中小企業のための「社員が辞めない」会社作り

社員99人以下の会社の人材育成に役立つ情報を発信しています。

研究開発は投資ではない

2015年05月31日 | コンサルティング

トヨタ自動車の2016年度の研究開発費(計画)は約1兆500億円、マツダ、富士重工業も1,000億円前後だそうです。燃料電池、ハイブリッド技術、自動運転システムなど、自動車産業が挑む研究開発テーマはスケールが大きいものばかりです。

自動車に限らず電機、機械、化学など大手メーカのR&Dセンター(研究所)では、大勢の技術者が日夜試行錯誤を重ねています。まさに技術立国・日本が行っている「未来への投資活動」であるといえます。

ここで、「おや?タイトルとは矛盾したことを言っているぞ」と思われた方も多いと思います。

ここであらためて研究と開発の定義の違いを述べておきます。研究は新しい知識を生み出すための活動であり、開発は新しい製品、サービス、生産技術などを生み出すための活動です。言うまでもなく、研究開発は企業が存続し成長していくために必要不可欠な行為です。

研究開発費には人件費や原材料費、減価償却費など、研究開発のために使われたすべてのコストが含まれます。

「将来に向ってお金を使っているのだから投資でしょう!」と思われたかもしれませんが、会計上、研究開発費は原則として支出した年度の費用として一括計上することになっています。

分かりやすく言えば、営業担当者の給料も研究所の技術者の給料も扱いは一緒で、その年の費用として消えて無くなるのです。研究開発費は資産扱いしない、すなわち「研究開発は投資ではない」ということです。

会計の考え方によれば、研究開発の成果が確実に利益を生むわけではないし失敗もあるので、「資産」と呼ぶのは疑わしいというわけです。また、名前だけの研究開発費(極端な例としては、単なる無駄遣い)が資産として計上されることを許してしまう可能性もあります。

工学系大学院の会計学の授業でこの話をすると、将来の技術者である学生たちは少し表情を曇らせます。特に「営業とエンジニアが一緒の扱い」になっていることが不満のようです。

そこで、「研究開発費は財務諸表の注記に記載されている。つまり注記に値する特別な費用としてしっかり分けられている」と話すと、一様にほっとした表情を浮かべます。

もちろん単なる思い上がりかもしれませんが、それくらいのプライドを持って研究開発に挑む技術者になってほしいと思っています。

研究開発は技術立国・日本を支える投資なのですから!

(人材育成社)

 

 


品薄バターの緊急対応

2015年05月27日 | コンサルティング

「過去最大の1万トンの追加輸入を決定」

今年も品薄になっているバターですが、保存がきかず、また乳製品のため簡単に補給ができないこともあり、タイムラグなく安定供給するために、この度政府はバターの輸入を決定したとの報道が今日ありました。

既に昨年に続き品薄状態とのことですが、確かに最近スーパーに行くとバターの値段がかなり上がっていますし、何より種類が少なくなっていることに気づきます。もしバターが食卓から消えることになると、確かに困ったことになります。

そういうことを考えていた時にふと思い出したのが、幼いころに好きだったあの岩波書店の「ちびくろさんぼ」です。「虎が木の周りをぐるぐる回っているうちに溶けて、バターになってしまう」あの物語です。子どもの頃に読んだことがあるという人は多いのではないでしょうか。私自身「ちびくろさんぼ」はお気に入りの絵本で、繰り返し読んだものです。当時、まだ純真だった私は虎がぐるぐる回ると本当に溶けて、バターができるんだと信じていました。

残念ながら虎が回ってもバターにはなりませんし、そもそも虎を捕まえることはもっと難しいですから、基本に戻って?バターそのものを安定的に確保するのにはどうすれば良いのかを真剣に考えていくしかないのだと思います。国内の酪農業の保護等とのかかわりなど難しい問題もあるようですので、簡単には答えの出るものではないでしょう。

ところで、ここ数年弊社では問題解決をテーマとする研修の依頼をいただくことが増えています。職場の問題は尽きることがありませんから、問題解決はビジネスパーソンには必須のスキルですが、このスキルは決して即席で身につくものではありませんから、とにかく繰り返し練習するしかないものだと思っています。

問題には顕在化しているもの以外にも、水面下にある潜在的な問題、さらに将来起こり得るリスクに備える改革型の問題など、いくつかの種類があります。

今回のバターの問題は既に顕在化してしまっているわけですが、昨年も同様の事態になっていたのですから、今年はもっと早くにこの問題を察知して予め手を打っておくことはできなかったものかと、ついつい思ってしまいます。

しかし、実は顕在化して初めて問題に気づくことはよくあることで、これこそがまさに問題なのです。

私たちはいかにして問題が顕在化する前にそれに気づけるようになるか、問題解決のスキルと同時に、潜在的な問題を察知する力も身に着けていく必要がありそうです。

 (人材育成社)


珍説「帰納法は論理ではない」

2015年05月24日 | コンサルティング

「ビジネススクールでは教えてくれないドラッカー」、これは今日の朝日新聞の読書欄で紹介されていた本のタイトルです。Amazonの「内容紹介」によれば、「(アメリカの経営学は)統計学を乱用した悪しき科学主義により、ドラッカー経営学の真の意味が理解されず、単なる統計の「お遊び」の様相を呈しているのだ。」とのことです。

なるほど、アメリカ流の経営学には確かにそういう面があるなあ・・・と思いながら、著者(慶大商学部教授菊澤研宗氏)のブログをのぞいてみました。

なかなか面白かったのですが、おや、変だな?と思ったのは「統計学に関する私の執念の疑念」と題した一文です。

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「・・・統計学の見えない暗黙の仮定 として「有限の抽出したデータの分布は、無限の母集団の分布と同じである」というのは、非現実的である。それは帰納法を容認しているのと同じ点が問題。」

「100羽のカラスが黒くても、「すべてのカラスは黒い」という命題は論理的に出ない。101目のカラスは白いかもしれないと論理的可能性が残るので。10万のカラスが黒くても、10万1羽目は白いかもしれないという可能性を否定できない。それでも「すべてのカラスは黒い」というには、論理の飛躍を必要とする。つまり、帰納法は論理ではない。(原文ママ)

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うーん、さすがにこれはダメでしょう。

”見えない暗黙の”仮定 という表現も、高校生の作文では減点対象となりそうですが、それはさておき。

私は、この文の主張である「帰納法は論理ではない」という珍説を受け入れる学者は、ほとんどいないと思います。

「帰納法」は必ずしも正しいとは限らない(正しいことも間違っていることもある)という前提で使われます。統計学は、むしろこの点を上手に利用することで科学に役立つ論理のツールになっています。

統計学では、「世の中のカラスをランダムに100羽捕まえたらすべて黒だったので、カラスば全部黒い」などとは言いません。母集団が無限またはきわめて多数(たとえば、世界中の全カラスの数)であったとしても、「黒じゃないのが1匹もいないとは言い切れないけど、まあ95%とか99%とかの確率で”カラスは黒”って言ってもいいんじゃない?」というのが統計学が出す答えです。

論理というものが完璧に正しくて全く例外や矛盾があってはならないと言うならば、多くの自然科学は全滅してしまうでしょう。古典力学と量子論が矛盾せずに繋がっているとは思えませんが、どちらかが「間違っている」というわけではありません。それに、古典力学に基づいて作られた様々な機械や道具はきちんと動いています。

大学教授に比べれば浅学菲才な身ではありますが、こういうトンデモな話を聞くと頭が痛くなります。

もちろん、私の頭が悪いという確率も相当高いでしょうけれど。

(人材育成社)

菊澤研宗のブログ ダブルKのブログ

ビジネススクールでは教えてくれないドラッカー(祥伝社新書): 菊澤研宗: 本

 

 


有名人ではない、金原明善の「やらまいか」

2015年05月20日 | コンサルティング

あなたは自分の同郷の出身で活躍している有名人の名前を挙げられますか?

横須賀出身の私にとって同郷で活躍をした人といえば、小泉純一郎元首相、そして、山口百恵さんです。横須賀出身で活躍している方は他にも大勢いらっしゃいますが、やはりこの二人が群を抜いて有名だと思います。

さて、先週から朝日新聞の夕刊で「やらまいかをだどって」と題して、静岡県の西部地区が日本を代表する起業家を生んだと紹介しています。スズキの創業者の鈴木道雄とホンダの創業者の本田宗一郎は現浜松市出身、自動車発明家の豊田佐吉とその長男でトヨタ自動車の創業者の豊田喜一郎は現湖西市出身とのことです。

日本の名だたる企業の創業者の出身地が静岡県の西部地区に集注していますので、同郷の方もしくは今お住まいの方などはさぞかし鼻が高いことだろうと思います。

それでは、なぜ静岡県西部地区に創業者が集中しているのか。記事ではそれは「やらまいか」精神によるのではないかとしていました。

この「やらまいか」は、静岡県の西部、遠州の方言で「やってやろう」「やってみよう」という意味で、失敗を恐れずに挑戦する気風を表すものだそうです。4人が「やらまいか」精神に基づいて活躍した結果、それぞれの偉業が成し遂げられたであろうことがその功績からも想像できます。

このように静岡県西部地区は幾多の企業家を生み育んだ地ですが、実はこの方たちが生まれるはるか30年も前に、一人の大物実業家がこの浜松の地に誕生していたことをご存知でしょうか。

その方は「金原明善(きんばらめいぜん)」さんとおっしゃいます。天竜川の治水事業や北海道の開拓、植林事業など近代日本の発展に活躍した偉人です。

これまで何度かこのブログでもふれていますが、私は2年ほど前から旧東海道を京都に向けて歩いています。この3月に見附宿(磐田市)から浜松宿(浜松市)までを歩いていた際に、天竜川を渡った中野町というところで旧東海道沿いにある「金原明善記念館」の前を通りかかり、見学したことで初めて金原明善さんのことを知りました。

記念館で案内の方にいろいろお話を伺ったところによると、明善さんは治水・治山事業だけでなく、銀行業、出獄人保護事業など幅広い分野で活躍した人です。さらに伊藤博文や大久保利通をはじめ幕末から明治期にかけ歴史に名を馳せた多くの人物とも親交があったそうで、記念館には直筆の手紙をはじめとする多くの資料が展示されていました。きっと明善さんも「やらまいか」の精神で何事にもあたっていたのかもしれませんね。

ところで、大河ドラマ「花燃ゆ」では、先日の放送で吉田松陰が江戸に送られ死罪となりましたが、松陰が江戸に送られる途中、金原明善さんの家の前を通りかかった際には、松陰一行にのどを潤す水を出したこともあったそうです。ちなみに、この時の松陰は自分を護送する人たちに先に水を出して、自分は最後にしてくれるように頼んだそうで、実に立派な態度であったと伝わっているとのことでした。

話を戻しますが、この金原明善さん「実を先にして名を後にす」が信条であったこともあるのか、数々の偉業を遺したにもかかわらず、一般にはあまり名前を知られてはいません。地元の浜松市では、小学校の授業で明善さんについて学ぶ機会があるそうですが、残念ながら全国区にはなっていません。

実に魅力的で立派な方ですので、皆さんも、ぜひ一度ネット等で明善さんのことを検索してみてください。

このように、地元では当たり前のように有名な人であっても、全国的には意外に知られていない人が他にもいるのかもしれません。何とももったいないような気がしますが、皆さんの出身地ではいかがでしょうか?

(冒頭の写真は、明善記念館のHPより)

(人材育成社)


日本で一番借金の多い会社

2015年05月17日 | コンサルティング

トヨタ自動車といえば、手堅い経営、無借金、”トヨタ銀行”などというイメージがあると思います。しかし、トヨタはまぎれもなく日本でダントツ1位の借金王です。現預金と短期保有の有価証券の金額の合計から有利子負債(金利負担を伴う借入)を差し引いた金額を「ネットキャッシュ(net cash)」と言います。ネットキャッシュは企業の実質的な手元資金なので、マイナスの場合は「借金をしている」状態です。

トヨタのネットキャッシュはマイナス13.1兆円(現預金2.3兆円、短期保有有価証券2.1兆円、有利子負債が17.6兆円)で、2位のソフトバンク(マイナス6.3兆円)を大きく引き離しています。では、トヨタやソフトバンクが企業としての価値が低いかというと、ご承知のように、全く逆です。

トヨタのように巨額の投資を必要とする自動車や電機などのメーカ、電力や鉄道などのインフラ系の会社はどうしても有利子負債が多くなります。

トヨタが凄いのは研究開発に毎年1兆円以上つぎ込んでいるところです。

自動車のように成熟した市場が相手ならば、生産設備への投資は手堅いリターンをもたらします。しかし、研究開発となるとかなり不確実性が増します。

一方、手元資金が潤沢な企業は不況にも強く、手堅い経営と言えます。しかし、手元資金が豊富であるということは、キャッシュをただ溜め込んでいるに過ぎないとも言えます。本来、企業は手元資金を使って積極的に新しいアイデアに投資し、不確実な未来を切り開いていく存在であるはずです。

「アニマルスピリット」とは、”血の気”とか”野心”という意味です。英国の経済学者J.M・ケインズは「一般理論」の中で、企業家は常に合理的な行動をするのではなく、アニマルスピリットで動くものであると述べています。

血気に駆られて不確実性の高いビジネスにキャッシュをつぎ込むのは合理的ではありません。しかしケインズは、「それがイノベーションの源泉であり、経済の発展に重要な役割を果たす」と言っています。

企業家に限らず、アニマルスピリットを持っている人は大勢います。私見ではありますが、仕事の上で大きく成長した人は多少なりとアニマルスピリットを持っていたように思います。

「一般理論」でケインズはこう続けています。「(企業家の)アニマルスピリットが衰え、自然発生的な楽観論が崩れ、数学的な期待以外を考えなくなると、事業は衰退し死を迎える」

借金が増えることよりも、アニマルスピリットが減ることこそ憂うべきでしょう。

(人材育成社)

「借金が多い企業」200社ランキング | ランキング | 東洋経済オンライン |

| 雇用・利子および貨幣の一般理論| J.M. ケインズ, J.M. Keynes, 塩野谷 祐一


常識は変わる!

2015年05月13日 | コンサルティング

医師:「両足とも靭帯が切れていますね」

私:「えーっ、切れている!じゃあ、一体どうすれば良いのですか?」

医師:「オリンピック選手をめざすのでなければ、手術はお勧めしませんので、今後は捻挫をしないように気を付けてください」

私が20代の頃、頻繁に捻挫を繰り返したために、専門医を訪れた時に医師から言われた言葉です。

それ以来、捻挫のリスクをできるかぎり少なくするべく、ヒールの高さがある靴は避けてきましたが、それでも靭帯が断裂している足首は時々何かのきっかけで「ぎくっ」となってしまいます。

こういうことを繰り返して20数年。それにしても、昔捻挫をした時にはちゃんと病院に行って治療もしたはずなのに、どうしてこういうことになってしまったのだろう?と何度も考えていましたが、今夜ようやく、その謎が解けました。

今夜(5月13日)放送のNHK「ためしてガッテン」で「驚き!最新のねんざ治療『3日安静』の大誤解」をご覧になった方も多いと思いますが、内容は私にとって実に衝撃的なものでした。

これまで捻挫の際に行われていた患部を湿布で冷やして2~3日安静にする。その後腫れがひいたらもう大丈夫という治療では、その時点では治っているように思えても、数十年後、加齢で筋肉が衰えてくるタイミングで股関節や膝に影響が出てくる(番組内では「足が爆発する」という実にショッキングな言葉を使っていましたが・・)。さらに、ひどくなると手術をしなければならないこともあるとのことでした。

私は「捻挫は湿布をして2~3日大人しくしていればすぐに治るので、あまり気にすることはないというのが当時の一般的な常識だったじゃない!」と思わず文句を言いたくなってしまいました。

番組で紹介されていた現在の治療法は、捻挫の直後の安静はこれまでと同じですが、腫れが引いた後は2週間くらいできるだけ足首を動かさないようにサポーターで固定し、その後4週間くらいの間は切れた靭帯を再生するための筋トレをするというもの。どうやら当時私が行っていた治療では回復には十分ではなく、今後は加齢で筋肉が落ちないように筋トレに励まないとならないようです。

番組を見ながら、「ショック!今になってそんなことを言われても、もう遅いじゃない」と思うと同時に、当時の治療の常識と現在の常識はここまで大きく異なるのかと考えていたところ、番組終了後の天気予報を見ていて、同じような例を思い出しました。

天気予報では明日は東京では真夏日が予想されることから、暑さ対策としてこまめに水分をとるように注意していました。

憶えていらっしゃる方も多いと思いますが、この水分補給、今でこそ暑さ対策のため十分に水分をとることの重要性が力説されるようになりましたが、その昔私が中学高校生の頃は、「運動中に水を飲むとバテルから、あまり飲むな」と言われたものです。これも当時は当たり前のように言われていたのですが、今こんなことを言ったら大問題になりそうです。

当時、あれだけ汗をかいてほとんど水分をとらなかったにもかかわらず、熱中症になって倒れるようなことがなくて本当によかったと今更ながら思います。

捻挫の治療にしろ水分補給にしろ、当時の常識は現代のものとは全く異なります。

常識は時代によって変わるものだということを今夜の二つの事例を通して、再確認したように思います。

今常識だと信じて行っていることも、将来は非常識となることもあるのかもしれません。

「常識は変わることがある。この常識は本当に正しいのか?」ということを絶えず念頭において、物事にあたる必要がありそうです。

(人材育成社)


EDUPEDIAはeduceする広場

2015年05月10日 | コンサルティング

EDUPEDIA(エデュペディア)は学校教育の場で実践されている、様々な指導法を集めた「先生のための教育事典サイト」です。教員同士の情報共有のために神戸市教育委員会の情報担当者らが設立しました。各教科の指導案から卒業文集の書き方まで、現場で役立つ約1700件のヒントが無料で公開されているとのことです。

詳しくはEDUPEDIAのWebサイトをご覧いただくとして、educationという言葉について考えてみました。

education(教育)の動詞形はeducate(教育する)ですが、teach(教える)とは少し意味が異なるようです。

「ランダムハウス英英辞典」によれば、educationとは「to develop the faculties and powers of (a person) by teaching, instruction, or schooling.」すなわち、「 教授,指導またはスクーリングによって(人の)力と能力を開発すること」です。したがって、teachは一手段ではあってもeducationそのものではないということです。

また、educeという類似する単語がありますが、これは「〈隠れた才能・能力などを〉引き出す(weblio)という意味です。どちらもラテン語のe-(外へ)+ducere(導く)から来ているようです。

さて、ここで今をさかのぼること数千年前、世界のあちらこちらで文明らしきものが生まれはじめた頃のことを考えてみましょう。

大昔ですから、まだ教育などという概念は一切なかったと思います。したがって教師などという人間もいません。

それでも物々交換をする広場に集まった人々が、なんとなくお互いの知っていることを話したり聞いたりするようになりました。

たとえば、「美味そうな魚だな。どうやって獲ったんだ?」とか「その器、良いな。どうやって作ったんだ?」という感じです。

そうやって、いつしかモノだけではなく、お互いの頭の中にある知識やノウハウを「引き出し合う」場が自然に生まれてきたのではないでしょうか。

やがて時を経て「引き出し合う」場では知識の売り手と買い手が生まれ、知の市場となり、教師と学生が集う教育の場=学校へとつながって行ったのだと思います。

EDUPDIAはまさに教師が集い、educeし合う場です。

形は違っていても、教育の本質は何千年も前から変わっていないと思うと、なんだか嬉しくなりますね!

(人材育成社)

https://edupedia.jp/about

http://ejje.weblio.jp/content/educe

http://blog.goo.ne.jp/madographos/e/2f655044f80210860114c0f64d2fdb89

 


気遣いが渋滞を解消する!?

2015年05月06日 | コンサルティング

天気に恵まれた今年のゴールデンウィーク。1ミリ以上の雨が降らなかったのは、この40年で2度目というくらい珍しいことだそうです。

そのせいもあるのでしょう。多くの人が車で出かけたのか、今年も高速道路が軒並み渋滞をしました。テレビではいつものように渋滞状況が流されていましたが、この道路の渋滞、もはや大型連休の風物詩の一つになったとさえ思えてきます。

かくいう私も、連休中に2度ほど高速道路を使いましたが、連休初日は通常1時間半の道のりが倍の3時間もかかってしまいました。

ところで、この渋滞、連休のように一時に車が集中することだけが原因ではないようです。

渋滞学を研究している東京大学の西成活裕先生によると、一番渋滞が起きやすいのは登り坂だそうです。

登り坂では車のスピードが自然に落ちてしまうケースが多いのですが、後続車が車間距離を詰めて走っていると、「前の車、遅くなった」とブレーキを踏んだりアクセルから足を離すことになり、そうするとさらに後ろの車がブレーキを踏むという連鎖反応が次々と起こり、それがどんどんエスカレートしてやがては大渋滞になるとのことです。

つまり、適切な車間距離をとっていれば、かなりの渋滞発生を防ぐことができるというわけです。

また、同じように割り込みをせず車間距離を空けて走ることも、渋滞の発生回避につながりとのことです。

先日、連休前にタイミングよく先生がテレビでこの話をされているのを見ましたので、自分でも早速、高速道路で意識的に車間距離をとることを試してみました。でも残念なことにすぐに隣の車線から割り込みされてしまい、車間距離が詰まってしまうのです。

それを幾度となく繰り返しているうちに、自分だけ車間距離をとるようにしても上手くはいかないのだと思いました。つまり、高速道路を走っている全員がむやみに車線を変えない、割り込みをしないというルールを徹底しないと、結局はうまく車間距離をとることができないということです。

そんなことを考えていたところ、昨日、京浜急行のある踏切の遮断機脇で冒頭の写真「恥ずかしくないか割り込み運転」の看板を見つけました。そこには、割り込み運転をすることで「住民迷惑」、「歩行者事故の危険増大」、「踏切通過台数の減少」、「トラブル発生」などの文字も書かれていました。割り込み運転がもたらす悪影響には、渋滞以外にもいろいろあることがわかりますね。

西成先生は渋滞にならないようにするためには、自分のことだけでなく周囲の車のことも考えましょうとおっしゃっています。

具体的には、先を急ぐからと言って後ろの車にマイナスの影響を与えるような運転はしないこと。混んでいるときは自分を含めて全員が損をシェアすること。状況を客観視して運転し、車間距離を常に空けておくこと。無理に前に詰めようとして動いたり止まったりすると、それが後ろに伝わって渋滞を悪化させてしまうので、一定の距離をとって安定走行し後ろに迷惑をかけない。これを皆でやることができれば、渋滞はなくなるとのことです。

そして、これは何も道路の渋滞についてだけでなく、何事においても言えることではないでしょうか。

自分のことだけでなく全体のことを考えることで、スムーズに物事が進むことはたくさんあります。我先にと争うことで、かえって全体としてのバランスを欠いてしまい、自分にもマイナスになってしまうわけですから、ある意味「情けは人のためならず」に通じる部分があるようにも思えます。

そして、組織においても同じことが言えます。

「部分最適と全体最適」という考え方がありますが、部分最適とは、自部署の最適化を図ることだけを目指して行動すること。各部署や従業員がバラバラに最適化されていくことです。

一方の全体最適とは、組織全体の効率や生産性を上げることを目的に、部門が業務の関連を意識しながら生産性を上げることです。

言うまでもありませんが、組織が目指すべきところは全体最適です。「木を見て森を見ず」という言葉がありますが、組織においては絶えず「木も見て、森も見る」ことが求められているのです。

さて、冒頭の道路の渋滞ですが、以前よりは減ったとはいうものの、今年もあちこちで発生しました。次回の大型連休では、割り込みをせずに、皆で渋滞解消のメリットを享受できるようになりたいものですね。

(人材育成社)


オーケストラのPASSIONS(パシオン)

2015年05月03日 | コンサルティング

5月2日、今年もまたラ・フォル・ジュルネに行ってきました。ラ・フォル・ジュルネ(La Folle Journée, LFJ)は、フランスのナントで年に一度開催されるクラシック音楽の祭典です。

日本では毎年ゴールデンウイークに、有楽町の東京国際フォーラムで催されます。クラシックのコンサートといっても堅苦しいものではなく、大きなものから小さなものまで、1時間前後の演奏がたくさん行われます。スケジュール表を片手にいくつかのホールをあちらこちら移動しながら、好きな音楽を存分に聴ける大変楽しいイベントです。

ラ・フォル・ジュルネは、そんなカジュアルな感じがするイベントではありますが、世界でも一流と呼ばれているアーチストやオーケストラが多く登場するのも大きな魅力です。

さて、今年のテーマは「PASSIONS(パシオン)恋と祈りといのちの音楽」でした。今回聴くことができたどの演奏も、PASSIONS(情熱)を感じる大変素晴らしいものでした。

オーケストラの演奏を目の当たりにしていつも思うのですが、音楽とはPASSIONSそのものだと思います。絵画や彫刻と違って、音楽自体には形がありません。味気ない表現をするならば、空気の振動です。

形の無い、一瞬で消えてしまう音だからこそ聴き手にPASSIONS(情熱)が伝わるのでしょう。

オーケストラを構成するヴァイオリンやピアノ、様々な管楽器や打楽器は、それぞれの役割に従って音を出します。その音が幾重にも影響し合ってひとつの大きな感情(PASSIONS)になるというのは、考えてみれば大変不思議なことです。

ちょっと飛躍してしまいますが、企業の文化や社風といったものも、社員一人ひとりの「音」が重なり合ってあたかも音楽のように聴こえてくるものではないでしょうか。

そう考えてみると、私たちが仕事でお邪魔する企業からは、いろいろな「音楽」が聴こえてきそうな気がします。そして、その「音楽」は確かにその企業の感情を表しているように思います。PASSIONSを感じる企業もあれば、不協和音しか聴こえない企業もあります。

もしも企業文化を変えたいと思うなら、1つ1つの演奏者に気を配るように、一人ひとりの社員に気を配らなければなりません。どんなに立派なビルや工場を持っていても、「演奏」するのは社員なのですから。

(人材育成社)

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」2015公式サイト