終身雇用については「古い制度」、「昭和モデル」などと揶揄されることが多いようです。「一度雇われてしまえば一生安泰なので、働く意欲が失われる」というのが終身雇用に対する一般的な批判の言葉です。
終身雇用の無い社会では、どのようにキャリアを積んで行くのかといえば、「自己責任で自分のスキルを高めよ」そして、「賃金に見合った成果を常に出し続けよ」ということになると思います。こうした「自己責任+成果主義」は、基本的には経済学の市場原理(マーケットメカニズム)の考え方に沿ったものです。そこには、全ての個人は完全に独立した(超)合理主義者であるという前提があります。
しかし、現実の社会を見れば、それが事実ではないことは明白です。
組織で働くということはチームで仕事をすることです。個々人のスキルの単純な総和以上の力を生み出す仕組みが、組織にはビルトインされています。つまり、組織(特に会社)は、一種のソーシャルキャピタル(社会関係資本)を生み出すシステムだということです。
労働市場での評価が低いある人物がいたとします。彼は専門知識や技能、資格といった測定可能な能力は持ち合わせていません。ところが、あるチームの中に入れば、メンバー全員をまとめて、強大なチームパワーを引き出すことができるかもしれません。
「それは、リーダーシップというスキルのひとつ」と言えるかもしれません。しかし、リーダーシップを測定し評価する方法も、それができる人間もまたほとんどいないのではないでしょうか。
もちろん、過去に転職を繰り返しながらマネジメントの階段を上ってきた人物には、たしかにリーダーシップというスキルが備わっているように見えます。しかしその人物は、華麗な(?)履歴書によって採用面接は突破できても、働き始めるとすぐにボロが出る「口先だけの偽リーダーシップ」の持ち主なのかもしれません。
終身雇用に話を戻しましょう。
「終身」とは言いますが、実態はせいぜい65歳までの雇用です。平均寿命を考えれば「終身」ではなく「長期」と言うべきでしょう。また、終身雇用は年功序列とセットで語られがちですが、そうしたやり方をしている企業はほとんどありません。
私自身、複数の「終身雇用」を実践している企業に正社員として勤務していたことがありますが、年功序列どころか企業内競争はかなり厳しいものがありました。同期で入社しても、役員となって70歳まで働く人と平社員のまま60歳くらいで定年退職する人がいるのが当たり前です。(もちろん、組織に属さず自分一人の実力だけで生きていくプロフェッショナルに比べれば楽かもしれませんが)
そう考えると、終身雇用とは「組織内でサバイバルゲームを繰り返しながら実力のある人間を選択していく」厳しいシステムであることが分かります。しかも、そこで求められる実力とは「チームパワーを最大限に引き出す力」という、客観的に測ることが難しいスキルです。そして、測ることが難しいからこそ、長期間の雇用のなかで試行錯誤を通じて人間を選択して行く必要があるわけです。
終身雇用という言葉を、単純に(しかも間違って)捉えている人たちの的外れな言葉は無視するとして、別の名称、例えば「組織内選抜型長期雇用システム」という言い方に切り替えるべきではないかと思っています。
(人材育成社)