izumishのBody & Soul

~アータマばっかりでも、カーラダばっかりでも、ダ・メ・ヨ ね!~

7月25日、希直さんの月命日。メンタルクリニックに行ってみた。

2024-07-28 17:05:40 | 日記・エッセイ・コラム

7月25日は、希直さんの月命日だった。。。

その日は、友だちに紹介された元町のメンタルクリニックに。まだ気持ちに揺れがあることもあり、花が萎れてきたのでついでにどこかで花を買ってこよう、とも思った。亡くなって自宅に戻ってすぐは、お付き合いのあるマンションの知り合いや友だちから花が届いてきたが、1ヶ月もたつとそれも落ち着いた。

もう1ヶ月、まだ1ヶ月。。。沢山の一緒に過ごした時間が思い浮かんで寂しい、哀しい。人に聞くと、「3年はかかるよ」とか「5年はかかる」とのお返事。せめて少しでも気持ちがラクになるなら、と、メンタルクリニックを紹介されたのであった。

 

一番辛いのは、夕ご飯が終わって後片付けをして、ベッドに横になっている希直さんに「ゴミを捨てに行くけど、一緒に行く?」と声をかけると、かならず「行く」と言ってベッドから身体を起こし、車椅子に乗って、家庭ゴミだけでなく、新聞雑誌やら段ボールやら、プラごみやらをまとめてマンションのゴミ集積場に捨てに行っていたことを思い出す時だ。。。夜空を見上げながら「月だ出ているね?」とか、「寒いから早く中に入ろう」とか、他愛もない言葉を交わしながら、夜の中庭まで車椅子散歩であった。。。今は、思い出すと辛いから、ゴミ捨ては昼間だけ。

 

メンタルクリニックでは、初回ということで、たっぷり1時間かけていろいろ話を聞いてくれて、少し気持ちが軽くなった。

花はどこで?と、元町商店街で探したものの、UNIONの花屋は今はまとまった花は扱ってないし。。。で、思い出したのが石川町駅近くの花屋さん。店先にはいつも、小さな花の苗を沢山並べてあって、安いのである。

そこで、ひと抱えくらいの花束を作ってもらって(思いのほか安かった!)帰宅。

話を聞いてもらって、命日に綺麗な花を飾って、こうやって少しずつ希直さんがいない生活に慣れていくしかないのだろう。。

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8月の太極拳&経絡ストレッチ、陸 瑤先生の形意拳横浜講習会の予定

2024-07-19 13:11:54 | 教室と講習会のお知らせ
 

梅雨明け宣言が出て、一気に気温上昇、暑くなりました💦

希さんの死亡後の手続きは、まだやっと区役所関係を終えたばかり。。。まだまだ先は長い。。

夜は安定剤を処方してもらって眠れるようになったが、腰や背中の凝りはしつこく残り、食欲は湧かない。。一人分の食事を作る分量がまだ分からない。。。でも、食べなきゃ。。😅で、なんとかかんとか日々を過ごしている。一人で家に籠もっていても落ち込むばかりだ。太極拳と経絡ストレッチの教室も、先週から再開した。行けばやっぱり気持ちも身体もすっきりするしね。。

というわけで、8月の太極拳と経絡ストレッチ教室、それに陸 瑤先生の形意拳横浜講習会の予定です。

太極拳教室については急な予定変更があるかもしれないので、詳しくは陳式太極拳普及会ブログをご確認を。

〜〜〜〜〜〜〜〜・〜〜〜〜〜〜〜〜・〜〜〜〜〜〜〜〜〜

■陳式太極拳普及会土曜日教室

〜中国・陳家溝伝来の陳式太極拳。意識と呼吸と動作を完全に一致させて動くことで、自分の身体に対する鋭敏な感覚を養い、免疫力も高まります。

8月の陳式太極拳教室は、以下になります。

03日 13:00-15:00 磯子スポーツセンター第3体育室 ※陳式剣プチ講習会㉜

10日 お休み

17日 13:00-15:00 井土ヶ谷・集英館

24日 13:00-15:00 井土ヶ谷・集英館

31日 お休み

※予定は変更になる場合があります。詳しくは陳式普及会HPをご覧ください(*^_^*)

 

■カルチャー本牧教室

〜ストレッチと合わせて、老架一路の套路をゆったり気持ち良く。経絡ストレッチだけの参加も大歓迎!

第2・第4木曜日/太極拳、第3木曜日/経絡ストレッチ体操

08日、22日 11:00-12:30 陳式太極拳     

15日 11:00-12:30 経絡ストレッチ体操

場所:横浜市営バス「本牧一丁目」バス停下車すぐ。「HOT MOTTO」2階

見学・問い合わせは linmuizumi@gmail.com

※経絡ストレッチ体操のみの参加もできます。

 

★★陸 瑤老師の形意拳横浜講習会★★ 

陸 瑤先生の形意拳講習会は、一日の疲れをスカッ!と吹っ飛ばしてくれます(*^_^*)

仕事帰りの重い身体で来ても、終われば軽〜い身体でご帰宅でっす \(^O^)/

鈴木は諸々の事情で、当面お休みします。お問い合わせは陸 瑤先生まで直接お願いします。

8月は以下の予定です 

08日(木)、22日(木)19:00-20:30  

会場:両日ともに、フォーラム南太田3Fスポーツ室(京急「南太田駅下車」徒歩5分)

時間:19:00-20:30 

参加費:2,500円+会場費分担(200~300円) 

★初心者歓迎!!「形意拳をやってみたい!」という方はお問い合わせください。陸 瑤先生の懇切丁寧&アツ〜イ!指導が受けられまっす👍

陸 瑤老師 yao@taijiquan.jp

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希直さんとは、”赤い糸で繋がっていた”と思っている

2024-07-15 13:51:17 | 日記・エッセイ・コラム

クドいけれど、希直さんの思い出。。。。

初めて希直さんに会ったのは、ワタシが大学2年生頃のこと。希直さんはすでに大学を卒業していたものの就職せず、父親が経営していたアイススケート靴店で仕事をしていた。後から聞くと、卒業論文のテーマについて、指導教授から「君は変わってるから、ユダについて書いたら?」と言われ、それが気に入らず(?)江ノ島水族館に就職が決まっていたが、卒業せず留年したのだとか(*゚Д゚)。優しいけれど、素直なワケではないのであった。

 

ちょうどその頃、たまたまその隣りで私の母が喫茶店を初め、ワタシは大学の空き時間に都立大学から東神奈川まで通い、店を手伝っていた。

初めて希直さんに会った時、すぐに、「私はこの人と結婚する!」と強く感じたことを今でもよく覚えている。

大学卒業後、私は東京であるファッションデザイナーの企業に就職し、編集部に勤務。撮影やら原稿書きやら、配本やら、今では考えられない仕事の日々で希直さんとは何年も会わない時期があった。ある日、数年ぶりに電話があり、すぐに結婚。1975年、希直32歳、いづみ26歳の秋だった。

 

希直さんはこれまで会社勤めや仕事をしたことがなく、ちょっとヘソ曲がりな面はあっても、他人に対して決して悪意をもたない人だった。「こんにちは!と言われて怒る人はいないんだから、誰にでも挨拶するように」と、私は希直さんから学んだ。それまでは、知らない人に挨拶するのは苦手だったのだ。(今は誰彼なく「こんにちは!」と言える。希直さんを見習ってかもしれないし、ただ単にワタシが歳を取ったせいかもしれない)。

 

とにかく優しい人だった。やることは丁寧で繊細、雑なところは一切無し。毎日の食器洗いは希直さんがやっていたが、最後のゴミ処理も何一つ残さないように手で集めて捨てる。。誰もが口を揃えて言うのはとにかく「優しい人だった」。結婚してから今までずっ〜と「いづみさん」と“さん”付けで呼ばれ、友人からは「あなたは幸せね」と言われたものだ。

1980年代後半、どこもかしこもバブル景気で、フリーランスでの仕事は多く、私は東京で忙しくて帰りも遅く、それでも一言も文句を言わず、やりたいことを自由にやらせてくれて、いつもいつも待っていてくれた希直さん。友だちは、「夜、電話するとアナタがいなくても希直さんが出るとなんだか安心するのよね」と言ったが(ケイタイがまだない頃である)、私の友だち誰からも好かれ、誰でも受け入れる人だった。

30歳で始めた太極拳を学びに、毎年のように訪中していた頃、一緒に行っていたワタシの指導者のご主人が「昔、訪中したあなた達を迎えにワイキャットで待っている時、2〜3度お会いして話をしました。風流な方とお見受けして、いづみさんの理解者と勝手に受け取りました。物腰の柔らかい穏やかな方でしたね」と言ってくれました。「この方はいづみさんの応援団なんだと思った。すぐに分かりましたよ」と。誰からも好感を寄せられ「希直さん、希直さん」と呼ばれる人だった。

 

今から思い返すと、2年前にコロナワクチンの副反応で腰椎圧迫骨折。手術後に、感染症にかかって再入院・手術。コロナの最中で面会も出来ず、ストレスで十二指腸潰瘍を発症し、さらに入院が延びて3ヶ月ほど会えない時期があった。この時は辛かった。会いたくて、毎日毎日、泣いていたっけなぁ〜。コロナ憎し!

それまでは病院にかかることもなく、ヒマに任せて二人であちこち出かけていたのだが、入院中にすっかり足が弱くなり、退院した時は、車椅子生活。ベッドで過ごす時間が長かったが、今思えばこの退院後の2年弱がこれまでで一番長い時間を一緒に過ごし、穏やかに、向き合って、幸せに、安らかに日々を過ごせていたと思う。あるとき、(何かをしていたワケでもなかったはずだが)「今が天国のようだな😊」と嬉しそうな顔をして言ったことがあった。希直さんと、もっともっと一緒にいる時間を作っていたらよかった。。😭

 

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2024年6月25日、希さんは、天国に旅立ってしまった。。。

2024-07-14 14:24:15 | 日記・エッセイ・コラム

これまで何回となく希直さんの介護生活を書いてきたが、6月25日(月)15:55分。希さんは、とうとう天に召されてしまった😂😂😂肝門部胆管ガン、であった。

 

5月1日に、いつものように本牧病院の通所リハビリの迎えの車に乗り、ワタシは歯医者の予約で待っていたら「黄疸が出てるから、すぐに受診」との連絡が。。。一旦家に戻り、必要な物を持って急いで本牧病院に。大雨が降っていた日だった。。。

「胆管が詰まっていて胆汁がまったく出ていない。理由は分からない」(゚Д゚)。。。

結局、本牧病院で2週間入院したが、原因が分からず、みなと赤十字病院に転院。。。 

みなと赤十字病院で詳しい検査をした結果、「(何本かある)胆管がすべて詰まっていて、ステントが入らない。ストローも入らないほど詰まっている」。。。各種の検査や治療を試みた結果、胆管の集まっているところに癌があって(!!??)、肝臓に入り込んでいるので手術は考えられない。(若くて体力があれば他の方法もあるのだろうが、これまでの経過から見てまず体力がないし、その手術自体がかなり難しい)。

後になって調べてみたら、「厄介なことに検診などでは見つかりづらく、発覚した際には進行しているケースが多い」という。 その胆管ガンの中でも、最も難易度が高いという「肝門部胆管がん」。希さんはこれにかかってしまったのだっだ😭担当医によると「余命は年単位ではなく、月単位。あるいは日単位」残酷な宣告であった。二人とも、なにも言葉が出なかった😭😭😭

それから急転直下のごとく緩和ケア病棟に移り(一旦自宅に戻りたい、という希望は、”奥さんの負担が大きすぎる”との理由で叶えられなかった)。治療はせずそこで静かにゆっくり死が訪れるのを待つ、しかないのであった。。

緩和ケア病棟に移ったのが6月11日。それから2週間。先生の見立て通り、希直さんは6月25日の夕方、死んでしまった😭

 

そもそも2年前にコロナワクチンの副反応で腰椎圧迫骨折。手術後に、感染症にかかって再入院・手術。コロナの最中で面会も出来ず、ストレスで十二指腸潰瘍を発症し、さらに入院が延びて3ヶ月ほど会えない時期があった。すべてはこれが始まりであった。

それまでは病院にかかることもなく、ヒマに任せて二人で呑気にあちこち遊び歩いていたが、3ヶ月の入院中にすっかり足が弱く歩けなくなり、退院した時は、車椅子生活。ベッドで過ごす時間が長かったが、今思えばこの頃が一番穏やかに、お互いいたわり合って幸せに日々を過ごせていた。

 

5月にみなと赤十字病院で検査を受けていたある日、お見舞いに行った帰りがけに、「ずっと傍にいてくれるだけでいい」と言った。希直さんはこの時、すでに自分の寿命を感じていたのかもしれない。。。これまでいつもいつも、私を包み込むように、でも自由に、私は希直さんの大きな心と手の上で、やりたいことをやって、幸せに過ごしてきた。(ほとんど)ベッドに寝たきりになっていたときも、帰ると必ず「お帰りなさい!」と手を挙げて迎えてくれた希直さんの声を聞くことは、もうできない。それが一番悲しく、胸が痛い。 

 

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