フランスを中心とした、ヨーロッパ各地にゴシック大聖堂がある。
外観など、いろいろな基準があるが、このランスの大聖堂には絶対負けないものがある。
それは「由緒」である。
496年のフランク王クローヴィス以来、ランスの地で洗礼を受けた。
そして新たな大聖堂では、1233年のルイ8世から、1824年のシャルル10世まで、25人の王が王冠を受けた。
その中にはジャンヌダルクに説き伏せられた、シャルル7世も含まれる。
彼らは困難な道のりにもかかわらず、ランスまでたどりつき、戴冠式を済ませた。
大聖堂の外側には、馬に乗った勇ましい彼女の姿、そして内部には静かに立ちつくす、対照的な姿が見られる。
ここが彼女の人生での最高点だったかと思う。
シャルル7世にとっては望外の幸運だった。
しかしジャンヌはその後、戦いで捕まり、最後には火刑の身となったのは哀れである。
そのような由緒にもかかわらず、フランス革命の時には意外にもほとんど無傷だったとのこと。
しかしながら、第1次世界大戦で激しく損傷する。
前述した「微笑みの天使」も破壊された。
笑っている場合ではない。
しかし残った破片を組み合わせ、奇跡的に修復され、再び美しい笑顔を取り戻す事が出来た。
そして大聖堂全体も地道に修復され、今の頼もしい姿を復活させている。
戦争という、人間の愚かな面を感じる一方、地道に修復して造り上げた偉業を思うと「人類も意外とやるじゃん」と思ってしまう。
ドレスデンの大聖堂のように誇らしいことだとつくづく感じるのである。
(参考図書 週刊世界遺産NO.82 講談社)
外観など、いろいろな基準があるが、このランスの大聖堂には絶対負けないものがある。
それは「由緒」である。
496年のフランク王クローヴィス以来、ランスの地で洗礼を受けた。
そして新たな大聖堂では、1233年のルイ8世から、1824年のシャルル10世まで、25人の王が王冠を受けた。
その中にはジャンヌダルクに説き伏せられた、シャルル7世も含まれる。
彼らは困難な道のりにもかかわらず、ランスまでたどりつき、戴冠式を済ませた。
大聖堂の外側には、馬に乗った勇ましい彼女の姿、そして内部には静かに立ちつくす、対照的な姿が見られる。
ここが彼女の人生での最高点だったかと思う。
シャルル7世にとっては望外の幸運だった。
しかしジャンヌはその後、戦いで捕まり、最後には火刑の身となったのは哀れである。
そのような由緒にもかかわらず、フランス革命の時には意外にもほとんど無傷だったとのこと。
しかしながら、第1次世界大戦で激しく損傷する。
前述した「微笑みの天使」も破壊された。
笑っている場合ではない。
しかし残った破片を組み合わせ、奇跡的に修復され、再び美しい笑顔を取り戻す事が出来た。
そして大聖堂全体も地道に修復され、今の頼もしい姿を復活させている。
戦争という、人間の愚かな面を感じる一方、地道に修復して造り上げた偉業を思うと「人類も意外とやるじゃん」と思ってしまう。
ドレスデンの大聖堂のように誇らしいことだとつくづく感じるのである。
(参考図書 週刊世界遺産NO.82 講談社)
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