ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

偉大なるロシアの魂 エリツィン氏を悼む

2007-04-25 00:33:32 | ヨーロッパあれこれ
エリツィン氏が亡くなられた。
いままでリアルタイムで氏の活動を見ていくことができ、なおかつ亡くなられた米原万里さんの著作でのユニークなエピソードも知ることができた。
ソ連邦解体を促すロシアの初代大統領として活躍し、民主化、市場経済化をもたらした功績は大きいが、一方社会の混乱化や身内のスキャンダルなどの誤りもあったかもしれない。
功罪の歴史的評価は、これからどうなっていくか分からないが、ただ一つ言える事は、限りない情熱を持った行動力と、人をひきつける、卓越した力があったんだろうなと思う。
真面目なゴルバチョフ氏、冷徹なプーチン氏のはざまで、いかにもポピュリストとして、ユニークな存在だった。
大切な外交行事で、酔っ払った状態で、指揮の真似事をしたこともあった。また記者会見で失言をするエリツィン氏。隣でたいそうウケていた(フリ?)をしていたクリントン氏とともに思い出す。
そういった豪放磊落な面も、ある意味ロシアらしいとも言え、いとおしく感じる。
亡くなられた今となっては、激動の時代をお疲れ様でした、そしてゆっくりとお休みください、と言う気持ちとともに、ご冥福をお祈りしたいと思います。
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中央ヨーロッパの可能性

2007-04-23 23:37:27 | ヨーロッパあれこれ
中央ヨーロッパの可能性 揺れ動くその歴史と社会
編者 大津留厚
昭和堂
2006年2月15日 初版第1刷発行

EUの拡大に伴い、ヨーロッパ自体の重心も東に傾いているように感じる今日この頃。
いわゆる中央ヨーロッパに対する重みもますます増しているような気がする。
この本では「中央ヨーロッパ」の定義を、「東欧」という「ロシア」と「ドイツ」の中間に広がる地域プラス「広い意味でのドイツ」、ということにしている。
内容は中央ヨーロッパの歴史地図に始まり、バルト海地方の宗派的ネットワークやロシア化、ゲルマン化の論文や、ユダヤ人の問題などの論文が羅列されている。
やはり中央ヨーロッパを語る故で、その内部の個々の民族だけでなく、ロシアとドイツという大国の影響、そして一番の犠牲者ユダヤ人のことを重く考慮に入れる必要がありそうだ。

(写真はエストニアのタリンの国会議事堂とその前にそびえたつロシア正教寺院です。) 
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ローマ人の物語Ⅵ(アウグストゥスについて)

2007-04-20 23:42:17 | ヨーロッパあれこれ
パクス・ロマーナ
ローマ人の物語Ⅵ
1997年7月7日 発行
塩野七生 著

カエサルの後を引き継いだ、アウグストゥスが、死まで、いかにローマの国づくりを進めて行ったかを、著述している。
カエサルという超人に見出され、後継者の一人となった彼。
統治形態を作るため、元老院の改革や国勢調査、通貨改革から食糧安保まで、地道な改革を粛々と行っていく。
スッラのような恐怖政治でもなく、かといってカエサルのような天才的な弁論術を持っていなかったにもかかわらず、したたかな政治家として統治していく、見事な手腕。
軍人としては物足りなかった。しかしそれを補うがごとくカエサルにより見出されたアグリッパという存在により、対外政策も進めることができ、ローマによる平和をもたらしていく。
さらにローマの防衛線をライン河からエルベ河にするためのゲルマン人との戦い。
ティベリウスらによりゲルマンの地を征服していく。
しかし後継問題もからみ、ティベリウスは一時ロードス島に隠遁。
後継者には、自分の血を残したい気持ちのアウグストゥス。
しかしなかなか上手くいかず、さらに娘など自分の子孫の不祥事もおこる。
結局、ティベリウスは戦線に復帰。お互いの恩讐を越えた、「見たくないものも見える」二人の和解。
そしてエルベ河までローマ軍は達するも、その後アルミニウス率いるゲルマン兵に皆殺しにされる。
所詮戦争なんて地獄絵図。
その後防衛線をライン河に戻す。
77歳の夏、神君アウグストゥス、ナポリにて死す。
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中世の伝説の起源(アヴィニョンの例)

2007-04-18 22:23:58 | フランス物語
中世の祝祭
伝説・神話・起源
フィリップ・ヴァルテール著
日本語序文 樺山紘一
訳者 渡邉浩司 渡邉裕美子
2007年4月5日 第1刷

フランスを中心とするヨーロッパのカーニバル(カルナヴァル)や風習、神話や、聖人の伝説などについて、それぞれの起源を詳しく取り上げている。
キリスト教の地域ゆえ、それにちなんだものだが、実際の起源を掘り下げていくと、キリスト教が広まる前のケルトなどの文化にぶつかってくる。
キリスト教布教のために、どうしてもその当時、現地に存在した宗教的なものに、上手くキリスト教を迎合させていったといえる。

写真はアヴィニオンのサン・ベネゼ橋である。
この橋はベネゼという羊飼いが天啓により建設したと言われている。
最初彼はその考えを司教に伝えると、嘲笑の的となる。
しかし彼は宮殿の巨大な石を、軽々と運んでいき、橋を完成させるに至った、とある。
そのような信じられない偉業は、巨人の偉業をキリスト教化した挿話である。
またケルト神話では、河の両岸をつなぐ橋の建設者は、常に特別な存在である。
異界に通じる道ともいえる。
そのような深い意味を含んでいるとのことである。
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がんこなガンヌおやじの宿(バルビゾンにて)

2007-04-16 22:21:45 | フランス物語
引き続き、通りに面した、「ガンヌおやじの宿」に入る。
手元の二冊のガイドブックでは、それぞれここの日本語訳を「ガンヌおやじの家」「ガンヌの宿」としていたが、ここではそれを折衷し、「ガンヌおやじの宿」とする。
まず家よりも宿のほうが、いかにも旅籠らしい意味がはっきりする。
また「おやじ」が入っている方が、親しみやすい。ガンヌならぬガンコおやじという語感も漂わせる事が出来る。
実際、無名な画家を受け入れ続けていた事などから考えると、いい意味での頑固さがあったのではないかと推測できるからである。
ちなみに1822年から1875年まで、画家たちを受け入れたとのことである。

現在、ここは市立バルビゾン美術館となっている。
残念ながら、ここにはそんなに有名な作品はない。有名な作品を見たいなら、パリの美術館に行ったほうがよい。
それよりも、扉や家具などに描かれた絵が面白い。
そんなところに描かざるを得なかった、無名画家達の業を感じる。

そろそろバルビゾンを離れる時間が来た。
バスに乗る。少し動くと、フランスならではののんびりとした麦畑が広がる。
その向こうには小さな森。
農民こそいなかったものの、ミレーの絵のような情景が広がっていた。
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