izumishのBody & Soul

~アータマばっかりでも、カーラダばっかりでも、ダ・メ・ヨ ね!~

岩波ホールで、「金の糸」を観る

2022-04-06 16:53:06 | 映画

ラナ・ゴゴベリゼ監督が「日本人が数世紀も前に壊れた器を金で繋ぎ合わせるように、金の糸で過去を繋ぎ合わせるならば、過去は、そのもっとも痛ましいものでさえ、財産になるでしょう」と語るように、監督が91歳にして発表したこの映画は、日本の金継ぎ(きんつぎ)をイメージした、老いることの寂しさを自覚しながら”過去と和解”し、「過去を乗り越えたなら、あとは未来を楽しむだけ」と、豊穣な人生を示唆する物語。

 

ジョージア(旧グルジア)の首都トビリシに住む作家のエレナの79歳の誕生日に、突然、かつての恋人から数十年ぶりに電話がかかってくる。。。それをきっかけに、若かった頃2人で街頭でタンゴを踊ったことを想い出し(美しいシーン)、同時に、突然同居することになった元ソ連の高官だったミランダ(娘の姑。アルツハイマーの症状が出始めて)への様々な確執が蘇り、誕生日を忘れてしまっている家族達への不満。。。。ミランダが家を出て街を彷徨い、廃墟に佇むところで映画は終わる。

舞台となっているエレナの住まいは、旧市街の古い石畳の舗道から一歩中に入った、中庭をかこむように建つ古い木造の集合住宅(中国の胡同のようだ)。中庭を囲んで住む住人たちは、いまだ人情を感じさせる付き合いをしている。懐かしく、親密で、暖かく、穏やかな暮らしに陰を落とすのが、エレナやミランダの記憶の奥に残るソヴィエト連邦下での時代。。。。その当時のエレナやミランダが過ごしていたことが、断片的に言葉や映像で示唆される。

ジョージアも、かつてウクライナと同じような経験を経てきたという。ウクライナへの侵攻によってジェノサイトと言える状況が明らかになりつつある今、東欧の歴史とそこに纏わる人の歴史とを考えずにはいられない。

 

閉鎖が決まった岩波ホールの歴史と、かつてそこで観た沢山のヨーロッパやアジアの名画の数々(「旅芸人の記録」、「ファニーとアレキサンドル」、「8月の鯨」、「芙蓉鎮」等々)を想い出す。5時間を超える映画もそこで観た。(ワタシ自身の)記憶とその時代に想いをはせると、身につまされるほど深い味わいのある作品であった。

 

 

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「国境の夜想曲」を観て思う。世界はどこに行くのだろう?

2022-02-20 13:18:56 | 映画

「国境の夜想曲」を観た。イラク、シリア、レバノン、クルディスタンの国境地帯ー”戦争に翻弄され、分断された世界”を、ジャン・フランコ・ロージ監督は、通訳を伴わず、そこに残された人達を3年以上をかけて撮影したドキュメンタリーだ。そこに映し出されるのは、哀切に満ちた人々と大地の力。余計な言葉や説明をせずに、その場、その風景をただ静かに映し出している。

 

中東の国々について殆ど知識はないけれど、この地帯は元々はオスマントルコ帝国が支配していた地域で、いろいろな民族それぞれがそれなりに平安に暮らしていたという。それが第二次世界大戦後のヨーロッパ諸国の進出以降、アメリカの同時多発テロ、アラブの春、アメリカ軍のアフガニスタン撤退等々を経て、今は侵略や圧政、テロが多発し、その地に住む多くの人々を犠牲にし、生活を破壊している。。。

 

冒頭に映し出される乾いた大地とそこに残る巨大な遺跡(のような建物?)や、夜に密かにボートを漕いで川を渡る男、亡くなった息子を失い、崩れ落ちた病院(あるいは収容所?)の小部屋で哀悼歌を歌う母親達、シリアに拉致された娘からの音声を何度も何度も繰り返し聞く母親。。。。説明やテロップなど一切なしに、ただただそこで暮らす人々や風景を映し出すことで、言葉にならない感情を伝えている。

ISISに拉致されたこども達を保護するプログラムの中で、あるこどもは自分が書いた絵を説明している。「ISISが殺して首を落とした。その頭を食べろと言われた」。。。淡々と。

 

映画を観ながら、「どうしてこんなことになっちゃったんだろう???」と何度も思う。

バクダッド、ダマスカス、ベイルート・・・「エルキュール・ポワロ」のシリーズや「カサブランカ」など昔の映画を観ると、小道や路地が入り組んだ迷路のような街、あらゆるものが並ぶ市場、色とりどりの民族衣装を着た人々の賑わい、イスラム教会の建物・・・”中東のパリ”と言われるように美しい街並と活気溢れる人々の様子が異国情緒を誘う。それらの街が、今や面影もなく破壊され、廃墟となっている。。。「どうしてこんなことになっちゃったんだろう?」

 

奇しくも、2020年2月21日の今、北京オリンピックは(疑惑を残して)閉幕し、ロシアによるウクライナへの侵攻が懸念されている。ロシアも、中国も、少し前は西側諸国とも友好的でオープンな関係にあったように思う。「21世紀は共生の時代」と喧伝されていたが、今、世界は真反対の方向に向かっているように思える。

 

ジャン・フランコ・ロージ監督は

「”国境の夜想曲”は光の映画であり、暗闇の映画ではありません。

人々の驚くべき、生きる力を物語っています。この映画は戦争の闇に陥った人間への頌歌です。」

と書いている。ラストシーンで、家族のために早朝からハンターのガイドをする少年が見つめるのは明るい世界なのだろうか。。

 

中東の乾いた美しい光景や朝焼けや、遠くの街の爆撃の光、川の揺らぎ・・自然は人間の都合に関わらず、常に変わらず美しく、時間は同じように流れていく。国境が地続きでない日本に生きていると想像しにくいけれど、戦争で犠牲になるのは一番弱いこども、女性、社会的弱者。。。戦争をしたがるのは誰?世界を分断しようとしているのは誰?と考えずにはいられない。

 

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田中 泯の「名付けようのない踊り」を観た

2022-02-10 10:59:42 | 映画

ヒューマントラストシネマ有楽町で、上映中の田中 泯「名付けようのない踊り」を観た。

東京都の感染者数が10000人を突破している毎日(^_^;)。混雑している東京方面には出かけたくない。。でも、映画は観たい!!コロナ下で見逃した映画はたくさんある。田中 泯「名付けようのない踊り」は評判になっていることもあり、この手の映画(派手な宣伝なし。記録。地味で真面目。上映期間が短い。回数が少ない)はすぐに上映終了になってしまうことが多いので、(ワタシの場合)観る機会が少ない。当日の朝まで迷ったけれど、やっぱり行こう!家から有楽町まではJRに乗って一本。乗り換えもなし。あちこちウロウロしなけりゃ大丈夫!(なんせ東京在住の友だちの多くは”3回目のワクチン接種終了”したというのに、横浜はまだ!3回目のワクチン接種を待っていたら何もできないよぉ〜)。

 

「名付けようのない踊り」は、世界的なダンサーとして活躍する田中 泯の踊りと、この"踊り"に至るまでの生き様を追った映画。

普段は山梨の村で畑を耕している彼は、踊りと演技、踊りと身体について語っている「まっさらにしてその場を感じて踊る。自分を出すとか何かを表現するとかを越えて、その時その場の中で踊る。。踊りも演技も同じところにある。踊るために身体を作るのではなくて、野良作業によって自分の身体をつくり、それで踊る。これぞ魂の中から湧き出る肉体表現だ。」これって凄い〜!!ダンサーは踊るために日々身体を整えている。でも、彼の場合は、まず自分自身の身体があって、踊る”場所”に立ったときに内から表出すう動きが”踊り”となっているのだと。”自分を出すとか何かを表現するとかを越えて、その時その場の中で踊る”という言葉にも眼からウロコが落ちる思い(?!)。

彼は、自分の子供時代のことを「わたしのこども」と表現する。その「わたしのこども」時代の記憶や感覚は、アニメーションで描かれているのだが、その線と動きが素晴らしく繊細で情感に満ちている。風のそよぎや草の匂い、雲の不穏な動きや、日に照らされた山の小道の暑さや乾いた土の感触・・・・アニメーションからはそんな記憶の中にある感覚が、呼び覚まされてくる。

映画は田中 泯自身の語りと、これまで世界各地で踊ってきた記録を見せながら、踊りとアニメーションが生む映像の奥行きの深さに、”美しい”ってなんだろう?とあらためて自問する。

 

終わりまで眼をそらすことができない。時々引き込まれるように眠気がさしてくるが、それもまた彼の踊りが及ぼす慈愛、癒やし、解放感・・・あるがままでいい、受け入れていい、と思える状態なのだった。

 

映画館内はガラガラ状態で安心安心。4つか5つ空けた座席に座った高齢の男性が、映画が始まるとほとんど同時に、「ク〜、ク〜」っと寝息を立て始めた(?!)。その向こうに座った男性は、座席を移動した。

大きなイビキなワケではないけれど、やっぱり静かな上映中の館内では気に障る。それでも結構集中して鑑賞。終わったら同じビル内の「點」でランチして、サクサクと横浜に帰りました。 

 

 

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中国の新世代の映画「春江水暖」は、まるで絵画のような静謐な美しさに満ちている 

2021-02-24 14:16:12 | 映画

この作品がデビュー作だという”中国の若き天才”グー・シャオガン監督はこの映画について、”現代の山水絵巻のように、彼らの人生がゆっくりとスクリーンに広がる、そんな映画を作りたいと思いました”と語っているが、その言葉通り、まるで一級の水墨画を見るように、心が静かに慰められ、自然の美しさと人の営みに心が暖かくなる映像であった。

中国杭州・富陽(ふーやん)を舞台としたこの映画には、街を流れる大河・富春江の四季折々の様子や、緑深い山に延々と続く階段や、雪の降る川辺の風景などの映像が、まるでそれ自体が主役のように丁寧に描かれ、そこに暮らす家族の時の流れに重なる。

 

街の再開発に揺れる一族それぞれーーー料理店を継いでいる長男、川で漁をしながら船で暮らす次男、ダウン症の息子と二人で暮らしながら道を踏み外していく三男、まだ結婚相手が決まらずにいる四男。家長である母の誕生日の祝宴に集まった4人の息子と長男、次男の妻たち。その祝宴の場で母が倒れることから話は始まる。。。。

圧倒的に迫るのが、大河・富春江の様子だ。

長男の娘の恋人が大河・富春江を泳ぐ様子を何分間にも及ぶシーンでは、川辺に並ぶ大木の枝葉がたっぷりと川面に覆いかぶる様子に時間の深さを見る思い。あるいは、四男がお見合いをした女性と語る何気ないシーンに映る花のさりげない美しさ。認知症のために行方不明になった母が河に漂う舟の中で眠る、まるで彼岸への旅を思わせるように幻想的な映像。。

”山水画に着想を得たという横移動の長回しの絵巻”に悠久の中国文化と民衆の逞しさのエッセンスが凝縮されているよう。社会や世界がどのように変わろうとも、緑や水と共存している限り、人は簡単には崩れないのかもしれないと思った。

何気ないように見えるシーンに映る花が美しい。

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53年後の「男と女」〜J・L・トランティニアンとアヌ—ク・エーメの情感に震える

2020-03-20 13:05:58 | 映画

1966年に制作されカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した映画「男と女」。クロード・ルルーシュ監督、ジャン=ルイ・トランティニャンとアヌーク・エーメ主演によるこの映画の50年後の二人を描いた、「男と女 人生最良の日々」を観た。

カーレーサーだったジャン=ルイは、今は認知症が出て来て老人ホームに暮らしている。息子のアントワーヌ言うところの「最悪の中のベストな施設」である(素晴らしい環境!)。ほとんどの記憶が薄れていく中で、彼が繰り返し口にする名前が「アンヌ」。。アヌーク・エーメ扮するかつて愛し合った女性である。アントワーヌは父親の記憶のためにアンヌを探し出し、ジャン=ルイに逢いに行くように頼む。そこから50年を経た二人の新たなストーリーが始まる。。。。 

 

認知荘の主人公ジャン=ルイを演じるジャン=ルイ・トランティニアンがとってもとってもチャーミング❣️顔に深く刻み込まれた皺も、薄くなった唇も、小さくなった眼も、白髪も、着ている服も何もかも、すべてが魅力的!!ドキドキ胸キュンである。

車椅子を押されながら女性スタッフに「いつ寝てくれるンだ?」と話しかけるのはしょうもない年寄りなのだが、アンヌに向かって「(庭にある)あそこの扉から一緒に脱走しよう」と語るジャン=ルイの眼は、少年のようにキラキラ輝いている(アンヌが誰かは認識できてないのだが)。

アヌーク・エーメも当時と変わらず美しく気品があり、言葉は少ないのだがジャン=ルイへの溢れる想いが伝わる。フランスの女優ならではの魅惑的な存在感だ。 

 

ドーヴィルの海岸を子供たちと散歩する二人、ホテルで気まずく分かれて電車でパリに戻るアンヌを、先回りして駅で出迎えるために車を走らせるジャン=ルイ、映画のプロンプターをしていたアンヌが、亡くなった夫と馬に乗るアンヌの回想シーン(夫役はピエール・バルー!)。。。記憶として流れる前作の映像シーンはモノクロで全体を通して珠玉の宝石のように散りばめられている。対してジャン=ルイのアタマの中で繰り広げられるアンヌとの逃走ドライブはハイパーなカラー(これが 哀しくも可笑しいの!)。。 

ラストシーンは猛スピードで疾走する車から見る夜明け前の街並みーー後方に過ぎ去っていくのは時間、消えてゆく記憶、でも愛は消えない。。。懐かしくも切なく、いとおしい美しい映画だった。

 

前作と同じ監督、俳優、音楽はフランシス・レイ(2018年に亡くなった)が制作した奇跡的な素晴らしい映画!公開当時から何度も再上映された「男と女」を観て震えるような憧れや感動を感じた、同じように年を経てきた者にとっては、まさに年取ったからこそ深く感じ入る映画であった。前作を知らなくても、これが甘美なノスタルジックでなく、記憶や夢、愛は時間を超えて瑞々しく蘇るということに深く安堵すると思う。

 

上が1966年、下が2019年の「男と女」ジャン=ルイとアンヌ。どちらもため息がでます。

 

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