ヨーロッパの言語
アントワーヌ・メイエ 著
西山教行 訳
岩波文庫 青699-1
2017年9月15日 第1刷発行
著者のアントワーヌ・メイエは社会言語学の先駆者として位置づけられています。
本書の原題はLes langues dans l'Europe nouvelleつまり「新生ヨーロッパの諸言語」です。
第1次世界大戦頃に書かれました。
ある時期に明確に存在していた複数の言語が、それ以前の時代に話されていた一言語の分化によって派生したものである場合、これらの言語は同じ語族に属するといわれる。p101
ルートヴィヒ2世(東フランク王、在位843-876)が西フランク人の前で宣誓を行い、年代記作者ニタールがストラスブールで行われた宣誓の文書を書き残したが、それはラテン語ではなく「ロマンス語」によるものだった。これが現存する最古のフランス語である。p102
帝国内の属州の住民は、ラテン語ではない言語の遺産から受け継いだ傾向を持ったままラテン語を話した。
ローマ文明の衰退と学校の影響力が衰え、その結果、文語の影響力が衰退することによって、帝国の各地はそれぞれ独自の道を歩むようになり、属州の数と同じだけのラテン語の形態が現れた。
こうして中世の初頭から、ほぼそれぞれの地域で、独自の言語的発展が見られるようになった。p154-155
近代国家という装置は、行政、学校、軍隊などで、誕生の時に個人をとらえ、死ぬまで個人を抱え込むもので、共通語の使用やその知識を押し付ける。p181
この作用に二つの影響が加わる。文語と商取引の影響である。p182
言語拡張の場合を見てみると、その筆頭に来るのは、侵略や植民地化である。しかしこのように言語が拡張するためには、その言語は高級文明の道具の役割を果たさなければならない。p200
土地の話語は老人が今なお身に着けている地方色の濃い衣装と同じようなものだが、子供たちはもうこれを脱ぎ捨て、隣町の普段着を着るようになっている。
話語は、それを知っていた最後の老人が死んでしまうと、そこで消滅してしまう。p203
動詞はフランス語における唯一の複雑な要素だが、フランス語をもとにしたクレオール話語では、動詞は不定形のみに単純化されている。p209
ある時点でほぼ同一であったいくつかの話語が、それぞれ独自の進化を遂げ、ひとそろいの共通の改新が実現し、かつ各地の住民がそれぞれの土地の話語を用いながらも、同時にある一つの言語を話しており、この言語の内部において、ある特定の言語集団を形成しているという自覚を持っている場合に、「方言」があるとされる。p220-221
カロリング朝時代(751-987)に古典研究が再興するにともない、かなり正確なラテン語に戻った。
これ以降かなり自律性を持つ俗語とは別に、学者語が成立した。それは教会および学問の言語であり、一言でいえば中世を通じてヨーロッパ西部の知的文化の言語である。p228
フランス語で書かれた最古の散文は、ジョフロワ・ド・ヴィルアルドゥアン(12~13世紀の歴史家で、十字軍に参加し、「コンスタンティノープル征服記」を記した)やジャン・ド・ジョワンヴィル(13~14世紀の歴史家で、ルイ9世に仕え、王の伝記を記した)などによる戦士の物語で、戦士の経験や見聞を物語るものである。p229
西方世界では、アイルランドやドイツのように一度もローマ帝国の傘下に入ったことのない国でさえ、ラテン語が学者語になった。
東方世界および小アジアでは、キリスト教化した民族は全くギリシャ化しなかった。そのため民族の数と同じだけの学者語がつくられた。p242
大文明語は、同一の文明集団に属するさまざまな言語、場合によっては語族さえ違う諸言語に、学術用語や表現法といった共有財産を提供する。その言語を通じた影響力は絶大である。ex中国語とヴェトナム語や日本語p247
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