中小企業のための「社員が辞めない」会社作り

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黄金律としっぺ返し

2015年06月28日 | コンサルティング

ゲーム理論では非常に有名なしっぺ返し(Tit For Tat)という戦略があります。「協調か裏切りか」が選択肢である繰り返しゲームで、1回目の対戦では「協調」、2回目以降は前回の相手の行動と同じ行動をとるという戦略です。2回目以降は、前回相手が協調だったら協調し、相手が裏切ったなら裏切る、それをルールとして繰り返します。

繰り返し囚人のジレンマゲームをコンピュータ上でシミュレートした実験では、いくつかの異なる戦略(例えば、ひたすら裏切るとか、2回協調したら1回裏切るとか・・etc)を出し抜いて、このしっぺ返し戦略が優勝しました。60年代後半から70年代にかけてのことです。

しっぺ返し戦略の優位性については、その後多くのゲーム理論家からの批判もあって、現在では「絶対に正しい戦略」とはされていません。

さて、繰り返し囚人のジレンマゲームは、生物の進化を説明するときによく使われます。実際、進化ゲームというひとつの学問分野を成立させているほどです。しっぺ返し戦略が進化ゲームでどのように使われているかはさておき、進化という現象としっぺ返しというのは非常によくマッチした組み合わせであることは確かだと思います。

進化というと、弱肉強食の血で血を洗う闘争のイメージがあります。しかし、世界中のどの宗教にも共通しているルールは「汝、協調しなさい」です。

そのルール、黄金律(おうごんりつ、Golden Rule)は非常にシンプルです。それは「他人にしてもらいたいと思うような行為をせよ」ということです。世界中の数多くの宗教や道徳、言い伝えにおいて、このルールは存在しています。以下、Wikipediaよりの引用です。

イエス・キリスト
「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」(『マタイによる福音書』7章12節)
孔子
「己の欲せざるところ、他に施すことなかれ」(『論語』巻第八衛霊公第十五 二十四)
ユダヤ教
「あなたにとって好ましくないことをあなたの隣人に対してするな。」(ダビデの末裔を称したファリサイ派のラビ、ヒルレルの言葉)、「自分が嫌なことは、ほかのだれにもしてはならない」(『トビト記』4章15節)

これは偶然の一致ではなく、人類が言葉や文化を持つ以前の、獣(けもの)であった頃から生き残るために必然的に生じた「本能」であるように思います。

「人を見たら泥棒と思え」という性悪説だけでは、誰も協調することはなくお互いに攻撃し合い、文明どころかヒトという種が絶滅していたでしょう。また、すべて協調する性善説が本能だとすれば、これもまた生き残りが難しかったはずです。

この点で、しっぺ返し戦略は相手次第で協調、裏切りを切り替えますから、進化の過程では他の戦略と比べると(ちょっとだけですが)優位な戦略といえるのではないでしょうか。

もしかすると、「弱肉強食」と言われるビジネスの世界でも、しっぺ返し戦略が有効なのかもしれません。

ただし、英国の文学者、ジョージ・バーナード・ショーは「黄金律というのはないというのが黄金律だ」と言い、「人にしてもらいたいと思うことは人にしてはならない。人の好みというのは同じではないからである」と続けています。

もっとも、人類がみな皮肉屋のバーナード・ショーのようだったら、とっくに滅びていたに違いありません。

(人材育成社)

 

 

 


「あり余る選択肢の中から選べますか?」

2015年06月24日 | コンサルティング

 「選択の余地があるわけじゃないし・・・」

大学受験や就職、果ては結婚?に至るまで、幾度となく人生の節目で使ってきたこのフレーズ。「選択の余地がある人はいいよね!」という願望の裏返しだったと思います。

でも、この「選択の余地」、あればあったで「沢山あり過ぎて選べない」ということもあるようです。

コロンビア大学のシーナ・アイエンガー教授の「買い物客とジャムの研究」をご存知の方も多いと思いますが、店頭で6種類のジャムをそろえた時は買い物客の40%が、そして24種類の時は60%の人が試食に立ち寄りました。しかし、売り上げで比較すると4種類のジャムを売り場に並べた時と6種類のジャムを並べた場合とでは、後者の売り上げは前者の10分の1だったそうです。このことから、必ずしも選択肢が多ければいいわけではないことがわかります。では、いったいなぜそんなことが起こるのでしょうか?

豊富な品揃えはお客を引きつけることはできても、いざ購入するとなると多くの選択肢がある場合には、かえって選択することができなくなってしまう。つまり、選択肢が多ければよいというものではないということなのです。

我々は仕事を始め日々の生活の様々な場面で、常に選択を重ねているわけですが、この話を聞いてなかなか大切な決断ができないという、これまでの自分の人生を少しは肯定されたかなという気持ちになり、幾分安心しました。

選択の際に選べることが多すぎると、かえって選べなくなってしまうということはこれまでの経験でも十分にうなずけるものだと感じます。

ところで、先日この選択に関して思いがけないビジネスが最近ヒットしていることを、あるテレビ番組で知りました。

商品の選択を自分で行うのでなく、プロの目利きに委ねる新たな消費スタイルが今、人気ということです。

自分の代わりにプロのスタイリストが服を選ぶサービスや、書店の店主がおススメの本を1万円分選んで顧客に配送する「1万円選書」も何と400人待ちの人気の状態だそうです。

ある大手のショッピングサイトには何と1億8,000点もの商品が紹介されているそうです。あまりに選択肢が多すぎてその中から自分が本当に欲しいものを選ぶことができないため、選択指南をするサービス、つまりは目利きの需要が増えてきているのだと思います。

モノと同じように情報も氾濫する中で、自分が本当に欲しいモノや必要とする情報を自ら選ぶことができない人が相当数いるということなのでしょう。

「自ら何かを選ぶ」ことはその結果に自分が責任を持つという意味でも大事なことです。選ぶ過程で迷ったりすること自体が楽しみであったりもしますが、それを思い切って他人に委ねてしまう。それが結果的にベストな選択になっているのかもしれませんし、一方で楽しみを自ら放棄しているとも言えます。

そのどちらかを「選ぶ」にしても、それをするのは紛れもない自分だというところが面白いところですね。

それにしても目利きの代行、本当に思いがけないところにビジネスのチャンスがあるものです。

(人材育成社)


解決手段としての猫

2015年06月21日 | コンサルティング

紀元前525年、アケメネス朝ペルシアはオリエント世界を統一するという野望に燃え、エジプトに侵攻、戦争が始まります。ペルシウムの戦いです。守るエジプト第26王朝のプサムテク三世はこの戦(いくさ)の行方を楽観していました。ギリシアとの同盟があるからです。しかし、攻めるペルシアのカンビュセス二世は驚くべき戦術をとってきました・・・。

砦の上で防御態勢をとっていたエジプト軍は、近づいて来るペルシア軍を見て驚愕しました。最前線にずらりと並んだ数多くの投石機に乗せられていたのは、石ではなく猫だったのです。

ほどなく1台の投石機から1匹の猫が放たれ、放物線を描きながらエジプト軍の砦に落ちました。エジプトの兵士たちは悲鳴を上げながら猫を拾い上げました。それを皮切りに、数百匹の猫がつぎつぎと宙を舞い、砦の中に落ちていきました。

古代エジプト人は猫を神として崇拝していました。猫の眼が闇の中で光るのは、信仰の対象である太陽が猫を通して下界を見ているからだと信じていました。そのため、エジプトでは神獣である猫を傷つけることは大きな罪とされていたのです。

無数に降り注ぐ猫の雨の中で、エジプト軍は大パニックに陥りました。その隙をついて、盾に猫をくくり付けた無数のペルシア兵が門を破って侵入してきました。もはや戦いにはならず、エジプトの砦はあっけなく陥落してしまいました。

このペルシウムの戦いのお話は、どうやら真実ではなさそうです。しかし、ペルシアが猫を戦争に使ったことは否定できないという説もあります。

猫を戦争に巻き込んではいけませんが、昨今の国際紛争の解決手段としてペットが役に立つかもしれないと考えました。

たとえば、国境をめぐる緊張状態にある両国が交渉をする場に、大臣や官僚がペットの猫や犬を連れて行ってはどうでしょうか。ペットは緊張感を鎮め、優しい気持ちを取り戻してくれるはずです。猫が喉を鳴らしながら横になっているテーブルをはさんで話し合いをすれば、平和的な結論が導かれるような気がします。

さらに、国際紛争だけではなく、職場にペットを常駐させることを義務付ければパワハラやブラック企業は一掃できると思います。

・・・もちろん、半分は冗談ですが、半分は本気の提案です。

(人材育成社)

 

 


「おせっかい」な人が希少価値?

2015年06月17日 | コンサルティング

「やっぱりその道を右に曲がるといいよ。線路沿いをずっと歩けば駅に出るから」

先日、仕事の移動の際に時間に余裕があったので、すぐそばにある私鉄の駅ではなく、ちょっと離れたJRの駅まで歩くことにしました。だいたいの方向は見当がついたのですが、具体的な道順がわからなかったため、歩いている人に尋ねたところ「ここの者ではないから、よくわからないです」との返事。それではと、次はスーパーから出てきて自転車に食料品を積んでいる地元の方と思しき人に同じように道を尋ねました。

私「○○駅まで歩きたいのですが、道順をご存知ですか?」

地元の人「それなら、3つ目の信号を左折すると○○に出る。そこから・・・・」と丁寧に道順を教えてくれました。

お礼を言って歩き始めて1つ目の信号を通り過ぎたところ、先ほどの自転車が目の前に止まりました。

自転車の人「やっぱり3つ目の信号を左折するよりも、○○信金を左折した方がわかりやすいから、そこを曲がって」とわざわざ追いかけてきて、再び道案内をしてくれたのです。

追いかけてきてくれてまでの道案内。「本当に有難い」という気持ちでお礼を言って別れて歩くこと2分位、再び同じ自転車が私の前で止まりました。

「やっぱり○○信金を曲がるよりも少し戻ることにはなるけれど、そこの交差点を右折した方がいい。すぐに線路に出るから、そのまま線路沿いに歩いた方がわかりやすい」と言って立ち去りました。

その方は1度ならず2度までわざわざ追いかけて来て、案内をしてくださったのです。

「今時、何て親切な人なんだろう。見ず知らずの私にこんなにまで親切にしてくれるなんて」でも同時に、「私がよっぽど危なかっしく見えたのかしら?」などと考えながら歩くこと15分。ある意味「おせっかい」とも言えるようなくらいの丁寧な道案内のお蔭で、一度も迷うことなく私は無事にJRの駅までたどり着くことができました。

話は少々変わりますが、最近の企業では、「おせっかい」なまでに部下指導をする管理者がいなくなったと言われて久しいです。

それは管理者自身がプレイヤーでもあるため、部下の育成の必要性は感じていてもその時間をとることができなくなったこと。また、口うるさく言うと部下から嫌がられるのではないかといらぬ遠慮をしてしまうなど、いろいろな理由があげられると思います。

確かに私が若かりし頃には、口やかましい?と思うくらいに一挙手一投足を指導してくれる上司が何人もいました。それこそ、箸の上げ下ろしに至る?くらいの勢いで、事細かな指導を受けていたので当時は少々辟易したものですが、今になって振り返ってみると、「やっぱり有難かった」の一言につきます。

そしてこの年齢になってみると、口うるさく言う方ももちろん大変だったろうなと、当時の上司の気持ちにも思いが及びます。

いつでもどこでも誰にでも、おせっかいな指導が良いとは限りませんが、部下の成長段階に応じて、時には「適切なおせっかい」をやくことは管理者には大切なことではないでしょうか。

そのためには、きちんと「観察」していないと、部下の成長段階が確認できません。

なかなかその時間が取れないんだよと言う方は、まずは1日3分でもいいので、じっと部下のことを観察する。その時間を惜しまず、そして「おせっかい?」なくらいの指導を心掛けていただきたいと思います。

(人材育成社)


話すことと書くこと

2015年06月14日 | コンサルティング

研修講師の仕事は人前で話すことです。講師の評価はおおむね話す力で決まります。しかし、話すことと同様に書くことも講師にとって大切な仕事です。研修で使うテキストを書くことは、研修の内容を作ることだからです。

研修のテキストは、それを使う講師によってかなりスタイルが異なります。いわゆるレジュメのような、要点だけを箇条書きにしたものから、教科書のように文字をぎっしり詰め込んだものまでさまざまです。

なかには、自分では全くテキストを書かずに他人の文章をそのままコピーして使う講師もいます。もちろん、その文章の意味を十分に理解し、原典を調べ、自分で納得しているなら問題はありません。しかし、そうした講師のほとんどは、俳優やアナウンサーのように単に上手に「喋る」だけです。

「それでなにが悪い?」と問われると、簡単に言葉を返すことができないのですが、聴き手に情報を伝えるだけのインフォメーションは果たして研修といえるのか疑問です。

私たちの使うテキストは、講師である私たち自身が書きます。一文一文、研修で話すときのことを考えて、書いては直しを繰り返します。もともと文章を書くプロではありませんから、誤字脱字や表現の不一致など、ミスは必ず起きてしまいます。

それでも、時間と労力をかけて知識を集め、何度も内容を確認し、わかりやすい表現に変えていくことは、研修の場で話すことと同じようにとても重要なことです。そうしたプロセスがあってはじめて、受講者に本当に届く言葉が生まれてくるのです。

私たちがテキストを書くのは、話す力は書く力によって支えられていると信じているからです。

※ 画像はイメージです。実際はパソコンで書いています。

(人材育成社)


「お宅ですか?クレームの人は?」

2015年06月10日 | コンサルティング

図書館の人 「お宅ですか?クレームの人は?」

私「えっ?クレーム?・・・」

これは、数年前に実際にあったやりとりです。

その図書館では度々本を借りているのですが、自分が借りたいと思う本をパソコンで検索すると、「該当がありません(その図書館では保有していない)」という表示が出ることが多かったのです。

一方、友人が住んでいる市の図書館には同じ本があるということが何度かありました。私が借りたいのは特別にマニアックな本でもないし、高価な本でもないのに・・・どういう基準で本を買っているのかなと気になっていました。

そこである日、本を返却する時に思い切って職員に質問してみました。

私「本を購入する時の基準は何かあるのですか?実は借りたいと思っている本がないことが続いています。友人が住んでいる○市ではそれらの本があったので、こちらの区の図書館で本を購入する時の基準を知りたいと思ったのです」

カウンターの中にいる女性職員は少し首を傾げた後に、「確認します。少々お待ち下さい」と言って、その場を離れ電話をかけ始めました。その後、「確認にしばらく時間がかかります」とのことだったので、「では、私はあちらで本を読んでいますので、わかったら声をかけていただけますか?」と言ってその場を離れました。

それから15分位経った頃に、近づいてきた中年の男性職員(カウンターにいた女性職員の上司と思しき人)が私にかけたのが冒頭の言葉なのです。

図書館の人 「お宅ですか?クレームの人は?」

私「えっ?クレーム?・・・」

その言葉を聞いた瞬間、自分の気持ちがとてもザワザワとしたのがはっきりとわかりました。クレームという言葉と男性の表情がとても迷惑そうだったからです。

そこで、

私 「クレームではありません。私はこちらの図書館が本を購入している時の基準をお聞きしました。クレームではありません」

図書館の人「・・・」「すぐにはわからないので、後日連絡をします」

何ともしっくりしない気持ちのまま、その場を離れましたが、このやりとりを経て改めて思うのは、クレームでも何でもない問い合わせや意見などまでも一緒くたにクレームにしてしまう人がいるということです。

 クレームとは「苦情を伝えたり、回復を要求する」ことで、サービスや情報などわからないところや知りたいことを確認する「問い合わせ」とは明らかに異なります。

日頃、本来の意味のクレームで苦労されていると顧客(市民も含む)からの声は、ついクレームのように聞こえてしまうのかもしれません。今回のケースのようなことがあると本来問い合わせであったはずのものが、それこそクレームに発展してしまいかねません。

仮に少々きつい言い方をされたとしても、実は内容をよく聞いてみれば決してクレームには当たらないと言ったケースも多いのではないでしょうか。

顧客対応の際には、先入観を持たずにじっくりと話を聞いてみる。また、その際にはいやいや対応しているのではなく、真摯に話を聞くという態度(非言語)も大事でしょう。

実際にはなかなか難しいことかもしれませんが、まずは意識して腰を据えて向かい合うことが大切なのだと思います。

「お宅?クレームの人?」、時間の経った今でも時々思い出しますが、お互いに不愉快になることはできるだけ避けたいものですね。

(人材育成社)


本当のコミュニケーション能力とは

2015年06月07日 | コンサルティング

企業研修や公開セミナーのテーマで最も多いものは何かと問われたときに、真っ先に頭に浮かぶのは「コミュニケーション」です。「マナー」や「コーチング」、「プレゼンテーション」も多いのですが、それらはいずれも広い意味で「コミュニケーション」のカテゴリーに分類できます。

コミュニケーションは、単なる言葉や非言語(表情や態度など)のやり取りだけで成り立っているわけではありません。

誰しも、「言葉の意味は分かるのだけど話が通じない」という経験をしたことがあると思います。言葉はもちろん、ジェスチャーも使って一所懸命コミュニケーションを取ったつもりだけれど、上手く行かなかった・・・。内田樹氏(神戸女学院大学名誉教授)のブログに非常におもしろい事例がありました。

内田氏がフランスの地方都市でマグカップを買ったときの話です。レジの女性店員に言われた言葉の意味は分かったのだけれど、話が上手く通じなかったそうです。以下、引用させていただきます。

「・・・レジの上に身を乗り出して、ひとことひとことゆっくり噛みしめるように「さきほど、僕に何を訊いたのですか?」と問いかけた。
すると店員もゆっくり噛みしめるように「郵便番号を訊いたのだ」と答えた。「なぜ、郵便番号を?」と重ねて訊くと「どの地域の人がどんな商品を買っているのかデータを取っているのだ」と教えてくれた。郵便番号(code postal)というのは基本的な生活単語である。もちろん私も知っている。でも、それがスーパーのレジでマグカップを買うときに訊かれると、聞き取ることができない。ふつうレジで訊かれるはずの質問のリストの中にその単語が存在しないからである。」

そして、こうなってしまった原因を次のように述べています。

「一方において意味が熟知されたこと、当然相手も理解してよいはずのことを口跡明瞭に発語しても、相手が聞き取ってくれないことがある。文脈が見えないからである。「スーパーのレジでは買い物に際して顧客情報をとることがある」という商習慣を知っていれば、文脈がわかる。知らなければ、わからない。」

さらに、「(内田氏が)あえてレジに身を乗り出して郵便番号の理由を訊いたこと」そして、「その店員が、フランスの商習慣になじみのない外国人であることを察知して、私のためにこの説明の労をとってくれたこと」こそが本当のコミュニケーション能力であるとして、「コミュニケーション能力とは、コミュニケーションを円滑に進める力ではなく、コミュニケーションが不調に陥ったときにそこから抜け出す力だということである。」と締め括っています。

言葉の意味が分かっても話が通じないのは、お互いが異なる文化の内側から会話をしているからです。自分が所属している組織(勤務している会社や業界、職種など)が異なれば、コミュニケーションが上手く取れないことは十分にあり得ます。

私たちは、お互いに異なる文脈を持つ「文化」という見えないバリアを身につけて生活しています。内田氏の経験では、日本とフランスという大きなギャップがあったからこそ、そのバリアをはっきり認識できたのでしょう。

日本人同士の場合、そこまではっきりしていないからこそ、ややこしいことが起こるのかもしれません。

そこで、バリアを機能しにくくするために、たまには日本人同士でも英語で会話をしてみてはどうでしょうか。

特に、社内の会議では英語を「公用語」にすることをお勧めします。その方が文脈の違いによる誤解が生じないし、結論も明確になります。

そして、何より偉い人の話が思い切り短くなるので、会議が早く終わること請け合いです。

(人材育成社)

コミュニケーション能力とは何か? (内田樹の研究室)


「獺祭」(だっさい)最下位からトップへ

2015年06月03日 | コンサルティング

獺(かわうそ)+祭り=「獺祭」

「獺祭」(だっさい)という名前のお酒をご存知の方、多くいらっしゃると思います。

この獺祭、今や我が国を代表する日本酒の一つで、先日、安倍首相が訪米した際の夕食会で乾杯にミシェル夫人が用意した獺祭が使われたそうです。

蔵元の旭酒造のホームページでは、獺祭が飲むことができるお店や購入できるお店が紹介されていますが、知り合いの話によると、実際には取扱い店であってもなかなか手に入れることができない状況のようです。

既に世界20か国にも輸出され、パリの有名店にも置かれるくらい、いまや世界を股にかけるほど人気になっているお酒なのだそうです。

これほどの人気ですので、最近では蔵元の旭酒造株式会社が数々のテレビ番組でも取り上げられています。つい2週間ほど前にはNHKの「知恵泉」の中でも旭酒造社長の桜井博志氏が出演されていました。

今でこそ知らない人はいないのでは?と思うくらいの獺祭ですが、ここに至るまでの道のりは苦労の連続だったそうです。

桜井氏が社長になったのは、今から30数年前のことだそうですが、当時は過疎化が進み、マーケットが縮小。売り上げは年々悪化の一途をたどり、桜井氏はその頃のことを恐怖の数年間だったとおっしゃっていました。

そういう大変な時期の中で一念発起し、価格競争に走るのではなく純米大吟醸の製造に特化したそうです。

さらに、それまでの常識を覆し、杜氏をおかずに社員による製造を試みて、杜氏の経験に頼るのでなく、社員が正確なデータに基づいてお酒を作ることを目指したとのことです。そして、この結果、一定の品質を保つことができるようになり、まさに、苦境を逆手に、そしてばねにして進歩したと言えると思います。

また、桜井氏は「最下位だからこそできる。状況が悪いからできる。成功するチャンスがある。その秘訣は何でもやること。勝ち組は一定ではなく、いずれ変わる。」ともおっしゃっていました。

最下位だからこそいろいろなことができる。状況が悪いからこそできる。チャンスがある。案外そんなものかもしれません。状況が悪いと、つい「今は状況が悪いから」と決断を先送りしたくなることがありますが、思い切って動いてみる、やってみることが大事なのでしょう。

さらに、桜井氏は「広告宣伝費よりも社員にお金をかけること、自分が得るのではなく社員に与える方が先」と考えているとのことで、それも社員のモチベーションのアップに、ひいては会社の業績アップにつながっているのだと思いました。

ところで、皆さんは「獺祭」の意味をご存知でしたか?改めて辞書を引くと、川獺(カワウソ)が捕まえた沢山の魚を食べる前に並べておくことで、転じて詩文を作る時に多くの参考書を広げて散らかすとの意味です。

普段はなかなか口にできない獺祭ですが、今度飲める時にはこのうんちくを披露してみてはどうでしょうか。

(冒頭の写真は旭酒造株式会社のHPより)

(人材育成社)