北設楽郡設楽町田口から冬の便り
寒い日が続いています。ここ設楽町田口の町も、毎日一桁の気温が続いていて散歩も風がない日にしか行く気になりません。
この日は、奥三河総合センターの旧田口線列車と山並み、その後に田口の町を通っている東海自然歩道を歩いてみました。

森の中を少し登って行きます。


奥三河総合センター内に展示されている旧田口線の列車
数年後に設楽町清崎地区に道の駅が計画されており、そちらにこの列車も展示されるそうです。


列車の中に旧田口線の運賃表などが保存されていました。

これも旧田口線田口駅の看板でしょうか?

鉄道マニアには、お宝でしょうね。

奥三河総合センターから見た、奥三河の山並み
この日は、雲が多く暗い山並みです。鞍掛山


鞍掛山から岩古谷山へ続く岩尾根

岩古谷山

岩古谷山から平山明神山への急峻な尾根

鹿島山

田口中学校から東海自然歩道を歩いてみました。

設楽町田口の北側からの展望、遠くに鞍掛山などが見えています。

東海自然歩道の田口の一番高い所を通り、福田寺の後ろに出ました。

東海自然歩道は、このお寺の境内を通っていきます。

福田寺から見た設楽町中心街と遠くに鹿島山など、見えている山並みの上を東海自然歩道は通っています。

福田寺境内には、こんなお墓があります。


そうです!!家の有名な戦国武将、武田信玄公のお墓です。
浜松市三方ヶ原の戦いで徳川軍を破り、新城市の野田城を開城させた後、鳳来寺に入り動きが止まり、信州への街道を引き上げていきました。
その途中のこのお寺で逗留した時に、ここで亡くなったとお寺の伝聞で残っているようです。
一般的には、信州伊那駒場で亡くなったのが通説ですが、何か遺物が埋められているのでしょうか?

お墓のすぐ横にザゼンソウが保護されていました。

もう芽が出ています。これを写したのは1月初めですので今はもっと大きくなっているでしょう。

境内に東海自然歩道の案内看板があります。ここからは石段を国道に出て裏谷に向かって豊川沿いに続いています。

福田寺本堂

山門からの風景

山門を出た所からの田口の町並みと山並み
設楽町田口地区は、山に囲まれた小さな町ですので小一時間で回ることが出来ます。
寒い日が続いています。ここ設楽町田口の町も、毎日一桁の気温が続いていて散歩も風がない日にしか行く気になりません。
この日は、奥三河総合センターの旧田口線列車と山並み、その後に田口の町を通っている東海自然歩道を歩いてみました。

森の中を少し登って行きます。


奥三河総合センター内に展示されている旧田口線の列車
数年後に設楽町清崎地区に道の駅が計画されており、そちらにこの列車も展示されるそうです。


列車の中に旧田口線の運賃表などが保存されていました。

これも旧田口線田口駅の看板でしょうか?

鉄道マニアには、お宝でしょうね。

奥三河総合センターから見た、奥三河の山並み
この日は、雲が多く暗い山並みです。鞍掛山


鞍掛山から岩古谷山へ続く岩尾根

岩古谷山

岩古谷山から平山明神山への急峻な尾根

鹿島山

田口中学校から東海自然歩道を歩いてみました。

設楽町田口の北側からの展望、遠くに鞍掛山などが見えています。

東海自然歩道の田口の一番高い所を通り、福田寺の後ろに出ました。

東海自然歩道は、このお寺の境内を通っていきます。

福田寺から見た設楽町中心街と遠くに鹿島山など、見えている山並みの上を東海自然歩道は通っています。

福田寺境内には、こんなお墓があります。


そうです!!家の有名な戦国武将、武田信玄公のお墓です。
浜松市三方ヶ原の戦いで徳川軍を破り、新城市の野田城を開城させた後、鳳来寺に入り動きが止まり、信州への街道を引き上げていきました。
その途中のこのお寺で逗留した時に、ここで亡くなったとお寺の伝聞で残っているようです。
一般的には、信州伊那駒場で亡くなったのが通説ですが、何か遺物が埋められているのでしょうか?

お墓のすぐ横にザゼンソウが保護されていました。

もう芽が出ています。これを写したのは1月初めですので今はもっと大きくなっているでしょう。

境内に東海自然歩道の案内看板があります。ここからは石段を国道に出て裏谷に向かって豊川沿いに続いています。

福田寺本堂

山門からの風景

山門を出た所からの田口の町並みと山並み
設楽町田口地区は、山に囲まれた小さな町ですので小一時間で回ることが出来ます。