犬神スケキヨ~さざれ石

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英霊を訪ねて~沖縄講演会~1

2015-09-23 13:35:29 | 連続
さて、皆さん周知の通り沖縄へ講演会参加の為に参りました。

一泊二日の強行スケジュールとなりました。

今回は完全に諦めていた「講演会参加」が天の差配か英霊の導きか、急遽参加となりました。

前日から沖縄入りをしました。

最悪日帰りの弾丸を覚悟していました。
実際に参加された方の中には日帰り弾丸の方もおられました。

しかし、実際には帰りの飛行機は取れるのですが行きの飛行機は前日しか取れずでした。

その為に時間的余裕も出来たのですが、これこそが天の差配と思われました。

今回はこのタイトルにて4回程に分けて英霊を訪ねた旅を報告したいと思います。

やはり現場に行かなければ解らない状況や発見もありましたので報告したいと思います。

沖縄へ向けて

今回沖縄行きが決定した経緯については前回にざっくりですがアップしています。

英霊の渇く島に問うリンク

朝7時の飛行機にて関空より沖縄に向かいました。

LCCを始めて利用しました。
狭いとは聞いてましたが、身長180を超えるオッサンには2時間程度のフライトが限界ですかね。

膝が前のシートにめり込みます。

しかし、安いから仕方ない!


沖縄を空から望む

いよいよ那覇空港に着陸です。

滑走路奥に戦闘機

よく解りにくいですが、着陸すると奥にF15戦闘機や輸送機が見えました。

自分は大阪ですので普段は空自や海自を見る事がありません。

大阪ですと見るのは陸自ばかりです。
ちょっと興奮してしまいます。

海自第5航空隊の倉庫横を通りました。

普段見る事がない戦闘機に興奮しながら、その時点でまだ本会議採決がまだ行われずにいる安保法制の可決は何時になるのか?
という思いがリアルに迫るなぁと思いました。

実際その夜中、19日未明に可決されるのですが、委員会でのドタバタ騒ぎにウンザリする思いでした。

あの様な茶番劇場に血税が使われるのか…
そう考えると表現出来ない『怒り』と早く手を打たねばならないという思いが湧き上がりました。

ただ一言、ハッキリと言えるのは

ヒゲ隊長!ナイス右!

到着後に買った琉球新報と沖縄タイムス

この後、F15は北朝鮮爆撃の為にフライトするはずです。
戦争法が可決され「戦争する」と左翼は言っていますからね。
直ぐに北朝鮮爆撃をして習志野から空挺部隊を投入して我々の同胞を救出しましょう!

戦争法なんですから戦争しましょう!

左翼が認めてくれてますからね!
同胞を取り返す為に直ぐに攻撃しましょう!
大田實少将を訪ね

約2時間のフライトを終え、まず向かうのは
旧海軍司令部壕です。

慰霊塔、右に碇に桜の海軍マーク

沖縄県民カク戦ヘリ

この言葉は勿論皆さんご存知ですね?

発 沖縄根拠地隊司令官
宛 海軍次官
左ノ電□□次官ニ御通報方取計ヲ得度
沖縄県民ノ実情ニ関シテハ県知事ヨリ報告セラルベキモ県ニハ既ニ
通信力ナク三二軍司令部又通信ノ余力ナシト認メラルルニ付本職県
知事ノ依頼ヲ受ケタルニ非ザレドモ現状ヲ看過スルニ忍ビズ
之ニ代ツテ緊急御通知申上グ
沖縄島ニ敵攻略ヲ開始以来陸海軍方面防衛戦闘ニ専念シ県民ニ関シ
テハ殆ド顧ミルニ暇ナカリキ然レドモ本職ノ知レル範囲ニ於テハ県
民ハ青壮年ノ全部ヲ防衛召集ニ捧ゲ残ル老幼婦女子ノミガ相次グ砲
爆撃ニ家屋ト家財ノ全部ヲ焼却セラレ僅ニ身ヲ以テ軍ノ作戦ニ差支
ナキ場所ノ小防空壕ニ避難尚砲爆撃ノ□□ニ中風雨ニ曝サレツツ乏
シキ生活ニ甘ンジアリタリ而モ若キ婦人ハ率先軍ニ身ヲ捧ゲ看護婦
烹炊婦ハ元ヨリ砲弾運ビ挺身斬込隊スラ申出ルモノアリ所詮敵来リ
ナバ老人子供ハ殺サルベク婦女子ハ後方ニ運ビ去ラレテ毒牙ニ供セ
ラルベシトテ親子生別レ娘ヲ軍衛門ニ捨ツル親アリ
看護婦ニ至リテハ軍移動ニ際シ衛生兵既ニ出発シ身寄無キ重傷者ヲ
助ケテ□□真面目ニシテ一時ノ感情ニ駆ラレタルモノトハ思ハレズ
更ニ軍ニ於テ作戦ノ大転換アルヤ夜ノ中ニ遥ニ遠隔地方ノ住居地区ヲ
指定セラレ輸送力皆無ノ者黙々トシテ雨中ヲ移動スルアリ是ヲ要ス
ルニ陸海軍□□沖縄ニ進駐以来終始一貫勤労奉仕物資節約ヲ強要セ
ラレツツ(一部ハ兎角ノ悪評ナキニシモアラザルモ)只管日本人ト
シテノ御奉公ノ護ヲ胸ニ抱キツツ遂ニ□□□□与ヘ□コトナクシテ
本戦闘ノ末期ト沖縄島ハ実情形□一木一草焦土ト化セン糧食六月一杯
ヲ支フルノミナリト謂フ沖縄県民斯ク戦ヘリ
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ


ここに書かれている電文には沖縄県民が犠牲になった軍部への批判と共に、沖縄県民も祖国としての沖縄、祖国としての日本を守る為に戦ったと。

動ける若い男は皆志願し、戦えない女子供や年寄りは戦いの邪魔にならぬ様にと移動し、又自分達の食料を供出し日本の為に戦ったと書いてあります。

だからこそ「沖縄県民斯ク戦ヘリ」とあるのです。

沖縄県民も祖国の為に戦って命を捧げていると。

そして軍部に対する批判も述べているのです。

ここに敗戦後の嘘が解ります。

「沖縄は捨て石にされた!」

其れらの話は嘘です。

更に大田少将は軍部を批判もしています。

献杯の水を持ち壕の奥へ

当時、飛行機は其れ程長距離を飛べません。
日本本土を効率よく爆撃する為には途中に給油や修理が出来る中継地が欲しい。
だから米国は、例えば沖縄戦の前に硫黄島を取り、沖縄を取ろうとしたのです。

それをいち早く日本も察知していました。
だからこそ日本は沖縄戦の8カ月前から沖縄県民疎開を始め様としていました。

それはサイパンでの悲劇があったからです。

米軍はサイパンにおいて数多くの邦人、それも民間人を虐殺していました。

疎開する非武装の民間船を撃沈し多くの女子供、とりわけ少年少女達を海の藻屑と化していました。

サイパン島の戦いが始まり自らも役に立ちたいと残留した民間人が二万人もいました。

その民間人に「アメリカ人は虐待しない」と嘘の喧伝をし投降を呼びかけました。
呼びかけに応じた民間人を虐殺したのです。

女は素っ裸にされトラックに積み込み連れ去ってしまった。

残った年寄りと子供を集めガソリンをかけて火を付けた。
阿鼻叫喚の地獄絵さながらの光景を目の当たりに米兵は笑って見ていたのです。
熱さから逃れ様と火だるまの子供が飛び出してくると笑いながら火の中に蹴り込んだ。

草むらで泣く赤ん坊を股裂きにして火の中に投げ入れたのです。

女は米兵に陵辱され青竹に股から串刺しにされ晒されました。

また、マッピ岬にまで逃げ延びた民間人は「辱めを受けるなら…」
と、自ら投身自決をしたのです。

そこは後にバンザイクリフと呼ばれました。

岬から身を投げ自決した民間人は8000人とも言われます。

それが米兵達の眼前で起きていた。
しかし、それを笑いながら見ていた。
写真やフィルムに収め笑いながら見ていた。

最初から民間人を殺すつもりだったのです。

これは明らかな国際法違反です。

これは大虐殺です。

これこそジェノサイドなのです。

そして毎年八月になるとバンザイクリフから自決する画像がテレビから流れます。

無残に放置された日本人の亡骸。

火炎放射器の餌食になる画像。

其れらは全て米軍が撮影した物です。

それを毎年、毎年、決まり事の様にテレビから垂れ流されているのです。

我々の同胞を、我々の為に散華された同胞を辱めているのです。
敵が嬉々として楽しむ様にやった虐殺の映像を日本人が垂れ流しているのです。

そこに映る同胞が、例えばあなた祖母や祖父ならあなたは冷静に正視できますか?

あなたの兄妹なら当たり前の行事の様に見ていられるのか?

有難がって毎年八月にこれら映像を垂れ流すマスコミやメディアは日本人ではない!日本人とは認めません!


だから…

日本政府は「米軍は沖縄を取る」と解っていました。
だから8カ月も前から疎開事業を始めたのです。

民間人を疎開させるのは民間人の安全と共に充分な戦力を発揮させる事になります。

軍人は命令に従い整然と行動します。
しかし、民間人はそうはいきません。
逃げ遅れた者や負傷した者がいれば、軍はそちらに戦力を割かなければなりません。

民間人を守りながらの戦いは戦力が散漫になり行動にも迅速さが損なわれます。

また沖縄は数多くの離島があり、それぞれに民間人がいます。
ただでさえ少ない戦力をそこに割かれてはたまりません。

「民間人を守る為に」疎開させる。

また食料の問題もありました。

誰しも自分が住む土地が戦場にならなければ良いと考えます。
しかし、戦争なんです。

ところが当時の沖縄県知事泉守紀が真っ向反対しました。
「沖縄県が戦場にならん様にするのが軍の仕事だ」とわかった様な事を吐かしたのです。

沖縄が戦場にならぬ努力は勿論ですが、サイパンは陥落し最早アメリカが日本本土攻撃の拠点に沖縄を取りに来るのは明白です。

これにより沖縄県民疎開は大幅に遅れ「悲劇の沖縄戦」となってしまいました。

当の泉守紀は敵上陸2ヶ月前に大蔵省幹部であった実兄に頼み、自分だけは沖縄から離れられるよう工作してサッサと転任し沖縄から逃げてしまいました。

その疎開の為の船、民間人が乗った船をも米軍は撃沈しました。

その攻撃された民間船の救助にあたる船をも米軍は撃沈しました。

泉守紀が逃げた後、沖縄県民疎開に尽力した後任の島田知事や荒井退造県警部長は自らの命を犠牲にしました。
未だ彼らの足取りは解らず遺体も発見されていません。

参加部隊

沖縄戦は悲劇なのかも解りません。

しかし、民間人をも虐殺する米軍に対抗しなければ沖縄を足がかりに更に本土にて悲劇が起こる。
これは紛れもない事実です。

大田少将自決の部屋

だから日本国中から沖縄を守る為に日本人が集結したのです。

日本兵と一括りにしますが、それは大戦末期ですから職業軍人は僅かです。

多くの人々が普通の人間、普通の人々。
我々と同じように生活をしていた日本人です。

八百屋だった人、教師だった人、大工だった人、小さな弟妹の面倒を見る優しい兄。
結婚もし子育てに日々忙しいお父さん。
新婚間もない夫。
若く将来を有望視された者。

皆、普通の人々です。

その普通の人々が母なる国、父なる国。
私を生み育てたこの国。

親、兄妹、恋人、妻、我が子。

その全てを、愛する祖国を守る為に命を捧げたのです。

未来の我々を守る為に命を捧げたのです。


手榴弾による自決の跡

あなたが今、ここに存在しているのは先達が命を捧げ守った未来なのです。

次回へ続く…英霊を訪ねて~2

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