Amazonが注文から1時間以内に、商品を届けるサービスを開始したと報道されています。
注文の翌日に届くサービスや、その日のうちに届くサービスが始まったときには、随分とスピーディな時代になったものだと感動したものですが、いつしかそれは当たり前になってしまった今日この頃。今度は1時間以内に届くサービスが始まったとは、更なる驚きです。
もちろん、そのような需要があるからこそのサービスだと思いますが、ふと消費者は一体どこまでのサービスを求めるのだろうとも思います。
その一方で、宅配便の再配達も問題になっています。宅配便の配達時の不在により、再配達により発生する労働力のコストも相当のものになっているとのことです。再配達にかかる労力は年9万人分、再配達によりトラックから排出されるCO2が年間42万トン(山手線の内側の2.5倍の面積のスギ林の年間の吸収量に相当)にものぼるそうです。
再配達という制度自体は非常に便利なものですので、これをなくすことは困る人も多く現実には難しいでしょうし、その結果のコストもゼロにはできません。しかし、このコスト(再配送という労務に対して支払う賃金や環境負荷)は、最初の配達で荷物を届けられれば発生しないで済むものです。その意味で本来は無駄なもの(社会的損失)であることは明らかです。
このところ、以前にも増して長時間労働の削減が叫ばれ、メディアやネットなどで「働き方改革」について目にしない日はないくらい、このテーマが注目されています。
もちろん非常に大切なことですから、今問題が顕在化している企業はもちろんのこと、潜在的に問題を抱えている予備軍の企業も、ぜひ真剣に取り組んでいただきたいと思います。
しかし、この問題を真剣に考えるのであれば、同時に私達自身も今こそ「サービス」に対する認識を改める必要があるのではないかと思います。
前述のように、サービスにはそれにともなうコストが生じますが、それを負担することにも当然一定の限界があります。
サービスの質を上げれば、それにともなってコストも上がるわけですが、たとえばある企業がサービスの品質を高めようした結果、上昇するコストを自社だけで負担しきれなくなった場合、下請け業者等にも負担させようとするケースが数多く見られます。そして、下請けでも負担しきれない場合は、サービスの価格の上昇などで、私達サービスの受益者もそのコストを負担することになります。
これは当然のことのようにも思えますが、この場合に問題なのは時に過剰とも思えるサービスにかかるコストも負担しなければならないことです。
あるユーザーにとっては良い・必要だと考えられるサービスでも、そこまでは必要としないユーザーにはメリットはありませんし、社会全体で考えればあまりにも過剰な品質のサービスは結果的にマイナスになっているとも言えるのではないかと思います。
「何が過剰か否か」は人それぞれで、これ自体非常に難しい問題です。過剰なサービスを求める結果、業者が長時間労働になったり、下請け企業にしわ寄せが行ったり、コストカットのために賃金が安くなったりと、回りまわって様々なところに問題になる現実があります。これはサービスの受益者の側でも真剣に考えなければならない問題です。
便利なサービスを次々と求める前に、それが本当に必要なものなのか、過剰な品質になっていないのかを考えてみる必要があると考えています。
(人材育成社)