連休の初め、渋谷 Bunkamuraで開催中の「写真家 ソール・ライター展」に。
1950年代から60年代中頃にかけて、「ハーパーズ・バザー」を中心に第一線のファッションカメラマンとして活躍しながら、1980年代に商業写真から退き、忘れられたような存在だったソール・ライター。
2006年にドイツで出版された作品集(この時83歳)で大きな注目を集め、2012年にドキュメンタリー映画が公開され、高く評価されている写真家だ。
ほとんど同時期に「ハーパーズ・バザー」で活躍していたファッションカメラマンが、リチャード・アベドン。その後のファッション写真の流れの中では超大物、断然有名、である。インパクトの強いアベドンの写真は、”ファッションはアートである”という価値観を表現していた。
一方で、同じ時期に、同じ雑誌で活躍していたソール・ライターの写真は、どちらかというと、外で、何気ない自然な景色の中で、ふとした瞬間を切り取ったような、静謐な時間を感じさせる。
窓の外から中を、中から外を、眺める。。その窓は雨粒で濡れていたり、湯気で曇っていたりして、そこから見える人の姿は揺らいでいる。
高架鉄道の上から、下にいる人物を見る。。高架鉄道に乗って、隣の車両に座っている人を窓越しに見る。。鉄の階段の隙間から見る。。
門扉の柵を通して、ドアと壁の隙間から、車のウィンドウの中から、外から、見える風景。。。
雪で灰色になった景色の中に赤い傘。。。青い信号機。。黒いシートが画面のほとんどを占めて、下の方に人物の黒い姿が見えるものもある。
あるいは、幾重にも鏡に映り込んだ景色はまるで美しく移ろう虚実の世界を垣間見るよう。
ソール・ライターの言葉が,メモのように所々に貼ってあるのだが、
「取るに足らない存在でいることには、はかりしれない利点がある」
「私が写真を撮るのは自宅の周辺だ。神秘的なことは馴染み深い場所で起きると思っている・・・」
「無視されることは偉大な特権である」等々、作品と言葉が相まって、心に深く染みいってくる。
”ニューヨークが生んだ伝説”というサブタイトル通り、1950年代から60年代の、豊かでエレガントで包容力のあるアメリカの時代記録にもなっているところも、なんだか切ない。。
その後、7時から、久しぶりに昔の仕事の部下、スタッフと会うために、Bunkamuraを出て松濤から丸山町を抜けて神泉駅近くの「開花屋」まで、ぶらぶら(この辺り、いい感じのお店も増えてすっかり賑やかになっていて、ビックリしました!)。
井の頭線「神泉駅」のホーム横の踏切を渡ってすぐの「開花屋」。小道に面した店は、魚料理が豊富な洋風居酒屋。
明るくて開放的な店内は、何故だかお客は欧米系の外人さんが大勢。南アジア系の日本語ペラペラのスタッフ。。
いろんな国の人達が雑多にいて、それぞれ楽しくお喋りしてて、とってもとってもナイスな店だった。
ともあれ、ソール・ライターの写真展を観て、あらためて、”肩書きも何もない自分一人。自分に忠実に生きる”、をかみ締めた夜でありました。
(いろいろあるのよ、これで)。