犬神スケキヨ~さざれ石

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旧、新憲法 統治と主権(6)

2020-10-04 21:50:00 | 連続
遂に昭和20年8月6日広島に原爆が投下されました。

そして同9日、次は長崎に原爆が投下されました。

更にソ連からは対日戦線布告を受けます。
このソ連からの対日戦線布告を受けた事でポツダム宣言受諾の可否が議論されます。

しかし、重臣同士の意見は二分し激しくぶつかり合う事になります。
議論を重ねますが、政府と統帥部で意見は一致せず、御前会議に持ち込まれます。

昭和20年8月10日
午前0時3分
皇居御文庫付属室、昭和天皇親臨の下最高戦争指導会議の御前会議が開かれました。

ポツダム宣言受諾可否について議論されましたが、ポツダム宣言受諾を主張する東郷茂徳外務大臣案と、徹底抗戦を主張する阿南惟幾陸軍大臣の案が対立します。

御前会議と言うのは従来、事前に出席者の意見を一致させた上で、一応の議論を経るものの、規定の結論を得て満場一致を以って天皇の裁可を仰ぐというものです。
いわば儀礼的な性格の会議です。

しかしこの御前会議では、出席者は本気の議論を交わし、三対三に意見は真っ二つと言う未曾有の事態となります。

そこで、会議の議長役であった鈴木貫太郎首相は天皇の聖断を仰ぐ事にします。
「斯くなる上は誠にもって畏れ多い極みではありますが、これより私が御前に出て、思し召しをお伺いし聖慮をもって、本会議の決定と致します」と述べたのです。

一同沈黙し頭を垂れる中、昭和天皇は

『それでは自分が意見を言うが、自分は外務大臣の意見に賛成する』

これによりポツダム宣言受諾が決定。

外務大臣の意見とは
『天皇の国法上の地位を変更する要求を含まない』
この様な解釈を前提として同宣言を受諾すると言う様なものです。

帝国憲法下に於いて確立された慣行によれば、天皇は政府や統帥部が決定した国策事項について却下する権能を有しないとされています。
その慣行がある中で、ポツダム宣言受諾の御聖断の様に、天皇が直接国策決定をするのは日本憲政史上、後にも先にも例はありません。
それほど重い御聖断であったのです。

御前会議の決定を受けて大日本帝国政府はポツダム宣言を受諾する旨を打電しています。

『帝国政府ハ昭和二十年七月二十六日米、英、支三國首脳二依リ共同二決定発表セラレ爾後蘇聯邦政府ノ参加ヲ見タル対本邦共同宣言二挙ケラレタル条件中ニハ天皇ノ国家統治ノ大権ヲ変更スルノ要求ヲ包含シ居ラサルコトノ了解ノ下ニ帝国政府ハ右宣言ヲ受諾ス
帝国政府ハ右ノ了解二誤リナク貴国政府カ其ノ旨明確ナル意思ヲ速二表明セラレンコトヲ切望ス』

これに対し日本時間8月12日午前0時45分にバーンズ国務長官から回答文が出されています。

『the authority of the Emperor and the Japanese Goverment to rule the state be subject to〜the ultimate form of Goverment of Japan』

『降伏ノ時ヨリ 天皇及日本国政府ノ国家統治ノ権限ハ降伏条件ノ実施ノ為ノ必要ト認ムル措置ヲ執ル連合軍最高司令官ノ制限ノ下ニ置カルルモノトス(略)最終的ノ日本国ノ政府ノ形態ハ「ポツダム」宣言ニ尊ヒ日本国国民ノ自由ニ表明スル意思ニ依リ決定セラルヘキモノトス』

日本側が特に回答を求めた『天皇国家統治の大権』については一言も触れてはいないのです。
バーンズの回答は『authority』についてのみ述べるに留まっています。

バーンズの意図は何なのか?

それは当時の米国民の世論を見れば判ります。世論は日本に対し『条件付き降伏』ではなくドイツの様に『無条件降伏』を迫っていたのです。

つまり、日本に対し強い口調ではあるけれど、同時に天皇の地位も認める意図があったのです。
世論の声を見れば、弱腰を見せれば政権は瓦解しかねません。

しかしながら、二発しかない原爆を使い切り、三発目はありません。
日本が降伏しなければ、日本本土決戦となり未曾有の被害を出してしまいます。

実に巧妙な組み立てで回答したと言えるでしょう。
一見すると、日本と交渉した様には見えません。譲歩した様子もない。
しかし、よく読めば天皇は最高司令官の下に置かれると高圧的な態度を取りながら、天皇の地位や退位、廃止はしないとも伝えています。
『最終的ノ日本国ノ政府ノ形態』については『日本国国民ノ自由ニ表明スル意思ニ依リ決定セラル』とあり、日本人が望むならば立憲君主として皇室を残す事も示唆しています。

先に述べた通り、二個しかない原爆を使い切り、米国とて後は手がない。
日本本土決戦となれば米国の若者にどれほどの犠牲者が出るか?
だからこそ天皇の地位に触れる事で、降伏を促したのです。

原爆を使う為に天皇に触れず。
使ったら使ったで、降伏を促す。
広島と長崎には違うタイプの原爆を使い、壮大な人体実験をやる。

しかしこの回答に納得しない、阿南惟幾陸軍大臣ら三大臣。
subject toと言う部分を外務省は制限の下に置かれると解釈しました。

しかし軍部はこれ隷属と解釈したのです。
これでは國體護持はできない!
『将来大混乱を来たし、光輝ある歴史を汚すことになる』國體護持の保障無きは、『玉砕しても徹底抗戦』と主張したのです。

この事でポツダム宣言受諾の可否を問う議論が蒸し返されてしまいます。

しかし、8月14日午前11時2分
吹上付属室に於いて再度御前会議が開かれ、二度目の御聖断となったのです。

この御前会議で昭和天皇は

『國體問題に就て色々疑義があると云ふことであるが、私は此回答文の文意を通じて先方は相当好意を持って居るものと解釈する。先方の態度に一抹の不安あると云ふのも一応は尤もだが私はさうは疑ひたくない。要は我国民全体の信念と覚悟の問題であると思ふから、此際先方の申し入れを受諾してよろしいと考へる、どうか皆もさう考へて貰ひたい』
そう述べたのです。

これにより総理大臣以下全閣僚が署名しポツダム宣言受諾詔書が作成されました。

この辺りの経緯は映画にもなっていますのでそちらをご覧いただくのも理解を深める一助となりましょう。

『日本の一番長い日』
旧作、三船敏郎主演
新作、役所広司主演
TVドラマ版
小林桂樹主演

ここで確認しなければならないのは、バーンズ国務長官の回答を受け、再度議論された後、天皇の御聖断に全閣僚が納得した上で全員が詔書に署名した点です。

つまり日本が最終的にポツダム宣言を受諾した理由は
原爆投下でも、ソ連参戦でもなく
バーンズ回答にあった
と言う事実です。

バーンズ回答に見え隠れする國體護持、天皇の地位の保障、米国の誠実なる事を信じると言う期待。

その事により受諾を決定したのです。

東郷外務大臣は同宣言を受諾する事で國體を護持しようとした。
阿南惟幾陸軍大臣は戦争継続により國體を護持しようとした。

ならばポツダム宣言受諾は明らかに『國體護持』であり、それは『天皇の国法上の地位』と言う事になります。

またポツダム宣言が発せられた時点で、米国も天皇の地位や統治形態に根本的な変更を加える様な統一見解もありません。
で、あるならば『八月革命説』が言う『根本建前』なる造語による『主権の移譲』と言うのは成立しません。