Ⅳ 遍歴と定住の交わり
9 牧人・羊飼い
牧人は人類の歴史とともに古い職業であって、エバの産んだ二人の子供の内「アベルは羊飼い、カインは農民となった」
そしてカインがアベルを殺害したのもひとつの象徴的な事件であり、以後牧畜を生業とする遊牧民族と定住した農耕民族との争いは堪えることがなかった。p158
牧人の象徴ともいえる牧杖、角笛の他には彼らはいつも肩から一つの袋を下げていた。その袋の中には杜松の実や特定のアルプスの花、塩、糠、粘土、大麦の芽などが入っていた。これらの薬草類を用いて牧人は家畜の病気や怪我を治したのである。p167-168
(そういえばアルプスの少女ハイジのペーターもそんな袋を持っていましたね)
牧畜と農耕は人類の歴史的生産様式のなかで二つの大きな潮流をなし、しばしば文明間の対立、衝突の主役とさえなった。しかるヨーロッパの中・近世の共同体所属の牧人は両者が互いに補足しあう関係の接点になり、農耕文化に牧畜文化の伝統を絶えず流れ込ませるパイプの役割を果たしていたのである。p172
10 肉屋の周辺
中世は多量の肉を消費していたが、都市人口が極めて少なかったことに加えて、市民が皆多かれ少なかれ家畜を育てていたためであった。p174
ドイツ人の中でかつてのツンフトの職名を姓としている人々が圧倒的に多いことは、単に姓名だけでなく、その姓のもとに営まれた過去の数百年にわたる職業生活の規範を今も宿しているものとみられる。p189
Ⅴ ジプシーと放浪者の世界
11 ジプシー
ジプシーが西欧社会に姿を現してからすでに500年以上の年月が経っている。
実にジプシーの姿を見ないのは世界中で日本と中国だけだとさえいわれている。p193
ヨーロッパにジプシーが現れたのが14世紀以前というのはほぼ間違いない。
1100年にアトスに現れたという記録が最古のものであるが、ボヘミア、セルビアが次いで古く、ドイツでジプシーを確認している最古の記録は1407年のものである。
1427年にはパリにも現れている。p197
ジプシーが遠くインドからはるばるヨーロッパまで旅してきた人々の末裔であることがわかったのである。
1763年ジプシーの言葉とインドの言葉の類似点に気づいたのが最初の報告と言われる。p208
12 放浪者・乞食
Ⅵ 遍歴の世界
13 遍歴する職人
14 ティル・オイレンシュピーゲル
民衆本のなかに盛り込まれた「遍歴職人ティル・オイレンシュピーゲル」
リヒアルト・シュトラウス作曲の「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」によって音楽の世界でも知られた話は、我が国のドイツ語教科書の題材にもなっている。
冬の遍歴の厳しさを描く部分は大変真実味がある。「指が再びやわらかい土の中に差し込めるようになるまで」という言葉は、ニーダザクセンの荒涼たる冬景色を知っているものには、そして凍り付いた土の硬さを知っている者には胸に迫るほどの実感がある。p292
職人の食卓の隣にヘルマン・ボーデのような人が偶然座っていたら、話を書き留め、次の機会にはその目的で職人宿を訪れるようになり、こうして遍歴職人の間で語られていた話を集めながら、それに類似した話を古今東西の文献の中に探し求め、それらを集成して最初の民衆本の原型が生まれたのではないか。p312
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