犬神スケキヨ~さざれ石

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

日本人の素朴な話し

2017-03-11 10:00:30 | 草莽崛起
体調不良と忙しさでブログ更新ままならず…

てな調子です。

今回は日本人の素朴な話しとして、古事記や我が国の歴史、民族を掘り下げて感じた事を書いてみたいと思います。

日本の根っこは本能

古事記を読むと解りますが、三世紀ごろ三輪を中心とする大和王権の出現は、その理念に
皆が等しく食える世界を作ろう

そういうものです。

協力し、皆が同じ様に食べれる国を作る。

誰かが、誰かを支配し収奪したり、その為に殺したり、犯したり、盗んだり…
そんな事をしなくても、協力し合って食べていける世界を作ろう!

これが

八紘一宇

例えば古事記に記された国譲りなどは、それを表しています。

出雲の国を天照大御神の知らすところだとしながらも、その土着の神である大国主神を高天原に届く程の立派な宮殿に祀る。

決して排除などせず、仲間として協力して国を知らそうという事です。

ですから、地方に行くと天照大御神を始めとした神道の神々を祀る神社と共に『なんの神様?』と思う、名前も知らない神様が祀られていたりします。

これらは、その殆どが土着の神々だったりするわけです。
これは、その土着の神々を排除せずに信仰を駆逐せずに、上手く神道に組み入れたと言う事です。

つまり大和王権は支配したり、排除したり、駆逐せずに説得し、お互いの一致点を見出して協力する事で国作りをしたのです。

だから、こそ我が国は
初代神武天皇即位から2677年125代続く天皇を戴くのです。

王朝の交代を2000年を超えてやっていない。
その必要がないからです。

さて、狼などを見ても腹が減ったからとて仲間の狼を殺して、餌を独り占めしようなんてしません。
馬だって、餌が少ないからと側にいる馬を殺したりしません。

少ない餌も皆で分け合います。

種の保存に関わる程の飢餓に陥らないかぎり、無闇に仲間を殺したり、或いは共喰いなどしません。

群れで暮らす、知能の高い動物はだいたいそういうものです。

これは本能です。
その方が種の保存、生き延びる為に都合が良いからです。

本能は頭で考えるのではない、体で感じるもので狼や馬も頭で考えている訳ではないでしょう。

本能とは即ち自然です。

自然に従えば、殺し合ったり、収奪したり、犯したり、誰かが誰かを支配したりしない。

我々日本人は自然と共に生きて来ました。

自然を敬い生きて来ました。

その自然とはなんなのか?

自然は神々を生み、我々の生きる糧を与えてくれる存在

ならば、群れで暮らす人間も自然の一部。

だから日本人は自然に従い生きて来ました。

それは、他者と協力し皆食える世界を作る。

自然に従い生きるとは、殺し合ったり、奪い合ったり、犯したり、支配しない

これは本能なのです。

人間らしい生き方とは本能に従うこと。

人間らしい生き方

我々人間は動物の様に本能を体で感じる事は難しいことです。

だから、それを考えて決まり事を作ります。

それは暗黙のルールであったかもしれない。

けれど、それをはっきり見て取れるのは
十七条憲法や五箇条御誓文

ではないのか?

私はそう考えます。

人間は本能に従い放っておくと、殺し犯し奪い合う
そんな事を言う人がいます。
しかし、私は違うと考えます。

人間は本能に従い生きるなら、本当は殺したり、犯したり、奪ったりしない。

我が国はその本能の良き処を上手く汲み取り生きて来たのです。

僅か72年前に負けた戦争を見ても解りますが、我々の先達、我々の先輩達はこの本能に従い戦ったのだと理解できます。

世界は白人達に支配され、収奪され、殺され、犯され、人間としての尊厳を踏み躙られ続けていました。

その中で我が国だけが八紘一宇を体現し生きていた。

あの戦争の結果世界から植民地支配は消えたという事実。
そう考えれば、一体先の大戦の反省とはなんなのか?
我が国に反省すべき点があるのか?
私は甚だ疑問です。

例えば、西欧列強と肩を並べ様とした日本。

その時に出来たのが大日本帝国憲法であったわけです。

しかし、西欧列強と肩を並べ様と作った憲法は生煮えの憲法で、陸海軍の統帥権を天皇に与えたけれど、統帥権とはなんなのか?
戦争を始める責任、戦争を辞める責任が一体誰にあるのかすら明記されていない。

何よりも我が国の建国理念が殆ど盛り込まれていない。

そんな生煮えの憲法で、どうにか戦争に勝ってきた。
それは明治以前、江戸期の教育を受けて来た人々がいたからです。
江戸期の教育とはつまり本能を体現した教育です。

その江戸期の教育を受けた人々がやがていなくなり、やがて生煮えの憲法下で教育を受けた人々が増え、それらの人々が戦争をする。
しかし、それでも日本の根っこ『自然に従い生きる』生き方だけは示そうとした。
けれど本能を置き去りにした教育では、結果としてあの大戦には物理的に勝てなかった。

しかし、しかし本能に従い、自然に従う生き方だけは示せたから世界は少なくとも植民地支配なるものはなくなり、アフリカ・中東・アジアの諸国は民族自決を手にして独立を果たした。

そして大戦以降、我が国は他者の書いた憲法で生きています。

全く我が国の理念などありません。

我が国は自然に従い、本能に従い生きる国

憲法改正は私にとって、本来の生き方を取り戻すことであるのです。

あなたにとっての『日本』そして『日本人』そして『生き方』とはなんでしょうか?