さてさて古事記です。
古事記を読めば日本人が解る!
と、常々申してます。
古事記には神話の部分がありますね。
神話は日本の民族としての根っこがあるのです。
その上で神道は全く宗教ではなく、更に古事記は日本人の哲学だと申してきました。
哲学とは考える事です。
古事記は日本人の哲学です。
日本人とは、どう生きてどう死ぬのか?
古事記を読み、中身を覚えたからとて哲学を身につける事は出来ません。
「哲学と言ったのに、読んでも哲学が身につかないとは?おかしな話しだ」
そう思われるでしょう。
では、この古事記に秘められた哲学とはなんでしょうか?
それは古事記に書かれた事を深く考える事で哲学を得る。
その様なものだと私は考えます。
「これは一体、何を表しているのか?」
「この物語から何を読み解けば良いのか?」
そうやって我々の先祖が示した思いを深く考える事によって哲学を得るのであろう、その様に思うのです。
草薙剣
まだまだ天孫は降臨しません。
前回三種の神器に触れましたね。
鏡と勾玉です。
で、草薙剣についても触れておきます。
八岐大蛇(やまたのおろち)
この尾っぽから出てきた草薙剣、高天原に行き、天孫つまり邇邇芸命が地上界に持ち込みます。
これは具体的な記述はないものの美夜受比売(みやずのひめ)に預けられた本体は、どうやら熱田神宮にあります。
そして形代も宮中にあるようです。
熱田神宮の本体も一度も滅失した記録はありません。
つまりは三種の神器の一つ草薙剣はいまだに現存していると言うことでしょう。
神代の時代に八岐大蛇の尻尾から出てきたと言われるその剣は今も熱田神宮に泰安されているそういう事です。
宮中にあるのはその形代です。
しかし、この形代の方は源平合戦の時、壇ノ浦の戦いで滅失しています。
安徳天皇が三種の神器を抱いたまま入水しました。
実際には剣と勾玉だけを持って入水したようです。
鏡は置いて行ったのですね。
鏡は実はすごく大きいらしいです。
だから持って行けなかったのでかね。
だから船の上に残されてました。
そして剣は無くなってしまいました。
そこで伊勢の神宮から御神剣を出していただき形代に分霊したのでしょう。
この形代はいまだに宮中で継承されています。
現在どこにあるかと言うと新吹上御所の劒璽の間(けんじのま)に泰安されています。
新吹上御所とは天皇陛下のお住まいです。
天皇陛下の寝所の隣が劒璽の間です。
陛下に一番近いところに…ということでしょう。
劒とは剣のことです。
璽とは勾玉のことです。
ですから、三種の神器のうち剣と勾玉は陛下に一番近いところに納められています。
これは陛下が御即位あそばされた時の映像にも残されています。
三種の神器と共に陛下が高御座(たかみくら)にお上がりになり、高御座が開いた時には劒と璽がちゃんと置かれてあります。
皇位継承とはこの三種の神器を継承する儀式でもある
と、いう事でもあります。
ここで面白い話しですが、剣が失われた時から武家政権が始まったわけです。
壇ノ浦を境に平家の時代は終わる。
源氏の時代が始まった。
それ以降、ずっと武家政権が続くのですね。
これは剣を失った=皇室が軍事力を失った。
その様に解釈する人もいます。
一つの解釈と言えるでしょう。
海に沈んだ勾玉
で、勾玉ですが勾玉は安徳天皇が入水した時に一緒に海に入ってしまいましたね。
実はこの勾玉は本体だったのです。
御鏡と御剣は伊勢と熱田にそれぞれ泰安されてますけども、勾玉は本体だったのです。
勾玉の本体は当時も宮中にあったんですね。
本体が失われたのですから大変です。
じつは安徳天皇入水で失われた勾玉ですが、日本国中きら優秀な海女さんを集めて探したんですよ!
しかし、実際には数日後に浜に打ち上げられてたんですけどね。
以来本体は劒璽の間に泰安されてますね。
御鏡は伊勢
御剣は熱田
勾玉は宮中
と、本体はそれぞれ三箇所に泰安されています。
これ…一箇所に集めたらどうなるんでしょう?
なんか起こるんじゃないですか?
だって神器なんですよ。
相当な力があるはずです。
あまりの力なんで三箇所に別れてるんじゃないですか?
だから一箇所に集めたら、それはドえらいことになるんじゃないですかね?
かなりヤバいですよ!
そんな三種の神器。
神々の時代に神々の手により作られた、それが地上世界に持ち込まれる。
それが天孫降臨に読み込まれているのです。
古事記を読めば日本人が解る!
と、常々申してます。
古事記には神話の部分がありますね。
神話は日本の民族としての根っこがあるのです。
その上で神道は全く宗教ではなく、更に古事記は日本人の哲学だと申してきました。
哲学とは考える事です。
古事記は日本人の哲学です。
日本人とは、どう生きてどう死ぬのか?
古事記を読み、中身を覚えたからとて哲学を身につける事は出来ません。
「哲学と言ったのに、読んでも哲学が身につかないとは?おかしな話しだ」
そう思われるでしょう。
では、この古事記に秘められた哲学とはなんでしょうか?
それは古事記に書かれた事を深く考える事で哲学を得る。
その様なものだと私は考えます。
「これは一体、何を表しているのか?」
「この物語から何を読み解けば良いのか?」
そうやって我々の先祖が示した思いを深く考える事によって哲学を得るのであろう、その様に思うのです。
草薙剣
まだまだ天孫は降臨しません。
前回三種の神器に触れましたね。
鏡と勾玉です。
で、草薙剣についても触れておきます。
八岐大蛇(やまたのおろち)
この尾っぽから出てきた草薙剣、高天原に行き、天孫つまり邇邇芸命が地上界に持ち込みます。
これは具体的な記述はないものの美夜受比売(みやずのひめ)に預けられた本体は、どうやら熱田神宮にあります。
そして形代も宮中にあるようです。
熱田神宮の本体も一度も滅失した記録はありません。
つまりは三種の神器の一つ草薙剣はいまだに現存していると言うことでしょう。
神代の時代に八岐大蛇の尻尾から出てきたと言われるその剣は今も熱田神宮に泰安されているそういう事です。
宮中にあるのはその形代です。
しかし、この形代の方は源平合戦の時、壇ノ浦の戦いで滅失しています。
安徳天皇が三種の神器を抱いたまま入水しました。
実際には剣と勾玉だけを持って入水したようです。
鏡は置いて行ったのですね。
鏡は実はすごく大きいらしいです。
だから持って行けなかったのでかね。
だから船の上に残されてました。
そして剣は無くなってしまいました。
そこで伊勢の神宮から御神剣を出していただき形代に分霊したのでしょう。
この形代はいまだに宮中で継承されています。
現在どこにあるかと言うと新吹上御所の劒璽の間(けんじのま)に泰安されています。
新吹上御所とは天皇陛下のお住まいです。
天皇陛下の寝所の隣が劒璽の間です。
陛下に一番近いところに…ということでしょう。
劒とは剣のことです。
璽とは勾玉のことです。
ですから、三種の神器のうち剣と勾玉は陛下に一番近いところに納められています。
これは陛下が御即位あそばされた時の映像にも残されています。
三種の神器と共に陛下が高御座(たかみくら)にお上がりになり、高御座が開いた時には劒と璽がちゃんと置かれてあります。
皇位継承とはこの三種の神器を継承する儀式でもある
と、いう事でもあります。
ここで面白い話しですが、剣が失われた時から武家政権が始まったわけです。
壇ノ浦を境に平家の時代は終わる。
源氏の時代が始まった。
それ以降、ずっと武家政権が続くのですね。
これは剣を失った=皇室が軍事力を失った。
その様に解釈する人もいます。
一つの解釈と言えるでしょう。
海に沈んだ勾玉
で、勾玉ですが勾玉は安徳天皇が入水した時に一緒に海に入ってしまいましたね。
実はこの勾玉は本体だったのです。
御鏡と御剣は伊勢と熱田にそれぞれ泰安されてますけども、勾玉は本体だったのです。
勾玉の本体は当時も宮中にあったんですね。
本体が失われたのですから大変です。
じつは安徳天皇入水で失われた勾玉ですが、日本国中きら優秀な海女さんを集めて探したんですよ!
しかし、実際には数日後に浜に打ち上げられてたんですけどね。
以来本体は劒璽の間に泰安されてますね。
御鏡は伊勢
御剣は熱田
勾玉は宮中
と、本体はそれぞれ三箇所に泰安されています。
これ…一箇所に集めたらどうなるんでしょう?
なんか起こるんじゃないですか?
だって神器なんですよ。
相当な力があるはずです。
あまりの力なんで三箇所に別れてるんじゃないですか?
だから一箇所に集めたら、それはドえらいことになるんじゃないですかね?
かなりヤバいですよ!
そんな三種の神器。
神々の時代に神々の手により作られた、それが地上世界に持ち込まれる。
それが天孫降臨に読み込まれているのです。