前回掲載したのが4月20日。あれから2ヶ月半も過ぎてしまった💦
6月から各教室が再開し、3ヶ月のブランクを経ての練習は当然前回の続き、とはいかない。
かつて毎年のように中国・鄭州に行ってた時は、1週間から10日間くらいの滞在中毎日陳式太極拳を練習していると何となく身体が自然に動きに慣れていくが、帰ってきたら日毎にその感覚が抜けていく、忘れていく。。。中国の、あの空気・太極拳三昧の日々に身を置いてこそ体得出来ることがあるのだった。
YOU TUBE やオンラインレッスンを続けてきて改めて確認できたことや、疑問に思っていたことが解決できたことがある。それはやっぱり”基本に戻って丁寧に身体を動かすこと”。太極拳は細かい身体の動きへの要求がある。経絡ストレッチでは”経絡ラインを流す”と言い、太極拳では勁( 気)を運ぶとか言ったりするが、どちらも気血の流れを良くすることが気力とか勁力を付けることに通じる(因みに、ワタシは気とは生命エネルギーと理解している)。
コロナと共存していくだろうこの先、{意(識)によって気を生じ、気をもって身体の隅々まで勁を運ぶ」太極拳は自分の身体と向き合って自分を知ることに通じる。意識と動作と呼吸を完全に一致させることーー”やる”じゃなくて”なる”。陳正雷老師がかつて書いてくれたメモ「昼は雲手、夜は読書」をもう一度かみ締めつつの教室再開の日々ではあります。
今回の翻訳部分は、かなり重要なポイントがある。下線部は理屈じゃなくて体感を大切に。という伝統拳の元を再確認できる箇所だ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜・〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜・〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜・
第六勢 搂膝拗步の続き
内気が内に運行するのを“引勁”といい、これは陰に属し、伸張すれば陽となり、歩を出せば陽、歩を仕舞えば陰となる。足指をつけば陰中の陽で、足を平らに踏めば陽中の陰となる。上腕の背面はもともと陽に属するが攬擦衣の勁が右手指から肩に引かれて陽になった場合、その勁は逆に陰となる。上腕の腹面はもとは陰に属するが、勁を用いて心臓から指頭に運行した場合、その勁は逆に陽となる。これは陽は陰に根ざす意で、上腕の腹から外に向かって運行する勁が急に収縮されると陰は陽に根ざし、陽は陰に隠れているため、とにかく互いに根となり合っているため、半引半進、引きながら進む原理で、陰陽一斉に併用して互いに逆らわず、即ち陰陽合徳、初めて心機動じて手の技も鮮やかとなる。
内気の丹田に帰すの説には別にこだわる必要はない。これは気を臍下小腹に降下させるだけのことで、よく研究すれば分かるが、丹田は気の源をなすところではないから、特にここに帰する必要はない。もともと全身の元気は皆腎から出るもので腎水が足りれば気は自ずと強壮となり、これは胃から養われ、ここが養われれば気は自ずと強くなり、これも肝に貯えられたもので、肝気がひとたび動ずれば逆気が爆発するので気は安らかでいられない。これも心に含まれるもので、心に妄念がなければ平和であり、この気もまた肺に影響する。肺は声量を司る器官で、声は心機により出される。心機の行くところ、言葉表され、心は口より先になることを喩う。心は膽(=胆)の強さと関連し、胆が弱ければ気も進まず、これも脾に連結するもので、脾は経多く気が少なく、血は音にすぐ動ずる。ひとたび動ずれば運行が止まらない。これは心が動ずると脾も動ずるからである。続いて大腸は多気少血で小腸に補われて前臍上後部で背に付着し、滓穢物の濁気を除いて清気を残す機能がある。以上の経絡はすべて拳と関連するので説明した。
腎は経少なく血が多い器官で全部で二個あり、」二つは一体となり心に通じ、上行して脳気に到る。脳気が生ずるのはここで、帰するのもここであり、全身の気は実にこの両腎間から出入りするもので、腎を命門とも呼ぶが、腎は気の出入り口を言うため拳術では命門という呼び方を強調しない。
(以下続く。2020,07,14)