「販売とマーケティングは逆である。同じ意味でないことはもちろん、補い合う部分さえない。何らかの販売は必要である。だが、マーケティングの理想は販売を不要にすることである。」これは経営学の神様、P.F.ドラッカーの言葉です(「断絶の時代―いま起こっていることの本質」より)。
ドラッカーは「作った物をいかに売るか」が営業であり、「買いたくなる商品をいかに提供するか」がマーケティングであると言っています。営業は「商品」ありきだが、マーケティングは顧客視点、すなわち「顧客が買いたくなる仕組みをつくること」が目的であるというわけです。
もちろん、営業という行為(機能)が全く不必要だと言っているのではありませんが、素直に解釈すれば「営業不要論」であるといえます。
私はどちらかといえば、ドラッカーの「簡単なことを難しく言う」姿勢が好きではありません。高尚ではありますが全く具体例に欠け、時に意味不明ですらあります。
成功した経営者が、自分のやってきた極めて泥臭い仕事の歴史を振り返えるとき、「ドラッカーメガネ」をかけると綺麗で上品に見えるような感じがするのでしょう。「自分のやったことは経営学の理にかなっている。よかった!」と安心できるのです。だから、経営者には人気があります。
私の知り合いの中小企業の社長には、大のドラッカー好きが多いのですが、中には徹底的に嫌いという人もいます。その最大の理由に「マーケティングの理想は販売を不要にすること」を挙げています。
あるアンチ・ドラッカー社長は、「マーケティングは営業に従う」と常に言っています。また「戦略は営業に従う」とも言っていますから、要は欧米流経営学が嫌いなのでしょう。
さて、私自身はドラッカーの本は先に述べたように好きではありません。しかし、ドラッカーの残した言葉には大変すばらしいものがたくさんあります。
「強みの上に築け(Build on strength)」という言葉は、中でもひときわ光っていると思います。
矛盾しているかも知れませんが、強みを究極まで高めると、むしろ強みが目立なくなってくるのかもしれません。営業力が強みの会社が、営業力を突き詰める過程でどんどん顧客志向になり、最終的には(ドラッカーが言うところの)マーケティング力を持つに至るような気がします。
ドラッカーはマーケティングはセリング(営業)とは真逆の行為だと言っていますが、ぐるりと回って同じ輪になっているような気がします。
ドラッカーは単に「営業マン」が嫌いだっただけなのではないでしょうか。
もしかすると、しつこい営業マンに高い中古車でも売りつけられたことがあったのかもしれませんね。
(人材育成社)