izumishのBody & Soul

~アータマばっかりでも、カーラダばっかりでも、ダ・メ・ヨ ね!~

陳 鑫による「陳氏太極拳図解」に挑戦!(予定。。。)〜1

2018-06-25 15:13:01 | 太極拳

陳式太極拳を学び始めて40年近くになる。

その昔、まだ習いたてて何も分からなかった頃に、資料として舘長から渡された(正しくは”買わされた“)陳 鑫著「陳氏太極拳図解」。

B5の横綴じで、22枚目まではワープロ打ちされているが、その後は原稿用紙に手書きのコピー。

字ばっかりで書いてあることもよく理解できず、そのまま、ほっとかれたまま。。。

陳 正雷老師の著書や他にいろいろな資料や本も手に入るようになり、ほとんど忘れられた状態であったが、部屋の引っ越しや仕事の整理も終わり、あらためて手に取ってみると、あ、これ、今なら分かる!ことがいろいろ。

序章から長いのであるが、取りあえず、本文の最初からだけでも読み込んで打ち込もう!と思ったのが今年の始め頃。

先は長いが、少しずつ打ち込んだ分からアップしておこう!の第1回目。

図版が、陳式太極拳のイメージを掴みやすく、とてもとても参考になるのであります。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜・〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

陳氏太極拳図解  

 鑫 著・華 厳峰 校

 無極とは何者も存在しないことを言い、太初以前混沌とした、所謂、大混沌を指し、学ぶ者道場に上がって拳を打つ時には端正に直立し、目を閉じ、息を吞み、両手を脇に垂らし、両足を揃え、心中に何事をも置かず、何事をも考えない、丁度渾然とした太混沌の無極の光景のようで、それは形容しがたい。この境地を無極象形という。

 太極は無極より生じ、それには形や音が伴うものだろうか。いや、形や音などはない。形や音のないのは無極ではなかろうか。太極もそれと同じなのであろうか。然り。太極は無形無声ではあるが、すでに兆候が現れている状態で果実の生機が動じ始めようとするが未だ動ぜず、生機が足りずにまだ殻からでない状態に例えようか。

 さもなくば、天地は何処から生ずるだろうか。大混沌後陰陽未だはっきりしないが、その機はすでに動いており、一旦はっきりすると清気が上昇して天濁気となり、降りれば地の土となる。ただしこの清気が未だ濁気として上昇せず下降にも至らないので太極となる。即ち、陰陽五行の機が未だに生まれず、天地にこれと名付ける名がないのを太極と言い、陰陽五行が備わり道場に上がって拳を打つ時、手足はまだ動かさず、端然と直立した時、陰陽開合の機、消息盈霊数己へ渡るが、それは形に表れないので、太極と言う。

 学ぶ者、初めて道場に上がった時には、心を洗い、思慮をゆすいで妄念を除き、平心静気、動を待つようにする。これが出来て後、拳を学ぶことが出来る。

 

① 左手首上に向け、鼻梁と上下相対させる。

② 左肘を落とし、軽く支える。

③ 心は平和を保ち、平であれば気は静かとなり、心が平であれば気は和らぐ。

④ 左肩を落とし、上へ突っ張らない。

⑤ 目は脇見せず。脇見をすれば分心して志を乱す。

⑥ 全身の精神は頭部にある。頭部が充実しているもそれを形には表さない。

⑦ 耳は何をも聞かない。聞かなければ専心できる。

⑧ 首は真っ直ぐにする。

⑨ 右肩は軽く落とす。

⑩ 右肘を下げ、いささかも上へ釣り上げない。

⑪ 右拳を左掌中に入れ、胸下5〜6寸の場所に置く。

⑫ 気はすべて丹田に帰す。

⑬ 腰を落とし、腰は堅実であるのがよい。 

⑭ 左膝をやや曲げる。曲げないと股が開かない。

⑮ 左足と右足を揃え、正しく置く。

⑯ 足全体にやや力を入れて地を踏む。

⑰ 腎囊の両側を股(月ヘン+當)と呼び、円く開いて締め付けないようにする。

⑱ 右膝をいささか曲げる。曲げないと股が開かない。

 

 普段、拳を打つ時はその場に応じ、別段方向にこだわったり、一定の位置を守ったりする必要はない。だが、北辰、北斗、皆北方になるため、学ぶ者も心をその方角に向けて天機を仰げば人間の中気も正しくなる。図解の場合も常に顔を北に向け、南を背に、右側は東、左側が西であるのを基準とする。

 

 立天の道を陰と陽と言い、立地の道を柔と剛と言う。立人の道を仁と義と言う。

 足は重さを容れ、頭は直を入れ、目は粛を容れ、手は恭いを容れ、座れば屍の如く、立てば齋の如し。

 孔子曰く「非礼見るべからず、非礼聴くべからず、非礼言うべからず、非礼動するべからず」、打拳の時は敬いを以て事に当たるから自然に規則を守り、見る、聴く、言う、動く事が総て規則に当てはまるようになる。打拳の前は心を平に保ち、気を和やかにし、渾然と合一させる。

これが太極の気象で、打拳の時、心は穏やかで気も静かであるから、手足を動かす方向も悠然と正確さを保ち、これは太極拳の中の自然の天機であり、悠然の中に礼儀に叶う。

 礼曰く「怠惰の気を身体に宿してはならぬ」。一度身体に怠慢が宿ると、動作は規則からはみ出て百痛が生じる。礼は敬を主とし、楽は和を主とする。敬と和に徹して初めて太極拳を習うことが出来る。

 或者は、太極拳は藝である。孔子の言葉に従うなどあまりにも厳格だ、聖人や賢人の修業すらこの位ではないか。仔細な藝でこうする必要はなかろうと言う。だがそうではない。打拳も修身の一つ。命を護衛する学問である。孟子曰く「規則がなければ何事も達成し難い」、打拳の道は終始敬という時の外ならない。敬を以て専心に志を通せば達成できない事はない。

 拳中の法は、次の通りである。

 左陽右陰図、運動気機図、手足纏糸勁図。

 

 左右の誤字とか、ワタシの線引きなどお見苦しい点はご容赦を。書き込みは、最初に読んだ(多分)30年以上前のものであります。

 

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50年代ロンドンを舞台した映画「ファントム・スレッド」〜美しく、厳しく、怖い”愛”

2018-06-25 14:59:21 | 映画

友人に進められて「ファントム・スレッド」を観た。

 

1950年代のロンドンを舞台に、貴族や王族の顧客を持つ天才的、かつ超完璧主義なエゴイスト仕立屋レイノルズと、彼にとって”完璧な身体”を持つウェイトレスアルマ。
彼が執着するのは”ミューズとして”の彼女。”完璧な身体”を愛し、彼女をモデルに昼夜問わず取り憑かれたようにドレスを作り続けるレイノルズ。
一方、彼の元で日増しに美しさを増すアルマは、ミューズではなく”愛情の対象”として認めて欲しい、彼を自分の“愛”の下に置きたいと強く思う。

ある日彼女は彼の食事に毒キノコを入れて、他人をシャットアウトして看護に専念する。。。
”愛”のキャスティングボードを握るのはどっちか。。。?


最初のシーンで、アルマがインタビューに答える。
ーレイノルズは私の夢を叶えてくれた。私も彼がもっとも望むものを与えた
ーそれは何?
ーAll Parts Of Me(私のすべてよ)


冒頭に、古い名曲「Fools Rush In」がゆったりしたテンポで流れるが、全体に流れる雰囲気が、まさにこの曲のタイトルとシンクロしているように思えた。
(因みに、Fools Rush Inとは”天使も恐れるところへ愚者は踏み込む、ばか者は怖いものを知らない”といった意味のことわざ。らしい)

 

エレガントで美しいドレス、それを一針一針慈しむように仕立てる白衣を着た縫い子さん達、天才仕立屋の美意識の強さ厳しさ、螺旋階段を上がっていく自宅兼アトリエの建物の様子。。。華やかなオートクチュールの裏側でもあるシーンはどれを見ても感歎!

第90回アカデミー賞6部門にノミネートされ、衣装デザイン賞を受賞。ゴールデングローブ賞では主演男優賞と作曲賞にノミネートされたポール・トーマス・アンダーソン監督作品。

主演のダニエル・デイ=ルイス、姉のシリル役のレスリー・マンデル、アルマ役のヴィッキー・クリープスと、英国で活躍する3人の俳優も素晴らしく、静かで厳しく、それでいて優しい、美しく妖艶な世界にうっとり。。でありました。

 

 

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「さとう陽子展ー油絵とドローイングー」が7月2日〜16日まで。

2018-06-20 10:31:42 | アート・文化

絵画、写真、詩、パフォーマンス等の表現を通して、自分自身と世界と向き合っているさとう陽子さん。

最初に彼女の作品とパフォーマンスを観た時の衝撃は今も忘れられない。キャンバス一面の白と、そこに描かれた線の潔さと、たおやかでいてキリキリした精神性には、曖昧に生きている自分を引き締める力があった。

それから20年くらいになるが、その後、絵画作品には次第に色彩が増えて画面が明るく賑やかになり(?)。写真も発表して、そこに添えられた短い詩も、その時々のワタシの気持ちに添い、年に数回の個展にはできるだけ出かけている。

 

今回の個展には

「作品を観る人の存在こそを闇の中に照らし出す。

そんな仕事がしたい。

観る人に光があたれば作品はワキになる。

私はワキになりえる作品を油彩で時間をかけ少しずつつくっていく。

体得したその質を、最近は紙にドローイングというやり方で一気につくる。」

というコメントをつけている。

 

大きな美術館で開かれる巨匠の作品群を鑑賞するのも素晴らしいが、小さな画廊で、今この時代に創造される作品を観るのは、より身近でダイレクトに伝わることがある。

■さとう陽子 展ー油絵とドローイングー

会期:7月2日(月)〜7月16日(月)

時間:12:00〜19:00(最終日は17:00まで)※10日(火)は休廊

会場:Shonandai Gyallery tel.03-3403-0103

   www.shonandai-g.com  六本木駅下車。国立新美術館近く。

国立新美術館では、ちょうど「ルーヴル美術館展 肖像画芸術ー人は人をどう表現してきたか」が開催中。ゆっくり時間を取って、両方を観るのもオススメしたい。

 

 

 

 

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梅雨空の一日、佐島にてサンドイッチランチ!

2018-06-19 10:56:44 | 日記・エッセイ・コラム

雨マークがでていた土曜日に、(太極拳教室は欠席して)佐島の黒川さん宅で「山百合の花見」。

4月に予定していた”1年後の山桜”が、雨で6月に延期になっていたの。

 

今年は桜の開花が早かったが、山百合も、紫陽花も、いろいろな花が早く咲いた。。

1週間前にメールで満開の山百合の写真を見たが、この日はほとんどが散っていて、階段には黄色く変色した花びらが、草や木の葉に混ざって濡れている。

ねむの木の花がちょうど開いて枝先に仄かに薄紅色を添えていたし、「崖の工事があった」とかで眺望が広がり、庭先の山桜の木と木の向こうには広々と海とが広がっている。

曇り空から時たまパラパラと、雨か木々の葉の滴か区別がつかない程の水滴が落ちてきて空気がしっとりして清々しい。。。

 

この日は「ストーンウォールギャラリー」と称して、庭の一隅の石垣に、黒川さんが撮った写真に俳句を付けた作品をピンで並べてちょっとしたギャラリー展示。

黒川さんが撮るモノクロ写真は、何気ない風景を切り取ったものだがとても表情豊かな作品。その一枚ずつに付けられた俳句と呼応して、静かで美しい世界を魅せている。。。観る人それぞれの、その時の気持ちにそっと寄り添うような、感慨深いものがあるのだ。

 

庭に据えたテーブルで、黒川夫人の孝子さんが作ったサンドイッチとラタトゥイユが美味しくて、昼間に飲むシャンペンは最高!

気のおけない仲間との気ままなお喋りも楽しく、いつもと違う素敵な土曜日の午後でした。

 

階段脇にかろうじて咲き残っていた山百合。 

 

 庭先で、サンドイッチとラタトゥイユとシャンペン

 

石垣に写真を並べた一日だけのギャラリー

 

今日のゲストの一人(?)、アイバン

 

P.S

そうして、下は黒川さんが送ってくれた今日のストーンウォールギャラリーの写真。

比べるのも失礼ですが、ワタシが撮ったものとは格が違いまっす!

 

 

 

 

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陸 瑶老師の「形意拳講習会」のご案内

2018-06-14 10:32:01 | 教室と講習会のお知らせ

7月15日(日)は、陸 瑶先生の「形意拳講習会」。

形意拳は、太極拳を別の視点から捉えて、自分の身体の感覚を知るためにも、とても参考になる。(陳式の練習をしていると「あれ?これは形意拳の動きに似ている??」と思うことがある。形意拳は太極拳より歴史が古いから、どことなく入っているところがあるのかもしれない。。。)。

初心者でもなんとか動きについて行けるし、終わればスカッと爽快感があるのが一番! (もちろん、正しくやるにはそれ相応の練習は必要でっすが)。

夏の暑い盛り、大汗流して美味しいビールを飲みまっしょ!!

 

日時:7月15日(日)13:00(開場)〜16:15

場所:東品川文化センター2Fレクホール

アクセス:りんかい線「品川シーサイド駅」徒歩5分。または、京急「青物横丁駅」徒歩8分

参加費:2,000円

申込み先:yao@taijiquan.jp

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