ラナ・ゴゴベリゼ監督が「日本人が数世紀も前に壊れた器を金で繋ぎ合わせるように、金の糸で過去を繋ぎ合わせるならば、過去は、そのもっとも痛ましいものでさえ、財産になるでしょう」と語るように、監督が91歳にして発表したこの映画は、日本の金継ぎ(きんつぎ)をイメージした、老いることの寂しさを自覚しながら”過去と和解”し、「過去を乗り越えたなら、あとは未来を楽しむだけ」と、豊穣な人生を示唆する物語。
ジョージア(旧グルジア)の首都トビリシに住む作家のエレナの79歳の誕生日に、突然、かつての恋人から数十年ぶりに電話がかかってくる。。。それをきっかけに、若かった頃2人で街頭でタンゴを踊ったことを想い出し(美しいシーン)、同時に、突然同居することになった元ソ連の高官だったミランダ(娘の姑。アルツハイマーの症状が出始めて)への様々な確執が蘇り、誕生日を忘れてしまっている家族達への不満。。。。ミランダが家を出て街を彷徨い、廃墟に佇むところで映画は終わる。
舞台となっているエレナの住まいは、旧市街の古い石畳の舗道から一歩中に入った、中庭をかこむように建つ古い木造の集合住宅(中国の胡同のようだ)。中庭を囲んで住む住人たちは、いまだ人情を感じさせる付き合いをしている。懐かしく、親密で、暖かく、穏やかな暮らしに陰を落とすのが、エレナやミランダの記憶の奥に残るソヴィエト連邦下での時代。。。。その当時のエレナやミランダが過ごしていたことが、断片的に言葉や映像で示唆される。
ジョージアも、かつてウクライナと同じような経験を経てきたという。ウクライナへの侵攻によってジェノサイトと言える状況が明らかになりつつある今、東欧の歴史とそこに纏わる人の歴史とを考えずにはいられない。
閉鎖が決まった岩波ホールの歴史と、かつてそこで観た沢山のヨーロッパやアジアの名画の数々(「旅芸人の記録」、「ファニーとアレキサンドル」、「8月の鯨」、「芙蓉鎮」等々)を想い出す。5時間を超える映画もそこで観た。(ワタシ自身の)記憶とその時代に想いをはせると、身につまされるほど深い味わいのある作品であった。