日本人とはなにか
柳田国男 著
河出書房新社 発行
2015年7月30日 初版発行
考えない文化
日本の笑い
世界の文化は共通であると言ったり、フランスで良い文学なら日本でも良い文学であると言ったりするのに対して、私は疑点を持って居る。学問でも同じ事であるが、全然日本の過去の文化に研究すべきものが無いなら別であるが、日本の文化は日本人でなければ研究出来ないと思う。p11-12
シルバン・レヴィ
フランスの有名な仏教学者で、元はユダヤ人であるが、に初めて日本で逢った時に、貴方の書いた物の中で何が一番思い出があるかと言って訊ねて見たら、印度のコート・フールの歴史を書いた物が思い出だと言った。p13
処女会の話
離婚をせずともすむように
うだつが上がらぬということ 家の話
日本人とは
家の観念
日本における内と外の観念
日本の地理的な特徴
・大陸からの距離
・川と谷が多い
・米をつくる
このような条件の下に同一の人種として、谷谷に群をなして土地を開き、米作りして、割拠した。したがって、日本人の割拠性というのは、たいへんに根が深い。p120-121
戦後、いわゆる農地改革のために悲惨な目にあって裏切られたようなことを言っている地主達は、じつはこのあとに出てきたもので、昔からの旧家で代議士も出さずに手堅くやってきたものも少しはあったかも知れないが、それはごく少ない。p137
村村の旧家でほとんど問題のない家はない。そういう家の主人は、たんに酒色におぼれたというのではなく、みな新しい生活をしたためだ。一番はやったのは馬。
世の中が変わったのは、こうした生活の様式の移り変りに応じて人の考え方が変わったのであって、明治の変わりかたをただ政治変革の一つの現れとだけ見ようとするのは間違いである。p138
明治憲法調査の時、シュタインは、「どこの国でも過去に歴史があるから、ある国が非常に良くいったからとて、その通りにはいかない。自分の国の立場と経験とをよく考えてみなければならない」と言った。ほんとうにこれくらい平凡な真理はない。p139
私の仕事
幸田露伴の『雁坂越』
少年がけわしい雁坂峠の絶頂を越え北武蔵へ出る。
眼下に開けた新しい世界を望んで小躍りして悦ぶ。
私はその気分が何とも言えず嬉しかった。
ビョンソンの『アルネ』という小説も、その結構はちょうど『雁坂越』と同じで、フィヨルドに住む少年が生まれて初めて北海が見えるところにたった時の少年の心の動きと情景を良く表し得て居た。p146-147
(国男少年が福崎の山から、初めて播磨灘の海を見た時の話を思い出しました)
無知の相続
日本人の来世観について
私の歩んだ道
農商務省の役人生活のかたわら早稲田大学とかその他ほうぼうの大学で農政の講義をした。大学を出てすぐだから二十七、八歳のころで今から思うとずいぶん大胆な話なのだが、それでもドイツの本を読んで勉強して一生懸命に講義をしたものである。p188
柳翁新春清談
次の代の人々と共に
皆さんのお父さんの代、お祖父さんの代には、日本を「東方の英国」などといっていたことが、随分あるのであります。処が、実際は違っていて、島だということは異ならぬけれども、向こうは潮は早いが、大きな河だと思えばいいような処で向かい合い、両方とも平地になって居ります。p209
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