izumishのBody & Soul

~アータマばっかりでも、カーラダばっかりでも、ダ・メ・ヨ ね!~

PC買い替えて、再設定に四苦八苦!

2020-12-22 14:54:59 | 日記・エッセイ・コラム

今年はコロナ自粛に伴う教室閉鎖のお陰で(?)、持続化給付金を貰った!(^ ^)こともあり、もう10年くらい使い続けてきたPCを買い替えた。

データの移行はそれほど厄介ではないけれど、メンドーなのが、例えばこのブログの再設定を求められたり、ずっと使い続けてきたサイトへのログインに必要なID、パスワードなどをすっかり忘れていること!!

あれかこれか、とやってるうちにロックがかかって😂、月曜火曜をまるまる空けてやったけど一部は解決に至らず💦

 

はじめてPCを買って以来、ズ〜っと使い続けてきたのがMacだから、そのまま延長しているのだが、WordとExcelはどうしても使うのでこれもこの際新しいバージョンを買って、そしたら「PCにあらかじめセットしておきますから、届いたらこれでログインして」と店頭でカードを渡されて、それに従って作業すること昨日から😵、なのに、今日になってもまだ出来ない!!😭

サポートセンターの親切なお兄さんに電話でお助け!したら、結局、自分で何度もやってるうちにロックがかかって「今日はもうダメだから明日もう一度やって」みないとという結論。。💦あ〜あ、最初からサッサか電話しちゃえばよかったよ。

 

このブログも、かなり前に開設して、その時はスルスル〜とできたものを、今はセキュリティが厳しいから個人情報しっかり打ち込まなくては自分のブログにも入れない💢いいような悪いような、困ったものである。。。😔

ID、PWの一覧表を作ってはあるが、記載漏れもあり、途中で変更したのもあり、何が何だかわけわからん!疲れた〜!!の一日でありました。

 

 

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「霧の彼方 須賀敦子」若松英輔・著を読んで考える、”たましい”のこと

2020-12-08 10:42:16 | 本と雑誌

「コルシア書店の仲間たち」、「ミラノ 霧の風景」、「ユルスナールの靴」、「時のかけらたち」・・・・。本棚に並ぶ須賀敦子の著作。

キラリと小さな光を放つ宝石のように、ひっそりと仄かに心の奥深くに仕舞われているその言葉や、そこに描かれる街や風景が、ふとした時に気持ちを鎮めてくれる。

 

2020年6月に発行された若松英輔による「霧の彼方」は、須賀敦子の世界をより深く理解する一助となる本であった。

帯に「信仰と書物。」とあるように、この本は、1947年にキリスト教の洗礼を受け、聖心女子大学に進学し、信仰や祈りに日常的に接していた須賀敦子が、1960年に初めてミラノを訪れコルシア書店に深く関わることになったその足跡と翻訳家を経て著作家となっていく過程を辿りながら、須賀敦子の生きてきた時代と作品の評伝である。

 

コルシア書店で知り合った夫ペッピーノへの手紙の中に書かれたことについて、「彼女(須賀敦子)が重要だと考えたのは、何かをすること(doing)ではなく、その人間が存在すること(being)だった。これまでは、何をするべきかばかりを考え、彷徨い続けてきた。しかしこれからは、自分が「精一杯生き」うるところに身を置きたい、それが自分にとってはコルシア書店であることを、熱をこめて述べている。」とあるが、これを読んで我が意を得たり!!の気分。

これはワタシが最近太極拳を続ける中で感じたことに通じるものだ。

ワタシが考える太極拳運動は、ひとりで行う徒手の動きや形にしても相手と組んでの推手にしても、自分が「やる」じゃなく自然に「なる」もの。自然に「なる」まで練習を重ねて「やる」。多分、文章を書くという行為も、頭でアレコレ考えて作り上げるというよりも、心の奥から立ち上がってくる念いが言葉になり、それが文字となって小説や詩(翻訳もまたしかり)となって表現されるものなのだろう(宗教についても同様に)。

 

ある箇所では、身体と精神、神、たましいについての考察もある。

  「身体」、「精神」、「たましい」それらが人間を構成している。身体は精神とたましいとの器である〜〜〜中略〜〜須賀がーあるいはユルスナールがー考える「たましい」は「精神」と同じではない。「精神」を司るのは人間だが、「たましい」の主は人間ではない。人間を超えた者、ユルスナールがいう「おん者Celui」、キリスト者たちが「神」と呼ぶ者にほかならない。」〜これも共感するところが大いにある。そうそう納得!!なのであった。

この本の中で、著者の若松英輔はこう書いている。「思ったことを書くのではない。書くことで「思い」の奥にある「念い」と呼ぶべきものを確かめようとしているようでもある。」

”思いの奥にあるもの”。。。。静かに深く、でも強く発する何か言葉では表現できないもの、存在を感じることはできるが、確かめることのできないもの。。。それを神というのか、たましいというのか、信念というのか、人それぞれ拠り所とするものは違うだろう。

 

須賀敦子が暮らしたミラノは、まだ第2次大戦の記憶が残る時代である、

ミラノはドイツの「占領」がもっとも長く続いた街のひとつで、”ロレート広場は、ファシスト政権によるパルチザンの処刑が行われた場所であり、その九ヶ月後にはパルチザンによって捕らえられ、処刑されたムッソリーニの遺体が吊された場所でもある”という記述がある。今日ではファッションの聖地として知られる街には、この時代の戦いと悲劇の記憶が見えないかたちで残っている。そんな時代に暮らした須賀敦子が見て、体験して、感じ、考えた様々なことが、彼女の著作に凝縮されているのだろう。

 

今年のコロナ第一波が広がっていたちょうどイースターの時、イタリアのテノール歌手アンドレア・ボッティチェッリが誰もいない大聖堂で「Ave Maria」と「Amazing Grace」を歌ったシーンが忘れられない。YOU TUBEで放映された映像には、人っ子ひとりいない世界中の大都市(ミラノ、ローマ、パリ、ロンドン、ワルシャワ、北京、N.Y・・・)の光景が次々と映し出されて、胸が痛くなった。その光景を思い出しながら、本棚に並ぶ須賀敦子の本をもう一度読み直してみようと思うのであった。

ザワザワと気持ちが波立つことの多いコロナの時代に、須賀敦子の美しい文章と、静かに人生を貫く”たましい”と強い信念の源を知ると、孤独であることの大切さ、自分自身を保つことの意味などを考えずにはいられない。

 

それにしても500ページ弱になる本を読み込むのは数年ぶり。しかも物語ではなく”評伝”である。文章を考えながら読み進むのは結構しんどかった💦💦頑張った!ワタシ\(^_^)/でありました。

若松英輔著・集英社刊

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シロタ画廊で「榎本香菜子展」を観て、ギャラリーナユタで「門井幸子写真展」。久しぶりの銀座は人出が少なかった

2020-12-02 13:37:45 | 日記・エッセイ・コラム

コロナ感染者数(中でも重症者数)が増加して「65歳以上の高齢者、基礎疾患のある者は外出自粛」が言われる中、銀座で開催中の二つの個展に行ってきた。どちらも今週末までの展示で、どちらも観たい!個展だった。

 

一つは、シロタ画廊の「榎本香菜子展ーミツバチの羽音は聞こえるかー」。

榎本香菜子さんは、ずっと辿れば大学時代の友人、さらには就職した編集部に繋がる、長い知り合いだ。

香菜子さんの作品は、広々と風が吹く抜けるような画面とどこか懐かしく、時代や地域を超えた既視感が特徴だが、今回は、ミツバチを通しての表現である。蜜蝋と転写の技術を用いて手作業によるコラージュ(のような)作品は、古い洋書のページを蜜蝋で転写し、そこに油彩でミツバチを描き、六角形の額縁(弟さんの手による)にはめ込み、さらにそれをいくつか組み合わせてミツバチの(ハニカム構造)巣のように展示したものは、一点一点がそれぞれ古い時代の燻したような色調と、ほのかに黄金色のミツバチの絵とが、かすれかかった昔の記憶と仄かな煌めきを感じさせる。

花々の周りで蜜を集める小さなミツバチのイメージしか思い浮かばないが、香菜子さんは、女王蜂、働き蜂、それに女王蜂と交尾することだけが役割りの雄蜂の命に思いを馳せ、1億5千年前から地球に存在し、地球に花が咲き出した1億年前あたりから登場したといわれるミツバチ(=ハナバチ)を通して、人間社会のあり方を問うている。

ハチは環境のリトマス試験紙だという話を聞いたことがある。ミツバチの作品を観ながら、世界各地でコロナウィルスが蔓延する現状を思うと、地球が様々な手段によって私たち人間社会に警告を発しているように思えてくるのだった。

■榎本香菜子展ーミツバチの羽音は聞こえるかー

会期:2020年11月30日〜12月5日(土)11:00-19:00(最終日17:00迄)

会場:シロタ画廊 http://www.gaden.jp/shirota.html

 

シロタ画廊を出て、次に向かったのは、大好きなスペースでもある1丁目の古いビル奥野ビルにあるgallery Nayuta。

こちらでは、12月6日(日)まで、門井幸子写真展「春 その春」が開催中である。

東京生まれ、東京在住の門井幸子さんが北海道を巡り写真を撮り歩いている中で、ふと眼に留まった地ー穂香(=ほにおい)という美しい名前の風景との出会い、その後10年に渡って繰り返し訪れ撮り続けてきた作品である。

「春 その春」と題された作品は、”春”とはいえまだ寒風に吹きさらされる雪の中に立ち上がる藪竹(かな?)や、熱く積もっていた雪が溶けてなぎ倒された草々や、勢いよく流れる小川の水の冷たさ、うち捨てられた木枠のブランコ等々、風景に残された風や空気や光を通して時間の流れを感じさせる。モノクロ作品に焼き付けられた風景は観る人の記憶に繋がって、冷たい春の先に来る蘇りの季節への憧れを呼び起こす。

 

ギャラリーナユタの佐藤香織さんのオススメで、3階にある「中松商店」に立ち寄り。小さな雑然としたスペースではあったが、ここで、昭和の古い時代に描かれたカルタ絵や、東郷青児の描いた扇絵や、昭和モダンな作風の書画を見せてもらって面白かった。

 

■門井幸子写真展「春 その春」

会期:2020年11月23日〜12月6日  12:00-19:00(水曜休廊)

会場:ギャラリーナユタ

https://www.gallerynayuta.com/2020/10/19/門井幸子展-春-その春/

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