八月革命説が唱える『天皇主権』とは何なのでしょうか?
八月革命説提唱者である宮澤俊義によれば
『明治憲法では、天皇主権ないし神勅主義がその根本建前であり、天皇の地位も、天皇の祖先たる神の意思に根拠をもつものとされたのに対し、日本国憲法では、国民主権がその根本建前であり、天皇の地位も、主権者たる国民の意思に、その根拠をもつ』
と、大日本帝国憲法から日本国憲法への変更は「根本建前」の変更を含むもであると表現しています。
大日本帝国憲法での根本建前は『政治的権威は終局的には神に由来する』と述べています。
これを宮澤俊義は神権主義と呼び『国の政治上の権威が一般国民にその最終的根拠を有する意味での国民主権主義とは、原理的に全く性格を異にする』と述べています。
また『神権主義的天皇主権原理』を当時の國體であるとも述べています。
これは、大日本帝国憲法の基本的建前たる原理を天皇が神勅に基づいて、統治権を総攬する原理を國體と呼んだとも表現しています。
これを説明すると、天皇主権と言ってもその時の天皇と言う意味ではなく、天皇の祖先、その極限としての天照大御神の意思が日本の政治の在り方を終局的に決め、天照大御神は神であるから、その意思は神勅であり、だから天皇主権は神勅主権でもある。
と、このようなものです。
この様な根本建前(天皇主権)は、降伏により『国民主権の原理』が確立された事で否定されたのだと説きます。
そして『君主主権は国民主権とは両立せず、一方の是認は他方の否認を意味する』
つまり、国民主権は天皇主権とは原理的に両立しないと言う事です。
宮澤俊義が言う根本建前の変更とは
国の政治上の権威の最終的根拠が「神」から「国民」に移った。
それは神勅主義・神勅主権主義・天皇主権主義からの移行であると言うのです。
宮澤俊義は主権について『国家の政治のあり方を最終的に決める力』と定義しています。この定義については憲法学会でも異論はなく、広く用いられています。
八月革命説を説明するならば、国家の政治のあり方を最終的に決める力と言う強大な権力が天皇から国民に移ったと意味すること、更に天皇主権は神勅主義であると定義した事には異論はないはずです。
しかし、八月革命説の継承者たる芦部信喜は主権を『国の政治のあり方を最終的に決定する力または権威』と述べ、宮澤俊義八月革命説に『または権威』を付け加えたのです。
憲法学会では宮澤定義と芦部定義を同じ意味として理解しています。
しかし『権力』と『権威』では全く意味がちがいます。
もしも同義語ならば、定義中に別語を反復して使用する必要はありません。
国家統治には『権威』と『権力』が必要ではあります。
しかし全く意味が違う語を『主権』と言う一つの語にまとめてしまうのは、あまりに乱暴なものです。
時と場合により二つの意味で使い分けをするなど混乱を招くばかりで、言語道断。
しかし戦後、主権が天皇から国民に移ったと理解されていますが、果たしてその様な事が当然の様に言えるのでしょうか?
戦前において『天皇が自ら政治のあり方を決定する政治的実力を行使できたのか?』
と言う事が事実なのか?
例えば、帝国憲法を発布したのは明治天皇ではありましたが、ならばその内容は明治天皇の自由な発想に基づく内容だったのでしょうか?
明治9年9月7日
明治天皇が元老院に発した『憲法起草の詔』は以下のようなものです。
『朕爰ニ我建國ノ體ニ基キ廣ク海外各國ノ成法ヲ斟酌シ以テ國憲ヲ定メントス汝等ソレ宜シク之ヲ草按ヲ起創シ以テ聞セヨ朕将ニ選ハントス』
日本の憲法は外国のそれを斟酌(しんしゃく)するが、あくまでも『斟酌』であって、外国の模倣であってはならず。
その内容は『我が国の體に基づいた』ものでなくてはならない。
これは明治天皇が憲法制定権を行使して制定したものでなく、日本と言う国の伝統、不文法或いは不文憲法を成文化したとことが窺えるわけです。
ならば帝国憲法の根本建前は明治天皇が成文化権を行使したのだと言えます。
そして『朕将ニ選ハントス』と有りますから、天皇が自ら選んで定める「欽定憲法」であると言う大前提が見えるわけです。
天皇が憲法を発布する事で、天皇の権威が憲法に正当性を与える。
しかしその内容は明治天皇の自由意思ではなく、二千年を超える『日本建国の體』に基づいたものでなければなりません。
内容は枢密院で審議され可決したものであって、天皇自ら書き起こしたり、編集したものではありません。
帝国憲法告文には
『此レ皆皇祖皇宗ノ後裔ニ貽シタマヘル統治ノ洪範ヲ紹述スルニ外ナラス』
とあり、帝国憲法は日本古来の不文憲法を条文に書き起こしたものである事がここに明言されているのです。
憲法発布勅語には
『朕カ祖宗ニ承クル大権ニ依リ現在及将来ノ臣民ニ対シ此ノ不磨ノ大典ヲ宣布ス』
とあります。
これは明治天皇が祖宗から受け継いで来た大権により憲法を宣布したと言う事です。
従って戦前と言えど、天皇が『国の政治のあり方を最終的に決める力』を自由意思により決定出来た事実はないと言う事です。