犬神スケキヨ~さざれ石

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その意味

2022-01-07 16:00:00 | 草莽崛起
新年を迎える事が出来ました。
2022年
令和4年
そして私の大切なオリジナルの暦
皇紀2682年を間もなく迎えます。

さて昨年の衆議院選挙を終えて、自民党は予想外に議席を減らさず。
立民、共産の共闘『立憲共産党』は大失敗。

維新や国民は議席を伸ばし、維新に至っては与党公明党を上回る議席数となりました。
急に目覚めた国民民主党代表玉木。
維新、国民は選挙後から改憲に意欲的です。
その意味では衆議院選挙は国民にとって有意義であったと言えるでしょう。

現政権がこの突き上げに改憲の努力をするかどうか?
それは我々主権者にかかっています。

一体憲法とは何ぞや?

と、言う事を我々は理解していません。
学校では例えば『誰しもが守らねばならない最高法規』だとか、はたまた『権力を縛るものだ』と言う人もいます。

権力を縛るものだとか言い出すアホは和式リベラル主義ぐらいのものです。
これは簡単に説明が出来るわけです。
憲法のどの条文を見ても権力を縛る、或いは類似の記述は一切ない
と、言う事です。

逆によく憲法を読んでみれば『憲法前文』に書かれています。


日本国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民と協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。

前文冒頭からこの様に記述されています。

これを読めば『権力を縛る』ものではなく『国民と国家の契約』であると理解できるのです。

その後、どこを読んでも権力を縛る等と読めるものはありません。

また、和式リベラル主義者たちは『大日本帝国憲法は天皇主権で、現憲法は国民主権』ともよく言いますが、それも間違いです。

旧憲法にあっても主権者は国民であると理解されますし、根本的原理と國體に鑑みても主権者は国民であると理解できます。
この辺りは拙著、この地味ブログでも解説していますのでお時間のある方は暇つぶしにご一読くだされば幸いです。

改憲と言えば憲法9条ばかりがクローズアップされますが、私としてはそこも重要ではあるのですが第八章九十二条〜九十五条も早急に改正すべしと考えています。
これは地方自治についてです。
我々は連邦制でも共和制でもありません。
よって地方自治についてアメリカが持ち込んだ民主主義を行う必要はありません。
我が国にはオリジナルの民主主義があるのです。
天皇陛下と言う御存在こそが我が国の民主主義の根本です。
これについては、またの機会に詳しく述べたいと思いますが、これまた拙著地味ブログにて記事を書いていますのでご一読ください。

私は改憲すべし!と考えますが、同じ様に改憲論の方で『時代に合わせて改憲』と仰る方もおられます。
これには違和感を感じてます。 
何故ならば『では、現憲法が合っていた時代はいつなのか?』と思うからです。

そうすると『戦後復興と東西冷戦期、経済的発展の為には合っていた』と仰る方もいる。

はて?

では70年代半ばから一体何人が拐われたのか人数すらはっきりしない北朝鮮による日本人拉致は時代に合っていたのかと思うわけです。時代の為、経済の為、横田めぐみや有本恵子、石岡亨といった人々が拉致されたのは仕方ないと言うのでしょうか?

現憲法には改正条項があります。
そもそも旧憲法から現憲法へも大日本帝国憲法第73条の改正条項により現憲法に改正されているのです。
むしろ憲法なるものは人間が作ったものであるわけで『絶対』なるものはありません。
神や仏が作ったものではないのです。
不磨の大典や教義や経典や聖書ではないのです。

憲法を守れ!と言うならば、それはむしろ改正条項を守れと言う事です。
96条に基づく改正条項は『この憲法は神ならざる者が作ったのであるから時代や状況に合わせて改正せよ』と要請しているのです。
何故ならば、憲法前文にある様に我々国民と国家の契約があるからです。

国家最大の福祉である国民の生命財産、自由生存権を守る義務があるからで、未だ帰れない拉致被害者を見れば、これは国家が明らかな憲法違反を犯していると言えるからです。
その憲法違反の前提として9条があるならば憲法の要請に従い改憲をするのは義務の履行です。

これと対極にあるのが日本国憲法第一条です。


第一条【天皇の地位・国民主権】
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の 存する日本国民の総意に基く。

コレも和式リベラル主義者や、或いはいわゆる保守を標榜する者まで勘違いしています。

日本国民の総意に基づくと言う一文を勘違いしているのです。

天皇と言う存在は我々のオリジナルの民主主義の中心であり根っこです。
簡単に申せば、我々日本国民は天皇陛下の大御宝なのです。
時の権力者はこの『大御宝』をお預かりしているにすぎません。
天皇の宝を権力者が好き勝手することは出来ないのです。
つまり権力者はこのお預かりした国民を生かす義務を負うのです。
その為に『権力を行使する』と言う事を最高権威である天皇から裁可頂いたのです。

ですから権力を行使する者には権威はなく権威は天皇にあり、その権威の根源は国民にあると言う事になります。

それは我々が明治の維新を迎える前からそうであって、明治の世に近代憲法を手に入れてからもそうです。
と、言う事は我々の民主主義を為す根本的原理がここにあるのです。

つまり国民の総意とは初代天皇即位から2682年間分の日本人の総意であって、現代日本人の身勝手な意識ではないのです。
つまりコレが我が国の國體を表す意味の一つでもあるのです。

つまり、天皇の地位は国民の総意に基づくものでなければならない。
だから時の権力者は民主主義を守る為にもこの条文にあるようにしなさいと憲法は要請しているのです。

では和式リベラル主義者や保守標榜者の間違いとは何か?
それは意味を理解せずに『国民の総意で天皇の地位は好きな様になる』と言う間違った解釈です。

この憲法第一条は『国家はこの条文に国を合わせろ』と要請しているのです。
例えば、愛子内親王による女性天皇や真子内親王のご結婚問題などで第一条を持ち出し、やれこうしろだ、やれああしろだ、挙げ句の果てが『国民の総意だ』などは愚か以外の何ものでもありません。

総意に基づき天皇の地位を貶めるのであれば憲法改正をしろと言う事で、それは國體の放棄であり我が国は民主主義を捨てると言う事です。
そして例えばアメリカやフランスの民主主義をやる事で民主主義が保たれると考えるならばそれは
日本を辞める、日本を棄てる
と言う事です。

もう愚かどころの騒ぎではありません。

例えば、今般防衛費が対GDP比1.25%になった事を騒ぐ人がいます。

たかが0.25%の上振れを『その金で別の事をやれ』とか。

これまたアホな話しですね。

安全保障は国の義務です。今や日本人は世界中でビジネスをやっているのです。
その世界中で活躍する日本人を憲法9条で縛り守る事すら出来ない現状で、せめて予算ぐらい付けなければ舐められてしまいます。

例えば中華人民共和国なる反社国家にすら日本人はいるのです。アホな話しですが。
そしてひとたび日中関係に緊張が走れば対抗策として邦人を無実の罪で逮捕したりするのです。
コレがアメリカ人なら、なかなかそうは出来ないでしょう。
アメリカなら自国民救出にあらゆる手段を講じて来るからです。
怖くて簡単には手出しできません。

コロナ禍にあっても、在外邦人に対する給付金は日本国からありませんでした。

これでは海外に『日本は国民を守る気がないぞ』と間違ったメッセージを送っている様なものです。





共産党などは改憲すれば、侵略戦争をするぞ!戦争反対!
我々だけが戦前も戦争反対を宣うた!
などと御大層にやっていますが、全くの嘘です。

唯一侵略戦争に反対したと自画自賛。

そも共産主義インターナショナル、いわゆるコミンテルン日本支部として誕生したのが日本共産党です。

コミンテルンは共産主義思想を世界に輸出し世界を『ソビエト化』するのが目的です。

そして『32年テーゼ』と呼ばれるコミンテルンの指令に基づき行動していたのです。
その中身は『絶対主義的天皇制打倒の為のブルジョア民主主義革命』を武力闘争によって為すと言うものです。

『天皇打破』と『共産主義革命』と言う国家転覆と呼んで良い綱領を掲げる集団。
それを取り締まるのが治安維持法であったわけです。

当時の日本共産党の具体的任務は、我が国においてスパイ活動を通じソ連に情報を流し、大陸に進出していた日本軍のソ連侵攻を阻止、戦力を削ぎ。
支那で進行中であった共産主義革命を支援することです。

その為に他国と内通し、他国の指示に従い、自国の転覆をはかる為に『戦争反対した』とか『弾圧された』と事実を捻じ曲げ美談にすり替えているのです。

コミンテルンと日本共産党の関係を見れば『平和の為に戦争反対』を訴えていたのではなく国を売る売国奴であるのは明白なのです。

では、前述した様に憲法前文における国家と国民の契約、96条による改正、9条の国民を守らない憲法違反と言える実態。
そして最も大切な第一条。

この真逆を主張するものは何者で何を企むのか?

よりしっかりと考えなければならないはずです。