太極拳の練習には、基本となる身体への要求が多々ある。
立身中正、虚領頂勁、気沈丹田、剛柔相在、虚実分明、含胸抜背、沈肩墜肘、上下相随、陰陽相在、軽妙沈着、内外相合・・・・四文字熟語ばかりだ💦。
同じ漢字文化の国だから、文字から大体の意味は分かる。しかし!日本語とは微妙に意味するところや考え方が違うところがあり、その違いを間違って認識している面が多々あるのだった。
一番大きな違いは、腰はどこ?
日本人的には、腰はイコールヒップ(骨盤周り)。と捉えていることが多いが、腰とは腰椎の周り。多くの日本人がイメージする腰とはヒップのこと。骨盤の方だ。だから、腰を回すと言うと骨盤を回している人が多い。骨盤は骨だから回らない(若干の上下、左右、前後に動くことはあるが)。これやると肩も一緒に回って身体の軸はグラグラ。膝は内側に向いてしまう。四角い上体が右や左に向くだけで、力を出す動きにはならない。腰からの力が肩―肘―手首と伝わって、最終的に指先まで気が通る(勁力が生まれる)。
手足を動かすのは筋肉。腰を雑巾絞りのように右と左に絞ることでそれを解いた時に全身にふわっと気血が流れる。ある中国人の先生は、「腰と骨盤は反対方向に回す」と表現していたが、呼吸と合わせてやってみると確かにギュッと絞ってからの解きは、全身に伝わるのだった。
ここ数年、陸 瑤先生の指導に接しているが、講習中に何度も言われるのが「含胸抜背」と「沈肩墜肘」。陸先生は最近はYOU TUBEで太極拳の用語解説も始めていて、勉強になることが多い。
「含胸抜背」は胸を縮めて背中を丸くする人が多いが、それはただの猫背!背中の筋肉は緊張して、胸は縮んで萎えている。。。これは違う!前後協調して身体を支えていなければ太極拳でいうところの“掤勁”にならない。“柔”ではあっても“軟”ではないのだ。
“緩める”と“萎える”が似て非なるものであるように、胸を閉じて縮めて背中を張り出すのは“含胸抜背“とは言わない。
過日のオンライン配信では、陸先生は、私たちに“抜”という字の意味から考えさせた。
“抜”を使うのはどんな場面か?――大根を抜く、とか何かを引き抜く、という動作。それから考えれば“抜背”とは背を抜く。ン?背中を抜く〜?!。。。。ここで思い出したのが、亡くなったワタシの師である三代一美先生が語っていた「“抜背”は、背中の力を抜くことよ」という言葉。
背中の力を抜くーーと言っても背中全体の力をダラっと抜くのではなくて、脊柱は上に尾てい骨は下に引き合った状態で、息を吐いて肩の力を抜く(肩甲骨を下げる)。 上に引き上げる、といっても腰から下は下に、地面の奥深くに根を下ろすように沈めているのだから、腰は浮かない。肩甲骨や肩も上がらない。背中から脊柱だけを引き上げる、と言ったイメージ。背中を立ち上げる、背中を伸ばす、といった方が分かりやすいかもしれない。。。
言葉は違っても言いたいことは同じ。だから、陸先生の解説を聞いて初めて一美先生が言いたいことが、確信としてストンと腑に落ちる。
同じことを言っているのだが指導者によって言葉が違うことはよくあること。それを「違う!」と受け取るか「あ、同じことだ!」と受け取るかで、学ぶ側の意識が問われる。学べることは楽しい!
もう一つの「沈肩墜肘」も重要なキーワード。
肩が沈めば肘が墜ちるーー太極拳では、根節―中節―末(梢)節という言葉がある。
手や足の付け根は根節、肘や膝は中節、足首・手首は末節だ。足の裏(湧泉)から大地の気を吸い上げ、足から腰に上がり、背中を上がり、肩から肘、手(〜指先)まで、身体全体に意識で気を通すことが要求される。
“意によって気を生じ、気を持って身体の隅々まで勁を運ぶ”のが太極拳運動の原理(勁は力。ただし硬い剛の力でなく、柔の力のこと)。動きの中の手の動作は、必ず、肩―肘―手、の順番で伝わって形となっていくもの。手を下ろす動作は、いきなり手が下に行くのではなく、肩が沈む(緩む)→肘が落(墜)ちる→手首が収まる。。。という順番で、最終的に出来上がりの形となる。
ちなみに、手を上に挙げる動作は、肩を下げれば軽やかに動作を完成させることができる。物理でいう運動の原理と同じ。手を上に向けようと思えば肘を下げればよく、肘を下げようと思うなら肩を下げれば良いのであった(こっちを下げればあっちは上がる、である)。例えばまた、ボートを岸から漕ぎ出す場合、オールで岸を押せばボートは水面を反対に動き出す。昔々の中学か高校生の頃の教科書の絵が浮かぶ。
太極拳は物理の原理にも適っている!と、これまでも何度か感じたことであったのだが、中国語と日本語のニュアンスの違いを知ることでこれまで何度“目から鱗が落ちた”ことか!陸先生には感謝感謝!である。
陸 瑤先生はYOU TUBEで武術用語の解説や健身気功の八段錦や十二法を配信している。とってもとっても参考になりますヨ!