ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

宮本常一著作集 51 私の学んだ人

2021-07-18 20:10:02 | ヨーロッパあれこれ


私の学んだ人 宮本常一著作集51
宮本常一 著
田村善次郎 編
未來社 発行
2012年7月30日 第1刷発行

柳田国男や渋沢敬三(大河ドラマの渋沢栄一の孫)、折口信夫や南方熊楠など知られている人だけでなく、民俗学、そして宮本さんに関わった多くの方々が登場します。
全ての方々の業績などは書ききれないので、せめてお名前だけでもネット空間に漂わせたいと思います。

Ⅰ 私の学んだ人
渋沢敬三先生
実業人であったため学問に専心できなかったけれども、学者を動員し組織し、学者に仕事をさせたことにおいて、すぐれたオルガナイザーであった。
四人の哲人
一 小野武夫
二 柳田国男
三 未解放の区長
四 大阪府波有手の老漁夫
「一本傘でどこでも行ける」
俗世の制約が無く、雨露をしのぎ、生きていけるという意味。漁夫にとっては漁業権がなくなり、どこへ行っても自由に魚を捕ることができる状態。
田岡香逸
早川孝太郎
藤永元作先生
鮓本刀良意(すしもととらお)
内田武志と菅江真澄
御薗生翁甫(みそのうおうすけ)先生のこと

Ⅱ 柳田先生
昭和11年春、九州への旅行の途次、宮本さんの郷里の島に立ち寄った柳田先生。
君の島では青い海に黄色なミカンがずーっと筋になって流れていた。実にきれいだったよ、と話された。
当時はミカンの貯蔵法がまずくて、春までおいて値上がりしてから売ろうとする者は、往々にして大量に腐らせることがあり、それを海に捨てる。
多くの旅行者には見過ごされる風景である。
先生の眼にとまったのは、美しさの中にひそむ、いたましさの故にであろう。p125-126
(さすが農政学者ですね)

大正10年から12年にかけてヨーロッパへの旅があり、海の彼方から日本を見る機会をもつ。
その旅によって、それまで公務の余暇手がけてきた学問に全力をあげて取り組むべき意義を感じた。
民俗学は二百人三百人の仲間が趣味的に行うものではなく、民衆全体が、これに取り組むべき価値と意義のあるものであることを痛感した。p148

Ⅲ 先人追憶・追悼
能田太郎氏の思い出
奥様の思い出 沢田四郎作夫人(沢田国枝)追悼
芦田公平先生
太田陸郎氏を悼む
芦田恵之助先生の一面
早川孝太郎氏を悼む
岩田準一氏のこと
南方熊楠翁
明治24年10月ジャマイカ島で日本人曲馬師川村駒次郎や象芸師の百済与一らに逢った。この曲馬団はチャリネというイタリア人の組織しているもので、日本にも渡来していた。南方翁はこの一行について旅行を続けた。そして曲馬団の芸女たちのために男たちから来たラブレターを読み、また返事を書く役を引きうけたという。p202
山口麻太郎氏
小林存(ながろう)翁のこと
折口信夫先生のこと
宮本さんがもらった折口先生の直筆の色紙のうた
人も 馬も 道ゆきつかれ死ににけり 旅寝かさなるほどの かそけさ
小倉豊文先生
楫西光速さんと山本明さん
山下元一郎さん

綱島正興さんの追憶
鈴木栄太郎先生の思い出
クサイ飯 大間知篤三追悼
沢田四郎作先生の思い出
惜しまれてならぬ馬場勇さん
藤永元作先生のこと
この人の情熱 萱野茂氏
桜田勝徳さんとの旅
句集に寄せて 天平さん(内田修二)
学友としての和歌森太郎さん
民俗学草創期と山田次三氏の業績
橋浦泰雄さんのこと
宮本馨太郎さんのこと
戸田謙介さん

Ⅳ アチック同人とその作品解題
知里真志保とアイヌ民俗研究資料
アイヌの口承文学
・歌謡文学
 叙事詩としてのユーカラ(英雄詞曲)・カムイユーカラ(神謡)・オイナ(聖伝)
 叙情詩としてのヤイカテカラ(恋歌)やイヨハイオチシ(哀傷歌)
・散文文学
 ウエペケレ(昔話)
佐藤三次郎の幌別漁村生活誌
大野笑三と南千島色丹島誌
男鹿寒風山麓の吉田三郎
武藤鉄城 自然の伝承
高橋文太郎『秋田マタギ資料』
大庭良美『石見日原村聞書』
岩倉市郎と拵(こしらえ)嘉一郎 喜界島調査
朝鮮多島海旅行
桜田さんと漁村および漁民の世界
早川さんの島の旅
農業経営史研究の先達 早川さん



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