ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

ニースの城跡公園の遺跡

2007-02-20 23:50:22 | フランス物語
引き続き「南フランス古代文明紀行」より。
ニースの海沿いの旧市街側の丘の上、いわゆるシャトー(城跡公園)に上る。
ここには写真のようなやはり朽ちかけた遺跡があった。
この本の著者によると、
「紀元前にギリシャ人がアクロポリスを造り、その廃墟に紀元後キリスト教寺院が建立されたと考えるべきではないか。」と推測している。
実際、ニース市の案内板にもギリシャ人がアクロポリスや商館を建てたとあるらしい。
その後ローマ人が同じ所に城を築き、更に後世の人たちがノートルダム寺院を建てたんだと著者は見ておられる。
この写真の朽ちかけた遺跡は結局寺院の跡のようだ。
時代が変われども、海沿いの見晴らしのいい丘として、住民の戦略的、あるいは精神的な拠点として重要性が高かったんだろうと思う。
展望台からは「天使の湾」と呼ばれる美しい海岸線も見える。
また少し目を転じれば統一された屋根の色が美しい旧市街も見える。
古代から現代まで、人々の心に強い印象を残させるような場所であったんだろうな、とあらためて著者に同調する気持ちになった。

ニースのローマ遺跡

2007-02-19 22:07:23 | フランス物語
南フランス古代文明紀行
川島清吉 著
公論社
平成5年4月1日発行

南フランスの旅行記が中心だが、モンテ・クリスト伯について熱く語ったり、古代ゲルマン社会について説明したりしている。
まずはニースから話は始まる。
西暦前200年頃から、ニースのシミエ地区にローマ人が住み始めた。
この「シミエ地区」には、今ではマティス美術館があるところである。
そこは「ケメネルム」と呼ばれ、「アルプ・マルティム」の首都としたらしい。
自分がこの地区に行った時は、美術館が目当てで、ローマ遺跡には興味が無かったので、ほとんど記憶に無い。
円形闘技場あたりも多分歩いたんだろうが、どうもよく思い出せない。
記憶にあるのは、金網越しに遺跡らしいものがあり、「何があるんだろうか」と覗いたことくらいだ。
今回載せた写真は、その時に撮ったものである。今となっては貴重なものとなった。
というのも、円柱や切り石などの遺跡が写っているからだ。
この本の中では、ほぼ同じ位置から撮った写真があった。それを見ると美術館は建築中であり、更にニース市の遺跡説明の看板が写っている。
自分が撮ったこの写真では、遺跡の看板は無い。看板自体無かったのか、それとも単にフレームの外なのかもわからない。
また自分が遺跡を撮ろうとしたのか美術館を撮ろうとしたのかさえよくわからない。
とりあえずこの本のおかげで追体験でき、再認識できるのは幸せなことである

ヴェルサイユの神殿とクレープ

2007-02-18 00:24:19 | フランス物語
グラン・トリアノンを見た後、プティ・トリアノンやそのそばにある愛の神殿(Temple de l'amour)の近くを通るなどして、ヴェルサイユの庭園から出る。
あらためて愛の神殿の写真を見ると、巨大なキオスクのような感じがする。

駅まで向かう途中、どこかで食事をしようということになり、中華料理店やクレープ屋が入っている建物に立ち寄る。
自分としては中華の方がよかったが、同行の方の立場からすると、わざわざフランスまで来て中華なんて、という感じだったので、慣れぬクレープ屋にする。
ビールで乾杯する。よく歩いたのでビールがおいしい。
そしていわゆるおかず用の、少しヴォリュームのあるクレープを、もそもそ食べた。

秋の日が落ちるのは早い。食事を終えると薄暗くなっていた。
薄暮の中、ヴェルサイユ駅からRERに乗り込み、パリまで戻る。

ヴェルサイユのグラン・トリアノン

2007-02-17 01:19:51 | フランス物語
ヴェルサイユ宮殿の庭園から、トリアノンに行く。
少し距離があるが、歩いていく。
舗装された道路ではなかったため、当日晴れていたにもかかわらず、結構ぬかるんでいた記憶がある。靴が泥だらけになった。
また途中には馬もいたような気がするが、記憶は定かではない。

このトリアノンは大と小に別れている。
それぞれプティ・トリアノンとグラン・トリアノンに別れている。
写真はグラン・トリアノンの方だが、いかにも地味な離宮といった感じで、かえって好感が持てる。
ルイ14世もここで豪奢な生活の息抜きをしたのだろう。

ここも、フランス革命の時には荒れ果ててしまったが、その後ナポレオンの時代に修復が行われ、彼やマリー・ルイーズもよく訪れたらしい。
以前見に行った「ナポレオンとヴェルサイユ展」でも、そこの家具などが展示されていた。
また講演会でもトリアノンにちなんだ話を聞くことが出来た。
ご参考までにその講演メモをトラックバックしておきます。

ヴェルサイユの遥かなる庭園

2007-02-16 23:34:05 | フランス物語
もともとこのヴェルサイユ宮殿は、ルイ14世が、ヴォール・ヴィコント城の大宴会に招かれた時、あまりの豪華さに嫉妬し、コノヤロー、負けてたまるか、てな感じで造ったものらしい。
ちなみにそのヴィコント城での大宴会の主催者である王室財務長官のフーケは、ルイ14世の怒りを買い、失脚し、投獄され、そのまま獄死という残酷な運命に終わっている。

我々はといえば、長い列を並び、チケットを買う。
中に入り、オーディオガイドを聞きながら、鏡の間などの豪華な内部を見学する。
そして庭園に出る。
はるか向こうまで続くようなパースペクティブが素晴らしい。
庭園の遠くには、自転車に乗っている人もいた。