ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

深まる秋のヴェルサイユ

2007-02-11 21:58:50 | フランス物語
さる年の、秋も深まった11月のよく晴れた日、来仏前にお世話になった人がパリにやってきたので、いっしょにヴェルサイユ宮殿に行く事にした。
自分もヴェルサイユに行くのはその時が初めてだった。
まず地下鉄の駅で待ち合わせて、一旦自分の下宿に行く。
どういうところに住んでいるか気になったらしく、中を見たいとの事だった。
その後、下宿を出て、セーヌ河方面に歩いていく。
ヴェルサイユ行きのRER(郊外電車)に乗るためだ。
パリに来る前、パリからヴェルサイユに行く計画を職場の女性職員に話した時、パリからの観光バスも考えたとの事。
しかし、「ヴェルサイユくらいでわざわざバスなんて」と馬鹿にされたらしい。
確かにパリから40分程度である。
自分のパリでの同僚でも、ヴェルサイユから通勤している人もいた。
ただし夜遅くなるとRERでは危ないので、旦那様が迎えに来ておられたが。
このようにツアー旅行を馬鹿にする人が多いが、それ自体は結構捨てたものでないと思う。
安全で、余計な無駄が無い。貴重な時間のなかで色々回るにはぴったりだ。
またガイドさんも、フランスの場合ちゃんとした資格を持っているはずなので、話を聞いてもそれなりに参考になると思う。

我々はセーヌ河沿いの駅から、それらしい標示がある、ヴェルサイユ行きの電車に乗る。
のんびりと川沿いに進んだ後、林や家々の間を通っていく。
ヴェルサイユ・リヴ・ゴーシュ駅に着く。
そこから宮殿に向かう。
途中アンフォルマシオンがあり、同行の方は、そこの為替のレートを気にしていた。
いよいよ中に入る。
写真のようなルイ14世の騎馬像が見えてきた。

アルザスのオードミネラル

2007-02-10 01:32:18 | ヨーロッパ旅行記
その土地になじむことを
「水が合う」という
ここアルザスでも
文字通り
そこのミネラルウオーターを飲み
夏の渇きをいやす

パリではあまり見かけなかった
赤と青、そして緑だったかの
原色のラベル
炭酸ありと炭酸なしがあり
炭酸ありの水の中でも
その炭酸の量の度合いが違い
好みの水を選ぶ事が出来る

すぐに渇きを癒す時は
刺激の多いボトルをゴクゴク
サンドイッチと一緒の時は
そこそこの炭酸量
微妙に変わる好みの基準

パリに戻り
更に東の端の島国に帰り
多分豊かな国だから
そのミネラルウオーターも
どこかで手に入るだろうけれども
本当に「水が合う」のは
やっぱりアルザスの夏の太陽の下


パリに光る金色のドーム(アンヴァリッド)

2007-02-05 22:58:26 | パリの思い出
パリの中で金色のドームが印象的な「アンヴァリッド」
ここは軍事博物館であるとともに、ナポレオンの墓があることで有名である。
日本語訳では「廃兵院」としているようだが、これは失礼な感じを受ける。
「傷痍退役軍人院」あたりの訳が適当だと思う。

自分がここに行った時は、ドーム側から入らず、北から入ったような記憶がある。
これだとまず軍事博物館を見学することになる。
ドゴール将軍に関する展示品などを見ながら、フランス軍事史、近代史のお勉強をする。
一通り見終わった後、高い天井で、広い空間を持つドーム教会を通った後、写真のようなナポレオンの豪華な墓がある。
これは上からでも、また階段を下りて横からでも眺めることが出来る。
薄暗い中、しみじみとナポレオンを偲ぶことになる。

外に出てドームを見上げる。
金色に光る威容が眩しかった。
(ナポレオンの墓の写真は日本語パンフレットより転載したものです)

ユーラシア大陸飲み継ぎ紀行

2007-02-03 22:26:12 | ヨーロッパあれこれ
ユーラシア大陸飲み継ぎ紀行
種村直樹 著
徳間書店
1996年5月31日 第1刷

ポルトガルのポルトから中国の昭興まで、酒にちなんだところを電車で訪問していくという勇壮な話。
といっても、以前紹介した、旧ソ連をバイクで横断することに比べたらよっぽど楽だろうとは思う。
それでも結構度数のきつい、いろんな土地の酒を飲み続けるのは、酒に対して強くない自分なんかからすると結構たいへんだ。敬意の念さえ感じる。
実際、酒豪の著者の方々でもきつい時があったようである。

まだユーロが無かった頃の、ヨーロッパでの両替の煩雑さ。
パリからロンドンまでのユーロスターの仕組みは、自分が行った時と同じで懐かしかった。
東へ行くほど、パスポートチェックなども厳しくなる。
酒を控えて、体調万全なら、長い電車の旅も楽しそうだ。

ハンニバル戦記 ローマ人の物語Ⅱ

2007-02-02 22:58:54 | ヨーロッパあれこれ
ハンニバル戦記
ローマ人の物語Ⅱ
塩野七生 著
1993年9月30日 第5刷
新潮社

塩野先生の「ローマ人の物語」が完結したとのこと。
新聞各紙で、インタビューが掲載されていた。
自分といえば、それ以外の先生の著書は数冊読ましていただいているが、この「ローマ人の物語」シリーズは、残念ながらちょうどガリア戦記にあたる所しか読んでいなかった。
これから楽しく、頑張って読んでいこう。
というわけで、今回はカルタゴの名将ハンニバルとスキピオの戦いがメインのポエニ戦役となる。
今と同じく、その当時も戦争は悲惨なものだというものを忘れてはいけない。
今回でも常に直接の戦いよりも、持久戦的な方法を取るかで、更には降伏するかで議論する場面が出てくる。
戦略だけでなく、そのような人間の葛藤については興味深い。
ハンニバルについての私的なエピソードはほとんどないが、その中の数少ない引用が興味深かった。

「寒さも暑さも、彼は無言で耐えた。兵士のものと変わらない内容の食事も、時間が来たからというのではなく、空腹を覚えればとった。眠りも同様だった。彼が一人で処理しなければならない問題は絶えることはなかったので、休息をとるよりもそれを片づける事が常に優先した。その彼には、夜や昼の区別さえもなかった。眠りも休息も、やわらかい寝床と静寂を意味はしなかった。
兵士たちにとっては、樹木が影をつくる地面にじかに、兵士用の、マントに身をくるんだだけで眠るハンニバルは、見慣れた風景になっていた。兵士たちは、そのそばを通るときは、武器の音だけはさせないように注意した。」

トップに立つ人は、かくあるべしと思う。
このような彼から、スペイン、フランス、ナポレオンも苦労したアルプス越え、そしてイタリア転戦という辛い中でも、離れていく傭兵はいなかったという。

それにもかかわらず、結局カルタゴは滅亡し、地中海がローマにとって、「われらが海」となってしまったのであった。