曲がり角で 迷いながら

自分も家族も人生の曲がり角に。戸惑いの中の日々を迷いうろついています。

オニヨメ、ごり押しで掛かりつけ医に任せる

2021年08月27日 | 介護

いよいよ歩くのが困難になってきたオット母Bこさん(と何回記事にしただろうか(-_-)/~~~ピシー!ピシー!)デイ仲間にB外科医院で「手術したら」歩けるようになった、だのB医院ではリハビリは迎えに来てくれるだのの情報を都合よく解釈し、「手術して=94才で耐えられるのか?【リハビリをして=ここ重要】そして歩けるようになった」のを「B医院なら歩けるようになる」と思い込んでいるBこさんでありましたが、まず第一に装具を付けると言うのに抵抗があったらしく、B医院診察の次の日デイから帰宅後まだ家に入るか入らないかのうちに、怒鳴るように

「あんな装具なんか作ったって歩けるようにゃあなんないだから、装具は作んない!治療だけやってもらやあいい。」

なんぞ、喚いていたBこさんを、その時は

「装具を作らないならB医院に行く必要はないですよね?装具を付けないと歩けないと思いますけどね。それとリハビリに通うですよ。装具をつけただけじゃあ歩けないから、歩ける筋肉を付けなきゃですよ。それと、骨粗しょう症の治療もB医院にやってもらうって事ですけど、それでいいんですね?骨粗しょう症の治療はちゃんと掛かりつけのAクリニックでちゃんと話をして、B外科で骨粗鬆症の治療をやってもらうことになったって了解を得てこないといけないですよ。」

と言うことを懇切丁寧に話しました。

それに内科的な薬はAクリニックで出してもらうし、外科はB医院に代わっておいて、摘便だの転倒して怪我をしただのの時だけ都合よくAクリニックに駆けつけるなんて、ずうずうしい事は「私は」出来ませんけどね。少なくともけがをしたとき、昨日のB外科では、Aクリニックの様にすぐに見てもらえるなんてことはありませんけど、B外科でいいんですね?

介護保険の診断書も一度B外科で書いてもらった事がありますけど、体重身長など測ってないのに適当に書かれた時がありましたからね、私はそういう点でもB外科は信用してしません。言ったら悪いですけど、高額な医療費が掛かりますし。

実際今回作る装具も型取りの時に8万円持って行き、市役所に申請に行くと(これがまたやっかいなのよ。本人が手続きに行けないからね~~、本人との関係だの委任書など必要だし、払い込む通帳本体を預かって持って行かなくてはならないし、口座番号だけでいいと思ったら、通帳で市役所職員が誤りがないか確認すると言うね…)7~9割戻って来ると言うものだけれど、確か腰のコルセット20万ぐらいしたと思った。3日も使わなかったんじゃないかな?

いや本人が支払うんだからとは言っても公費で何万も負担してもらって、しかもそれ、使わないなんてね、どうなのッて思う訳ですよ。

その辺に固定用のベルトも売ってるしね。

もしもAクリニックでそういうものを紹介してもらえるなら(以前に膝の装具はもらった事がある)それなら例え使わなくてもそれほど金額的にも無駄にならないじゃないですか?

第1、どうしても今月に介護保険の診断書は書いてもらわらなくてはならない。もうAクリニックで申請してあるので、今更B外科とは出来ないんですよ。

と言う訳で、Aクリニックで正直に相談しましたよ。AクリニックもBこさんがそういう装具など、使わないと言うこともちゃんと把握しているし、Aクリニックのリハビリもやめてしまっているので、B外科に掛かるのは無駄だろうってことは重々承知です。

で、とりあえずレントゲン撮影

足を真っすぐにして撮って、このぐらい曲がっています。歩いているうちに中に中に入ってきてしまうのも診てすぐ把握してくれました。

で、保険ですぐ渡せる装具があるからと2種類試してみて、一番軟らかい方にしました。たぶんBクリニックのは、がっちり固定で足首なんぞびくともしないやつだと思うのですが、ここで試して、そのまま購入してきたのが、こちら↓

価格は、健康保険で780円でした。

「処置 ※四肢ギブスシーネ」と書いてあるところです。

自己負担だって10分の1ですよ。

早速はめて帰ってきましたが、足首が固定されて歩く速度はかなり早くなりました。早いって言っても元が元ですからね、早いとは言えないですが、安定はしました。

Aクリニック院長の説明では足首のじん帯が伸びきってしまっていて、ぷらぷらしてしまっているとの事です。

それから10日ほどたちますが、今のところ夜は外しますが一応はめてます。

つまり夜寝る時は外しているので、足首プラプラになっているわけですが、夜中のトイレ相変わらず遠方までお出ましになるというオット母Bこさんです。その後もおしっこ問題が起きましてと言うか継続?続悪?と言うかがありまして、別病院に掛かるという騒動が起きました。

いつまで続くかと😥のよし子がお送りしました~~。


足首の装具を作成する?医院を変わる?

2021年08月25日 | 介護

右足首が内反足となり、歩行困難になったオット母Bこさん94才。

結局Bこさんが掛かりたがったB病院では、型取りをして装具を作る+骨粗鬆症の治療をB医院に代わる(それを掛かりつけ医A医院の許可を得てくる)+来れる日はリハビリに通うの3点をするのがB病院に掛かる条件として挙げられ、一応その場では「お願いします」と言わざるを得ず、レントゲン撮影と骨密度測定、血液検査、尿検査(尿が出ずこれは断念)をし、結果はこんな感じです。

左上の画像は背骨ですが、これは正面から撮っているのですが、こんなにねじれています。ねじれも問題ですが、もっと大きい問題は大腿骨で(背骨の方は同年齢から見るとかなり多い方、若年成人比でも下がっているとはいっても80%)年齢比が96%、若年成人比でみると55%に落ちているので、今掛かりつけ医A医院で打っているボンビバに替えて半年だけ打てる注射に替えたいとの事です。

まだ、エコーを撮りたいので、木曜日の午後(木曜日は私は仕事の日なのですが6時までOKとの事で)予約。更に装具の型取りは月曜日の午後だけですが、丁度2週続けて休日になる為3週間後に予約。

で、あと尿検査ですが、尿が取れない!

水を取らせたりして夕方6時まで粘ってみたものの、1ミリも出ずで、これは後日の予定をくんだ日に自宅で取ったものを持参することにして、早々に退散(まだまだ診察の人はあふれかえっていた。狭い病院で、車いすでしかも大きく右に傾くBこさんは幅を取り、ほんとに申し訳ない状態。トイレだって数がないのに、Bこさん、専用状態にしちゃったし。そしてなにより密なんてもんじゃない状態で診察待ちはコロナの感染の方が怖かったよ( ̄▽ ̄;))

家に帰ってから、これで装具のを付けないだの、リハビリに通うのは嫌だの言わないかと強く確認しました。

止めるとか、装具を付けないと(訪問マッサージもなんだかんだ言ってやめてしまった人が通えるのかって事ですよ。その前にA病院でもまた別のC病院でもリハビリに通ったけどとん挫しているし、背中のコルセットも2回作って無駄になっているという、医療費を無駄に使うBこさんですよ。あの時に出来なかったものが今出来るのか?)言わないか、何度も確認すると、「大丈夫!」とかぬかしやがる!(失礼!)それに何度騙されたかですよ。今は前とは違い、2人がかりで連れて行っていて、これ以上こっちが束縛されるのはたまりませんわ!

と言う訳で、一応予約は予約としておきましたが、2日後のエコーの方は「体調が悪いので延期を」とお願いし、掛かりつけ医A医院への診察を待ちました。とにかく、介護保険の診断書はA医院にお願いしなくてはならないし、それに、B医院に掛かるにはA医院にちゃんと許可を取ってこなくてはならないし、骨粗しょう症の注射以外の内科的な薬はA医院に出してもらわなくてはならないからです。

もうはっきり言って私の中ではB医院に通院は無いです。Bこさんは一応B医院では迎えに来てくれるはずだとか言って(デイ仲間の危うい情報)を希望しています。さてどうなったでしょうか?またまたしつこく続きます。

 


並行してBこさんの足問題

2021年08月20日 | 医療

実家母の入院から葬儀までと並行して、オット母Bこさんの歩けない問題は着々と進行していきました。

下肢の筋力低下(下肢だけでなく全身の筋力低下)と右に傾いたまま歩くことから、内反足は急激に悪化。夜などBこさんにとっては遠い遠い道のりのトイレまでの往復のうちにもう、右足は足首から大きく内側に向きさらに捻転してくるぶしが床についてしまっての歩行となってしまい、当然痛いし、自分で治すことも出来ないので、文字通り歩行困難になってしまいました。

が、しかし!せっかく手配したポータブルトイレ(約8万円、申請して9割は戻って来る)も使うのは夜中に一回だけ。いつもトラブルになる、11時過ぎと朝5時ごろはポータブルトイレでは嫌と、カートでやってくるのですが、がたがた聞こえている音は1時間ぐらいしているのです。どうも途中でリタイアして椅子に座ったり、立ったままカートに持たれて休んだり、時にはトイレの中で熟睡と言うこともあり、音で目が覚めてしまい、いつ転ぶかと心配でなかなか寝付けなくなってしまいます。どおして失敗してしまうのか。ひたすらトイレまで距離があるからです。そのためのポータブルトイレなのに、なぜ使わないって腹立たしいのですが、その都度「大丈夫、大丈夫」を繰り返しています。

その「大丈夫!」に猛烈に腹が立つのですが、実家母を送ってからは、自分で好きで夜中歩いて出てくるわけで、間に合わなくて失敗しても「オット」に始末させて嫁の私には隠しきれていると思っているおバカチンの事はホオッテ置きましょうと思うのですが、

が!

まあ、その足首を見ると近々には自分で歩行するのは困難になり、立ち上がりも今以上困難になり、そして寝たきり、介護がえらいことになるつう道は目に見えているのです。

ので、本人の希望する○○先生のところに掛かれば歩かれるようになると信じている病院には一度かかって、治療と装具作成及びリハビリに通院を勧められていますが、現実、本人はもちろん、こちらもそんな余裕はないので、定期的に掛かっている掛かりつけ医に経緯を話し、こちらでもしも装具などをやってもらえるようならお願いしたいとお願いしました。しかも介護保険の申請で掛かりつけ医には診断書も書いてもらわないといけないし、今飲んでいる薬は掛かりつけ医で出してもらうしかありませんし、転倒して怪我などしたときにも、便が出なくて摘便をお願いするのも、掛かりつけ医様様で今まで来ているので、掛かりつけ医から○○先生のところに代わることなど現実的にとても無理なんです。

さて、長々と経緯を話した結果はどうだったでしょうか。長くなるので次回の記事で続きを書きたいと思います。待ってないと思うけどお待ちくださいね。


この2週間は亡実母と義母の騒動で今日の天気の様に大荒れです。

2021年08月14日 | 介護

実母の入院から間もなくの死亡、そしてコロナ禍での葬儀葬祭、数々の手続きに忙殺されるのと同時に、義母=オット母Bこさんの歩けない問題からの介護保険の手続き、それにともなう診察があり、どこから報告したらいいのやらであります。

まずは実母の最後の様子から。

入院はしていたものの、自宅での看取りの自然死に近い亡くなり方でした。

入院した次の日に胃カメラを飲みそこで出血がわかり2回輸血はしました。

丸二日絶食となり、3日目の朝から尿が出なったことから今晩当りが山なので、合わせたい人があれば面会を解除するので至急呼ぶようにと言われたのが昼過ぎ。その説明の前に母親が便が出たいと言い、何度か挑戦して最後に何とか出すことが出来、その後静かになりました。(自然の看取りの時も尿が最初出なくなり、その後便が出て体の中が空っぽになるとある記事に載っていました)

直ぐ近くに住む孫も間に合い、弟夫婦、私たち夫婦と孫とが見守る中、下顎呼吸と言われる最後の呼吸になったのは、今晩だろうと言われて弟が一度家に帰った時でした。あわてて呼び出しましたが、最後の最後は弟夫婦は立ち会えませんでしたが、ほんとに静かに眠るように息を引き取りました。

今晩にもと言われた昼過ぎからまだ、2時間の間の事でした。

その間に駆けつけた人とは会話とまでは行きませんでしたが、眼と眼でたぶん母もわかっていたと思いますが、こちらの言うことにうなずいていましたから、皆が集まっていることはわかっていたともいます。

まさか私が看病に行ったその日のうちに亡くなってしまうとは思いもよらなかったのですが、本当はその日はオット母を(やいのやいの言うので仕方なく)病院に連れて行くと言っていた日でしたが、今は義母より実母だろうと付き添ったのです。どうしても付き添いをしなくてはならないと言うことなかったんですが、何か予感がしたんですかね。今日はどうしても実母のところに行かないと後悔するような気がしたんです。

その後はコロナ禍の中の葬儀と言うことで、とにかく早くと言うような感じで正直最後のお別れと言うのには寂しいお別れになってしまいました。

それでもひ孫たちも全員揃って見送りだけは出来ました。(火葬場には人数制限があり、時間的制限もありそれは心残りでした。)親戚全員とはいかず、近い親戚でも県外はお断りですし、会場でも会話が出来ないし、その後の食事を共にと言うことが出来なくて、本当にそれは残念です。

四十九日も私たち実子だけ形ばかり行うことになり、その辺の話合いもなかなかお互いの気持ちもあって、納骨はしばらく見送りとしみんなで集まれる時としました。

なんて、そっちの方に集中してしまった1週間があり、その間にもオット母の方はどんどん歩行困難が進んでしまうと言う事態となりました。

そちらはまた別記事で。

まあ、うちのお葬式はもう90才のお祖母ちゃんですし、子どもも孫のなかの何人かは県内にいますから、多少でもお別れが出来ましたが、まだお若い方などのお別れは本当につらいだろうなと思います。

いつ、今の状況が改善されるのか全く見通しが立たないと言うより、どんどん悪くなっていくので、こっちが成仏できないって感じです( ̄▽ ̄;)

もともともめごとの多い葬儀ですけど、なかなかのバトルがありましたですよ。しなくてもいいようなもめごともあって、毎日気持ちは嵐の中と言う感じでした。今ちょっと落ち着いたんですが、まだ船酔い状態って感じのよし子がお送りしました。


実母は穏やかに逝きました。

2021年08月08日 | 終末期

実家母の最期を見守ることが出来、また最後は穏やかに天国に旅立ってくれて、今はありがとうの言葉しかありません。

90才の大往生でした。

親族だけで静かに送りました。

20年前に亡くなった夫(=私の父)や自分の兄弟姉妹、両親、天国で見守っていてくれた人たちを今は再会を喜んでいるのではないかと思います。

お母さん、ありがとうございました。

子どもや孫、そしてひ孫たちはたくさんたくさん愛情を注いでもらいました。

お母さんが愛を注いだ人たちで静かに送り出しました。

お母さんがいてくれて生まれてきた人たちだけで、ありがとうと送りました。

本当にありがとう!

お母さんの子どもで私は本当に幸せでした。

天国で待ちかねているお父さんとまた仲良く過ごしてくださいね。

合掌


速報!色々調整したのに話合い直前、全て取り消しにーコロナの影響で!

2021年08月05日 | コロナ禍

実家母の終末期も色々あるのですが、もっと大変はオット母Bこさんの事。

ここへきて夜中、明け方に歩けなくなり、トイレに間に合わないのみならず、そこへ立ち往生してベットまで連れていけない騒動があり、とにかく介護保険の方での見直しをお願いし、(それも行く行かない揺れ動き)ポータブルトイレをとりあえず借りて(買うのを前提に)でもそれを使わずの騒動があり、○○外科に掛かると騒いで文字通り1日がかりで(このコロナ禍密なんてもんじゃない密の中待ち)帰ってきたのが夕方7時の騒動。結果(Bこさんはそこで診てもらった人が歩けるようになったから私もと思っていた)骨粗鬆症の治療(ボンビバから別の薬にかえる)に足首の装具→靴の作成、デイに行かない日はその医院のリハビリを受けるの3点セットでやるならそこで治療してくれると言うので、何日か予約してきたんですけど、次の日いつものデイに行き帰ってくるなり、「○○外科へ行ったってなおりゃしないんだから、靴も作んない!」と喚き、本人は装具の作成だけやらないつもりでいたらしいけれど、一番はリハビリに通う事、リハビリも装具で足首を固定する事、骨粗しょう症の治療はその医院でやることを、掛かりつけ医に断ってくることという条件があるのです。

まあ、その説明にどれだけかかったか。

どう考えたって今まで幾度となく装具などは作っても使用せず、リハビリも自分で断ってしまっているYこさん。

掛かりつけ医での今までの訪問マッサージの再開、あるいは○○外科での通院及びリハビリに切り替えるか自分で選択するように言い置きました。更に本人は連れて行ってもらうだけですが、こちらはそんな毎回付き添いしきれないですよ。それでもいいんですね?

とはっきりきっぱり言いましたよ。

で、やっと今までの通りにやる、デイサービスの利用を増やすと言うことにやっと納得してさてケアマネとの話合い及びデイサービスとの契約、掛かりつけ医への診断書の請求なんて段取りを10時に予定して待ち構えていたら

ら!

ケアマネ及びデイサービスから相次いで電話があり、対面での面接がコロナの影響で出来なくなったので、今日の話合い及び契約は中止との事になり、ポータブルトイレの購入にあたって介護保険での申請があるのでその押印にだけくる。話はしないと言うことになりました。もちろん、Bこさんとの面談はなし。

話の感じだとデイサービスの利用を増やすことは出来なくなりそうな感じ。

まあ仕方ありませんよね。下手をすればデイサービスの利用自身中止となる可能性もありますね。

(^_^;)(^_^;)

ええ!困りましたね!!

まあ外科への通院は無くなると思うのでいいですけどね。本人は歩けないままですねえ。

そういえば、緊急事態宣言が出た時も薬だけ薬局にとりに行くだけってなりましたねえ…。

そっちもそうなるかな?

命にかかわる事態ではないので(まあ確実に寝たきりに一直線になりますけどね)仕方ないんでしょうねえ。

このコロナ禍ではね…。

皆さんどうしているんでしょうかね~~と心配になるよし子がお送りしました。


終末期の母と義母を見て思う事。

2021年08月03日 | 終末期

終末期を迎えた実家母Yこさんと、自分の事しか考えられず足掻く義母のBこさんをみると、自分を顧みても色々考えさせられます。

実家母はまだ幼かった私を残して三途の川を渡りかけるという臨死体験をしているので、いつ死んでもいいようにとか、何かあったための事を色々用意しそれを娘(私)弟の妻、そして孫にそれぞれに頼んでいました。

私の父も体が弱くて、父母共に調子が悪いと臥せっているという状態で、大人ってそういうものだと思って育ちました。父は70代で亡くなり、母はまさか私が夫(=私の父)を看取る日が来るとは思わなかったと言っていました。

父が亡くなってなんと20年以上、骨折だの交通事故などでのけがはありましたが、体の方は調子が良く、歩くのが大好きでよく出歩いてしまい、危ないからひとりで歩くんじゃないという弟とのバトルがありましたが、基本自分の事は自分でやっていました。

一方義母Yこさんは、銀行に行くなどと言う庶民の生活は経験しておらず、唯一銀行に直接本人が出かけなくてはならない相続の手続きと言う時(夫=私のオットの父)と言う、お金の心配をつゆほどもした事がない人なので、もちろん終末期に向かって、色々整理なんてことは思わないようです。

義母Bこさんはは私の実母Yこさんによく「みんな整理しろだのいらないものは捨てろとか言うんだけど、いざって時が来た時にこの人は着るものがこんだけしかないのかねって思われるのがいやだから、処分しない、」と言っていたそうです。最近はデイでも義母と実母が一緒になることはなくなったので、最近どう思っているかはわかりませんが、面倒なのか、何なのか整理されない衣類、買ってきたまま袋も開けずにあるデパートの紙袋が2間あるうちの一間を閉めています。

もう一間はベット(介護用ではない普通のベット)と低い棚、それに最近はポータブルトイレがあり、通路も紙袋に何かを入れて点在しており、それをその都度邪魔になる分をよけよけ歩いています。(正確にはらしいです。なんせ、ヨメに見せたくないので間の戸を閉めてしまうので、わかりません。つうか見たくないし~~)

体のねじれ、特に背中のねじれから体中心に左の腰がぐっと左に突き出て、右足首は歩いている間に内側に捻じれてしまい足首というかくるぶしが地面についてしまいながら歩こうとします。もちろん痛くて足に力は入れられず、となると益々左腰が左に突き出て左足一本でなんとか立っているので、当然足が前に出なくなってしまい、特に夜は萎えてしまって全く足が動かなくなってしまうのですが、どうしても家のトイレに行きたい。

危ないから夜はポータブルでと言っているのに、トイレに行こうとして途中で進むも戻るも腰を折らすも出来なくなり、弱い声でひろひろ呼ぶのですが、もう寝ているオットには聞こえません。先日はなかなか洗面所が開かず(Bこさんが占領していて)お風呂に入るのが11時過ぎになってしまったのですが、洗面所からやっとこ出てくるBこさんをすり抜けて私、お風呂に入ってしまいました。

ですが、洗面所からの帰り、自室に戻れずよわよわのSOS。携帯電話を常に持っていて(実際に使わないけど)オットか私の携帯に電話をすることになっているので、どうしても洗髪をしたかった私は手早く洗髪を済ませましたが、ひろひろよわよわ~~の声が聞こえるので、大声で「ころんだの?」と聞くと「転んでないけど、転んではないけど。ここに座りたいけど座れない。」と言うので、また大声で「今!私!体をふいてる!拭けたら行くけどそれまで待ってて!」とどなり、その声でオットが出てくるかと期待するもオットはし~~~ん。

頭を拭き拭き行ってみると、椅子に座ろうとお尻を突き出した状態で、戻るも行くも出来なくなっていました。いや、もうひざを折れば座れるんですけど。つうかお尻を落とせばいいんですけど~~。

大声で(補聴器を入れてないので怒鳴らないと聞こえない)「そのまま座れば!」を数度いうと、「落ちる落ちる」と大騒ぎ。「いや椅子があるから落ちません。と言うかそのままお尻を下ろせばいいでしょ?」「は?下ろせない!」「お尻を下ろせばいいんですよ。膝を曲げればいいでしょ?普通に座ればいいんですよ。」(手は貸さない。だって髪の毛拭いているし。自分で座れるはず。)私が手伝わないので仕方なく腰を下ろし座れたのに座れてない。とか宣っているけど、かまわず冷たく「座れてます。なんで携帯電話で呼ばないんですか?何のために持って歩いているんですか?こういう時に電話して呼ばないと。遠くでしかも小さい声で呼んでも誰も来てくれないですよ。」と言うと仕方なく携帯電話を手に持つが、そもそも常に電源が切ってある。

まず電源を入れて!と言っても「それんね…もたもた」

こんこんと電源は入れたままにしないと使えないでしょ?使えないものを持ち歩いても仕方ないでしょ?

持って歩いても使わなければ何の役にも立たないよね?

すみません。この後、ひじょ~~に長いので、今日はここまで。

さあ、Bこさんはなんとか自室に戻れたのでしょうか~~。

誰も楽しみにしてないと思うけど、続きをお楽しみに~~のよし子がお送りしました。