菅政権になり数ヶ月が過ぎました。
前安倍政権に於いても改憲は成されませんでした。
改憲の議論や改憲に対する意識と言うものは、匍匐前進の如きではあっても幾分かは進んだ様には感じます。
民主主義国家に於いては物事の進み方は、専制主義国から見れば遅いのは仕方ないのではありますが、我が国に於いては特有のアレルギーがある為に更に進みは遅いといえるでしょう。
例えば日本共産党にあっては、改憲すれば戦前の軍国主義に戻るなどと吹聴していますが、実際安保法制の際にも共産党はじめ左側野党はその様な主張でした。
ちなみに安保法制可決の際は私はと言うと沖縄にいました。
沖タイなどはヒゲ隊長のワンインチパンチが炸裂し顔面パンチで吹き飛ぶ小西アホの写真が一面でした。
かと言って沖縄が大騒ぎしてるかと言えば全く違って、殆どの県民が静かに日常を過ごしている様でした。
話しはそれましたが、共産党などは何かと言うと『特高警察』や『治安維持法』を持ち出しますが、それは戦前自分達がそれにより壊滅に追い込まれた経緯があるからで言わば恨み節を宣うているに過ぎません。
しかし遅々として進まぬ改憲には、少なからず戦後教育で植え付けられた戦前への国民のアレルギーが大部分を占め、更にどこに阿ねているのか、わけのわからないマスメディアの報道にもよる処は大きいでしょう。
そして政権与党、特に自由民主党にあっては、その結党理念にすら背を向けている次第です。
自由民主党結党理念、党是は「自主憲法制定』であったはず。
その理念すら守れていないのです。
改憲には議員の議論と言うよりは、むしろ国民同士の議論こそが必要不可欠です。
その議論を促す為にも菅義偉総理大臣には先ずはやらなければならない事があります。
それは
現憲法の問題点を詳らかに国民に説明し議論を促すこと
改憲を宣う前に、まずは首相自ら会見し国民に丁寧に現憲法の問題を説明し、改憲に対する問題提起をしなければなりません。
前安倍政権に遡っても、それが成されたとは言い難い状況です。
問題提起をしっかりとやり、国民の間でしっかりと議論する事で世論を喚起し投票行動に繋がる事こそが民主主義国家の第一義であろうと思います。
憲法についても、例えば『押し付け憲法論』や『現憲法無効論』、更には『大日本帝国憲法正当論』など様々な意見があります。
しかしどれも、私の考えからは的外れな感は否めません。
押し付け憲法論は占領政策の一環で、占領下で米国に押し付けられた!と言う主張で、これは『だから無効だ』と言う無効論に直結します。
また大日本帝国憲法正当論もここに帰結します。またこの論調では『大日本帝国憲法に戻すべき』と言う主張にもなっています。
大日本帝国憲法に戻すと言っても、枢密院や貴族院も現在では存在せず、大日本帝国憲法条文そのものが履行できませんから、物理的に不可能です。
更に無効論も押し付け論、帝国憲法正当論も『では天皇の御名御璽はどうするのか?』と言う事を解決できません。
天皇の御名御璽すら無効にするなら、当時輔弼した大臣の責任はどうするのか?
そもそも帝国憲法条文に基づき改正と言う形で出来た憲法であるのに、帝国憲法正当論を持ち出せば、帝国憲法の瑕疵を認めろと言う話しになります。
また、今の憲法を無効にしようと改正は改正条項に則り行わねばなりません。
現憲法の問題は神ならざる我々人間が作ったものであるにも関わらず、まるで不磨の大典の如き扱いをしている事にあるのです。
憲法は宗教ではありません。
ですから、旧約聖書や新約聖書、コーランや般若心経ではないのです。
神や仏の教えや導きでもありません。
人間が作った物である以上は、必ず劣化してしまいます。
それを後生大事にする意味はありません。
また、先の帝国憲法に遡っても一度も改正しておらず、むしろそれが戦争終結を遅らせた事は事実です。
そう考えれば、押し付け論や無効論、帝国憲法正当論がなんなのか?と、疑問に思う次第です。
例えば、地球環境も戦後80年で随分と変容しました。経済も、安全保障環境も変容したにも関わらず改憲はなし。
それは戦前も同じで、あの手痛い敗戦から何も学ばず無用なアレルギーだけを引き起こしたに過ぎないのではないでしょうか?
そも現憲法にしても『時代に合わせて』改憲すると言うのも違和感を感じてしまいす。
占領下で出来た憲法が時代に合っていのは、占領下の時期だけであってサンフランシスコ講和条約発布により主権を回復したならば、その時点で時代に合っていないのではないでしょうか?
主権回復した時は、最大の改憲チャンスだったはず。
更にはダッカ事件、ペルー大使公邸占拠事件、オウムサリン事件、小泉訪朝、東北大震災福島原子力災害など、後にも改憲チャンスはあったはずです。
もし時代に合っていないと言う論を張るならば、1952年時点で既に時代に即しておらず、それが証拠に
1977年11月14日の横田めぐみ拉致事件を見れば明らかで、これだけを取り上げても既に40年経過し、それ以前にも時代に合っていないから横田めぐみは拉致されたと言えるわけです。
左翼や特定野党のアホ連中はよく『護憲』と言う言葉を使います。
憲法を守るなは当然です。
我が国は法治国家なのですから辺り前で、それは遵守する、尊重すると言う事で左側が言う『護憲』とは違います。
左側の言うところの『護憲』とは先に述べた様に不磨の大典を意味するのです。
第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
憲法擁護と尊重の義務を示した条文です。
これを以って憲法を守れ、その義務が総理大臣にはあるのだ!とか、よくアホの野党議員などは言っていますね。
それは確かにそうであるのです。
我々国民も憲法を遵守しなければなりません。
憲法には様々な条文があり、その条文は例えば9条や15条、13条や14条は遵守しなければならないし履行しなければなりません。
しかし以下の条文もあるのです。
第九十六条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
② 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。
これは改正条項です。
非常にハードルは高い!世界一高いと言える改正条件ではあります。
しかし、改正について明記されているのです。
これを見て、先の憲法99条を見れば気付くはずです。
憲法尊重、憲法擁護、憲法遵守を声高に叫ぶのであれば
改正条項がある以上は、憲法遵守の観点から見ればむしろ『改憲』は義務である
そうです!不磨の大典でも、聖書でもコーランで
お経でもない、神仏ならざる唯一絶対の全知全能でない人間が作ったものはそれを見直し変えるのが当たり前なのです。
即ちこれは『義務』を明記しているのです。
左翼憲法学者などは、改正条項を『単なる手続き』の明記だと言い、しかしながら他の条文は遵守義務があると言う。
これは甚だ矛盾しています。
むしろ、改憲が義務であると、だから改正条項があるのだと考えれば矛盾はありません。
そして『護憲』と言う言葉にも矛盾が生じないのではないでしょうか?
現憲法ならば現憲法、改正されたならば改正した憲法を『護憲』する。
何人も変えてはならないではなく
何人もこれを改正しなければかならい!
これこそが本当の「護憲」と言えるでしょう。
改憲は義務なのです!