オランジュの古代ローマ劇場の舞台脇と客席です。
巨大な壁と丘のため、どうしても影が出来やすく、写真を撮るのに苦労していたようです。
今回は古代劇場の歴史について、Le Théâtre Antique et le Musée d’OrangeのHPよりまとめてみます。
紀元前36年 オランジュ(アラウジオ)の街が建設
紀元1世紀 劇場の建設
オランジュの古代劇場はアウグストゥスの統治時、紀元1世紀に建設されました。地元の黄色と白色の石灰岩を使用しました。ローマ帝国の最も良好に保存された劇場の一つです。
(正確な建造時期はよくわかりません。紀元前から建設されていたのかもしれません)
391年 劇場の衰退
劇場は異教と堕落を象徴する神殿と同様にみなされ、391年に閉鎖されました。その後、街は野蛮人に侵略され、劇場も略奪されました。
中世には、劇場は完全に忘れさられ、もはや見世物には使われませんでした。人々に放置され衰退していきました。
1825年 劇場の復活
ヨーロッパの地において古代に対する関心が復興し、過去の文明の遺産を再発見する気運が高まりました。
プロスペル・メリメはその時歴史的建造物とされるフランス史跡の監督官として、大規模な修復キャンペーンを展開していました。ステージ周りとその下段に建っていた建物を取り除きました。ローマ劇場は人々が歓喜していた時の栄光を取り戻しました。
一部修復された1869年には、劇場は初めて「ローマ祭」を主宰しました。
メウル・ジョセフのパフォーマンスとローマを賞賛するカンタータで一万人の観客を魅了しました。
1902年、その「ローマ祭」は「コレジー」と改名し年行事になりました。演劇、オペラ、バレエ、そしてシンフォニーコンサートがこの注目すべき舞台で行われました。有名人たちがここで活躍しました。
1903年には、かのサラ・ベルナールがラシーヌ・フェドルでたいへん印象深い役を演じました。
20世紀には、多くの発掘物の成果により、その建造物の歴史に光が当たり、復元に役立ちました。
1931年、ジュール・フォーミジェによる発掘により、現在見られるが、長年にわたり消えていた円柱が発見されました。
1971年、フランス文化省はアヴィニョンを劇場の中心に、オランジュをオペラ芸術と交響曲コンサートの中心に指定しました。これはカルロ・マリア・ジュリーニとモンスラ・カバレによる新たな「コレジー(夏のオペラ)」の始まりでした。国際的に知られたアーティストとグループの存在により、劇場の世界的な評判は高まりました。
1975年 ロックコンサートOrange75の開催
1981年 ユネスコの世界文化遺産に登録
2002年 カルチャースペイシイズに委任
オランジュ市議会が2002年、カルチャースペイシイズにオランジュ古代劇場とオランジュ博物館の管理、経営、広報を委任します。毎年カルチャースペイシイズは市と共にコンサート、古代ローマ軍団の再演を含む文化イベントを準備します。
2006年 新しい舞台屋根
悪天候から壁を守るための巨大なガラスの張り出しを造るプランが2004年にまとまり、2006年に屋根が完成しました。
2019年 バーチャルリアリティーがオランジュの古代劇場に導入
歴史的建造物がデジタル化され、訪問者にヘッドセットを着けて360度のバーチャルツアーを体験させます。強烈な経験を通して、古代ローマの中心に招待します。紀元前1世紀に戻り、アラウジオの街の創設から、劇場の建設を目の当たりにすることができます。
カルチャースペイシイズはローマ文明を紹介するためオランジュ古代劇場で催し物を行います。それによりアラウジオの街の劇場地域、社会、政治、宗教の中心における生活をよみがえらせます。
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