犬神スケキヨ~さざれ石

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学ぶと言うこと1

2018-02-04 18:00:31 | 草莽崛起
我が国は明治維新を迎え
急速に発展、近代化を成し遂げました。

何故そんな事が出来たのでしょうか?

その一つに教育があります。

国家が近代化を成し遂げる為には、国民の教育。
それにより、国全体を底上げする必要があるのです。

その事にいち早く気づいていた明治政府は、維新以来『国の最重要課題』として取り組んで来たのです。

教育の重要性を感じ、声高に叫ぶようになったのは幕末の頃から既にあった。

西洋事情に詳しかった蘭学者などが、ヨーロッパなどの教育に関する書物を翻訳して教育システムを日本に紹介していました。

明治政府はそれらの影響もあり、発足後すぐに学校整備等に乗り出します。

明治5年(1872)
義務教育の基礎となる『学制』を施行します。

学校を設置すると学費無償とします。

明治8年には、日本全国に
2万4303校の小学校を建設

2015年現在で見ると日本の小学校が約2万6000校であるのを見れば、明治政府は維新から僅か8年で、現在と変わらぬ規範の初等教育制度を作り上げてしまったということです。

この『学制』の施行により、子供の就学率は急激に伸びます。
明治38年(1905)には児童就学率95.8%と、国民の殆どが学校に通うのが当たり前になったのです。

そこまでには、紆余曲折がありました。

農村部での子供は貴重な労働力です。
それを学校に取られては農家は仕事が出来ないので、随分と反対もあったのです。

しかし、教育とはすぐに答えの出るものではありません。

しかしながら、今食べる事のみ重視すれば『では将来どう食べるのか?』ともなります。
将来を見据えたならば、今教育をして優秀な人材を育成することが必要であると最後には納得したと言う事でしょう。

支那などは、労働こそ全てと若者を労働力としてしか見ていなかった為に教育に力を入れず、若者たちを重労働に駆り立てた。
結果、アホばかりの国民しか育たずに随分と発展が遅れてしまったのは事実。
これが共産党思想なのです。

今になって慌てて教育をやってはいるが、やはり時代の流れには全くついていけない。
だから、自ら開発することがなくパクリで技術を使っているのです。

コピーした技術では、そのシステムが一体どう重要で、どう関わっているのかが全くわからない。
だから、日本からパクった新幹線は事故ばかり起こしているのです。

日本が素早く学校教育を整備出来た事の要因としては、そもそも下地があったからです。

日本では江戸期から寺子屋藩校による教育が既に普及していたからです。
寺子屋だけでも全国に数万はあったとされます。

明治政府は、この寺子屋や人材をそのまま活用したのです。

明治8年当時は、小学校の4割は寺院、3割は民家を借りたものでした。

これらの教育の普及こそが大日本帝国、そこから現在の技術立国日本を支える礎となったのです。

明治35年に行われた大阪第10師団の徴兵検査では、読み書きや算術が出来ない者は25%程度、しかし識字率はぐんぐん上昇し昭和に入る頃には
ほぼ100%であたったのです。

政府は教育制度の整備だけでなく、国を挙げて学問に励む環境を整えたのです。
戦前は小学校で学年一番の成績を取れば市から表彰されることもあったのです。

勉強が出来る!という事が今よりもずっとずっと価値があった
そんな時代だったと言えるでしょう。