izumishのBody & Soul

~アータマばっかりでも、カーラダばっかりでも、ダ・メ・ヨ ね!~

「ピエール・アレシンスキー展」でリフレッシュ!

2016-11-20 16:36:50 | 日記・エッセイ・コラム

時間がポッと空いたので、渋谷文化村ザ・ミュージアムで開催中の「ピエール・アレシンスキー展」に。

1927年生まれ、今年で89歳(!)のベルギーの現代美術家である。

 

1948年制作(2001年再刷)のエッチングから始まり、50年代、60年代・・・2015年制作の作品まで、躍動し、爆発し、うねり、流れ、連続性のある、自由闊達な作品を見ていく内に、なんだか身体の内側からエネルギーが湧き出てくるよう。

イーゼルに掛けず、床に紙を置いて、墨壺を持って身体を使って描いていく手法を友人から教わったというが、これ、まさに蔡 國強氏(中国の現代美術家)も同じ方法で作品を作っていた(!)(もっともビデオの中で「今は歳も取っているし、イーゼルにキャンバスを置いて描いている」と語っていた)。

1955年に日本を訪問し、禅の画家や前衛書道家との交流から,自由奔放な筆の動きに影響を受け、また、アメリカのコミック本に刺激されて画面をコマ割りして描いた作品など、どれもこれも、決まりや定型やパターンにまったく縛られない、どこまでも広がり移動し、枠を飛び抜けたような圧倒的な筆の勢いから生まれたダイナミックな作品が、年代ごとに変わるもの変わらないものを巻き込みながら、迫ってくるのであった。

蚤の市で探した古い手紙や古文書、航空図、中国の紙や日本の紙・・・様々な紙をキャンバスで裏打ちした作品群も,見ているとどこまでも想像が広がって面白い。

ビデオで,「もし色のついた液体を手につけて動かせば、何か描けるかもしれない。。何もしなければ、もう歳を取って終わりだと思ってしまう。。」と語っていたが、90歳を前に、まだ何かを創造することへの気持ちが日々湧いていることに感動する。

まだまだワタシは発展途上だなぁ〜。。。と、あらためて気持ちを引き締める思いでありました。

 

現代美術の展覧会は比較的空いているのもゆっくり鑑賞できて嬉しい。

見終わって、寒くて雨が降りそうな日だったけど『ドゥ マゴ パリ』で大好きなホットワインを飲んで幸せ!

ゆったりと満たされた午後のひとときでありました。

詳細は、以下のHPで

http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/16_alechinsky/ 

  

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陸先生の「形意拳講習会」では、毎回、すごく勉強になることがあります

2016-11-11 14:40:47 | 太極拳

11月3日に陸 瑶先生主宰大陸武術協会の「第6回演武交流大会」があった。

当日のプログラムの挨拶文に、こんな一文があった。

 

「さて、中国には「冬練三九、夏練三伏」という諺がございます。

これは冬と夏の3つずつの節期であり、一年中で一番寒い時と厚い時を表しています。

そういった厳しい気候の時ほど、暑さ寒さに負けない強い体を作るため、しっかり鍛錬する時だという、修行者に対する励ましの言葉です」

 

 う~~ん、これ、納得だよ!

 初めて陳式太極拳を習いに中国に行ったのは、冬の寒~い時期。陳家溝(鄭州)の王 西安老師の元であった。

さすがに外ではやらなかったが、練習場所はホテルの社員食堂(みたいな?)部屋。スチームで窓が曇っていた。締め切っているから埃がすごい。。。すぐにノドをやられました。

写真を見ると、厚手のタートルセーターにマフラーをグルグル巻きー着むくれて埋もれているワタシがいる。

 

 さらに、また別の時。。。真夏に陳 正雷老師の元に行った時は、ホテルの庭が練習場。

かんかん照りの直射日光の中、アタマに手ぬぐいとスカーフを巻いて、まるでアラブ人のような格好で練習しているワタシ達。

 

 日本での練習も(昔は)頑張りました!

日本太極拳友会の合宿に初めて参加したのは、真夏の河口湖(かな?)、翌年が三浦半島(かな?)。

太陽がギンギラギラに照りつける外で(!)、「簡化24式は20回通し!楊式は10回通し!!」というメチャクチャな要求の元、汗だらだら、脚パンパンになりながら、(マッチの軸を地面に並べて回数を数えながら)必死で繰り返し練習したのでありました(顔のシミはきっとこのせい)。

 

 またある年の真冬、采気法の講習会のために来日していた王 西安老師の合宿が御殿場であって、そこに参加したのね。

富士山を眼前に見上げる御殿場。しかも、青少年センターの体育館(!)。

雪を被った富士山が目の前に聳え立って、空気も澄んで空は青々。。それはそれは美しかったけど、ひたすら「寒い!!」。

当然、体育館には暖房なし(!)。寒くて冷え切って凍えそうな体育館で、”采気”だからあまり動くこともない。。。

王先生も「涼快(リャンメンクワィ=寒いね)!」と笑いながらたばこプカプカ。。

 

 青少年センターという施設であるからして、宿泊はベッドがいくつも並んだ相部屋。

お風呂は外にあって歩いて行く。入浴時間は決まっている。暖まって外に出るとまたすぐ寒くなる(!)。。。と、今なら絶対に(ッ!)行かないような場所で、真剣に練習しました。

 それ以前に中国に行った時に、王先生から「勤学苦練 益々深入!」という言葉を書いてもらっていたので、イヤとも不思議とも思わずにひたすら言われた通りの練習。。。

 

 思い起こせば、よく頑張りました!

 お陰ですっかり強く(?)なりました。ワタシ。

 

今年、大陸武術協会の大会で思いもかけず、初めて「冬練三九、夏練三伏」という言葉を知って、あらためて、これまでの練習の日々を思い起こしたのでありました。

 

大会では「形意拳」のチームとして表演したのだが、ナンセ、6月19日の講習会やったきり。

参加する、というので慌てて10月に自主練習したものの、「きれいに忘れました」と清々しい顔で集まったシロウトばっかりで迎えた本番なので、あっという間に終わってどうだった~??

 

11月6日の講習会で、陸先生から細かいチェックと基本の再確認を受けて、次は11月27日の「品川区武術太極拳連盟交流大会」が本番(!)

この講習会では、かなり基本的な身法を教わって、そこには太極拳の考えかたに関することもあり面白かったのであるが、この続きは次回の更新で。

余計なことで長くなってしまいました。。

 

 

 

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歳を取っても楽しく遊ぶ!見本を見た「偲ぶ会」

2016-11-01 14:11:08 | 日記・エッセイ・コラム

10月30日(日)、5月に亡くなった島田 耕氏の「偲ぶ会」が鎌倉の「JAZZ CLUB DAHPNE(ダフネ)」で開かれた。

 

カントリー音楽の評論家であり、バンドを組んでライブ活動もしていた島田 耕氏の音楽仲間遊び仲間が集まっての「偲ぶ会」は、10月28日が誕生日でもあったこと、闘病中、「10月になったら新バンドでライブをやりたい・・」と語っていたこともあり、偲ぶ会はしんみり挨拶抜きのライブ。ステージ中央には、カメラを下げた(ギターではないのだった)島田さんの写真が立てかけてある。

MCも兼ねていた横地瑞穂さんが「島田さん、私たちもいずれそちらに」と会場を見渡して「皆さんはすぐ行きますね〜!」と笑いながらキツイジョークを飛ばして、始まったライブは、彼が長いこと続けていた「Cowboy Manbo」からカントリーバンドの演奏が続く。

島田さんが学生時代の頃からの付き合いで、彼にカントリー音楽や横浜の遊びを手ほどきした師匠でもある(?)元「元町 信濃屋」の白井さんも出席していて、変わらぬダンディぶりで歌声を披露。

昔(1960年代後半くらい?)の横浜の、スマートでお洒落で、遊び上手な大人の、貫禄のある佇まい・・・相変わらずの素敵な紳士であった。

 

唄いながら涙を流していた女性ヴォーカリストもいたけど、圧倒的に楽しかったのが尾崎兄弟であった。

84歳と82歳(!!)という兄弟デュオで、まずはお二人ともお顔がそっくりにビックリ!

肩に手をかけて、仲良く顔をくっつけて唄う姿が「カワイイ〜!」ったらないの!

CDのライナーノーツを島田さんが書いたというが、それが「”とんでもない兄弟”と書いてあって・・」と。

その様子が目に見えるようだ。

それにしても、80歳を過ぎて、好きな音楽で楽しく遊ぶことが出来るって素晴らしい!

これでいいんだ!って感じだね。

 

ステージ中央と別に、サイドに置いてあった若い頃の島田さんの写真は、今風に言えば”イケメンアイドル系”。

島田さんがエッセイを書いていた「BAY MA」の旧スタッフ達と「島田さん、カッコイイ!すっごいモテただろうね〜」と、楽しくお喋りしつつそれぞれの心の中でしっかり偲んだ夜でした。

 

  

白井さん           尾崎兄弟          元BAY MAスタッフと 

 

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