izumishのBody & Soul

~アータマばっかりでも、カーラダばっかりでも、ダ・メ・ヨ ね!~

李 自力老師の来日20周年記念大会で楽しい一日!

2018-08-31 14:09:29 | 日記・エッセイ・コラム

昨日(8月30日)は、品川総合体育館で開かれた李 自力老師の来日20周年を記念する「体験・交流・演武大会」があり、午前中の講習会に参加させてもらった。

李 時陸老師は、選手強化コーチとして世界大会に参加する日本人選手の育成に実績を上げている、人気と実力のある老師である。

 

この日の講習会は、種目を固定せずに、短時間でいろいろなものを体験してみよう!という主旨で、とっても楽しい!

太極柔力球、形意拳、陳式太極拳、孫式太極拳、楊式太極拳の5つの種目をそれぞれの講師(段老師、熊老師、劉老師、李 静遠老師、李 自力老師)が分担して、受講者は、25分ずつ合計4回の時間であれこれ移動して体験する。

一種目をずっとやるのでもいいのだが、太極柔力球だけは全員が体験するようグループ分けがされている。

私は陳式2回と孫式1回に、太極柔力球を体験。

 

この太極柔力球は始めて見たが、これが楽しいの!(それにかなり足腰を使うのだった)

卓球とバドミントンの中間くらいの大きさのラケットと柔らかいボールを使って、二人組みでボールをやりとりしたのだが、ボールを打つ、とか受ける、ではなくて、ボールは上に(せいぜいラケットの幅くらいの高さ)、ラケットに落ちてきたのら腰が沈んで(一度呑み込むような感じ)、それから足の伝わりで相手に渡す。。。

ラケットを持ってるからどうしてもバドミントンのように打ち込んだり、自分から取りに出たりして身体が動いちゃうが、身体はそこに置いたまま。。。最初はボールを落としてばっかりでワーワーキャーキャー、それはそれは大騒ぎ。。。

難し〜い!でも楽し〜〜い!!

上に放り上げたボールが落ちてくるのを受けて右に左に、外に内にと自由自在に踊るように型があるのだが、段老師の動きは、まるでボールがラケットに張り付いているが如くに、手をいくら動かしてもボールが下に落ちることがない!!「え〜ッ!!??どうして〜!!」。

 

講習会の最後は、段老師による太極柔力球のその一とその二の表演を見せてれたが、二の方では、ボールにさらにリボンが付いているではないですか!

リボンがヒラヒラと、ボールはポーンポーンと宙に舞ってはラケットに吸い寄せられるように戻る。。。眼を瞠り、あんぐり口を開けている内に終わって、やんややんやの大喝采!これ、いいわ〜!!

この日のメイン、李 自力老師は、孫式太極拳と楊式太極拳、それにアンコールで32式太極剣を表演してくれて、その限りなく滑らかで柔らかい動きは、観ている方も広々と気持ち良く、素晴らしい!!派手な動きではないが(というかあくまでも自然に見える)、これぞ太極拳! 

 

講習会では、各25分ずつの短時間でほんの最初のサワリだけ。って感じではあったが、各老師は、その拳種の特長や他との違いなどをはっきりと丁寧に説明し、やったことはなかった孫式のキモや、陳式の押さえるべきポイントなどが分かって、とても勉強になりました。

資格や肩書き、知名度に関わらず、中国の老師から直接指導を受ける機会を逃さず参加し、吸収し、確認する・・・その気持ちを持った太極拳仲間と一緒に体験参加できて、おおいに盛り上がって美味しいビールを堪能したのでした。

 

 

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「モネーそれからの100年展」〜猛暑の中の一服の涼(?!)

2018-08-26 14:21:43 | アート・文化

睡蓮、水草、池の中の鯉(や金魚)、水面に反射する光や風、揺らぐ草々・・・・オランジェリー美術館で360度ぐるりの壁に描かれた睡蓮の絵(壁画)に包まれて(そうしてその後、ジベルニーのモネの家に行って)以来、モネは大好きな画家になった。
それまで絵画展などで観たことはあっても、実物を観て、感じて、体験してこその感動はなかったの。。。

以来、モネの展覧会は欠かさず行く。7月から始まった横浜美術館での「モネーそれからの100年展」は、期待と「どうなのかなぁ〜」が半々。7月は連日の猛暑・酷暑続きでなかなか足が向かなかったが、これがまた良かったンです〜!

特に後半の作品群と、それからインスパイアされた現代作家達の作品(絵画、写真、ビデオ、スクリーンプリントなどの新しい手法によるものなど)は、モチーフをモネの睡蓮から取ったり引用したり、色彩や筆のタッチや表現媒体などに、モネへのオマージュや関心を観ることができて面白かった。

光、水、大気、といった形のないものを描こうとしたモネの空間表現への探求は、別の手法で現代美術にも受け継がれているのだと思った。

展覧会では、モネの前期の作品とその後の一連の睡蓮シリーズと平行して、現代美術のアーティスト達の作品が展示されているが、ワタシが特に気に入ったのは、鈴木理策の「水鏡」写真シリーズと、福田美蘭の作品。

「水鏡」作品は、水面に映る重なり合うイメージが重奏的に映し出され、観ている方はどちらが実体でどっちが虚像なのか、自分が揺らぐ眼になったような、不思議な透明感のあるもの。

福田美蘭の作品は、都会の高層ビルのレストランから見た夜景とテーブルクロスがかかった室内の丸テーブルを「睡蓮の池」に見立てたもの。窓の外の夜景と窓に映り込むテーブルがまさに池のよう。キャンドルのぽつんとした灯りはまるで睡蓮の花のよう。。。まさに現代アートとモネがクロスオーバーするような生きのいい作品だ。

外に、水野勝規によるビデオも、ただひたすら静かに、池の水と光や風の移ろいが流れていて、猛暑の夏を一瞬忘れるような展覧会でありました。

 

 ・モネ「睡蓮、水草の反映」

・鈴木理策「水鏡」

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陳 鑫 著による「陳氏太極拳図解」への挑戦!〜その3

2018-08-21 13:42:47 | 太極拳

前回より続く。

 

"金剛捣碓"とは何であろうか。金剛は神の名で、剛は精金百錬の如く堅固なもので、それを持つ者は魔を降伏させる杵を手にしているかの如く、丁度穀物が臼にあって杵に搗かれるようなものである。

右手は降魔の杵を持ち、左手はやや曲げて臼のように成し、その堅剛沈重さを取り、また、両手でそれを一箇所に収めて心を護る。打拳の時は鼻を中心とし、左手で左半身を司り、右手で右半身を司る。それぞれの足は手の動きに従って動かし、心身の気は決して軽んじてはならず、運動の時は手で肘をリードし、肘で上腕をリードする。即ち手中の気は、手と腕をリードすることに止まり、これ以上を超えてはならぬ。これを超えると動作が硬くなるからである。上体の手が運動すれば下体もこれに従い、上下相従い、中間の動作も皆これに従うため、一気貫くことができる。

道場に上がれば端正に立ち、両手自然に垂れさせ、両足を揃え、両膝はやや曲げ、股間を開き、股を開けば心気発動し、まず左手のリードで左足を半歩前進させ、続けて右手で右足をリードし、右手は下より左手の外側を一回りさせて上に上げ、両手を繋ぎ環を回すようにして一回りさせた後、右手を左手の掌中に落とし、手と心を合わせて停止させる。右手と右足は軽く浮かせ、左手と左足はしっかりと地を踏み、土が地に委ねるが如く百穴に身体をリードさせるよう、そして清気が上昇し、濁気が下降するようにする。

清気は如何にして上昇するであろうか。それには心を平和に保ち、気を静める外はない。こうすれば濁気も下がり、この状態が終わると上体の清気は皆丹田に戻り、心気が下がれば、全体の気も総て下がる。太極拳の道理は、始めから終わりまでこの状態の一貫で、これは即ち正身法とも言うべきもので、端正でしかも厳粛充実していながら虚無の如く、柔のように見えてその実は剛である。上下四方如何なる状態に遭遇しようとも、それに応ずるだけの力を備え、大勢の者の中にいあってもそれを引率することが出来、理は充実して気持ちは平静にしておる。打拳の運営も円滑で、流れる如く意気は停滞することがない。各動作が終わった後は、渾然と太極の気象にかえり、いささかの痕跡をも残さず、外観さながら停止しているかの如くであるが、内面絶えず太極が運行している。これが太極の奥義である。

両太腿の付け根、股の部分を開け、開き方は大小を問わない。いささかの開きも開きと認められる、というのは、心が開けば股も開くわけで、この開き方を知らない者はたとえ三尺の広さに股を開いても開いたことになならない。学ぶ者は細かく研究を要する。

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陸 瑶老師の「形意拳講習会」のご案内

2018-08-21 13:24:09 | 教室と講習会のお知らせ

2013年に品川区武術太極拳連盟主催による陸 瑶先生の「形意拳講習会」を始めてから、今年で5年。

年にせいぜい2〜3回程度の受講では(しかも歳いってからのスタートだし)、たいした進歩も望めないが、それでも、めげずに続けてきたお陰で、大分身についてきたこともある(と、自分では思う)。形意拳をやって翻って太極拳を見直すこともあるし、身体の軸や腰の安定、足からの伝わりの感じ方等々、太極拳の拳論を身体を通して確認する習慣が出来た。

何より、陳式太極拳の指導を受けた故・三代一美先生から「形意拳をやってから、腰のキレが良くなった」と言われたことが何より嬉しかった。。。

 

そんなこんなの形意拳講習会。

次回9月17日(月・祝)の午後13:00-16:30、東品川文化センタースポーツ室にて開講。

初心者でも全然OK!  陸先生の楽しい、キビシイ、身につく講習会に是非!

ワクワクドキドキすること、間違いなっし!ですヨ。

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「朗読の会 心音」の公演で、涙と怒り。忘れちゃいけないことを思う

2018-08-20 11:58:07 | 日記・エッセイ・コラム

  太極拳繋がりで知り合った田中智子さんが主宰する「朗読の会 心音」の公演があり、ちょうど太極拳の教室は夏休み、久しぶりに予定なしになった土曜日の午後、鎌倉生涯学習センターまで。

 

 猛暑が続く今年の夏、この日は気温が低く、風も涼しく気持ちの良い日になった。

 週末は途方もなく混雑する鎌倉駅も、普段の休日よりは人が少なくて、鎌倉の駅前は湘南の風が心地よい。

 

 今日のプログラムは、「池の中の王様」と、「いしぶみー広島二中一年生全滅の記録−」。

 “全滅”の文字が胸を突くが、このグループのコンセプトでもある「忘れてはいけないこと」を思えば、苦しくても考えなくてはならない問題だ。

 

 まずは田中さんの門下生による朗読(劇?)「池の中の王様」。

 池の中で生まれた100匹ほどのオタマジャクシの中に1匹だけ、問題意識の高いコがいて、そのコが自分の周りのあらゆるものに「何故?」「どうして?」を発しながら、やがて手足が出て来てカエルになっていく・・・・目を閉じているとラジオドラマを聴くような感じ。

 門下生の皆さんが交替で読んでいくのだが(ナレーションというか物語を進行する人、オタマジャクシのコを読む人、途中で出会う大人?や虫たちを読む人など声色を替えて本を読む)、読む人の声の高低や質で、スッと気持ちに入ってくるシーンもあれば、ちょっと抵抗を感じる声もあり。。。でも、皆さん声がよく通って、聞きやすい。声を出すことをやってないなぁ〜(教室で指導している時は大声出す時もあるが)、と感じる日頃、とてもいい刺激になったのであります。

 

 メインは、「いしぶみー広島二中一年生全滅の記録−」。

 広島で、原爆投下にあった広島二中一年生達のその日を、後日、生き残った人達や両親の証言を集めた、広島テレビ放送原作による記録の朗読である。

 日記や、最後に残した言葉や死ぬ間際の様子(「“海ゆかば〜”をやっとでる声で口ずさんだ子もいると。そんな歌、歌わなくていいンだよっ!」、焼けただれた死体が重なる中から自分の子どもを探し出し、なんとか家に連れ帰るも結局は焼けただれた身体のまま手当する手段もなく、眼の前で子どもは死んでいくその惨さ。。。(お母さんの手記をそれぞれが読んでいく)

 

 最後に主宰者の田中さんが一人一人の名前を読み上げるのだが、死者数では実感できない“死”が、名前を読むことで一人一人の存在が浮き上がる・・・なるほど、名前と実体は一致していると胸を打たれる。

 ステージ上に映写される写真を見ていると、中学生たちの性格が想像できるようで、“生きていた命が一瞬にして消える(!)”という衝撃、寂謬感。。。

 名前を聞きながら、切なく哀れで涙が出て来たが、一方で、怒りも沸々。

 「どうしてこんなことになったの?!」、「誰が、この戦争を始めたの?!」、「子ども達を捲き込んで、正しい情報を隠して戦争を突き進めたのは誰?!」。。。。ほとんど、「責任者出て来い!!」って気分であります。

 

 以前に一度聴いたことがある朗読は、一人の読み手が静かに淡々と読み聞かせる内容であったが(それはそれで読み手の語り口が素晴らしく美しかった)、今回のように、ラジオドラマを聴くような構成は初めてでもあり、テーマも合わせて心に深く残った。

 

 鎌倉だし、陽気もいいし、帰りにネットで評判の鎌倉生涯学習センターのソフトクリームを食べて来よう!くらいの気分で行ったのだが、でも、そんな軽い気持ちで行ってもいいと思った。悲愴感があっては長くは続かない。記憶にとどめておいて、何かの時にかつてこんなことがあったことを思い出せば、今やらねばならないことも判断できる。

 まさに「忘れてはいけないこと」があることを、「忘れてはいけない」—それは判断する、という物差しを捨てることになると思うのだ。

 

 

 

 

 

 

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