ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

モネ 名画に隠された謎を解く

2007-08-04 22:04:22 | ヨーロッパあれこれ
モネ
名画に隠された謎を解く!
吉岡正人 著
中央公論新社
2007年3月25日 初版発行

印象派の巨匠、モネについて、画家の目から評論している。
まず年ごとの代表作を紹介している。
ブーダンの影響を受けた18歳の時の風景画。
マネの「草上の昼食」に影響を受けた27歳の時の野外の人物像。
幸せを絵画化したような、33歳の時の「アルジャントイユのひなげし」
最も素晴らしい目であった37歳の「サン=ラザール駅」
苦しい時代の39歳。
51歳の時の積わらの作品。
そして86歳の時の「睡蓮」
年代ごとの変化をわかりやすく解説している。

そしてモネゆかりの地の訪問。
エトルタや、「印象、日の出」の描かれたルアーブル。
またこのブログでも紹介したオンフルールやルーアンも訪問し、著者自身もスケッチを試み、モネの気持ちに近づこうとする。
この本も、コンパクトなサイズながら、絵画、写真も豊富で、わかりやすくモネの跡を追う事が出来る。

それにしても、オランジュリーは7年間も休館していたんですね。
2年間のパリ滞在中、ずっと休館していたが、7年も休館していたとは思いもよらなかった。
日本では考えられないが、それだけ美術館というものを大切に扱っているのかもしれない。
ルアーブルのマルロー美術館、オンフルールのブーダン美術館と共に、訪問したい美術館である。
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そんなことやっていていいんですか、民主党さん

2007-08-03 22:26:43 | ヨーロッパあれこれ
「良郎議員」 英で突然“公約違反”(スポーツニッポン) - goo ニュース

これからすぐ、議員さんとしての、準備をしなければいけないんではないんですが。
なんだか国会議員としての仕事をなめているようにしか思えません。
他の議員さん、また落選した方々、そして投票された方々に失礼だと思います。
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エディット・ピアフの「愛の讃歌」

2007-08-03 22:21:42 | ヨーロッパあれこれ
エディット・ピアフについて、NHKラジオフランス語講座のテキストのバックナンバーの2006年7月号で、加賀乙彦先生の「私とフランス語のお付き合いⅣ」で、日本でも有名な「愛の賛歌」という曲の背景について説明されており、少なくとも自分にとっては、新しく興味深い内容だったので、紹介します。


エディット・ピアフは、自分の母親は知らず、娼家で働いている祖母に育てられた。そして15歳から路上で歌うようになった。
父親がころころ女を変えていたように、自分もころころ男をかえる、自堕落な生活だった。
そんな中出合った男、マルセル・セルダンだけは違っていた。
ボクサーの彼は、己の拳二つで、フランスチャンピオン、そしてヨーロッパチャンピオンとして成功する。
そして得た大金は、豪遊に使う代わりに、他人の世話を熱心にした。
例えば、盲目のカサブランカに住む友人を目の手術のため、彼をパリまで呼び寄せ、治療費をすべて負担してあげたりした。
そんな男の中の男と、ピアフは大恋愛に陥るが、セルダンの飛行機墜落により、それもあっけなく終わりを告げた。
その知らせを聞いた時、彼女はニューヨークにいた。その時のステージでは、彼女はこう客に告げた。
「今晩、私はマルセル・セルダンのために歌います。誰のためでもありません。彼のために歌います。」

そんな悲しみの中、自殺を考え、交霊術に逃げたり、麻薬モルヒネ中毒になったりした。
しかし、最悪の状況の中でも、表現の道は開いていた。
「愛の讃歌」の作詞という、道が開いていたのだった。

この中では、愛というものを、祖国や友情より遥かに高いものにおいている。
これは有名な日本語訳では表現されてないが、原文の中にはちゃんと織り込まれている。
フランスがナチスドイツに蹂躙されて、パリ解放から5年ともたたない日に書かれたものであった。
その中に、彼女の強固な個人主義と全身全霊を恋人に捧げる愛の姿が見て取れるのである。
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