中小企業のための「社員が辞めない」会社作り

社員99人以下の会社の人材育成に役立つ情報を発信しています。

コミュニケーションのプロの技

2013年07月11日 | コミュニケーション

「コミュニケーション」は企業研修のテーマとしてはおそらく最もポピュラーなものでしょう。コミュニケーションには言語(言葉)によるものと非言語(表情、ジェスチャー、態度、声の調子など)によるものがあります。

非言語によるコミュニケーションはズバリ言ってしまいますと「研修ネタ」としては非常にお手軽です。ちょっと本を読んで理論をかじれば、誰でも「研修講師」になれる美味しいテーマなのです。以前このブログでもご紹介した「メラビアンの法則」なる都市伝説を平気で「理論」として口にするエセ講師がたくさんいます※。

ところで、言語(言葉)は非言語と一体になっていないと正しく伝わりません。実はこれが意外に難しいのです。

この画像はイオンモールむさし村山店の食品売り場(イオン)の様子です。試食コーナーにいたこのお二人の様子を見て驚きました。商品の特徴をはっきりと周囲のお客さんに伝えながら、ひと口に小分けした試食品を的確に配っていました。子供に渡す時は低い位置で、少し離れた人にはすばやく、それもきちんとアイコンタクトをしながら渡していました。

まさに言語と非言語がマッチしたプロの技を見た気がします。

「食品売り場とうちの職場とは全然違うよ」と思われた方は、ぜひここへ行って試食品の人だかりの中に入って手を伸ばしてみてください。気付くことが必ずあります。・・・そして、たぶん買っちゃいますよ。

(人材育成社)

※「アルバートさんのこと」

http://blog.goo.ne.jp/jinzaiikuseisha/e/862af3a1f5a66253c783c4d44cf5980e


半夏生と新島八重

2013年07月10日 | コンサルティング

  半夏生(はんげしょう)という植物をご存知ですか?

半夏とは、季節を表す七十二候(しちじゅうにこう)の一つ。半夏(烏柄杓)という薬草の葉が名前の通り、「葉の半分が白くなって化粧しているような状態になる頃」と言われています。

かつては夏至から数えて11日目とされていたようですが、現在では天球上の黄経100度の点を太陽が通過する日で、毎年7月2日頃にあたるそうです。

 先日から幾度となくテレビで放映されていますから、ご覧になった方もいらっしゃることと思いますが、現在、京都 建仁寺の塔頭の両足院が特別公開期間中です。その庭には二百株ほどの半夏生がピークを迎え、葉が真っ白になっています。

先日、私はタイミングよく両足院を訪れることができ、生まれて初めて沢山の半夏生を見る機会に恵まれました。

 半夏生はドクダミ科の植物。花ではなく葉の表が白くなってお化粧したように見える植物です。この時期を過ぎると、また元の葉の緑色に戻るのだそうです。

 清楚で、かつ凛とした半夏生。しばしの間、見とれてしまいました。

 ところで、凛としたと言えば両足院にはもう一つ、現在放送されているNHKの大河ドラマ「八重の桜」で取り上げられている新島八重さん直筆の掛け軸もありました。

 八重さんは、この寺の18代和尚の黙雷の人柄に傾倒し、坐禅に通っていたご縁で直筆の掛け軸が床の間にあるのだそうです。

生で見る八重さんの書いた字。「ならぬことはならぬものです」という、あの言葉が聞こえてくるような几帳面な字です。

 「会津のジャンヌダルク」とも言われ「動」のイメージが強い八重さんですが、実はお茶にも精通していて、裏千家の千宗室に師事し師範にまでなったとのことで、あまり知られていない「静」の部分を垣間見ることができました。

 半夏生が生えているお庭には茶室があるのですが、きっと八重さんはこの茶室でお茶をたて、半夏生を眺めながら黙雷和尚と禅問答をしていたのだろうと彼女が全力で生きた時代を想像した夏の朝でした。

 さて、「ならぬことはならぬものです」は什の掟を締めくくる言葉とのこと。什とは会津藩士の子弟は10歳になると藩校に入学することが義務付けられていて、その事前教育として6歳から「什」に所属して、藩士としての基本を学んだとのことです。その「什」が守るべき掟として定められたのが「什の掟」だったそうです。

 「ならぬことはならぬものです」 

 この掟は「什」のみならず、会津藩の心の支えになっていたのだと「八重の桜」を見ていると感じます。組織の理念が社員に徹底されることの難しさを日々感じていますが、一人一人に届く言葉であれば、それは軸となり行動指針にになりうるものだと改めて思います。

(人材育成社)


ペトリ様って誰だろう

2013年07月09日 | コンサルティング

先日、ある寿司屋の前を通りかかったら「本日の御予約」に「一階 ペトリ様」と書いてありました。「ペトリ」から何を思い出すでしょうか。

私は、全く何も思い浮かばない人が半分、と見ています。そして残りの半分は(1)「ああ、ペトリカメラね。親父が持っていたな。値段の割には良いカメラだったよ」、(2)「ペトリ皿、理科室にあったシャーレのことでしょ。カビを培養して観察したなあ」、(3)「ペトリネットの発案者ですよね。離散分散システムを数学的に表すネットワーク図の・・・」ではないでしょうか。

実は私の知人何人かに「ペトリ」で何を連想するか聞いてみたところ、上記の3つに分かれたのです。おもしろいことに、(1)、(2)、(3)を全部知っている人は1人もいませんでした。特に(1)を思い浮かべた人は60代前後でした。それより下は(2)、理系の学生は(3)が多かったです。極めて稀な例ですが「オランダのピアニスト」という答えもありました。

言葉と体験は深く結びついています。特に、その言葉を初めて耳にしたときの記憶が何かのエピソードと結びついていると、決して忘れないようです。ペトリと聞いてすぐに頭の中でカメラやシャーレやネットワーク図の書かれた紙を持っている自分が頭に浮かぶわけです。

研修の場で、このような「エピソード」にまつわる記憶を使ったワークをやることがあるのですが、10年、20年前のことでも鮮明に記憶が残っているようです。講師のことは忘れても、研修で身につけたことを職場で実践して良いエピソードを作ってほしいものです。

ところで、お寿司をおいしそうにつまんでいるペトリさん、一体どんな人でしょう。ちょっと気になっています。

(人材育成社)


山中伸弥さんの言葉

2013年07月08日 | コンサルティング

 七転八起。七転八倒。

数字の七と八を使った四字熟語ですが、毎年7月8日を迎えると、この二つの四字熟語を思い出します。

  七転八起は、七度転んでも八度起き上がる意から、何度失敗してもくじけず、立ち上がって努力することの意味で、転じて人生の浮き沈みの激しいことのたとえとして用いられることもあるそうです。

一方、七転八倒は、「激しい苦痛などで、ひどく苦しんで転げまわる」こと。転んでは起き、起きては転ぶを繰り返すことです。

 七転八起も七転八倒も、その意味するところは、たとえ負けが何度続いたとしても、決して諦めることなくその都度立ち上がりましょう、という意味につながるものと思いますが、しかし、現実にはなかなかこの言葉通りにはいかないことも沢山あります。

 さて、冒頭の写真(Wikipedia作者:Dɐ)は皆さんご存知のとおり、昨年のノーベル生理学・医学賞を受賞された山中伸弥さんです。

以前テレビで山中さんの経歴が紹介されていたのですが、ご自身はかつて整形外科の道を選んだものの、他の医者が20分で終わる手術に2時間もかかったり、点滴に失敗するなどして、指導医からは「お前は「やまなか」ではなく、「じゃまなかだ」と言われた。」とのエピソードが紹介されていました。結局、その後、山中さんは一度は諦めた基礎研究の道に再度進み、数々の努力を積み重ねながら最終的にノーベル賞を受賞されたわけで、このエピソードには勇気づけられた方も多いのではないかと思います。

 その山中さんの言葉として紹介されていたのが、「野球の打率は2割もあればいい方ですが、研究は1割でも優秀。 僕の研究室を希望する学生には『実験を繰り返しても、9割はうまくいかないことに耐えられますか?」』と聞いています。」という言葉。

いかに研究が日々の地道な実験の繰り返しであるか、しかし成果につながることがいかに難しいか、そしてノーベル賞をとられるまでの道のりがいかに大変なものであったかがこの言葉からもイメージできますよね。

 そして、これは私たちのビジネスにおいても同じこと。仕事において失敗はつきものですし、いい結果を出すためには大変な努力が必要であるということ。大事なのはたとえ失敗してもそこで決して諦めることなく立ち上がり、そしてコツコツと努力を積み重ねることなのだと思います。山中さんの言葉により、それがやがては成功につながるんだという、がんばる勇気をいただいた気がします。

ちなみに山中さんは、鴨川のほとりをよく走っていらっしゃるとのことです。私も極暑の中7月6日に四条大橋から鴨川を眺めました。じっとしていても汗が出る暑さでした。山中さんには、日本そして世界の将来の医学ためにご活躍いただきたいと思いますので、極暑の中でのランニングは是非控えていただきたいと思いました。

(人材育成社)


七夕の夜に天の川を見上げてみる

2013年07月07日 | コンサルティング

今日は例年になく天気のよい七夕でした。そこで先ほど庭に出て夜空を見上げてみましたが、天の川はおろか織姫も彦星も分かりませんでした。

私の住む西八王子は、近くに高尾山もある自然環境に大変恵まれたところですが、星の光は街の明かりには勝てないようです。そこで、Wikipediaからこの画像を使わせていただきました(作者:Chris Dick)。

天の川(milky way)はたくさんの恒星が集まって天空に川が流れているように見えます。ひとつひとつの光の点が太陽のような巨大な星だと思うと、少しぞっとするくらい宇宙のスケールの大きさを感じます。

私たちの住む地球は、銀河系と言う無数の星が集まってできた巨大な渦巻きの中にあります。銀河系の大きさは直径10万光年、恒星の数も4千億個くらいあるそうです。天の川は、その渦巻きの中心方向を見ているためにまるで光の川のように見えるというわけです。

ところで私は、織姫と彦星(牽牛)はなぜ離れ離れになり年に1度しか会えないのか、その理由を知りませんでした。

調べてみると、織姫と彦星は新婚当初は一緒に暮らしていることがわかりました。しかし、新婚生活があまりにも楽しくて毎日遊んで暮らしていたそうです。そのせいで織姫は機を織らなくなり、彦星は牛の世話をしなくなりました。現代風に言えば「バカップル」ですね。そのため困った天の住民たちがクレームを言い始めたので、天帝は二人を別居させ年に一度しか会わせないようにしました。

スケールの大きな宇宙と、ちっちゃいバカップルとのミスマッチがなんとも良い味を出しています。

(人材育成社)


トレードオフ

2013年07月06日 | コンサルティング

 研修時に受講者から以下のような質問をいただくときがあります。

 「波風をたてずに、部下を叱る方法はありませんか」

そして叱られた部下の方も

「叱ってくれてありがとうございます。さすが○○課長の言うことは違いますね。」

というように思ってくれるような叱り方をすぐに身に付けたいのですが。

また、別の研修(ビジネス整理術)の時にも以下の質問をいただいたことがあります。

「今日の研修の内容はとても有効だと思いますが、忙しくてなかなかできそうにありません。もっと簡単に効果が出る方法はありませんか。魔法のような・・・」

 いずれの質問を受けた時も、私は表情は笑顔(多分)にしていますが、しかし毅然とした態度で答えています。「そんな魔法のような方法はありません。」と。 このような質問をいただくときに私が頭に思い浮かべるのは、「トレードオフ( trade-off)」のことです。「あちらをたてればこちらが立たず」ですね。

 トレードオフとは、一方を追求すれば他方を犠牲にせざるを得ないという状態・関係のことです。トレードオフは、具体的な選択肢の長所と短所をすべて考慮したうえで無駄のない選択をおこなう必要があります。

研修内容を業務でどのように生かすのか、これは誰にとっても悩ましい問題です。研修で伝えられるのは、考え方ややり方が中心です。ハウツーと言う内容はほとんどありません。そのために研修後に各々の業務において、使えるところを取捨選択し、且つ応用していただく必要があります。

さらに、研修効果を得るためには、練習をするなど使いこなせるようになるまでには、一時的にそれ以前よりもエネルギーを注いでいただかなければならない時があります。 しかし、ビジネスパーソンの忙しさからか、即戦力になるような手法を求められる方が少なからずいらっしゃると感じることが多いです。

新人を育てる時もそうですが、時間をかけてしっかり訓練をして、ようやく仕事を覚えることできます。それと同じように、新しいやり方や方法を使いこなせるようにするためには、はじめは時間と労力をかける必要があります。

何かを得るためには、そのために何かを犠牲にする。犠牲にするものなくして、手に入れることはできればいいですが、そのようにはなかなかいかないですね。 これはまさにトレードオフの関係ですね。

手に入れるものと失うもの、研修の例でいえば、「新しいスキルや知識を手に入れること」と、そのために「時間やエネルギーを費やすこと」のどちらを選択するのかを天秤にかけなければなりません。 まあこの選択が悩ましいのですが・・・・

(人材育成社)


林真理子さんの仕事場を見ると思い出すこと

2013年07月05日 | コンサルティング

はじめにお断りしておきますが、この画像は林真理子さんとは関係がありません。かつての私(平野)の仕事場を写したものです。

今日のTBS『中居正広のキンスマスペシャル』は林真理子さんの「波瀾万丈な人生に迫る」でした。
番組の中で林さんの仕事場が映ったのですが、かなり乱雑な状態でした。書類や本が山積みになっていて原稿用紙を置くスペースがほとんどありません。それを見た私は少しほっとすると同時に、ある恐ろしい体験を思い出しました。

「人生がときめく 片づけの魔法」、「トヨタの片づけ」など、片づけ本がベストセラーになっています。実は私も思い切って片づけをしたことがあります。

それは2年前のことです。「人生がときめく 片づけの魔法」にはまった私は「ときめかないものは全部捨てる・・・捨てる・・・捨てる・・・」と、うわごとのように口にしながら三日三晩かかって見事にあらゆるものを捨て去ってしまいました。おかげで仕事場は見違えるほどきれいになり、机に向かうだけでうっとりする日々がしばらく続きました。

しかし、ある日突然悲劇が訪れます。原稿を書いているときに参考にしようと思った本が見当たらないのです。それどころか必要なファイルや書類がほとんど無い!それらは恐るべき「片付けの魔法」が消し去っていたのです(まあ、捨てたのは自分ですが)。

結局「魔法」から覚めた私の仕事場に残されていたものは、きれに片付いた机とスカスカの本棚という空虚な空間だけでした。そして捨ててしまったり古本屋に売ってしまった本を何冊かまた買うはめになりました。

家の中の片付けと職場での整理は別物です。同一視してしまうと恐ろしい結末が待っています。職場の整理は絶対に片付けではありません。職場には片づけではなく「ビジネス整理」という全く別の考え方とメソッドが必要です。

では、今の私の職場どうなっているかというと「ビジネス整理術」によってすっかり立ち直り、見た目もキレイになっています。「ビジネス整理」については後日紹介したいと思います。

さて、林真理子さんの仕事場は片付いてこそいませんが、今でも並みはずれた量(もちろん質も)の仕事を生み出し続けています。単なる「片づけ」が仕事を破壊してしまうことを林さんは分かっているのでしょう。

(人材育成社)

 


フェルミ推定

2013年07月04日 | コンサルティング

 昨日のブログにも書きましたが、「今ブームの統計学」です。でもいざ仕事や生活の中で、「このようなデータが欲しい」と考えた時に、なかなか思うように該当するものが見つからないということがあります。そのような時に、私たちはどうすればいいのか・・・?

ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、そういう時に使えるのが「フェルミ推定」です。「フェルミ推定」とは、実際に調査するのが難しいような、とらえどころのない数値をいくつかの手掛かりを元に論理的に推論し、短時間で概算することを指します。

最近は、理系の企業の採用試験でもフェルミ問題の出題があるそうですから、就職予備校ではそのための訓練もされているとのこと。むしろ、学生の方が馴染みがあるかもしれません。

 その名前は、物理学者のエンリコ・フェルミに由来します。フェルミはイタリア、ローマ出身の物理学者で、統計力学、核物理学および量子力学の分野で顕著な業績を残しています。また、放射性元素の発見で1938年のノーベル賞を受賞するなど、実験家と理論家との2つの顔を持ち、双方において世界最高レベルの業績を残した史上稀に見る物理学者だったようです。(Wikipedia)

 推定の進め方は、 2種類あって「ある、もつ、する」でそれぞれの数字を決めていく方法と、実感や身近な体験を使う方法があります。

 これまでに何度か研修で、○○市(研修開催場所)で消費されるガソリンの量は何キロリットル?をチームで推定する課題を行っているのですが、6チームでの研修の場合、大体のケースでそのうち2チーム位は先の2種類の方法を駆使した結果として、限りなく統計データに近い数値が出ます。

 実感や体験をフル回転させると、驚くほど正確な数値を編み出せることがあるわけです。私たちは日々の中でだてに毎日を送っているわけではないということなのでしょう。

 統計データを引用することは説得力を持ちますが、自身の肌感覚に基づくことも大事です。ビジネスにおいて「感覚的」は「論理的」に比べ、一段下に見られがちですが、感覚を侮るなかれと言うことでしょう。

 試しに、ご自分がお住まいの地域(市や区)にコンビニエンスストアがいくつあるのか、これまでの経験及び感覚で推定してみてください。おそらく実際のデータとそれほど大きな違いはないデータにいきつくと思います。もし全く検討がつかないという時は、「エイヤ」で出すのも一つのやり方です。いかがでしょうか。

このように、時々は頭の体操?をして、自分の感覚を磨くことも楽しいですよね。ちなみに正解は「コンビニマップ」で調べられます。

(人材育成社)


「クローズアップ現代」の冒頭のちょっと恐ろしい質問

2013年07月03日 | コンサルティング

今日のNHK「クローズアップ現代」はこの画像から始まりました。

心筋梗塞で死亡した人の95%がこの食べ物を摂取していた
がん患者の98%がこの食べ物を摂取していた
強盗など凶悪犯罪者の90%が犯行前24時間にこの食べ物を摂取していた。

・・・と書かれたパネルを町を歩いている人に見せて「この食べ物を禁止すべきか?」という質問をしていました。7割くらいの人が「禁止するべき」と答えていました。統計学の授業に出たことのある人はすぐにピンときたと思いますが、この食べ物とは「ごはん」です。

上記のパネルを「この飲み物」に変えれば「お茶」、「この気体」に変えれば「空気」、となります。他にもバリエーションがあって、「それを大量に摂取すると死亡することさえあるが、摂取しないとどうしても口に入れずにはいられなくなったり、全身に浴びてしまいたいと強く思うようになる」というものもあります。答えは「水」です。

どうも統計とか数字の話になるとこうした「からくり」や「マジック」の部分がクローズアップされがちです。数字というのはそれだけ真実味があるということでしょう。しかし、統計=数学というイメージが強いため、敬遠している人も多いようです。

私は企業や自治体の研修で、統計学の基礎や仕事への応用について教える機会がよくあります。確かに苦手意識を持っている受講者が多いことは事実です。しかし、統計学は実用の道具であり、仕事で使えば十分な成果が得られます。

弊社も階層別(役職別)の研修などでは事前に受講者に対するアンケートを行い、得られたデータを統計分析し、研修の内容にフィードバックをしますが、その効果はときに驚くほどです。

「クローズアップ現代」でも取り上げられるほどポピュラーになった統計学は、ビジネスパーソンのリテラシーとなりつつあるようです。今後弊社も「仕事で使える統計学入門」といった公開セミナーを企画していきたいと思っています。乞うご期待。

「でも、数学が苦手だから敬遠したい」というあなた。全く心配はいりません。高校時代、数学のテストは毎回赤点で追試と補習は皆勤だった私(平野)でも理解できるのですから!

(人材育成社)

 


クジラを飼う? クジラを買う?

2013年07月02日 | コンサルティング

 ある研修の中で、「クジラ」という解答を導き出すため、質問者と回答者のペアで演習をしていた時のことです。

質問者 「それは海の生き物ですか?」 

回答者 「はい。」

 続いて、以下のやりとり。

質問者 「それは家でかいますか?」

回答者 「はい。」

 「えっ~!」 「家で飼う??」

質問者と、その時たまたまそのペアの前を通りかかった私の反応です。

 「くじらを家で飼う?」 そんなばかな・・・世界中を探せば、もしかしたら一人くらいは家でクジラを飼っている人がいるかもしれないけれど、そういう人はまずいないでしょうに。その時はそう思いました。

 ところが、後日別の研修でこの話を紹介した際、一人の受講者から次のような指摘を受けました。

質問者の「『それは家でかいますか?』」の問いに対して回答者の「はい」の意味は、『家で飼いますか?』ではなくて、『家で買いますか?』という意味にとらえたのではないでしょうか。私の出身地の和歌山では、季節によりスーパーでクジラが売られていますから。」

 「なるほど、そういうことだったのか!」ようやく疑問が解けるとともに、あらためてコミュニケーションの難しさを感じました。

コミュニケーションをとる時、私たちは自分のcontext(コンテクスト)に基づいて行います。Contextとは日本語にすると、文化・風土・習慣などと訳されます。人にはそれぞれのコンテクストがあるのだから、コミュニケーションをとる時にはそのコンテクストを踏まえないといけない。この例では質問者や私は「クジラを買う」ということがすぐには浮かばなかったわけで、コミュニケーションとは双方のやりとりが噛み合ってはじめて成立するものであることをあらためて再認識しました。

 さて、一瞬「クジラを家で飼う。」ことをイメージしてしまった私ですが、実際のクジラの大きさは、ザトウクジラだと体長は雄で約13m、雌は約14m、体重は30tほどもあるようです。この大きさですから、世界中探しても家で飼っている人はまずいないでしょうね。(笑)

 ところで、昔からクジラは捕獲の対象であると同時に信仰の対象ともなってきて、日本では鯛と釣竿を持つ姿で知られ漁業の神でもある「恵比寿」と同一視されてきたようです。

東北、近畿、九州の各地方をはじめ、日本各地で鯨類を「エビス」と呼んでいて、恵比寿の化身や仮の姿と捉えて「神格化」していたとか。とても神々しい存在だったのですね。

「クジラ様」、大変失礼をいたしました。

冒頭のクジラの写真は、人形町の商店街で撮ったものです。あやつり人形のバネは今でもクジラのひげを使っているそうです。江戸時代人形浄瑠璃の芝居小屋があったことにちなんで、昭和になって町名を人形町としたとのことです。

(人材育成社)