久しぶりの投稿です。
少しバタバタしていたのと、連続物でマスコミと国益について書いてみようかと思い、色々調べ物等していたら随分久しぶりのアップになりました。
まぁ、少し溜まっていたので単発でアップしてみようかな…と言う感じで。
マスコミと国益については後日まとまり次第アップします。
本来の姿
とにかく、この国は敗戦後の価値観がおかしいと皆さんも感じていることですね。
こんなことは端的に申すならば、他人の価値観で生きていることが原因です。
人から与えられた憲法で生きているのですから根本が狂ってしまいます。
人間には本来の目的に沿った生き方があるはずで、それはその民族が永年に渡り培ってきた伝統や文化、思想に基づくものであるはず。
なのに我々は敗戦後、それまでの価値観を否定してきました。2675年あるこの国を僅か70年間だけを見、それまでの2600年を否定してきました。
その歪みが昨今、特に噴出しています。
原爆被曝国のエゴ
我々の日本は世界で初めて原子爆弾を落とされました。
それは無辜の民を殺戮する恐ろしい兵器です。
こんな物を我が国に使用したアメリカは明らかな国際条約違反であり虐殺です。
そんな事は日本人ならば誰でもわかります。
こんな恐ろしい兵器は無い方が良い。
あの悲惨さを見れば、未だその後遺症に苦しむ人々を見れば誰しも思います。
しかし、無くなるどころか世界は核を手離せなくなりました。
これが現実です。
日本は唯一の核兵器被曝国です。
当然、核廃絶を謳うでしょう。しかし、世界は核を持つ国だけが発言し我が物顔で跋扈している。
しかし、この程度の世界情勢程度では我々は核武装すべきではないと考えます。
何も反核等と言うつもりは毛頭ありません。
核武装には条件付きと言うことです。
そしてこの現実を見るにつけて日本が核廃絶等と言う事に虚しさを感じます。
世界で唯一の核兵器被曝国であり、悲惨な経験をしたにも関わらず、この国にその兵器を使った国の核の傘の下にいる。
世界は現実で動きます。
そんな自分達の状況も顧みず、広島や長崎の知事や市長が核保有国に抗議文を送り付ける。
まるで「被曝国の話しを聞け」と言わんばかりです。
そして、これは沖縄の基地問題と同じくその姿勢を政治利用している。
もちろん広島や長崎が原子爆弾で焦土と化し無辜の民が無惨に殺されたことは許し難い事実です。
しかし、例えば核保有を訴えて知事や市長にはなれない。
沖縄も同じくです。
反核!反基地!を唱えねば、その地位に就けないのが現実です。
しかし、其れだけに終始してしまい後がない。
現実を直視せねば何も始まらず終わりもしません。
我々は我々を虐殺したアメリカの核の傘の下にいるのです。
そうしなければ生きていけない!
これが現実です。理想を謳うのは良いがそれで日本が守れるのか?
いい加減、現実世界を考えなければなりません。
その傘であるアメリカが内向きの政治ばかりに走り、実質アジアから手を引き出した今、自分達が核を持たないならばどう世界と渡り合うのか?しっかり考えなければなりません。
感情論に終始し核や基地問題を政治利用することの方が恐ろしさを感じます。
我々日本人がこの先どう生きるのか?
どういう生き方をして、この国をどうするのか?
それを抜きに一部の人間が政治利用する。
敗戦後教育の中、自分達の理念を棄てて生きた結果、自分達の安全までも他人に委ねています。
人間は本来、自分のこと、自分の生死は自分で決めるものです。
それを丸っきり他人に委ね生きて来た結果は何も考えない国になってしまいました。
少しバタバタしていたのと、連続物でマスコミと国益について書いてみようかと思い、色々調べ物等していたら随分久しぶりのアップになりました。
まぁ、少し溜まっていたので単発でアップしてみようかな…と言う感じで。
マスコミと国益については後日まとまり次第アップします。
本来の姿
とにかく、この国は敗戦後の価値観がおかしいと皆さんも感じていることですね。
こんなことは端的に申すならば、他人の価値観で生きていることが原因です。
人から与えられた憲法で生きているのですから根本が狂ってしまいます。
人間には本来の目的に沿った生き方があるはずで、それはその民族が永年に渡り培ってきた伝統や文化、思想に基づくものであるはず。
なのに我々は敗戦後、それまでの価値観を否定してきました。2675年あるこの国を僅か70年間だけを見、それまでの2600年を否定してきました。
その歪みが昨今、特に噴出しています。
原爆被曝国のエゴ
我々の日本は世界で初めて原子爆弾を落とされました。
それは無辜の民を殺戮する恐ろしい兵器です。
こんな物を我が国に使用したアメリカは明らかな国際条約違反であり虐殺です。
そんな事は日本人ならば誰でもわかります。
こんな恐ろしい兵器は無い方が良い。
あの悲惨さを見れば、未だその後遺症に苦しむ人々を見れば誰しも思います。
しかし、無くなるどころか世界は核を手離せなくなりました。
これが現実です。
日本は唯一の核兵器被曝国です。
当然、核廃絶を謳うでしょう。しかし、世界は核を持つ国だけが発言し我が物顔で跋扈している。
しかし、この程度の世界情勢程度では我々は核武装すべきではないと考えます。
何も反核等と言うつもりは毛頭ありません。
核武装には条件付きと言うことです。
そしてこの現実を見るにつけて日本が核廃絶等と言う事に虚しさを感じます。
世界で唯一の核兵器被曝国であり、悲惨な経験をしたにも関わらず、この国にその兵器を使った国の核の傘の下にいる。
世界は現実で動きます。
そんな自分達の状況も顧みず、広島や長崎の知事や市長が核保有国に抗議文を送り付ける。
まるで「被曝国の話しを聞け」と言わんばかりです。
そして、これは沖縄の基地問題と同じくその姿勢を政治利用している。
もちろん広島や長崎が原子爆弾で焦土と化し無辜の民が無惨に殺されたことは許し難い事実です。
しかし、例えば核保有を訴えて知事や市長にはなれない。
沖縄も同じくです。
反核!反基地!を唱えねば、その地位に就けないのが現実です。
しかし、其れだけに終始してしまい後がない。
現実を直視せねば何も始まらず終わりもしません。
我々は我々を虐殺したアメリカの核の傘の下にいるのです。
そうしなければ生きていけない!
これが現実です。理想を謳うのは良いがそれで日本が守れるのか?
いい加減、現実世界を考えなければなりません。
その傘であるアメリカが内向きの政治ばかりに走り、実質アジアから手を引き出した今、自分達が核を持たないならばどう世界と渡り合うのか?しっかり考えなければなりません。
感情論に終始し核や基地問題を政治利用することの方が恐ろしさを感じます。
我々日本人がこの先どう生きるのか?
どういう生き方をして、この国をどうするのか?
それを抜きに一部の人間が政治利用する。
敗戦後教育の中、自分達の理念を棄てて生きた結果、自分達の安全までも他人に委ねています。
人間は本来、自分のこと、自分の生死は自分で決めるものです。
それを丸っきり他人に委ね生きて来た結果は何も考えない国になってしまいました。