時間がふと空いた時は、映画を観に行くか、美術展に行くか、あるいは散歩がてらのショッピングに行くか、するが、時々無償に本が読みたくなる。
好きな作家は、須賀敦子、茨木のり子、ガルシア・マルケス、村上春樹、萩原浩、藤原新也・・・その他、いろいろ雑多。
お片付け大得意であるが、好きな作家の本は処分できずに置いてある。その時だけ夢中!の本もあれば、何年でも懐かしく大切に思う本もある。
ぶらぶらと書店を歩きながら、表紙やタイトルが気になる本を探す。芥川賞・直木賞はあまり興味ないが,『本屋大賞』を取った作品は気になる。
「羊と鋼の森」も、表紙の写真とタイトルの不思議さに引かれ、さらに「本屋大賞」三冠受賞!という帯で即!買い。
本文中に何度か、「明るく静かに澄んで懐かしい文体、少しは甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えているような文体、夢のように美しいが現実のようにたしかな文体」という引用が出てくるが(原民喜という作家の言葉だそう)、まさにその言葉通りの文章だ。
その”文体”を”音”に置き換えて、そんな音を目指す若い調律師(北海道の森で育し、木や鳥の名前を良く知っている)と、ピアニストを目指す若い女性(双子の美少女)のお話である。
“羊”は、ピアノの弦を叩くハンマーのこと(ハンマーは羊の毛で作られるフェルト),“鋼”はピアノの弦。ピアノの蓋を開けるとそこには、羊(ハンマー)と鋼(弦)の森があって、弾き手と調律師との感性が一致するとそこには一つの曲をきっかけに、さらに大きく素晴らしい世界が広がっていく。
読み進むにつれて気持ちが静かになって、文章に描かれたふとした光景ー放課後のがらんとした教室や、調律に向かった家の様子、本番前のコンサートホールのしんとした客席や暗がり、純朴な青年のぎこちなさ(彼は双子の美少女が見分けられない。違う服装をしているのに、そこに関心が向かないから。でも、二人が引くピアノの音で性格を見分けることができる)などが、目の前にあるように見え、その場の温度や風や光を感じる。
自分の想像力がどんどん解放されていく感覚だ。
子供の頃、家にはピアノがあって時々は調律師が来ていたのだったが、この本を読むまでは、その仕事がこれほど深く洞察に満ちたものであるとは、考えたこともなかった(!)
音を通して世界と調和している、言葉が見つからなければ音で表現すればいい。。誰にも、音でなくても言葉でなくても、自分が表現でき没頭する何かがあれば、世界は平和で心満ち足りているのだ。きっとね。
ともあれ、深く静かな余韻を残す本でありました。
「羊と鋼の森」宮下奈都 文藝春秋社刊