犬神スケキヨ~さざれ石

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優生思想と社会主義

2024-06-03 17:48:00 | 草莽崛起
優生保護法による被害者が国家賠償を求めて裁判を起こし、全ての審理が終わり今夏にも最高裁は判決を下す見込みです。

これが優生保護法に対する一つの基準となる判決であるのは間違いありません。

優生保護法は現代社会では明らかな『人権侵害』であるのは間違いないでしょうし、異論のある方もまずおられないでしょう。
しかし、現実として1948年から1996年まで施行されて来た法律です。

我々はただ『人権侵害だ』と叫べば良いと言う話しではありません。
それが如何なる思想の下、1996年まで続けられたのかをよく考えなければなりません。

ダイナミックな思考を巡らせ、我が国の『今そこにある危機』をしっかりと見つめなければ祖国は某国と成り果てるのです。

我が国の『優生保護法』は戦前にまで遡って見なければなりません。
明治13年(1880)年、堕胎罪が規定されました。母体が危険な場合など例外規定を設けて、それ以外の理由による人工妊娠中絶が禁止となりました。
その後、昭和9年(1934)『民族優生法案』が議員提案されナチスドイツの遺伝病子孫防止法をモデルとし『国民優生法』が制定されました。
悪質なる遺伝性疾患の素質を有する者の増加の防遏すると共に健全なる素質を有する者の増加を図り、以って国民素質の向上を期する事を目的とす
と、言う様なもっともらしい大義により制定されましたが優生思想の導入、人口妊娠中絶や不妊手術の規制を図るものでした。
しかし実態としては『悪質遺伝防止』よりも人口増加が最優先されていましま。

敗戦後は優生保護法と改められて、優生思想はそのままに強制不妊手術の他、一定の要件を満たせば中絶、不妊を合法化しました。
様々な考察はあるものの、戦後の混乱状態で治安維持が困難であり進駐軍による乱暴狼藉の結果としての望まぬ妊娠、いわゆるGIベイビーや寿産院事件、復員兵による人口増加など諸問題がこの法制度に影響を与えたと思われます。

政府は戦争による人口減少を懸念して産児制限には消極的でした。
この優生保護法に前のめりであったのは加藤シヅエ議員(社会党)議員でした。




加藤シヅエは『戦前の国民優生法は軍国主義の産めよ殖やせよの精神によって出来たもので、手続きも煩雑であり悪質遺伝防止の目的を達成しうるものではない』と批判。
『飢餓戦場に立たされる国民の食糧事情、失業者の洪水、絶無に近い医療そのどれをとっても産児制限は必要だ』と訴えました。
そもそもこの議員は戦前より産児制限運動を主導する人物です。
何故そこまで強く優生思想や産児制限に傾倒しているのでしょうか。

19世紀、フランシス・ゴルトンと言うイギリス人学者が提唱したのが優生学です。
『人類の遺伝的素質を改善する事を目的として、悪質なる遺伝的形質を淘汰し、優良なるものを保存する』ことを研究する学問と定義されています。
その様な優生思想の実現の為に強制的に不妊手術や断種を行う政策が優生政策です。

20世紀に入り、アメリカで積極的に優生政策が取られた事を皮切りに国民保護の為と世界的に支持を集める様になりました。
1907年アメリカ・インディアナ州で世界初の優生思想に基づく堕胎断種法が制定され、以降1923年までに32州で制定されます。
カリフォルニア州などでは、梅毒患者や性犯罪者も対象とされました。

1930年代には、欧州や北欧にも広がり次々と制定されていきました。

このアメリカの断種法はナチス・ドイツにも多大な影響を与え優生政策が『障碍者の断種』を超えて『障碍者の殺害』にまで至る事態を招きます。
これがその後のナチスによるユダヤ人迫害にまで至ったと言うのは容易に想像できます。
偉大なるゲルマンは他の民族を支配しなければならない、ユダヤ人は根絶やしにしなければならないと言う発想にまで発展したのです。

さて、先述の加藤シヅエですがロシア革命に感化され、夫と共にマルクス主義、社会主義に系統し労働者問題の改善と言う活動に傾倒するゴリゴリの社会主義者です。

夫が労働問題の研究の為に渡米すると、幼児二人を実家に預けて自分自身も後を追って渡米します。
その後、ニューヨークで秘書学などを学びますが、そのあたりから周辺の社会主義者らと親交を持つ様になります。
ジャーナリスト、アグネス・メドレーを介して貧民街で産児調整運動をしていたマーガレット・サンガーと出会います。
このマーガレットを生涯の師と仰ぐ様になります。

マーガレット・サンガーはゴリゴリのフェミニストであり社会主義者です。
その上、有色人種に対する差別主義者でもあったようです。
黒人に対する差別意識は強かった様です。

マーガレットを師と仰ぐ加藤シヅエは昭和21年(1946)4月の第22回衆議院選挙にGHQの要請を受けて出馬、日本社会党から衆院議員最高得票当選を果たし、日本初の女性国会議員の一人となります。
公約は『アメリカ型自由民主主義の導入と、家族計画、女性の社会経済の地位向上』でありました。

この辺りを鑑みれば、相当アメリカとズブズブな関係ではなかったかと思われます。
日本家族計画連盟なるものを結成し、核家族を推進もしています。
成田闘争にも参加し一坪地主にもなっています。
歌手のさだまさしは加藤シヅエを大絶賛し歌まで作っています。
社会主義者でフェミニストであった加藤ですが、さだまさしの『関白宣言』を何故か絶賛していますからよくわからないもんです。

さて、ここで申し上げたいのは優生思想なるものが社会主義やフェミニズムと結びついている事です。
戦後の優生保護法を『最悪』と断じているアホの社民党・福島瑞穂ですが、元を辿れば嫌がる政府をねじ伏せて推進した社民党の前身である日本社会党です。
その事をまさか知らないはずもなく、ほっかむりをして断じるなど自ら愚かなるを晒す様なものです。

この様な郵政思想や実際の政策は、後のナチスの選民思想と結びつきユダヤ人の迫害へと繋がるのです。
ナチ党は国家統制による社会主義で『革新派』と言われる連中です。

戦前に於いての『革新』は右翼をさす言葉であり、革新を左などと言う様になったのは戦後の話しです。
それについては拙著記事にても掲載しています。


また加藤シヅエの提唱する政策を見れば、戦後アメリカが押し付けた政策そのものです。
また、生涯の師と仰いだマーガレット・サンガーは社会主義者でフェミニスト。
更には人種差別主義者です。

加藤シヅエに、自覚があったかどうかはわかりませんが社会主義なる思想はとどのつまりは選民思想であるのは明白で、昨今の左翼連中の発言を見てもよくわかります。
自らの意見は必ず正しいとばかりに宣う始末。国民が安倍政権を選択すれば『国民はバカ』だと罵り、我々が真の国政を教えてやると一体どの目線で言い出すやら。

そして右翼も同じです。
国家統制による社会主義を目指していたのが右翼です。
そうした連中が、自らの主張の為に天皇と言う御存在を神輿に乗せて社会主義をやろうとしたのが226事件です。

そして右であろうが左であろうが、自らのイデオロギーの為に大切な国民の根幹、日本と言う国の根幹を利用していると言う問題があり、何より日々普通にコツコツと暮らす大多数の国民を蔑ろにしている事です。

自らのイデオロギーの為に、天皇陛下と言う大切な御存在を恣意的に利用し、国旗を恣意的に利用し、国歌を利用する。

自らのイデオロギーの為に、大切な御存在である天皇陛下の写真を芸術だと言って燃やす、国旗を燃やし国歌を忌避する。

右翼も左翼もイデオロギーの病に犯された同じものです。
昨今も、地方選挙に於いて落選した候補者が当該地の有権者に対して『自らを選ばなかったから、この地域は没落する』と投開票日の夜に言い出す始末です。
これこそが統制であり選民、有生思想の根っこであり、本人すら気づいていないでしょう。

私が社会主義や共産主義を忌避する理由がここにあるのです。
そして、右翼や左翼を忌避する理由でもあるわけです。

選民思想や有生思想、果てに全体主義なる統制と言う馬鹿げた発想と言うものが根っこにあるが故に保革を標榜する、自称する連中が全くまとまらずに内ゲバを繰り返すのです。

僅か数%のバカを横目に一般の大多数の国民は正しい判断をしよう、我が子の為に、我々の子々孫々の為に今を一生懸命に生きているのです。

僅か数パーセントのバカに好き勝手されるわけにはいかないのです。