思っていることもあるわけです。もちろん、動作自身出来ない人もいますし、会話が全く成り立たない、目線が合わない、そもそも、発語のない人もいるわけです。
ところが、健常者への、高度な指導を行っている(そしてそれを誇りに思っている)人が、空いている時間だけ、担当している(人手がないから来てやっている、委員も言ってみれば大した仕事をしていない人にはやらせられないからみたいな意識の人)は、ついつい、自分のいつもの「指導」が出てしまうのです。
ただ、この人たちは勉強会のグループを作っていて、定期的に自主的な発達障害についての学習会を熱心にやっている人たちで、障碍についての専門的知識が深い人達ではあるので、その勉強会に参加していない、在宅のメンバーは意見が言いにくい雰囲気があります。
結局会議時間が限られていたので、一番肝心な(と私は思うけれど、その人達にとっては、どうでもいい事)事がスルーされた形になりまして、もんもんとして帰ってきました。てか、え?今までそう思っていたの?わかってなかったの?というか、わかってないじゃん!いいのかそれで!
夜になって、一応、「今日、うまく説明できなかったので…」と研修でもこのように言われた事と、私が注意したのは、障碍を見る前にいきなりだったので、まず障碍を把握してからと言う意味たと(実際にはもっと長文)メールしておきました。
すぐに返信があったのは5人中2人。ひとりは責任者で、一言「支援については了解しました。」もうひとりは「今日は久しぶりによしこさんに会えてうれしかったです。私も支援ではなくて、上から指導してしまっていたと反省しました。1月の会議の時にまたじっくり話を聞かせてください。」とあり、少なくとも一人には、伝わったようです。
あとの3人からは、もう丸2日経つのに、返信なし。無言がなんだかなあ。普段、メールを読んだら、空メールでいいから(ラインでのやり取りではないので読んだかどうかがわからないから)返信しろと言っている人も返信なし。
なんだろうなあ~~と、この、押し詰まってきたここへきて、にゃ~~んだか悶悶でありますよ。(-_-)/~~~ピシー!ピシー!
追記 そうそう、もうひとつなんだかなあってのは、私はこれはほぼ事故に近いぐらいの重大なヒヤリハット、と思う事例を事業担当責任者に報告したのですが、まったくのスルーでした。
見解の相違で、いいのかってのもちょっと悶悶としている理由の一つですが、なにせ、専門的が学習会を行っている人達ですからね、その人から見れば、在宅のわたくしめの言うことなど、歯牙にもかからないって事ですかね。
それも、いいのか?
直接、報告したほうが良かったかななんて、そこ、悶々事例ですわ。私はそこは、皆で共有すべき事と思うんですがね~~。