izumishのBody & Soul

~アータマばっかりでも、カーラダばっかりでも、ダ・メ・ヨ ね!~

秋の根岸湾、折々の様子

2024-11-19 11:36:37 | 日記・エッセイ・コラム

時々、窓から見える景色をデジカメで撮っている。。一緒に眺めた時もあるし、入院中の希直さんの退院を月に願って1人でみていたし、今は、空を眺めては自分で自分を慰めている。。

↓今年2024年1月11日 16:39。夕日が斜め西から射し込んで樹木や建物を朱色に染める。この頃、希直さんは元気にリハビリに励んでいた。。 

↓10月9日、17:07。薄曇りの日は、柔らかい光があたりを包む。

11月11日 16:26。空高く、月が出てきた。。

11月18日 朝7:28分。太陽を隠して空一面に雲が流れていく。

美しい景色は気持ちを慰めてくれる。。。と同時に、一緒に暮らしていた日々が思い出されて、胸が痛くもなる。。。

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希直さんが亡くなって、半年近く。もう、というか、まだ、というか。。

2024-11-19 11:26:07 | 日記・エッセイ・コラム

希直さんが亡くなって5ヶ月が過ぎた。

11月12日は、48回目の結婚記念日であった。諸々の手続きが片づくにしたがって、空いた時間の隙間に寂しさが募ってくる。誰でも経験することなのだろうが、誰とも共有できることでもない。どれだけ寂しくても、1人で抱えて慣れるしかない。。最近は、外出するとき帰宅したときに、誰もいない部屋に向かって「行ってきます!」「ただいま!」と声をかけるようにしている。お返事はないけれど、きっと届いているだろう。。。

 

忙しさが一段落した今、ふと思い出すちょっとした時々のこと。。

あるとき、まだ自宅にいたときのこと。「いづみさん?」と、少し語尾を上げて名前を呼んだことがあった。

希直さんが寝ていた介護ベッドは、部屋全体が見えるように置いてある。ワタシはそのヘッドボードの陰で座椅子に座ってウトウトしていた。。希直さんからはちょうど見えない位置である。

「なあに?」

「ああ、そこにいたのか。。どこかに行っちゃったかと思った。。」 

「ワタシはここにいるよ。どこにも行かないよ」 

ウトウトしていたから物音もしないし、(以前のように)映画とか、ショッピングとか、遊びに出かけたと思ったらしい。。。🥺

「ワタシはここにいるよ。どこかに出かけても、絶対に帰ってくるよ」。

「そうか・・・」。

ちょうど、大きな地震があった時で、その時は本当に、どこかに出かけていても、何日かかっても、必ず希直さんが待つところに帰ってくるぞ!と強く思っていたのだった。。。今となっては、そんなやりとりも懐かしい。。。

それで終わり。最近、たま〜に、「いづみさん?」と呼ぶその声が一日中耳に蘇って哀しくなることがある。。。

 

緩和ケア病棟に移る少し前、その日もいつものように病室に行って、日が暮れそうな時間になったので「じゃあ、また来るね」と帰ろうとしたら、いつものように「気をつけて」という代わりに、「傍にいてくれるだけでいい」と言ったことがあった。。

その時は、何も気づかず、考えず、ワタシはそのまま黙って手を振って病室を出たのだったが、あの時、戻ってもうしばらく傍に座っていれば良かった。と、今になって時々思い出す。。。🥺ワタシって、肝心な時に気がつかないことが多いな〜、と後悔の念が湧く。

寂しいとか、痛いとか、苦しそうな様子はなにも訴えることがなかった希直さん。。ワタシがもっともっと気持ちを察することができていたら、きちんとお別れもお礼も言えたかもしれない。。。

死後の手続きがようやく片付いて、時間や気持ちに空きができて、思い出と後悔が湧いてくる。メンタルクリニックの先生は「空の巣症候群」になるんだよね。と指摘された通りである。

冬に近づいて、日暮れも早くなり、やっぱり夕方は哀しい時間なのであった。

 

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晴れても、曇っても、気分はいつも哀しい

2024-11-02 10:52:18 | 日記・エッセイ・コラム

お墓の下見に行った。。

希直さんの遺骨はまだ家においてある。。。

だいぶ以前に横浜市営墓地を2人分、確保してあるのだが、そこがどんな場所なのか分からないし。久し振りに「どこか歩きに行こう」という気持ちもあった。それに、ワタシの母親のお墓参りも、ここ2年くらい行ってない。し。。2カ所のお墓巡り1人ツァーである。。。😔

 

根岸駅からJRに乗って洋光台駅に。そこからバスで5〜6分で目的の場所についた。

そこは数年前に、横浜市の広報で募集されていた墓地。お墓を継ぐ子供もいないので、2人分と、ついでに母方の一番下の叔父の分と、3人分を申し込んで抽選に当たった。普通なら、49日を過ぎたところで埋葬すればいいのだが、散歩を兼ねてまずは下見しておこう、と思ったのであった。

墓園自体は古くからあるようだが、応募したのは個別のお墓でなくて合祀型のもの。”シンボルツリーの下に埋葬”というものである。

実際に行ってみると、その施設自体は新しい建物で、お参りするところは屋根があって雨でも濡れることなく、こんもりした草地の中央にシンボルツリーが一本。管理棟もロビーが広く、すっきりとしている。あ〜、ここかぁ〜。。。ここだけ見れば「ま、いっか」。だけど、どうしても裏側の墓地が気になるなぁ〜。。。😅霊園自体は古くからあるらしく、墓石が立ち並んでいる。苔むしていたり、手入れがされないままか(?)雑草で埋まっていたり、昔ながらの”墓地”であった。。。う〜〜ん。。😅

 

その後、大船駅に出てバスでメモリアルグリーンまで。ここは広々した墓地で、お墓は低く平らなプレートに統一されていてお線香とかお供え物は禁止。樹木葬が3カ所あって、ワタシの母親は、そのうちのヒメシャラの木の丘に埋葬されている。お天気がいい日には、木立の彼方に富士山が見えたりして、希直さんと散歩がてら時々訪れていた場所である。

やっぱり、ここはいいなぁ〜。。。公園に繋がっているので、休日でもあり、遊びに来ている家族連れが多い。薬科大学のスタジアムがあり、道の反対側には春日神社。柵の中には鹿が何頭も飼われている。。。歩いているだけで気持ちがいい。。

車椅子とベッド生活が長かった希直さん、せめてお骨はこんな広々したところに埋めてあげたい。。

ただ問題は、ワタシが一緒のお墓に入れる可能性は限りなくゼロに近い💦ということだ。

市営墓地なので、空きがでなければ募集がない。まだ10年、もしかしたら20年くらい先のことかも知れない。。😅どうしたものか。。。

でも、ま、先のことをあれこれ考えても仕方ない。なるようにしかならないし、それに、別々の場所に埋葬されても、魂が行くところは(多分)一緒。きっとワタシを見つけてくれると思って、成り行きに任せることにしよう。

帰りは大船駅のエキナカでお弁当を買って(いつも希直さんと一緒に来ていた時と同じように)、ついでにUNIQLOで買い物して、少し寂しい気持ちを抱えて帰路につきました。。

 

 

 

 

 

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iPhoneを替えて、写真を整理していたら、やっぱり泣けた。。

2024-08-18 13:54:29 | 日記・エッセイ・コラム

昨日の夜、夕食を終えてどこかでドンッ!ドンッ!と音が聞こえた。窓から見ると、根岸湾の正面遠くで花火が上がっている!

窓からは、八景島や(今年は)鎌倉、逗子海岸などの花火が西側の遠くに見えるだけだったが、昨夜の花火は遠いけれど正面に見える。。海の向こうは千葉なので、千葉のどこかで花火大会があったのだろうか。。。

希直さんと、よく部屋の窓から月を眺めていたなぁ〜。。満月だったり、新月だったり、上弦の月、下弦の月、新月・・・一時期、ほとんど毎日釣りに行っていたせいか、月齢に詳しかった。

 

8月始めにiPhoneの機種変更をして、久し振りに写真データを見たら、まだ緩和ケア病棟にいるときに病室から撮った景色や、6月25日に亡くなった後の30日に一瞬だけ見えた大きな虹の写真が残っていた。。。ついこの間のことなのに、もう、途方もない時間が過ぎたように思える。

亡くなった後の諸々の手続きやらなんやらに追われていると、ほとんど思い出すこともない何気ない日々のシーンが写真を見た途端に蘇って、見ていたら悲しくなって久しぶりに号泣😭😭

見てやってください。。

↓6月22日、緩和ケア病棟の病室から見た本牧の入り江

↓6月24日、なくなる前夜、自宅の窓から見た月

↓6月30日の18時過ぎ、一瞬だけ見えた、空に大きくかかる虹

写真を見た何人かの友人が「希直さんはあの虹に腰掛けて、いづみさんのこと見守っているよ」と慰めてくれた。。

まだまだやらなくてはならない処理が残っている。。。気を取り直して頑張らなくては。

 

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7月25日、希直さんの月命日。メンタルクリニックに行ってみた。

2024-07-28 17:05:40 | 日記・エッセイ・コラム

7月25日は、希直さんの月命日だった。。。

その日は、友だちに紹介された元町のメンタルクリニックに。まだ気持ちに揺れがあることもあり、花が萎れてきたのでついでにどこかで花を買ってこよう、とも思った。亡くなって自宅に戻ってすぐは、お付き合いのあるマンションの知り合いや友だちから花が届いてきたが、1ヶ月もたつとそれも落ち着いた。

もう1ヶ月、まだ1ヶ月。。。沢山の一緒に過ごした時間が思い浮かんで寂しい、哀しい。人に聞くと、「3年はかかるよ」とか「5年はかかる」とのお返事。せめて少しでも気持ちがラクになるなら、と、メンタルクリニックを紹介されたのであった。

 

一番辛いのは、夕ご飯が終わって後片付けをして、ベッドに横になっている希直さんに「ゴミを捨てに行くけど、一緒に行く?」と声をかけると、かならず「行く」と言ってベッドから身体を起こし、車椅子に乗って、家庭ゴミだけでなく、新聞雑誌やら段ボールやら、プラごみやらをまとめてマンションのゴミ集積場に捨てに行っていたことを思い出す時だ。。。夜空を見上げながら「月だ出ているね?」とか、「寒いから早く中に入ろう」とか、他愛もない言葉を交わしながら、夜の中庭まで車椅子散歩であった。。。今は、思い出すと辛いから、ゴミ捨ては昼間だけ。

 

メンタルクリニックでは、初回ということで、たっぷり1時間かけていろいろ話を聞いてくれて、少し気持ちが軽くなった。

花はどこで?と、元町商店街で探したものの、UNIONの花屋は今はまとまった花は扱ってないし。。。で、思い出したのが石川町駅近くの花屋さん。店先にはいつも、小さな花の苗を沢山並べてあって、安いのである。

そこで、ひと抱えくらいの花束を作ってもらって(思いのほか安かった!)帰宅。

話を聞いてもらって、命日に綺麗な花を飾って、こうやって少しずつ希直さんがいない生活に慣れていくしかないのだろう。。

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